貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

文字の大きさ
上 下
26 / 42
本編

第二十六話 ギプスともおさらば

しおりを挟む
 まあ実際のところ、大森おおもり二曹達が本気を出せば、こっちは勝てっこないっていうのは分かっていた。

 偵察隊相手にこれだけ私がスタンプを押しまくれたのは、私が怪我人で小隊の人達がそれなりに手加減してくれていたことと、こそこそと狭い建物内でやり合っていていたからだ。だから今回のこの結果を二尉に報告したとしても、大森さん達偵察小隊の面々が困ることにはならないと思う……多分。


+++


 そして次の日、いつものように休みをとって病院に出向いた。

 実のところ今回の徹底抗戦に関しては、非常にありがたい作戦参謀殿なんていう存在が私にはいたんだな。それが、私と同じように通院をしていた陸自の偉い人で、目の前で一連の顛末てんまつと最終的な戦果を聞いて愉快そうに笑っている香取かとり二佐。

 私よりも少し後から病院にやってきて、リハビリのために週一で通院している。なんでも昔の古傷が痛むそうで、それを緩和するためのリハビリなんだとか。そして初日に隣り合ってリハビリを受けていた時に、私の愚痴を聞いてくれたのが、知恵を授けてくれるようになったきっかけだった。

音無おとなし三曹がなかなか筋が良いのは分かったよ。女性なのが実に残念だな。男なら結構いいところにまでいけただろうに」
「私も自分が男だったらって思いますよ、ちょっと無念です」

 だけど、こればかりはどうしようもないことだった。海外の軍隊では女性の歩兵もいることはいるけど、まだまだその数は少ないし、日本の自衛隊に関して言えば、それはまだ認められていないのだから。

「戦う料理人、いけるでしょうか?」
「十分に素質はあると思う」

 私の質問に、香取二佐は真面目な顔をして頷いた。

「でもこれだけの戦果をあげられたのは、香取二佐のアドバイスのお蔭ですよ。私一人だったら、あっという間にスタンプを取り上げられちゃって、お話にならない状態だったと思います」

 もちろんあの『反省中』のスタンプは、また使う機会があるかもしれないので、停戦になった今も大事にとってある。

「それは音無三曹に資質があるからだ。それが無い人間にどんな有益なアドバイスをしても、まったくの無駄だからな」

 なかなか厳しいお言葉だ。

「でも市街戦とか近接戦闘とか、香取二佐って色々と御存知なんですね、尊敬しちゃいます」
「だてに長いこと陸自にいるわけじゃないからね」

 顔を合わせるようになって二ヶ月が経っていたけど、香取二佐がどこの所属か等は詳しく聞いていなかった。なんとなくその鋭い目つきからして、二尉のお父さんに似た雰囲気を持っているなって感じるから、もしかしたらもしかする。そうなるとどちらの所属なんですか?なんて質問をしたら逆に困らせてしまうから、こちらからは聞かないようにしているのだ。

「音無三曹、どうぞー」

 診察室から呼ばれてよっこらせと松葉杖を支えに立ち上がった。

「では失礼します。あ、もしかしたらギプスが取れるかもしれないので、香取二佐とお話しできるのも、今日が最後かもしれません」
「会えなくなるのは寂しいが、ギプスがとれるのはめでたいことじゃないか。ギプスがとれても安心せずに、大事にするようにな」
「はい。あの、香取二佐もお大事になさってくださいね」
「ありがとう」
「では失礼いたします」

 そう言って敬礼をして診察室に向かった。そこではいつもの医官先生が、レントゲンの写真を見ながら首をかしげている。んん? もしかして、ギプス継続の可能性ありなんだろうか?

