貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第三十一話 休暇の終了

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 父親にお願いして予約してもらったのは、このへんではそこそこ人気のお宿。急だったからおさえられるか心配で、地元に顔のきく父親に頼んでおいたんだけど、世間のお盆休みとは少しずれていたこともあってか、ちょうど一部屋空いていたらしくラッキーだった。ああ、これももしかして二尉のお母さん譲りな「運の良さ」の御利益かもしれない。

「大浴場はいつでも入れますから、良ければどうぞ」
「ありがとうございます」

 当分は一人だしノンビリと温泉につかるのも良いかなと考えながら、部屋に置かれていたパンフレットに目を通してみる。

「ふむ、なになに神経痛と動脈硬化症などに効あり? 骨折に効く温泉じゃなかったのか残念」
 
 とは言え、痛いのには効きそうな感じだしさっそく行ってみようと、旅館が用意してくれていた浴衣ゆかたに着替えようと服を脱いだところで手が止まった。

「これはダメじゃん……」

 鏡の前で目に入ったのは。体のあちこちに散っている紅いあざ。言うまでもなく、二尉がつけたキスマークだ。今朝着替えた時には気がつかなかったけど、かなりあちらこちらに残っているも。しかも首のあたりをよく見るとあとまで! 移動中は髪をおろしていて良かった、こんなの人に見られたら何事かと思われてしまう。

「これは人の目のある大浴場は無理かな……」

 ガッカリしながらパンフレットに目を通すと『貸し切り風呂』の文字。これは良いかもしれない。そう思って、部屋の電話からフロントに問い合わせをしてみることにした。

『夜でしたら今夜の予約はまだ入っていないので、お好きなお時間をおっしゃっていただいたら、すぐに入れられますよ』
「じゃあ、九時から二名でお願いできますか?」
『うけたまわりました。音無おとなし様で九時から四十五分の予約を入れておきます。お時間前にフロントで声をかけていただきましたら、係の者がご案内しますので』
「わかりました。ではお願いします」

 貸し切りなら他人の目を気にすることも無いし、時間制限ありなら二尉から変ないたずらをされることもないだろう。いやいや、二尉を締め出して私一人で楽しむという手もあるか。

 大浴場に行くのを諦めた私は、旅館の日本庭園を眺めながら足湯につかることにした。素足になると手術でついた傷跡がまだ生々しいけど、そこはしかたのないこと。抜釘ばっていの手術が終われば、そのうちきれいさっぱり消えてしまうだろう。それまでのガマンだ。

 久し振りにテレビを観ながらまったりと過ごしているうちに夕方になり、二尉が戻ってきた。

「それで? どうだったんですか? どこまで案内してもらったんですか? 森? 山? なにか面白そうな話ってありました? あ、やっぱりここでもヘビもありなんですか? それと何か試しにやってみました? 一般開放の訓練展示ではよくラペリングをやってましたよ。それも見せてもらいました?」
「音無、質問が多すぎてどれから答えて良いかわからないぞ」

 さっそく質問タイムに突入した私に、二尉は笑いながら制止をする。

「だって、戻ってきたら話して聞かせてくれるって言ったじゃないですか。だからさっそく聞かせてもらわなきゃ」
「無茶を言うな、少しは休ませてくれ」
「なに言ってるんですか。私が休ませてくれと言っても、問答無用で却下するくせに」
「わかったわかった、とにかくお茶ぐらい飲ませろ」
「じゃあ特別にれてあげますから、さっさと話して聞かせてください」

 二尉は笑いながら私のことを回れ右させて、背中を押しながら部屋に入った。

「こんなことになるなら、かついで森の中を歩いてでもつれて行けば良かったな」
「そうですよ、反省してください……森って実戦訓練をするところですよね? ああ、はいはい、お茶ですね」

 二尉がちゃぶ台の前に座るのを横目に、急須にお茶の葉を入れてポットのお湯を注ぐ。

「はい、これもどうぞ。夕飯までにはもうちょっとありますから」

 お茶菓子を押し出す。

「それで?」
「まだお茶を飲んでない」

 そう言いながら、お湯を注いだばかりの急須をわざとらしくのぞきこんだ。

「じゃあ、お茶が出るのを待ってる間に私のほうから。あのですね、二尉のせいで大浴場に行けないんですけど」
「何故?」
「何故?! 何故って聞きますか? 二尉でしょ、キスマークやらあとつけたの!!」

