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本編
第二十九話 自衛官の血?
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せっかく二人して夏期休暇の予定を合わせるようにとったんだから、それらしい場所へ行かないかって話になりそうなのにそうはならないのが私達。
と言うのも、今回のことで森永二尉が山岳レンジャーなんてのに興味を惹かれてしまったからだ。つまりは次の私達の行き先は、松本駐屯地、私の実家がある長野に急遽、決定した。
泊まる場所のこともあるので父親に連絡したら、旅館の予約を引き受けてくれたので、そっちのことはお任せして私達は電車で松本に向かうことになった。もちろん二尉の希望も伝えたので、そちらの方も話を通してくれるってことだった。うん、うちの父親はすでに退官した身だけど、やっぱりまだ何かしらの繋がりを持っているんだな。OB様、万歳。
「もう、いっそのことレンジャーって名前のつく課程、行けるやつは全部行ってみたらどうですか?」
「幹部課程もあるのにそれまで受けていたら、まともに部隊にいる時間が無くなるんじゃないか?」
それに何でもかんでも行けるわけじゃないんだぞと、二尉は付け加えた。
「あー、それはそれで困りますよね、出世に関わっちゃうかも」
一言でレンジャー課程と言っても色々あるのは御承知の通り。空挺レンジャーやら冬季遊撃レンジャーなどがあり、さらには松本駐屯地にある山岳レンジャーのように、それぞれの駐屯地が独自のプログラムを組んだ部隊レンジャーなんていうのもある。
そしてそんな資格を持った人達がゴロゴロいるのが、長崎にある水陸機動団第一連隊や、中央即応集団の第一空挺団、そして二尉のお父さんが群長をしていた特殊作戦群だ。
二尉は幹部だから全国津々浦々の駐屯地や関係施設を回りながら、様々な職種を経験して偉くなっていくんだろうなって単純に考えていたけれど、もしかしたら何年か後にはそんな部隊にいるかもしれない。それに、なんて言うかうちの班長みたいにお役所仕事しているよりも、そっの方がずっと二尉には似合ってるかも。
「なんだ、人の顔をじろじろ見て」
「え? ああ、ほら。二尉のお父さんは、あそこの群長さんだったわけじゃないですか」
電車の中で他のお客さんもいるので、はっきりと口に出すのもはばかられ、指を上に向けて振りながら言うと、二尉はかぐに分かったらしくうなづいた。
「ですからね、やっぱり親から受け継いだ血って言うか、持って生まれた資質っていうのはあると思うわけで、二尉は文武の『武』のほうを極めていくのかなって思ったわけですよ」
「別に、父親と同じ道を進みたいと思っている訳じゃないんだけどな。取れる資格は取っておいたほうが、いろいろと選択肢が広がるだろうなとは思っているが」
それが民間でも取得することができる重機とかその手の免許だったら話は分かるけど、二尉が取っていく資格はそれとはまた次元の違う資格であって。
「お父さんも、その結果がアレだったりなんてことはないんですか?」
特殊作戦群なんて、行きたいと思ってもなかなか行けるところじゃないって話だし、天賦の才能と余程の努力がなければ無理だと思うわけなのだ。
「どうなんだろうな。親父はもともと幹部として入隊したわけじゃないから、その辺で同世代や年下の幹部になめて見られることがないようにと、資格を取ることに専念したのかもしれないな。その結果がアレなわけであって」
「パソコンで現役時代のお父さんの写真を拝見しましたけど、ついてる徽章がすごかったですよ」
「母親と出会う前は一体どんな生活をしていたんだか」
二十四時間すべてを自衛官としての生活に費やして、私生活なんてまったく無かったのかもしれないなと笑っている。
「だけど二尉のお母さんもすごいですよね、そんなお父さんをずっと支えてきたわけですから。さぞかし御苦労もなさったはず」
「んー……まあうちの母親は、苦労を苦労と思わない楽天的思考が、服を着て歩いているような人だからなあ」
