貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第二十話 何故か異動の予感

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 二週間ぶりに見る名取なとり一佐は、心なしかやつれていた……ううん、気のせいじゃなく間違いなくやつれている。だから思わず、帰営報告をする前に尋ねてしまった。

「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、私のことは心配ない。それよりも音無おとなし三曹、君の方はどうなんだ?」
「あ、失礼いたしました。原隊復帰の許可が医官よりおりましたので、昨日付で帰営いたしました。本日より限定的ではありますが、任務に復帰いたします」

 松葉杖をついているせいで、ちゃんとした敬礼ができないのが非常に心苦しいところではあるんだけど、こればかりは仕方がない。その点については、普段は規律や隊員の態度にあれこれ口煩い副司令も、珍しく何も言わなかった。

「大丈夫なのか? そのう、松葉杖のままで」
「はい。その点は蓮田はすだ一尉と打ち合わせ済みです」

 一佐が私の横に立っていた班長に視線を向け、それに対して班長が微かにうなづく。

「ならば良い。まだ完治はしていないわけだから、くれぐれも無理はしないように。そして蓮田一尉、これ以上調理室で怪我人が出ないよう、班員達には徹底をさせるように」
「はい」
「では下がってよろしい。とにかく我々は体が資本だ、大事にしなさい」
「ありがとうございます。では失礼いたします」

 敬礼をしながらも内心では、無理をしないようにとか大事にしなさいとか、そんな言葉が名取一佐の口から飛び出してビックリだった。あのやつれようからして、二週間の間にかなりあれこれあった様子だし、あとで蓮田班長にそれとなく聞いてみなければ。

 そして部屋を退出すると、廊下では不機嫌そうな顔をした二尉が壁にもたれながら立っていた。昨日、車で病院に迎えに来てくれた時から、ずっとこんな顔をしている。どうやら私が任務に戻ることに対して、異議多いにありってやつらしい。医官先生からはオッケーをもらったというのに。

「もう名取一佐に復帰の報告しちゃいましたからね。いくらそんな顔をしても駄目です」
「なにも言ってないだろ」

 壁から体を離すと、私達の横をゆっくりとした歩調で歩きだした。

「その顔を見たら、何が言いたいか丸分かりですよ。ねえ、班長?」
「実のところ僕も、あまり賛成はしていないんだよ?」
「え、そうなんですか?!」

 班長はてっきり、私が戻ってきたのを喜んでくれていると思っていたのに。

「骨はつながったとは言え、まだプレートで固定している状態だろう? それに松葉杖も手放せない状態なんだ、完治とは程遠い状態だよ。そんな状態で現場復帰するのを許すなんて、自衛隊ぐらいなものだ」
「でもここ、自衛隊ですし、私は自衛隊員ですし」
「だから僕は、音無君の職場復帰には反対しなかったけどね」

 松葉杖は当分は手放せないので、以前のように調理室でお鍋の前に立っての作業はまだできない。蓮田班長が少し座高の高い椅子を用意してくれていて、それに座って材料を切るなどの作業ができるから、そちらをさせてもらうことになっていた。

 ただし床が滑りやすいので、椅子ごと滑って引っ繰り返りやしないかと、班長の心配事は尽きないようで、椅子の足に滑り止めのゴム製をつけることで落ち着いた。なんだか過保護すぎだと思うんだけど、好意でしてくれているんだから文句を言うのもはばかられる状態だ。その班長がまさか復帰に反対だったなんて。

「とにかく来年度の転属までは、音無君には無事でいてもらわないと……」
「え、それってどういうことですか?!」

 何やら聞き捨てならない班長の言葉に立ち止まる。

「なにが?」
「今、転属とか言ってませんでしたか?!」
「ん? 言ったかな? 森永もりなが二尉、私が何か言ったのが聞こえたかい?」
「いえ。自分には何も。音無三曹の空耳では?」

 シレッと二人して自衛官みたいな顔をして会話をしているけど、私は確かに聞いた!