「先生?」
「ああ、そこに座って」

 椅子に座って先生の言葉を待つ。先生は写真を眺め、手にしたボールペンで私の骨の写真を軽く叩きながら、フームとうなった。

「あの?」
「うん、さすが若いだけあって、回復力がすごいな。これなら今日で、ギプスとも松葉杖ともさよならだ」
「本当ですか? やった! これで心置きなくお風呂に入れます。もう防水対策がめんどくさくって、ウンザリしていたんですよ」

 あの一手間から解放されるだけでホッとしてしまう。

「ただし油断は禁物だ。なにせ甲の骨は細いし、ここは体重がかかる場所でもある。プレートもまだ入ってるんだから、ギプスをとったからと言って、いきなり走り回ったりはしないように。その点はきちんと、診断報告書に書いておくからね」
「分かってます。とにかくこれがなくなるだけでも、随分と楽になりますよ」

 そういうわけで、二ヶ月以上お世話になったギプスを取ってもらうことに。そしてそれが取り除かれると、青白い足が姿を現した。たった二ヶ月、しかもお日様に当たるような場所でもないのに、無事だった方の足と比べてなんとまあ青白いことか。

「……自分の足と分かっていても不気味ですね、まるで蝋人形みたい」

 心なしか細くなった足首をさすってみる。

「すぐに元に戻りますよ」

 看護師さんが私を安心させるように言った。この看護師さん、今はこんなに優しい微笑みを浮かべているけれど、この人も当然のことながら自衛官で、実のところものすごーく怖い人なのだ。

 何故それを知っているかというと、以前、待ち合わせ室で走り回っていた子供に一喝したところを見かけたからだ。まさに自衛官という感じで、子供達も泣くことを忘れて気をつけ!ってなっていたのが、なんとも愉快な光景だった。

「今のところ抜釘ばっていは半年程度先を考えている。ここから先は月一で来るように。経過を見ながら手術の時期を決めよう」
「分かりました」

 まだ当分は通院生活から抜け出せそうにない。だけど週一から月一の通院になるし。ギプスもなくなったし気分はすでに完治した気分。お祝いに美味しいケーキでも食べて帰ろう。あ、久し振りにママさんのお店に寄ろうかな。ここしばらくは、怪我のせいで出歩けなかったし。

 そういうわけで駐屯地に引き返す車に乗せてもらうと、まっすぐ営内の寮には帰らずに、カフェの近くの交差点で降ろしてもらうことにした。

「こんにちはー……あれ?」
「いらっしゃい」

 お店に入った私は、予想外のことに一瞬だけ固まる。

 そこで私を出迎えてくれたのは、ママさんだけどママさんじゃないママさん。ああ、ややこしい、とにかく素顔のママさんだった。つまり本来の性別のママさんってこと。ん? ってことはママさんじゃなくてなんて呼べば? とにかくカフェの経営者夫妻の旦那様が立っていた。

「久し振りだね。随分と御無沙汰ごぶさただったけど」
「ちょっと怪我をしちゃって、休みを取って通院していたものですから、こっちにくる時間がなくて」

 とたんにママ……ああああ、ややこしい、この場合はなんて呼んだら良いの?! 元ママさん? お兄さん? それとも旦那さん? とにかく私の言葉を聞いたとたん心配そうな顔をした。あちらも元陸自の自衛官、訓練中に怪我をすることが珍しくないことはよく分かっているのだから。

「もう大丈夫なのかい?」

 すごく心配そうな顔をしてくれているのが逆に申し訳ない。だって私が骨折した原因は訓練でも何でもなくて、調理室の鍋蓋なんだもの。

「はい。やっと普段並の生活に戻れそうなので、お祝いを兼ねて久し振りにここに寄ったんですよ」
「そうだったのか。今は夏ミカンのゼリーが人気だけど、久し振りだからケーキの方が良いかな?」
「レモンパイと温かい紅茶でお願いします」
「分かった、少し待っててね」

 声色もいつもみたいな高めのものじゃないし、口調も男の人そのもので何処から見ても男性だ。まるで別のお店に来たみたいでちょっと落ち着かない。でも店内を見回せばいつも通りのお店だし、絞った音量で流れている音楽も普段通りのクラッシック。