そう言って、なんたって自分の血を引いていたら運が良くなるとか言っちゃう人だぞとさらに笑う。
「そういう音無はどうなんだ? たしかオヤジさんは元陸自だよな?」
「うちですか? まあなんて言うか……二尉のお父さんほどじゃありませんけど、山岳レンジャーの資格は取ってましたよ、ああ、そこで感心しないでください。それがものすごく不純な動機で課程を受けたらしいですから」
「一体どんな?」
二尉は興味深げに尋ねてきた。
「父がうちの母に出会った頃にですね、なかなか母に話しかけられなくて、いろいろと溜め込んじゃったみたいなんですよ、男性的な意味で。それで、そのエネルギーを発散させるたろに、山岳レンジャーの資格を取ることに情熱を傾けちゃったんですって。溜まった性欲をなんとかするためにだなんて、理由が不純すぎて他の隊員さん達に申し訳ないです、呆れちゃいますよ」
「だがそれだけで取れる資格ではないだろう?」
「それはそうなんですけどねえ……」
まあたしかに生易しいものではないんだから、溜め込んだ情熱だけでどうにかなるものではないだろう。だけどそれにしても、最初の動機が非常に不純だと思うのだ。きっと当時の上官さんや教官さんや助教だって、まさか山岳レンジャー課程が性欲発散の手段にされているなんて、思いもしなかっただろう。
「で、オヤジさんが音無のお母さんと結婚したってことは、結果的には話しかけたってことだよな?」
「なんでも、あの訓練を潜り抜けたら何でも来いって度胸がついたんですって。うちの母親それを聞いて憤慨してましたよ、私は山岳レンジャーの訓練より怖いのかって」
私の答えに二尉は愉快そうに笑った。
「それで? その血を引く音無はどうなんだ?」
「私? 私はほら、この通り女ですからレンジャー課程は取れませんけど、父にはいろいろと教えてもらいましたよ? 小さい頃は夏休みとか、よく山に一緒に登ってました」
そして登山道から外れたところに分け入っては、役に立つ野草の見分け方とか大型動物と出くわした時の対処の方法、それから野宿する時の心得なんてのを教えてもらったっけ。それから潜伏の方法や追跡方法、相手に気取られずに追いかける方法も教えてもらったような気がする。
小さかったから、父親との遊びの延長だと思っていてそれほど真剣に聞いていたわけじゃないけれど、今考えてみると、サバイバル的なことを父親なりに私に教えてくれていたのだ。もう少し真面目に父が言っていることを聞いていたら、木から落ちて大怪我することなんてなかったんじゃないかって、今では少し後悔している。
「世界最強の料理人殿は、子供の頃からすでに英才教育を受けていたわけか」
「英才教育だなんて大層なものじゃなくて、父親と娘の夏休みの冒険みたいなものですよ。もちろん夏休みだけじゃなくて冬休みもですけどね。二尉のほうは? お父さんとはそんな話をしたことあるんですか?」
その問いかけに首を横に振る。
「うちはまったくだったな。自衛官になってからはアドバイスをくれているが、それまでは仕事のことはまったく俺達の前では話さなかった。まあ俺が物心つく頃にはすでに群長だったし、それ以後は陸幕だ。話して聞かせられるような仕事内容じゃなかったのかもしれないが」
「ああ、なるほど。あそこは機密でガッチガチですものね」
奥さんに仕事の愚痴をこぼすことすらできないんだから、本当に大変だったろうなと思う。しかもお母さんはお医者さんで自衛官じゃないから、その辺りを理解することも難しいだろうし。やっぱり二尉のところの御両親はすごいの一言に尽きる。
そうこうしているうちに、車内アナウンスが間も無く松本駅に到着することを告げた。
「やっとですね、お尻が痛くなっちゃいました」
「トラックの荷台に乗って移動することを考えたら天国だろ」
「私はそんな移動はしたことないから分かりませんよ」
網棚からバッグを取るために立ち上がろうとして、腰が痛くて思わずうめいてしまう。長時間電車に揺られていたからすっかり忘れていた……。
