貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第四十話 意外と居心地の良い定位置

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 遠くで輸送機のエンジン音が聞こえ、やがて航空自衛隊所属のC-130輸送機の機影が見えた。あれにはここの地方隊から遠い異国の地に派遣され、半年間の任務を終えたばかりの隊員達が乗り込んでいる。

 陸上自衛隊の隊員が派遣される海外派遣というのは、近年になって任務範囲が広がりはしたものの施設科や衛生科の隊員達が派遣される支援目的のものが多い。つまりは道路整備やそこに住む人達への直接支援が主だった目的で、そこに普通科の隊員が派遣されることは殆どなかった。

 ただその「殆ど」というのが問題で、派遣される地域の治安が不安定な場合は派遣隊の護衛やその地に派遣されている国連や民間支援団体等の警護を務める為の部隊が派遣されることがある。そういった部隊は戦闘行為が生じる可能性を想定してレンジャー資格などを持った戦闘能力に優れたベテラン隊員達で組織されていた。

 そして今回戻ってくる派遣部隊にもその護衛部隊が含まれており、その中隊の指揮官は私の旦那様、つまり森永三佐だ。

 私達が法律的に一心同体運命共同体のパートナーとして結ばれてから十年近く。三佐は着々と経験を積んで上へと続く階段を昇っていた。そして今回の海外派遣での隊長就任もその経歴の重要なポイントの一つになるだろうと森永のお義父さんが言っていたっけ。本人は今も特に陸幕コースは意識していないと言っているけど本当のところはどうなんだろう、やはり運命共同体なパートナーとしては興味があるところだ。

「森永さーん!」

 そう呼ばれて振り返ると大森さんと山本さんの奥さん達が手を振りながらやって来た。

 そう、あの大森さんと山本さんも三佐が指揮する中隊の小隊長として今回の派遣隊に参加しているのだ。今は二人とも曹長となり、普段は小隊付きの先任陸曹として某駐屯地の中隊で新人幹部隊員の補佐をしていた。だけど今回の派遣隊に三佐が中隊長として参加すると聞いて、所属部隊が違うのにわざわざ上と掛け合って志願してくれたのだ。

『自分達も森永三佐とは運命共同体、いや、腐れ縁ってやつですからね』
『音無だけが三佐の人生についていくなんて不公平でしょ、俺達も隊長が行くところ何処へなりとも御一緒しますよ』

 出発式の時にそんなことを言って笑っていたっけ。

 三佐の方はそんな二人の言葉に苦笑いしていたけど、遠い異国の地に気心の知れた部下が二人もついてきてくれると聞いて、きっと心の底では喜んでいたと思う。まあそのせいで半年間も心配させてしまった奥さん達には申し訳ない気持ちではあるんだけども。

「今回の派遣でも怪我人、病人が出なくて良かったですよね」
「本当に。だけどまさかうちの旦那が自分から志願しちゃうとは思ってなくてビックリしちゃいましたよ。そこまで三佐のことが好きだなんて知りませんでした。妻としてはちょっと嫉妬しちゃいますね」
「なんだかそれって盛大に誤解されそうな言葉ですが……」

 大森さんの言葉に何だか怪しげな妄想が頭の中に湧き上がる。

「まあ男が男に惚れるっていうのはあるみたいですしね。ああ、変な意味じゃなくてですよ。うちの人も大森さんもその気は全くありませんから。でも女の私達には理解できない絆みたいなものがあるんでしょうね、やっぱり妬けちゃうかな」
「そうそう。それに私達と違って森永さんのところは奥様である美景さんも自衛官でしょ? だから余計に妬けちゃうのよね」
「えええ?」

 なんだかやっぱり申し訳ない気持ちになってきた……。


+++++


 派遣部隊の解散式が終わると、それぞれの隊員達は出迎えに来ていた家族の元へと足早に散っていく。あちらこちらで奥さんや子供達が旦那さんやお父さんに抱きついているのを見ていると、今回も無事に派遣期間が終わって良かったと改めて安堵した。

 そして安堵している私の元にも待っていた人がノンビリとした足取りで戻って来ようとしていた。

 途中で何度か他の隊員とその家族に呼び止められてにこやかに言葉を交わしながらも、こっちのことを気にしているのが伝わってくる。隊長ともなると下の者達にまで気を回さなければならないから大変よね、本当にお疲れ様。

「お帰りなさい、御無事でなにより」

 目の前に立った三佐の顔を見上げる。

「ただいま。わざわざ来てくれてありがとう。体調は大丈夫なのか?」
「うん。この通り私は元気ですよ。そういう三佐殿は少し痩せた?」

 出発式で見送った時よりも少し痩せたかなと思ったのは気のせいではないと思う。

「とにかくあっちは暑くて水分を摂取しても直ぐに汗で出てしまっていたからな。水気が抜けてそう見えるのかもしれないぞ」

 それは私に心配させない為の彼なりの気遣いなんだと思う。さすがに九月には雪は降らないだろうけど。

「しばらく休暇なんでしょ? 久し振りの和食、リクエストがあったら好きなだけ作ってあげるから何でも言って」
「俺がまず食べたいのは目の前にいる奥様だな」
「またそんなこと言って!」

 相変わらず困った人なんだからと笑いながら軽く肩を叩いた。そんな私に微笑みかけながら周囲を見渡す。

「それで? オヤジ達は?」
「暑くて体に堪えるから孫ちゃん達と実家でのんびり過ごすって。二人でゆっくり過ごして気が済んだら顔を出せばいいよって言ってた。それまではたけるのことは任せておけって」

