猫と幼なじみ

鏡野ゆう

文字の大きさ
上 下
21 / 55
幼なじみから旦那様に

第二十一話 幼なじみから旦那様に 1

しおりを挟む
 病室のドアをノックすると、どうぞという父親の声が帰ってきた。

 ドアを開けて部屋に入ると、何度かお目にかかったことのある若い男の人が立っていた。たしか父親と同じ部署にいる人だったはずだ。

「こんにちは」

 私と修ちゃんを見て、その人はニッコリとほほえんだ。

「こんにちは。もしかして、お邪魔でしたか? だったらどこかで時間をつぶしてますけど」
「いえいえ。もう終わりましたから。では部長、また来週末にうかがいます」
「うん。あとのことは頼むね」

 そう言って父親はその人を送り出した。その人が出ていくのを見届けてから、私達は父親のベッドの横にいく。

「打ち合わせの邪魔しちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。今日までの投薬量と検査数値のリストを渡していただけだから。ああ、ダメダメ、どういうことかは企業秘密。認可前の薬のことは部外者には話せません」
「えー……家族なんだから治療のことは話してもらえるんじゃないの?」

 そう言いながら、今まで母親以外は医者から話を聞かされていないことに気がついた。

「ダメです。万が一よその製薬会社に情報が洩れたりしたら、うちの会社は大損害だよ? だから、話を聞くのは母さんだけ。真琴はダメ」
「えー……」

 口をとがらせた私に父親は笑う。そしてひとしきり笑った後、修ちゃんのほうに視線を向けた。

「修司君、卒業おめでとう。いよいよ自衛官として出港だな」

 修ちゃんが父親と顔を合わせたのは去年の夏だ。その時に比べてずいぶんやせてしまった父親を見て、修ちゃんはなにを思っただろう。だけど、父親と話をする表情は、いつもとまったく変わらないものだった。

「はい。おじさん達のおかげで、無事に卒業することができました。今日まで本当にありがとうございました」

 そう言って頭をさげた。

「いやいや、僕達はなにもしてないよ。ここまで来たのは、修司君の努力の結果さ。次は江田島えたじまで一年間なんだよな? 東から西へと大移動だね」
「全寮制で助かりますよ。引越しの手間はほとんどないので」
「そんな忙しい時に帰ってきてくれてありがとう」
「無事に卒業したことは報告しなければと思ってましたし。着校は今月末ですから」

 もちろん病院に来る前に自宅にも寄って、祖母とご先祖様にも報告をしてくれた。

「本当にありがとう。入学したら、なかなかこっちには帰ってこれないんだろ?」
「そうですね。これまでの四年間よりさらに拘束されることになると思います」
「今度は学生ではなく幹部候補だもんな、それはしかたないか」

 父親は笑いながら、なにやら考えをめぐらせている様子だ。なにを言うつもりなんだろう。

「なあ修司君」
「なんでしょう」
「君の中ではまだ道なかばなんだろうけど、僕からすると、もう君は一人前の自衛官だ」
「ありがとうございます」

 修ちゃんは少しだけ照れくさそうな顔をした。

「それでね。一人前になった君に頼みがあるんだけど、いいかな?」
「はい、俺にできることでしたら」
「それは大丈夫だと思うよ。うちの真琴をね、もらってやってくれないかなあって話だから」

 いきなりの爆弾宣言に開いた口がふさがらない。修ちゃんもさすがに驚いたようで、ポカンとしている。先に我に返った私は、慌てて父親の手をたたいた。

「ちょっと、お父さん?! なにいきなり逆プロポーズしてるの?!」
「ん? 別に僕と結婚してくれって言ってるわけじゃないよ? 僕には奥さんいるし」
「そうじゃなくて!!」
「だってお前達、付き合ってるんだろ?」

 さらに目が点になった。

「知ってたの?!」
「気がついたのは母さんが先で、僕は母さんから話を聞いて知ったんだよ。まったくひどいなあ、内緒にしておくことないじゃないか。母さんが気づかなかったら、僕、知らないままであの世に行っちゃうところだったじゃないかー」
「あの世に行くとか言わないでよ、縁起でもないー」

 そう言いながら、さらに父親の腕をたたく。こっちはあえて先のことを考えないようにしているのに、父親ときたら、なんでもないようなふりをして、サラッとこういうことを口にするのだから油断がならない。

「こればっかりはなるようにしかならないよ。それでどうかな? 修司君の中で、なにか別の人生計画があるならあきらめるしかないんだけど、僕の頼み、聞き入れてくれる余地はありそう?」

 そう言うと父親は、身を乗り出すようにして修ちゃんにヒソヒソとささやいた。

「ほら、真琴だろ? ここまで言わないと、百年ぐらい結婚する気にならないだろうからさ。行かず後家どころか、生まれ変わっても後家のままだよ。父親としてはそれが心配でね」

 修ちゃんは笑いながら私の顔を見る。

「生まれ変わっても後家って、すごいパワーワードですね」
「でもねえ、そんな感じなんだよなあ……呑気すぎる性格は誰に似たんだか」
「呑気すぎるってのは同感です」
「だろー?」
「ちょっと修ちゃんもお父さんも、なにげにひどくない?」