「もう信じられない。そこで笑うんじゃない!」
横で笑っている二尉のみぞおちに拳をめり込ませると、自分はうめきながらシートに腰をおろした。
「荷物は俺が降ろすから無理せずに座っていろって、荷物を乗せた時に言ったのを忘れたのか?」
「すみませんねえ、すっかり忘れてましたよ。だけどこれ誰のせいだと思ってるんですか、こんな時に腰痛だなんて……信じられない」
「俺はまったく平気なんだがな」
「そこが理不尽なんですよ、ムカつくったらありゃしない」
こっちはこんなに腰が痛かったりあっちこっちが痛かったりするのに、二尉は全然平気なんだから不公平だ。少しぐらい疲れたとかだるいとあれば、こっちだって少しは気分が慰められるのに。
「なんでそんなに元気なんですか」
「さあな。鍛え方が違うぐらいしか思いつかないが。そんなに痛むなら、電車を降りてからドラッグストアによって痛み止めでも買うか?」
「やめて。絶対にそんなのイヤですからね」
エッチのしすぎで痛み止めを飲むハメになったなんて、恥ずかしすぎる。絶対に飲まない。なにがなんでも飲まないから。
「あまりヨロヨロしていると、迎えに来たオヤジさんにまだ怪我が治っていないのかって心配されるぞ? 本当に大丈夫なんだな?」
「立ってしまえば歩くぐらいは平気ですよ。ただ、屈んだり荷物を持ち上げたりする時にあっちこっち痛むだけで」
それに真相を知ったところできっとうちの父親のこと「お前それぐらいで情けないな、体力つけろよ」と言われるのがオチだ。ああ理不尽ここに極まれり。
「ところで音無」
「なんですかー?」
荷物を足元に置くと座った二尉はこっちに体を向けた。
「俺は本気だぞ、一昨日ホテルで言ったこと」
「……なんでしたっけ?って痛い痛い、やめてください」
ムギューッとほっぺたをつねられた。まったくこの人は容赦がなくて困る。
「冗談じゃなく。だから今日、オヤジさん達に会ったら、きちんと挨拶する心構えもできてる。音無の覚悟が決まっているなら、だが」
「本気ですか?」
「本気でないならそもそもあんなこと言わないだろ」
そして何とも気まずげな顔をした。
「まさかそれを音無に聞かれているとは思わなかったけどな」
「え、そうなんですか?」
そう言えばあの日も、口にしてから私が目を覚ましていると気がついたとか言っていた。今の今まで絶対にあれはエッチするための口実だと信じて疑わなかったけれど、あの時「愛している美景」って言ったのは、二尉の本当の気持ちだったってこと?
「おい、顔が赤い」
「え?!」
面白がっている二尉の言葉に慌てて両手で頬を押さえると、そこはめちゃくちゃ熱くなっていた。
「まさか音無のそんな可愛い顔が見られるなんてな」
「うるさいですよ、自分は可愛いとか言われると懲罰だって言うくせに。それに赤いのはさっき二尉がつねったからです!」
「そんな力を入れてないだろ」
そう言いながら頬に当てた私の手首をつかむと、頬から引き剥がす。そして真面目な顔になった。
「それで? どうする?」
「どうするって言われても。だいたい卑怯ですよ、駅に着く十分前にそんなことを言い出すなんて。考えるヒマもないじゃないですか」
アナウンスが流れて数分が経ったから実質十分もないわけで。
「覚悟がまだできていないって言えば済むことだろ」
「う……それはそうなんですけど、何だかそれって悔しいじゃないですか」
「なにがどう悔しいのか分からない」
「つまりは先手を打たれたって感じで」
まあそういう問題じゃないのは自分でも分かってる。だけど事実悔しいんだからしかたない。
「だいたいですね、人が寝ている時にあんなこと言ったって、伝わりませんよ」
「だがあの時、音無は目を覚ましていたんだろう?」
「それは結果論であって! あれよりも前から言われていたとしても、気がついてませんよ、私」
二尉は何やら思案顔をした。
「じゃあ改めてここで。美景、愛してる」
「ぎゃあ、なんてところで言うんですか!! 臨機応変にも限度ってものが!!」
絶対に私の顔はいま真っ赤になっているはずだ。私の慌てぶりに、それまで真面目な顔をしていた二尉がとうとう笑い出した。