「あの、なんでまたその、それ、なんですか?」

 元ママさんがお茶とケーキをテーブルに置いてくれている時に、こそっと質問する。

「ん?」
「だから、そのー……ママさんじゃない恰好っていうか」
「ああ、これね、皆にもビックリされてるよ」

 そう言いながら元ママさんは、ニッコリと微笑んだ。

「実はね、うちの奥さんが妊娠したんだよ。赤ん坊が生まれた時にママが二人だと大混乱だろう? だから僕は本来の姿に戻ることにしたってわけ」

 奥さんは残念がっているけどねと、笑いながら付け加える。

「奥さんに? それはおめでとうございます! なるほど、ママさんじゃなくてパパさんに、クラスチェンジするってことですね?」
「そういうことだね。もちろん今まで通りにケーキは僕が作るから、お店手としては何も変わらないよ。ただ、ママさんがいなくなっただけで」
「なるほど。えっと、では、これからは何とお呼びすれば? マスターとか?」

 それも何か違うような気がするけど、それぐらいしか思いつかない。

「うーん、今のところ常連さんはママさんって呼んでくれるけど、どうかな。御近所さんは苗字で古田ふるたさんって呼ぶから、それで落ち着くかもね」
「なるほど。じゃあ私もそうすることにします」
「じゃあ、どうぞごゆっくり。ああ、ところでいつもの二尉さんは? 彼も御無沙汰ごぶさたしてるけど」

 テーブルから離れようとして古田さんが立ち止まって尋ねてきた。

森永もりなが二尉はいまレンジャー課程でこっちにはいないんですよ」
「なるほど、それは大変だ。幹部レンジャー課程、か。あと一ヶ月ってとこだね……ってことは今頃は実戦訓練か。心配だろう?」
「私は心配してませんよ」

 ケーキを一口食べてからつぶやいた。

「そうなのかい?」
「はい。二尉なら金色の徽章きしょうを絶対に手に入れるって、信じてますから」
「すごい自信なんだね」
「ダテに一年も付き合ってませんからね」
「それはそれは、ごちそうさま」

 古田さんが笑いながらテーブルを離れていく。

 別に惚気のろけているわけじゃなくて、なんていうか私は確信があるんだ、何故か。別に人外の体力持ちだからとか、お父さんの血が流れているとかそういうのじゃなくて、なんて言うのかな、不思議なんだけど、とにかく間違いないって思えるのだ。

「二尉が帰ってきたら、またここに来なくちゃね。絶対に甘いものに飢えてると思うし」

 この時期だとなにが食べたいって言うかな? あ、ショートケーキ党だったっけ? だったら甘夏がちょこんと乗っているショートケーキかな。ああ、でも定番のイチゴショートを選ぶかも。

「あと一ヶ月かあ……考えたら二尉が戻ってくるのって、まだまだ先だなあ」

 寮に戻ってから、古田さんがギプスがとれたお祝いにとプレゼントしてくれたクッキーをかじりながら、机の上のカレンダーを眺めた。

 ここ二ヶ月ほどは、怪我の通院もあったし偵察小隊との屋内での交戦があったから、それなりに気がまぎれていたけど、次の通院は来月だし小隊とも停戦になってしまったしで、何だか退屈な一ヶ月になりそうだ。

 そりゃ二尉がいたって、なにか特別ことがあるってわけじゃない。だけど、たまの調理室での言い合いとか、意外と楽しみにしていたことに今更ながら気がついた。それがないとなんだか物足りない。

「停戦、もう少し引き延ばせば良かったかなあ……」

 せめて大森さんにあと二つスタンプをおすまで、頑張れば良かったかもしれない。

「なにか面白いことでも起きれば、気がまぎれるんだけどな」

 そんなことを考えてから、あわててその考えを打ち消した。いやいや、これ以上のトラブルは御免だから。退屈でちょうど良いんだってば、うん。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

処理中です...