 もちろん何かあれば携帯に連絡が入ることになってるけどねと付け加える。

「こんな腹の嫁となにをどうしたら気が済むようなことが出来るんだろうな、うぅっ」

 今度は思いっ切り鳩尾に拳をめり込ませてやる。

「まったくもう! あからさますぎ!!」
「だけどそれもあって美景も健を預けてきたんだろ? うっ、おい、よせ、少しは自分の体のことも考えろ」

 さらにもう一発鳩尾にくらわせる。

「違います! こんな炎天下の遠くまで小さい子を連れてくるのが可哀想だからに決まってる! いくらパパっ子でも限度ってものがあるでしょ? 友里さんのところも遊びに来ているから大丈夫って言われてお言葉に甘えさせてもらっただけ!」
「へえ……」
「疑ってる? もう一発お見舞いしようか?」

 私が軽く睨むと三佐は降参しましたとばかりに両手をあげた。

「いや。確かに腹が大きくなってきたのに子連れでここに来るのは大変だろうとは思っていたよ」

 結婚する前は世界中どこまでもついていくよ!なんて威勢よく宣言していた私だったけど現実はそうもいかなかった。だって二人の大事な子熊ちゃんがいるんだもの、その子のことをほったらかしにして旦那様を追いかけて海外になんて行けないものね。それに現在進行形でお腹の中で育っている二人目の子熊ちゃんもいることだし、現実は幸せだけどなかなか私が思っていた通りにはいかないのだ。

「それに、分かっているとは思うけどこのお腹については三佐の責任でもあるんだからね?」
「帰国するのが楽しみだったよ」

 二人目ちゃんは三佐が出国する前日にできた子だ。その時のことを思い出して顔がちょっと熱くなる。次の日が出発の日だと言うのに夜明け近くまで離してくれなかったんだもの、あれで妊娠しない方がおかしいわけで、案の定、三佐が派遣先に向かって出国してからしばらくして妊娠が判明したのだ。

「大丈夫か? 熱いんだろ? 早く帰ろう」

 以前だったら私が顔を赤くすると直ぐにニヤニヤしてからかったものだけど今はその気配すらない。年を重ねてすっかり良い旦那様、良いパパさんになってしまった。……ううん、ちょっと良く言い過ぎたかな、訂正しておこう、良い旦那様で良いパパだけど二人だけの時は相変わらずエロいことこの上ない。

「それで? このまま健を迎えに行く? パパに派遣先に行く時にオスプレイに乗った?って聞きたくてウズウズしているみたいなんだけど」

 その問いに三佐はニヤリと笑った。

「せっかく親父達が気を聞かせてくれたんだ、夜までは二人っきりで過ごすべきだろ? 健には悪いがもう少し我慢してもらおう。しかしどうしてオスプレイなんだ?」

 首を傾げる。

「それがね、テレビであれが空中給油をしている映像が流れてそれを観ていたの。そしたら、これだったらパパのいるとこまで飛べちゃうと思っちゃったみたいなのよね」
「理屈的には可能だが現実的じゃないよな。やれやれ。うちの息子には色々と教えなきゃいけないことが山盛りだ」

 そう言って私の腰に手を回した。

「お腹が大きくなってきたから手を回すのも大変でしょ?」
「そんなことないぞ。だがそうだな、くびれがないのが衝撃、いてっ、おい、お手柔らかに頼むぞ、奥様。ベッドに行く前に俺の方がアザだらげだ」

 半年ぶりの御帰還ともなると度重なる前例があるので注意が必要だ。だけど今回はお腹も大きくなってきたことだしさすがに無茶は出来ない筈。そんなことを考えていると、三佐が口元を歪めてニヤニヤにしながら私のことを見下ろしてきた。

「なにやら安心しているようだけどな、奥様」
「なに?」
「妻が妊娠中でも創意工夫次第では十分に楽しめるんだぞ?」
「はあ?!」

 思わず何年かぶりの「なに言ってんだお前」な顔をしたら三佐は愉快そうに声をあげて笑った。

「冗談だよ。今は大事な時だ、可能な限り自重する」
「その自重するも信用ならないんだよねえ、貴方の場合」

 だって「可能な限り」なんて言葉が付くんだもの、絶対に信用ならない、油断大敵だ。

「なんだ、自重しなくても良いのか?」
「目一杯してください」

 ムッとしながらそう言った私を抱き寄せると三佐は私にあわせてのんびりとした歩調で歩き出す。腰に回された逞しい腕が何とも心地良い。最初の頃はこの腕に捕まえられる度に、とんでもない人にとっ捕まってしまったかもと思ったものだけど今ではその腕の中が私の定位置だ。

「どうした?」

 私が擦り寄ったのに気が付いた三佐が首を傾げて見下ろしてきた。

「ううん。こうやって歩くのも久しぶりだなって思っただけ」
「家に戻ったらもっと久し振りのことをしてやるから楽しみにしていてくれ」
「だから自重しろと」
「可能な限りな」
「…………」

 ……やっぱりとんでもない人にとっ捕まってしまったかも。


 ま、相変わらずの、いや、もしかしたら結婚してから更に輪をかけてエロくなった私の旦那様も、この二番目の子熊ちゃんにはメロメロになるんだけど、それはまた別の話だ。
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