「ちょっと二人とも、何を企んでいるんですか?!」
「たくらむって何がだ?」
「もしかして具合がまだ悪いんじゃないかい? 医務室に行くかい?」

 班長は心配そうな顔をして、おでこにまで手を当てる始末。

「松葉杖で暴れますよ? 私、本気ですからね?」

 その場で立ち止まって、精一杯本気ですという顔をしてみせる。すると班長は困ったねえと言う顔をして溜め息をつくと、何故か二尉の方に視線を向けた。

「……森永二尉、あっちの会議室に頼めるかな」
「分かりました」

 班長の言葉に、二尉はいきなり私の持っていた松葉杖を取り上げると、素早く私を肩にかつぎあげた。

「ちょっと!! なんなんですか?!」
「何をって、見ての通り音無を運ぶんだが」
「なんで土嚢どのうかつぎ!!」

 視界が引っ繰り返った状態では、相手を睨むこともできない。

「まずはちゃんと話し合おうか、音無君」
「話し合うって班長!! それ以前になんで、二尉にこんなことを頼むんですか?!」
「僕があれこれ言うよりも、ずっとスムーズに話が運ぶからね」
「これじゃあスムーズに運べるのは、話じゃなくて私のことじゃないですかー!」
「そこが一番の難題だから、二尉に頼むことにしたんだよ。やっぱり若いと体力が違うね、僕にはとても無理だ」

 いつのまに班長と二尉がタッグを組んでいるし!!

「暴れるなよ。ここで俺が転倒して二人して病院行きなんてことになったら、笑い事じゃすまされないからな。忘れていると思うから言っておくが、俺は来週からレンジャー課程にいくんだからな」
「うー……」

 それを出されてはジタバタすることもできない。無念だ、実に無念だ。

 幸いなことに、他の誰にも見られることなく私は会議室に運ばれた。そこで下ろされると、今度は無理やり椅子に座らされる。そして何故か松葉杖は、手の届かないところに立てかけられた。

「あの」
「なんだ」
「松葉杖を返してもらえませんかね?」
「話が終わったら返してやるから心配するな」
「さてと、それで肝心な話に戻るけど」
「あの!」
「今度はなんだ」

 班長の横に座った二尉が不機嫌そうな顔をする。って言うか、何で私の上官みたいな顔をして、そこに座っているんでしょうね、その人は。

「どうして二尉がこの場に? 糧食班のことは、偵察隊の二尉には関係ないことでは?」
「無関係ってこともないだろう? 森永二尉だって、少なくとも昼と夜はここで飯を食べているわけだし」
「そんなこと言ったら、全員が関係者じゃないですか」
「俺のことは営内隊員代表とでも思っておけ」
「また無茶なことを」
「とにかく、森永には僕が頼んで同席してもらっているんだから、音無君は諦めなさい」
「……分かりました」

 班長に言われては仕方がないので、おとなしく話を聞くことにする、取り敢えずは!

「まずは音無君の現在の立ち位置の確認だけど、音無君が臨時で派遣されている状態だっていうのは今も変わらないわけで、君の本来の所属は相変わらず練馬ねりまの補給中隊なんだ。多分、君のことだからそんなこと綺麗さっぱり忘れて、業務隊ここの一員だって思い込んでいるんだろうけどね」

 おっしゃる通り。この三年で、すっかり自分は駐屯地業務隊の所属だと思い込んでいた。って言うか、今でもそう思ってる。

「そしてあちらの好意で派遣されてきた隊員を、うちの業務隊の人間が怪我をさせたということで、色々と厄介なことになっている。しかも君の上官の青本あおもと三佐の更に上にいる人間が、釜屋かまや陸士長の父親と仲がよろしくない相手だったから、ますます話がこじれた」
「なんでこじれるんですか。仲が良くないなら、お互いに関わり合いにならないように離れていれば良いのに」
「まあそこが、出世レースで競り合っている者同士の厄介なところなんだろうね」

