貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第三十三話 労いポイントが違う件

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 十月に行われる中央観閲式も無事に終わり、季節が秋から冬へと進んで師匠も走り回る十二月。世界は温暖化だと言われて久しいけれどやっぱり冬は寒いわけで、朝晩はかなり冷え込むようになってきた。

「はあ、今日も寒いねえ。こういう時は一日中コタツに潜っていたいよね」
「寒気が南下してきているって昨日の夜の天気予報で言ってましたよね。もしかして初雪ですかね~」

 まだ外が暗くて寮内の人間も殆どが寝ている時間、私と釜屋かまやさんは足早に調理室に向かっていた。

 うちの緩い糧食班にも一応はシフトというものが存在して、朝ご飯と幹部食堂の食事の準備をする早番と、昼ご飯と晩ご飯を用意する日勤とに分かれている。早番は夜明け前には調理室で入って、食事の準備に取り掛かることになっていた。

 どうして早番が幹部食堂の食事の担当をするかと言えば理由は簡単、幹部は営外者がほとんどで、朝ご飯も夕ご飯も駐屯地内の食堂で食べることが無いからだ。つまり、幹部食堂の準備はお昼ご飯だけってことなのだ。まあ隊員達の夕飯の準備までいることが多いので、実際には早上がりをすることはなかなかできないのが実情だけど、次の日が休務になるので意外とやりたがる班員は多かった。

 ああ、ほとんどと言ったのは、ごくまれにではあるけれど、たまーにここで食べていく物好きな幹部様がいるから。

「足は痛みませんか? うちの親戚で怪我をしたオジサンがいたんですけど、冬場は冷えて痛いって言ってましたよ」
「今のところは大丈夫かな。ところで釜屋さん、そろそろ本来の衛生科に戻るはずだったんじゃなかったっけ?」

 班員として他の隊から派遣されてきた人間は、だいたい三ヶ月から四ヶ月で元の部署に戻っていく。釜屋さんがここに来てすでに半年以上。本来の衛生科としての任務は大丈夫なんだろうか? まあ本人の耳にはまだ入っていないだけで、三月には異動することにはなるんだから問題が無いと言えば無いんだけど。

「君はもう少し音無おとなし三曹のお手伝いをしなさいって、上官から言われました」
「そうなの?」
「はい。それに……」
「それに?」
「あの、誰にも言わないでくださいね。私、どうやら四月からの人事異動で動かされることになりそうなんです」
「そうなの?」

 まあお父さんが偉い人だから、内示が出る前に本人に伝わるんじゃないかとは思ってた。

「ちなみにどこへ?」
「地本の広報だと思います」

 その辺は蓮田はすだ班長が言っていたことと合致する。ってことは、ほぼ間違いなく釜屋さんは、地元地本の広報に異動が決まったってことだ。

「その話が釜屋さんに伝わっているってことは、もう一つの人事異動の話も耳に入ってるのかな?」
「えっと、音無三曹は練馬ねりま駐屯地に戻るってことですよね?」

 彼女は私の顔をうかがいながら言いにくそうに言った。

「その話は、まだここだけの話ってことにしておくようにね。お互いにまだ正式な内示は出ていないんだから」
「分かってます。だけど音無三曹がここから異動しちゃうって知ったら、がっかりする人も多いと思いますよ? ご飯をおいしく作ってくれる人がいなくなっちゃうんですから」
「班長が何とか腕の良い人を引っ張ってきてくれると思うから、そこは大丈夫じゃないかな」

 それこそ本当に給食のおばちゃんとか。

森永もりなが二尉だって寂しくなっちゃいますよね。二尉はもう一年ここなんですよね? あ、もちろん音無三曹と森永三尉が遠距離になるからって、私が割り込もうだなんて話じゃないので安心してくださいね!」

 私が黙り込んでしまったので、釜屋さんは慌てた様子で付け足してきた。

「森永二尉って、今まで私の周りにはいないような人だったのでちょっと憧れてしまったんです。今は大丈夫ですよ、音無三曹が二尉と恋人同士だって分かってますから。なんて言うか、今はお二人セットで陸自の先輩として尊敬して憧れている感じです」
「私と二尉、セットなの?」

 釜屋さんの説明に首をかしげげた。

「はい、セットなんです。たまにお二人が話しているのを見かけたりすると、仕事の話でも対等にできるし素敵だなって思うんですよ。私にもあんなパートナーが現われたら良いなって憧れちゃうんです」
「なるほどー……」

 その話しぶりからして、釜屋さんは私と二尉がしゃべっているのを見かけても、その話の内容までは聞いていないのは間違いない。だって私達がここで話していることなんて、二尉がしつこく私の足のことを気にしてグチグチとお説教をして、それにウンザリした私が鍋蓋で殴りますよって反論している会話ばかりなんだから。

 それに、仕事の時間が終われば相変わらずエロいことこの上ないし。釜屋さんが思い描くような尊敬とか憧れとは程遠いと思うんだけど、それは本人のためにも言わないでおく。ああ、ちなみに、藤谷ふじや二尉からいただいた例のブツは先週ようやく使い切りましたとも。

「ああ、話がそれちゃいましたけど、そういうわけで年度末までは糧食班でお世話になることになりそうです。音無三曹の邪魔にならないように頑張るので、どんどん仕事を言いつけてくださいね」