 男二人でなぜかわかり合った雰囲気で、私一人ではが悪い。早く母親が来てくれないだろうかと、病室のドアのほうに視線を向ける。

「実は今回こっちに帰省したのは、卒業の報告をしたかったというのもあるんですけど、おじさんとおばさんにお願いがあったからなんです」

 修ちゃんは肩にかけていたリュックから封筒を出した。そして封筒の中から一枚の紙を出し、それを父親のベッドのテーブルに置く。

「おやおや、すごい偶然だね。しかも記入済みとは恐れ入ったな」

 父親はそれを見て、うれしそうに笑った。

「おばさんがいないからどうしようか迷ったんですが、話が出たので今ここでお願いすることにします。おじさん、真琴さんを俺にください」

 思わず持っていたお茶のペットボトルを落としてしまった。

「ちょっと修ちゃん?!」
「あれ? もしかして青天せいてん霹靂へきれきだった?」

 あわてている私の様子を見て、修ちゃんは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。そして父親のほうに視線を戻した。

「本当は、おばさんがいるタイミングで言いたかったんですけど、おじさんにまこっちゃんのことを頼むって言われたので」
「あー、こりゃあ、母さんにしかられるな。自分だけをのけ者にしたって怒られそうだ」

 父親が笑う。

「それで? 真琴はどうする?」
「どうするって、私、まだなにも言われてないけど。そっちの二人で盛り上がってるだけじゃん」
「おー、そう来たか。修司君よ、真琴はこんなことを言ってるけどな」
「たしかに、まこっちゃんの言ってることは正しいかな」
「正しいかな、じゃなくて、正しいの」

 ムッとしながら反論すると、父親と修ちゃんが声をそろえて笑った。

「じゃあ、あらためて。まこっちゃん、俺のところにお嫁さんに来いよ。艦艇勤務になれば、海に出ることが多くて寂しい思いをさせるかもしれないけど、まこっちゃんが俺の母港になってくれたら、すごくうれしいんだけどな」
「おお、いいね、海自っぽくって」

 父親がウンウンとうなづいている。

「私に自衛官さんの奥さんなんてつとまるのかな」

 修ちゃんのことが嫌いなわけではない。付き合いだしてからは結婚のことも考えた。だけど相手は国を守る自衛官。自分のような人間にその奥さんがつとまるのだろうか。

「俺が最初から自衛官じゃなかったのと同じで、自衛官の奥さんだっていきなりなれるものじゃないだろ? 少しずつ一緒にやっていけば良いんじゃないかな。ま、呑気すぎるからどうなるかわからないけど」

 修ちゃんは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべながら、余計なことを付け加えた。

「む、修ちゃんが自衛官になれるんだったら、私にだって自衛官の奥さんぐらいなれると思うよ!」
「へー。おじさん、今の聞きました?」

 修ちゃんの言葉に父親がうなづく。

「聞いた聞いた。真琴、それって修司君への挑戦状だぞ? 一生モノの勝負になりそうだ、大丈夫なのかー?」
「大丈夫に決まってる! 私が勝つ!!」
「おお、大きく出たな」
「その挑戦、受けて立つよ。じゃあ、俺のところに嫁に来るってことでOK?」
「オッケーです!!」

 ドアがノックされ母親が顔をのぞかせた。

「あら、二人とも、もう来てたの? ……っていうか二人してケンカでもしてたの?」

 私と修ちゃんが向き合って立っているのを見た母親が首をかしげる。

「いや、二人がね、結婚することにしたらしいよ」

 父親が呑気な口調で言い、母親は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「修司君、婚姻届も用意していてね。僕達、完全に出し抜かれたね」
「えええ、もしかしてプロポーズしちゃったの?! 私、見てなかったのに。パパだけ見られたなんてズルい!! 二人とも、もう一度しなさい」
「えええええ……」
「いや、それはちょっと……」

 今のをもう一度くりかえせと言われても、さすがに無理だと思う……。


+++


 見損ねたと残念がる母親をよそに、テーブルに置かれた婚姻届をのぞきこむ。そこには修ちゃんの名前と、証人のところに知らない人の名前が書かれていた。

「ねえ、この人は誰?」
「防大の教官。いろいろと相談に乗ってもらってたんだ。で、今回のことも話したら書いてくれたんだ」
「へえ……教官さんて厳しい訓練しかしないんだと思ってた」

 厳しい訓練ばかりで、プライベートな相談なんてする余地なんてないと思っていた。だけどそれは、私の思い込みだったようだ。

「どの教官に相談するかは人それぞれだけど、家族のこととか人生のこととか、相談する学生はたくさんいたよ。教官は現役の自衛官で、俺達の大先輩だからね」
「なるほど」
「ここに名前、書いてくれる?」

 ペンを渡された。記入欄に自分の名前を書く。これを役所に提出したら、私は山崎真琴から藤原真琴になるわけだ。

「こっちの証人欄は?」
「おじさんかおばさんに書いてもらおうって思ってたんだけど……」

 父親に向かってブツブツと文句を言っている母親の姿に、修ちゃんは肩をすくめながら笑う。

「おばさんに書いてもらったほうが平和かもね」
「だよねー……」

 そういうわけで、もう一人の証人は私の母親ということになった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...