 首筋のあとを示すと、そうだったなと呑気に笑う。笑いごとじゃないんだよ、寮に戻るまでに消えなかったらどうしてくれるんだか。

「ああ、そうだった。そこまで考えてなかったな」
「それと! 父親に歩き方が変だって心配されましたよ、反省してくださいよね」
「その顔からして真相はばれてないんだろ? だったら問題ないじゃないか」
「そういう問題じゃありませんよ、まったく」

 まったく反省の色を見せない相手にムカつきながら、お湯呑みにお茶を注ぐ。緑茶のいい匂いが、湯気と共にふんわりとのぼってきた。

「はい、どうぞ!」

 コンッと鋭い音を立てて湯呑みを二尉の前に置く。

「おい、乱暴に置くな、お茶が飛び散ったじゃないか」
「反省しない二尉にはこれでも丁寧なほうですよ。飲んだらさっさと話を聞かせてくださいよね」
「やれやれ」

+++

 松本まつもと駐屯地の山岳さんがくレンジャーは、師団や旅団で独自にプログラムが組まれるレンジャー養成訓練の一つで、山地での遊撃行動や救助の訓練を目的とて発足したものだ。発足当時は夏山でのみの養成訓練だったのが、今では八ヶ岳やつがたけ槍ヶ岳やりがたけでの冬季レンジャー訓練も行われている。とにかく厳しいことでも有名で、合格者が三割に届かないこともざらという、非常に狭き門の養成訓練でもある。

 そして松本駐屯地はその土地柄から山岳さんがく地域に強い連隊が駐屯しているが、その中でも山岳さんがくレンジャー部隊と呼ばれる小隊があった。全員が山岳さんがくレンジャーの資格を持っており、普段はそれぞれ違う部隊に所属して有事の際にのみ編成される、いわゆる山岳さんがく戦、山岳さんがく救助のエキスパートの集団だ。

+++

「さすがに冬季訓練の時に利用する山には登ってませんよね?」
「そこまではさすがに時間が無かった。もし雪の季節に来ることがあったら、是非とも案内させてくれとは言われたけどな」

 雪山の案内、それって参加しませんかってお誘いなんじゃ? たしかあの訓練は山岳さんがくレンジャーに合格しないと参加できないはずで、ま、まさかこれは松本駐屯地へのお誘いだったりして?

「ラペリングは見せてもらいました?」
「ああ、実際にやらせてもらってきた。なかなか面白かったな」
「面白かったんですか……うらやましい」
「そう言うと思ったよ。だが音無はお父さんから教わったんじゃないのか? それらしいことをお父さんが話していたぞ」
「あの頃は遊びだと思ってましたからね。十分の一も真剣に聞いていませんでしたよ、惜しいことしました」

 聞けば聞くほどうらやましい。鍋蓋のせいで色々と残念なことばかりだ。

 それから夕飯の時間が来るまで、私は根掘り葉掘り質問をしまくり二尉を辟易へきえきとさせることに成功した。そして二尉は最後にもう一度「やっぱりつれて行けば良かった」とぼやくことになったのだ。


+++++


「あれ、二尉、青痣あおあざができてますよ。まさか今回の見学で高いところから落ちでもしました?」

 貸し切りのお風呂に二人で入っていた時、二尉の背中に薄く色が変わっている箇所があることに気がついた。私が湯船の中から指を指すと、振り返ってそのあたりを手で触っている。

「ああ、それは多分、富士でできたやつかな。最終日、沢に落ちたから」
「落ちた?!」

 しかも沢に?!

「大した高低差じゃなかったから平気だったんだけどな。そうか、あざになってたのか」
「今まで全然気がつかなかったですよ」
「そりゃ音無は俺の背中のことなんて、気にしている余裕なんて無かっただろ?」

 笑いながらかけ湯をして、湯船の私の横に入ってきた。そして足を伸ばすと思いっ切りのびをして、気持ちよさそうに溜め息をつく。

「痛くないんですか?」

 あざのことが少しだけ心配でもう一度確認する。

「気がつかなかったぐらいだからまったく」
「二尉でも落ちることがあるんですね、ちょっと意外」
「そりゃあ。今回だって俺も教官には怒鳴られっぱなしだったぞ」
「あの人達はそれが仕事で、こっちに何も落ち度が無くても怒鳴るって聞きましたけど?」
「まあそれは当たってる」