 調理室に入る前にエプロンと長靴を身に着けて手袋を手に調理室に行くと、夏の終わりにここに派遣されてきた陸士君三人がすで電気をつけて食材を冷蔵庫から運び出していた。

「あ、おはようございます、音無三曹。足がまだ本調子じゃないんだから、準備が整うまでそこで座って待っていてください」

 そう言って班長お手製の椅子を指した。もうギプスがはずれたというのに椅子はまだ健在。たまに痛くなったりだるくなったりするので、ありがたく使わせてもらっている。

「遅くなって御免なさい、私も手伝いますね! 三曹はそこで座って待っててください。冷蔵庫の中は冷えますから、せっかく治ってきた足が痛くなったら一大事ですよ」

 釜屋さんは、一緒に冷蔵室に入ろうとした私を押しとどめた。

「でも皆でしたほうが早く終わるから」
「釜屋陸士長の言う通りですよ。三曹の具合が悪くなったら、班長だけじゃなくて森永二尉にも叱られちゃいますからね。自分達のためにも、そこでおとなしくしていてください、お願いします。ここは自分達でやりますから」

 卵を調理台に置いた陸士君が引き返してきて、そう言いながら私の横を通り抜けていく。

「いつの間にかこんなところまで監視網が……」
「はい?」
「なんでもありません。だったらお言葉に甘えてここから見物させてもらってますから、頑張って作業を開始してください」
「了解しました! じゃあお米の方は……」

 まさか糧食班内にも二尉の監視網が伸びているなんて……。私以外の四人の作業の様子をながめながら、溜め息をついてしまった。


+++++


「まったく油断も隙もあったもんじゃないですね、二尉!」

 早番の次の日はお休みなので、外出許可をもらい二尉の官舎にお邪魔した。ここ最近は私の足のこともあったし、寒くなってきて窓を開けることも少なくなってきたので、大騒ぎしなければ大丈夫だろうってことでこちらに泊まりに来ているのだ。

 そしてあがらせてもらうと同時に、今朝方の陸士君の言葉を思い出してそのことを口にする。

「来て早々いきなり、なんのことだ?」
「糧食班の陸士君達になにか言ったでしょ?! 私が具合が悪くなったら二尉に叱られちゃうって言ってましたよ?」
「陸士? 今うちの小隊の人間は糧食班に出していないはずだが?」
「だけど二尉の名前を出してましたよ」

 少しの間、首をかしげて考え込む。

「心当たりがないな」
「本当に?」
「ああ」

 ジッとその顔をうかがう。例の情報源のこと以外は二尉も本気で隠そうとしないから、それなりに顔に出て分かると思うんだけど、今のところその気配は無し。ってことは本当に心当たりが無いってことみたいだ。でも確かにこの耳で「森永二尉に叱られる」って言ったのを聞いたんだけどな。

「また謎が一つ増えた」
「誓って俺はなにも言ってないからな」
「この調子で練馬に行っても監視されてそう」
「だから俺じゃないと言っている。それとあいにく練馬には知り合いはいない」
「監視する気満々じゃないですか!」

 やっぱり油断大敵ゆだんたいてき!!

「だいたいですね! 私のことを一番気遣わなきゃいけないのは二尉だと思うんですけどね!」
「何故?」
「何故?! それ本気で言ってます?!」

 その顔からして本気で言っている? この顔は本気だ、なんてこった。

「だってどう考えても私に一番無理をさせるのって、二尉じゃないですか。現在進行形で通院もしている抜釘ばってい手術待ちの私は、もっとねぎらわれなきゃいけないと思うんですが!!」
「別に訓練で野山を歩かせているわけじゃないだろ。それにギプスの取れないうちから、うちの小隊相手に駐屯地中を走り回っていたのは一体誰なんだ?」

 それでねぎらえだと?といやみったらしい笑みを口元に浮かべている。しかも話がいつの間にか大きくなって、駐屯地の敷地内を走り回っていることになっているし! 断じてそんなことはしてません、私が走り回っていたのは建物の中だけ!!

「それだって前にも言いましたけど、もともとは二尉のせいでしょ、まだ反省がし足りてないみたいですね、おでこにスタンプおしますよ!」

 あなたが監視しろと大森おおもりさんに命じたのをお忘れですか?!

「分かった分かった、すべて俺が悪いんだな。それよりさっさと風呂に入って寝たらどうだ、眠そうな顔をしているぞ? ……なんだ?」

 私がその言葉にビックリして固まったのを怪訝けげんそうに見る。

「だって二尉が風呂入って寝ろだなんて珍しい。明日になったら大雪が降ったりして」
「うるさい。ねぎらえって言うからねぎらってやっているのに何だ、その態度は。そんなに元気なら明日の朝まで寝かさないぞ?」

 それは困る。今日は明け方前からずっと起きていて本当に眠いんだから。

「いえ! お風呂に入って寝ます」
「よろしい」

 分かれば良いんだって顔をして偉そうにうなづいている。やっぱりねぎらうポイントが私と違う気がするんだな……。

「あの、お風呂は一人で入ってきて良いんですよね?」
「一緒に入りたいのか?」
「いいえ! 一人で入ってきます!」
「だったらさっさと行け。お湯ははれているから」
「それも珍しくないですか? はいはい、さっさと行ってきます!」

 さらになにか言われそうだったので、急いで着替えとバスタタオルを持って脱衣所に駆け込んだ。私がここに来たらお風呂にすぐ入れるように準備してくれていたってことは、それなりに本気でねぎらってくれているんだろうけど、やっぱり何かポイントが違う気が。

 そしてまさかまさか、朝起きたら外が白くなっていたのにはびっくりだった。

 朝一のテレビの天気予報で、観測史上最も早い降雪だって言っているのを二尉は複雑な顔をして見ていたのは言うまでもなく、そのあと何故か私に八つ当たりしてきて、懲罰ちょうばつがどうのこうのという事態になってしまった。

 …………やっぱりねぎらいポイントに関しては、いずれきっちりと話し合わないといけないかもしれない。
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