 つまりはこういうことらしい。

 青本三佐の上、つまり後方支援隊長の岩塚いわつか一佐と釜屋陸士長の父親である釜屋一佐は、防大の同期で実に仲がよろしくなかった。大学の同級生で同じ陸自なんだから、仲良くすれば良いじゃないという考えは、私みたいな出世にまったく無頓着な人間の言い分で、幹部として出世レースが絡んでくると、話はまったく違ってくるらしい。

 もともと釜屋陸士長が無事に隊員となれたのにも、少なからず父親である一佐の威光が影響していたみたいで、そのあたりからして、実力主義で頑固者の岩塚一佐としては「はあ?」なことだったらしい。

 そしてその彼女が、自分の大隊から「好意で臨時に送り込んだ」隊員を怪我させたということで、これ幸いにとその件を蒸し返して攻撃をしかけたものだから、互いにあれやこれやとおとなげない言葉という砲弾を撃ち合っているうちに、話が大きくなってしまったということだった。

「別に岩塚一佐の好意じゃないですよ。私が行きたいと言ったんですし、言うなれば私の好意では?」
「まあそこに、大人の事情というのが係わってくるわけだよ。現にその事情のお蔭で、音無君の所属は練馬のままなんだし」
「それでどうして私が、あっちに行かなくちゃいけないんですか。二人の一佐のことなんて、関係ないように思いますけど」
「あちらとしては、怪我をさせられた隊員を呼び戻すのは、至極当然のことらしいよ?」
「それ大迷惑です」

 思わず漏れた本音に、班長も困ったように笑った。

「たしかにね。二人の撃ち合いの巻き添えを食らう者からしたら、大迷惑の何物でもない。そんなにどちらが優秀かってことが大事なら、ニセコにでも行って二人だけで好きなだけ撃ち合えば良いんじゃないかって話なんだけど、それができる若さもないから口で罵り合うんだろうね」

 珍しくチラリと漏れた班長の本音に、二尉が愉快そうな顔をする。

「で、一佐のさらに上が、やかましい二人を黙らせるために動くことになったわけだ。その解決案が、原因となった二人を来年度の人事異動で動かすこと。つまり音無君と釜屋陸士長なわけだけど、音無君は元の補給中隊に復帰、釜屋君は地方協力本部の広報に異動ってことになった」

 釜屋陸士長の行先を聞いて、そっちの方が絶対に平和だなと思った。彼女には体を動かす仕事より、頭を動かす仕事の方が絶対に似合ってる。

「異論はないんだね?」
「釜屋陸士長のことでしたら異論はありません。そちらの方が適材適所だと思います。自分に関しては大有りに決まってるじゃないですか、私はここに残りたいんですから。何で私があっちに行かなくちゃいけないんですか」
「行くんじゃなくて帰るんだろ元の中隊に」

 二尉が口を挟んできたけど問題はそこじゃなくて、重要なのは私がここにいられなくなるってことだ。

「イヤです。班長、何とかとりなしてください」
「そうしてあげたいのは山々なんだけどね。これは二人の一佐に撃ち合いをさせないための、上が出した決定事項だ。僕の方では何ともしてあげようがないよ」
「……」
「音無君?」
「ここに残りたいんですよ班長……」

 班長は珍しく私の頭に手を伸ばして、ポンポンと慰めるように叩いた。

「僕だって音無君にはここにいて欲しいんだよ? だけどこれは上からの命令だ。隊に所属する限り、上からの命令には絶対服従、そうだったね?」
「……それは分かってますけど」
「とにかく。少なくとも今年度中はここにいられるんだから、その間に糧食に来る班員には、しっかりと指導をして欲しい。いいね?」
「……はい。班員の指導は責任をもって行います」

「ああ、それとこの異動に関しては決定事項ではあるけれど、内々示の段階だから誰にも口外しないように。釜屋君にもまだ伝えていないことだからね。二尉もそのつもりで」
「分かりました」

 私がここで皆のためにご飯を作ることができるのも、あと十一ヶ月。……あ。

「なにか問題を起こして懲罰人事発動でここに残ろうだなんて、馬鹿なことは考えるなよ」

 二尉がさらりと口を挟んできた。くそぅ、先手を打たれてしまった。
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