「笑いますか、そこで?!」
「音無の気持ちはよく分かった。じゃあそっちの覚悟がまだってことで、御両親が言い出さない限りは俺からは何も言わないでおく」
そう言った二尉の顔が笑いながらもガッカリしたように見えたのは、気のせいだと思いたい。
と言うのも、今回のことで森永二尉が山岳レンジャーなんてのに興味を惹かれてしまったからだ。つまりは次の私達の行き先は、松本駐屯地、私の実家がある長野に急遽、決定した。
泊まる場所のこともあるので父親に連絡したら、旅館の予約を引き受けてくれたので、そっちのことはお任せして私達は電車で松本に向かうことになった。もちろん二尉の希望も伝えたので、そちらの方も話を通してくれるってことだった。うん、うちの父親はすでに退官した身だけど、やっぱりまだ何かしらの繋がりを持っているんだな。OB様、万歳。
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「幹部課程もあるのにそれまで受けていたら、まともに部隊にいる時間が無くなるんじゃないか?」
それに何でもかんでも行けるわけじゃないんだぞと、二尉は付け加えた。
「あー、それはそれで困りますよね、出世に関わっちゃうかも」
一言でレンジャー課程と言っても色々あるのは御承知の通り。空挺レンジャーやら冬季遊撃レンジャーなどがあり、さらには松本駐屯地にある山岳レンジャーのように、それぞれの駐屯地が独自のプログラムを組んだ部隊レンジャーなんていうのもある。
そしてそんな資格を持った人達がゴロゴロいるのが、長崎にある水陸機動団第一連隊や、中央即応集団の第一空挺団、そして二尉のお父さんが群長をしていた特殊作戦群だ。
二尉は幹部だから全国津々浦々の駐屯地や関係施設を回りながら、様々な職種を経験して偉くなっていくんだろうなって単純に考えていたけれど、もしかしたら何年か後にはそんな部隊にいるかもしれない。それに、なんて言うかうちの班長みたいにお役所仕事しているよりも、そっの方がずっと二尉には似合ってるかも。
「なんだ、人の顔をじろじろ見て」
「え? ああ、ほら。二尉のお父さんは、あそこの群長さんだったわけじゃないですか」
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「ですからね、やっぱり親から受け継いだ血って言うか、持って生まれた資質っていうのはあると思うわけで、二尉は文武の『武』のほうを極めていくのかなって思ったわけですよ」
「別に、父親と同じ道を進みたいと思っている訳じゃないんだけどな。取れる資格は取っておいたほうが、いろいろと選択肢が広がるだろうなとは思っているが」
それが民間でも取得することができる重機とかその手の免許だったら話は分かるけど、二尉が取っていく資格はそれとはまた次元の違う資格であって。
「お父さんも、その結果がアレだったりなんてことはないんですか?」
特殊作戦群なんて、行きたいと思ってもなかなか行けるところじゃないって話だし、天賦の才能と余程の努力がなければ無理だと思うわけなのだ。
「どうなんだろうな。親父はもともと幹部として入隊したわけじゃないから、その辺で同世代や年下の幹部になめて見られることがないようにと、資格を取ることに専念したのかもしれないな。その結果がアレなわけであって」
「パソコンで現役時代のお父さんの写真を拝見しましたけど、ついてる徽章がすごかったですよ」
「母親と出会う前は一体どんな生活をしていたんだか」
二十四時間すべてを自衛官としての生活に費やして、私生活なんてまったく無かったのかもしれないなと笑っている。
「だけど二尉のお母さんもすごいですよね、そんなお父さんをずっと支えてきたわけですから。さぞかし御苦労もなさったはず」
「んー……まあうちの母親は、苦労を苦労と思わない楽天的思考が、服を着て歩いているような人だからなあ」
そう言って、なんたって自分の血を引いていたら運が良くなるとか言っちゃう人だぞとさらに笑う。