 その時のことを思い出したのか楽しそうに笑った。

「……なんだ?」

 私の視線を感じたのか、こっちを見て首をかしげる。

「え、いや、なんて言うか、二尉の雰囲気がいつもと違うなって」
「そうか?」
「もしかして休暇中だからですかね? オンとオフ?みたいな」
「なにが違う?」

 自分ではそんなこと意識していなかったみたいで、私の言葉にますます首をかしげた。

「なにがって言われると困るんですけど、うーん、話しぶりが少し柔らかいって言うか」
「へえ、意識したことはなかったな。だが、俺だって四六時中難しい顔をしてるわけじゃないから」
「私にはしょっちゅう命令してますけどね、休みの時でも」
「それは音無がおとなしくしないからだろ? 今度の怪我のことだってこの三ヶ月、まったくおとなしくしてなかったって話じゃないか」
「そうだ、それ誰から情報なんです?」

 リーク元の穴は、きちんとふさいでおかなくちゃいけない。

「情報源は明かせない」
「ちょっとー!」
「ダメダメ。それを聞いたら絶対に音無のことだ、相手に鍋蓋で報復するだろ? だから教えない」
「まさか大森おおもりさんとか?」
「だから教えない、ヒントも無し、ノーコメント」
藤谷ふじや二尉?」
「音無、あまりしつこく聞くと懲罰ちょうばつを発動するぞ、今ここで」

 どんな懲罰ちょうばつか分からせるように、私の後頭部に手を回して自分のほうへと引き寄せた。

「ダメですよ、ここ、時間制限があって四十五分なんですから!」
「だったらおとなしく引き下がれ」
「えー……ってかまた命令調に戻ってる」
「音無」

 でも私が鍋蓋で報復できる相手で二尉つながりってことは、少なくとも班長と藤谷二尉、それと小池こいけ曹長、それから江崎えざきさんは除外かな?

「音無?」
「分かりましたよ、聞き出すのはあきらめますー……」
「なんだよ、そのイヤイヤな感じは」
「だってイヤイヤですもん」

 だけど本気であきらめたわけじゃない。何が何でもつきとめてやる。

「まったく困ったヤツだな。音無が普通におとなしくしていたら、こんな話はこっちに伝わってこなかったんだぞ?」
「でも、それは二尉が大森さんに余計なことを頼むからじゃないですか、つまりは二尉のせいです」
「こっちは心配して頼んでいったのにまったく……」
「大森さんがあんなことを思いつかなければ、私だっておとなしくしてましたよ」

 多分。恐らく。

「つまりは俺が悪いってことか?」
「そうですよ。だから小隊長の二尉も反省しなさい」
「やれやれ……」
「反省しなさい」
「わかったわかった、これからは気をつけるよ」

 なにをどう気をつけたら良いのか理解できないけどな~なんて余計なことを言ったので、罰としてお風呂を出てからアイスクリームをおごらせることにした。


+++++


 こんな感じで、私達のちょっと短い夏季休暇は終わろうとしていた。私の足のこともあったから近場の観光だけだったけれど、任務や門限のことを気にすることなく二人でのんびりとすごせるのは、それなりに楽しかったかな。まあ最初の二日ほどは、いろいろな意味で大変だったけど。

 来週からはまた私は調理室で、二尉は小隊長としての厳しい訓練が待っている。

「ところで音無」

 明日はいよいよ宿を立つ日となった夜、お布団に潜り込んでいた私に二尉が声をかけてきた。

「なんですかー? ダメですよ、明日は朝風呂に入る最後のチャンスなんですからね、絶対に入りつもりでいるんですから! それに、あんなものは無理に使い切らなくても良いんです!」

 だからこれ以上のキスマークもあとも寝かさないなんて言葉もノーサンキューですよと警戒しながら答えると、二尉は笑いながら私を抱き寄せた。

「そっちのことは心配しなくていい。さすがに俺も何日も続けて大騒ぎは無理だから。そうじゃなくて、俺がいない間に駐屯地中を駆け回っていたペナルティに関しては、忘れていないからなって言いたかっただけだ」
「ちょっと、そっちだって反省しているって言ったじゃないですか!」

 どうしてそこで私にまでペナルティが?!

「それとこれとは別問題。今度から気をつけるって言っただろ? だから、戻ったら小隊の再訓練と音無に対する懲罰ちょうばつ、どちらもきちんと対処するから覚悟しておくように」

 その口調はいつもの二尉の命令口調だった。……理不尽だ。
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