「そういう音無はどうなんだ? たしかオヤジさんは元陸自だよな?」
「うちですか? まあなんて言うか……二尉のお父さんほどじゃありませんけど、山岳レンジャーの資格は取ってましたよ、ああ、そこで感心しないでください。それがものすごく不純な動機で課程を受けたらしいですから」
「一体どんな?」
二尉は興味深げに尋ねてきた。
「父がうちの母に出会った頃にですね、なかなか母に話しかけられなくて、いろいろと溜め込んじゃったみたいなんですよ、男性的な意味で。それで、そのエネルギーを発散させるたろに、山岳レンジャーの資格を取ることに情熱を傾けちゃったんですって。溜まった性欲をなんとかするためにだなんて、理由が不純すぎて他の隊員さん達に申し訳ないです、呆れちゃいますよ」
「だがそれだけで取れる資格ではないだろう?」
「それはそうなんですけどねえ……」
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「で、オヤジさんが音無のお母さんと結婚したってことは、結果的には話しかけたってことだよな?」
「なんでも、あの訓練を潜り抜けたら何でも来いって度胸がついたんですって。うちの母親それを聞いて憤慨してましたよ、私は山岳レンジャーの訓練より怖いのかって」
私の答えに二尉は愉快そうに笑った。
「それで? その血を引く音無はどうなんだ?」
「私? 私はほら、この通り女ですからレンジャー課程は取れませんけど、父にはいろいろと教えてもらいましたよ? 小さい頃は夏休みとか、よく山に一緒に登ってました」
そして登山道から外れたところに分け入っては、役に立つ野草の見分け方とか大型動物と出くわした時の対処の方法、それから野宿する時の心得なんてのを教えてもらったっけ。それから潜伏の方法や追跡方法、相手に気取られずに追いかける方法も教えてもらったような気がする。
小さかったから、父親との遊びの延長だと思っていてそれほど真剣に聞いていたわけじゃないけれど、今考えてみると、サバイバル的なことを父親なりに私に教えてくれていたのだ。もう少し真面目に父が言っていることを聞いていたら、木から落ちて大怪我することなんてなかったんじゃないかって、今では少し後悔している。
「世界最強の料理人殿は、子供の頃からすでに英才教育を受けていたわけか」
「英才教育だなんて大層なものじゃなくて、父親と娘の夏休みの冒険みたいなものですよ。もちろん夏休みだけじゃなくて冬休みもですけどね。二尉のほうは? お父さんとはそんな話をしたことあるんですか?」
その問いかけに首を横に振る。
「うちはまったくだったな。自衛官になってからはアドバイスをくれているが、それまでは仕事のことはまったく俺達の前では話さなかった。まあ俺が物心つく頃にはすでに群長だったし、それ以後は陸幕だ。話して聞かせられるような仕事内容じゃなかったのかもしれないが」
「ああ、なるほど。あそこは機密でガッチガチですものね」
奥さんに仕事の愚痴をこぼすことすらできないんだから、本当に大変だったろうなと思う。しかもお母さんはお医者さんで自衛官じゃないから、その辺りを理解することも難しいだろうし。やっぱり二尉のところの御両親はすごいの一言に尽きる。
そうこうしているうちに、車内アナウンスが間も無く松本駅に到着することを告げた。
「やっとですね、お尻が痛くなっちゃいました」
「トラックの荷台に乗って移動することを考えたら天国だろ」
「私はそんな移動はしたことないから分かりませんよ」
網棚からバッグを取るために立ち上がろうとして、腰が痛くて思わずうめいてしまう。長時間電車に揺られていたからすっかり忘れていた……。
「もう信じられない。そこで笑うんじゃない!」
横で笑っている二尉のみぞおちに拳をめり込ませると、自分はうめきながらシートに腰をおろした。
「荷物は俺が降ろすから無理せずに座っていろって、荷物を乗せた時に言ったのを忘れたのか?」
「すみませんねえ、すっかり忘れてましたよ。だけどこれ誰のせいだと思ってるんですか、こんな時に腰痛だなんて……信じられない」
「俺はまったく平気なんだがな」
「そこが理不尽なんですよ、ムカつくったらありゃしない」
こっちはこんなに腰が痛かったりあっちこっちが痛かったりするのに、二尉は全然平気なんだから不公平だ。少しぐらい疲れたとかだるいとあれば、こっちだって少しは気分が慰められるのに。
「なんでそんなに元気なんですか」
「さあな。鍛え方が違うぐらいしか思いつかないが。そんなに痛むなら、電車を降りてからドラッグストアによって痛み止めでも買うか?」
「やめて。絶対にそんなのイヤですからね」
エッチのしすぎで痛み止めを飲むハメになったなんて、恥ずかしすぎる。絶対に飲まない。なにがなんでも飲まないから。
「あまりヨロヨロしていると、迎えに来たオヤジさんにまだ怪我が治っていないのかって心配されるぞ? 本当に大丈夫なんだな?」
「立ってしまえば歩くぐらいは平気ですよ。ただ、屈んだり荷物を持ち上げたりする時にあっちこっち痛むだけで」
それに真相を知ったところできっとうちの父親のこと「お前それぐらいで情けないな、体力つけろよ」と言われるのがオチだ。ああ理不尽ここに極まれり。
「ところで音無」
「なんですかー?」
荷物を足元に置くと座った二尉はこっちに体を向けた。
「俺は本気だぞ、一昨日ホテルで言ったこと」
「……なんでしたっけ?って痛い痛い、やめてください」
ムギューッとほっぺたをつねられた。まったくこの人は容赦がなくて困る。
「冗談じゃなく。だから今日、オヤジさん達に会ったら、きちんと挨拶する心構えもできてる。音無の覚悟が決まっているなら、だが」
「本気ですか?」
「本気でないならそもそもあんなこと言わないだろ」
そして何とも気まずげな顔をした。
「まさかそれを音無に聞かれているとは思わなかったけどな」
「え、そうなんですか?」
そう言えばあの日も、口にしてから私が目を覚ましていると気がついたとか言っていた。今の今まで絶対にあれはエッチするための口実だと信じて疑わなかったけれど、あの時「愛している美景」って言ったのは、二尉の本当の気持ちだったってこと?
「おい、顔が赤い」
「え?!」
面白がっている二尉の言葉に慌てて両手で頬を押さえると、そこはめちゃくちゃ熱くなっていた。
「まさか音無のそんな可愛い顔が見られるなんてな」
「うるさいですよ、自分は可愛いとか言われると懲罰だって言うくせに。それに赤いのはさっき二尉がつねったからです!」
「そんな力を入れてないだろ」
そう言いながら頬に当てた私の手首をつかむと、頬から引き剥がす。そして真面目な顔になった。
「それで? どうする?」
「どうするって言われても。だいたい卑怯ですよ、駅に着く十分前にそんなことを言い出すなんて。考えるヒマもないじゃないですか」
アナウンスが流れて数分が経ったから実質十分もないわけで。
「覚悟がまだできていないって言えば済むことだろ」
「う……それはそうなんですけど、何だかそれって悔しいじゃないですか」
「なにがどう悔しいのか分からない」
「つまりは先手を打たれたって感じで」
まあそういう問題じゃないのは自分でも分かってる。だけど事実悔しいんだからしかたない。
「だいたいですね、人が寝ている時にあんなこと言ったって、伝わりませんよ」
「だがあの時、音無は目を覚ましていたんだろう?」
「それは結果論であって! あれよりも前から言われていたとしても、気がついてませんよ、私」
二尉は何やら思案顔をした。
「じゃあ改めてここで。美景、愛してる」
「ぎゃあ、なんてところで言うんですか!! 臨機応変にも限度ってものが!!」
絶対に私の顔はいま真っ赤になっているはずだ。私の慌てぶりに、それまで真面目な顔をしていた二尉がとうとう笑い出した。
「笑いますか、そこで?!」
「音無の気持ちはよく分かった。じゃあそっちの覚悟がまだってことで、御両親が言い出さない限りは俺からは何も言わないでおく」
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