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本編
第十七話 鍋蓋警報継続中
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「戦闘訓練に参加している訳でもないのに、骨折で全治二ヶ月から三ヶ月だなんて有り得ない……」
ベッドでぶつくさ言いながら天井を見上げた。
思っていたよりも私の足は大変なことになっていてたらしく、プレートで骨をつなぐ手術ってのをするハメになった。そして診てくれた医官先生からは、全治二ヶ月から三ヶ月だねと、気の毒そうに申し渡されてしまった。
ここは駐屯地に一番近い自衛隊病院……と言っても、駐屯地からはかなり離れた場所にある。まさかこんな遠くまで連れてこられるなんて。駐屯地の周辺にはたくさん民間病院があるじゃない!という私の言い分は、無いものとして扱われて今に至る……。
「これが訓練中とかなら、まだ格好もつくんだけどなあ……」
怪我の原因は鍋蓋だよ鍋蓋! 鍋蓋で三ヶ月って一体どういうこと?!
「明日には戻りますからね! 釜屋陸士長のことが心配でおちおち休んでなんかいられませんよ」
「二週間の入院だそうだ」
そして横に立って冷静なことを言っているのは何故か二尉。私の上官でもないのに何故?!
「その二週間、駐屯地での皆さんの食事はいかなることに?!」
「さて、どうなることやら……」
まるで他人事のように言ってますが二尉、あなたのお腹の中にも入るものなんですよ?!
「駄目です、大惨事の予感しかしません」
「音無がいなくても、蓮田一尉も苅部二曹もいるじゃないか」
「班長は管理をするだけで、ご飯作りなんてしたことありませんよ。それに苅部さん一人では、いくらなんでも荷が重すぎますよ。あの人、飲食店のバイト経験はありますけど、本来は技術屋なんですから。やっぱり心もとないから帰ります、心配すぎる」
心配すぎて絶対に眠れない。だから動けなくても帰りたい。駐屯地に戻れば、少なくとも監視はしていられるんだから。
「この二週間の入院も、医官からの命令だぞ?」
「命令よりも隊員の命ですよ!」
「なに言ってるんだ、洗剤でとがれた米を俺達に食わせたくせに」
「まだ言いますか、それ!」
二尉は起き上がった私の額を、人差し指でツンと押した。片足の先っぽがギプスて固められているせいで踏ん張りが効かず、そのままバランスを崩して引っ繰り返ってしまう。
「二尉、遊んでる場合じゃないんですって。私は真面目なんですから」
「俺も別に遊んでいるわけじゃなく、真面目に対処しているんだがな」
そう言いながら、起き上がろうとする私の頭を、今度は容赦なくつかんでグイッと枕に押しつけた。こういうところが自衛隊員同士だと困るんだ、本当に容赦がないというかなんというか。ううん、自衛隊員同士だったとしても、今の頭をつかんで押し戻すのは容赦がなさすぎる。
「もう! 怪我人への態度とは思えないですよ」
「そっちこそ全治三ヶ月の怪我人の態度は思えんな」
起きようとしているのに、頭を抑えられていて身動きが取れない。
「さっさとその手を離して私の制服を渡してください。私は何が何でも帰営するんですからね!」
「残念ながら、音無の制服はただいま洗濯中だ」
「はあ?! まじふざけんな!」
こっちは本気で怒っているのに、二尉ときたらまったく沈着冷静なままなんだからムカつく。
「ふざけてなんかいないぞ。こっちも真面目に話しているんだ。ズボンにだし汁が飛び散っていたからな。衛生的でないと看護師が判断して、洗濯行きになった。諦めろ」
「マジなのか……」
ってことは私が着られるものは、今、身に着けている診察用のガウンしか無いということだ。さすがにこれでは、仮に病院を抜け出せたとしても駐屯地まで戻れない。
「心配するな、退院する前にちゃんと戻ってくる。入院中に必要なものに関しては、今日中にこっちに届けてくれるだろう」
「誰が」
「さて、誰だったかな……江崎三曹だったと思う。糧食班の人手をこれ以上割くわけにはいかないからな」
怪我の原因を作った釜屋さんは、江崎さんの部下にあたる子だ。彼女自身のせいではないのに、今回の件では責任を感じてしまっているらしい。そんな話をしたところで、タイミングよく病室のドアがコンコンとノックされた。そこに立っていたのは紙袋を持った江崎さん……じゃなくて二尉のお母さん?!
「これ、江崎さんって人から預かってきたわよ」
「ちゃんと会えた?」
「もちろん……制服の人が来るとばかり思っていたら違ってね、あやうく前を通り過すそうになったけど」
二尉にジッと見つめられて、お母さんは居心地悪そうに付け足した。
「あの、なんて二尉のお母さんが?」
「駐屯地の人がこっちに出てきてまた戻るのは大変でしょ? 私は今日は仕事がお休みだから、最寄りの駅まで荷物を受け取りに行ってきたのよ」
病室に入ってきたお母さんは紙袋をベッドの足元に置くと、私の足のギプスを真面目な顔をして確認している。
「思ったより酷いのね」
「全治二、三ヶ月程度だそうだ。それが普通?」
「足の甲って力がかかりやすいところだから、完治まで時間がかかるのよ。この様子だとプレートか何か入れたのね。骨がくっつくまで二週間程度、松葉杖を使わなくても良くなるまでは二ヶ月程度ってとこかしら」
「医官と同じ見解だ」
「ただし、貴方達自衛官の治癒能力はちょっと変だから、もう少し短縮するかもね」
そう言ってお母さんは、私のことを気の毒そうな顔で見つめながら微笑んだ。その笑った口元なんかは二尉にそっくりで、やっぱり親子なんだなと思えてしまう。
「音無さんの御両親には連絡したの?」
「彼女の上司である班長の方からするって話だった。俺は直属の上官じゃないから」
「なるほどね。ああ、そうだ。こっちのことは心配しなくても良いから、ちゃんと養生するようにって。江崎さんが班長さんから伝言を頼まれたって言っていたわ。前にご飯作りをしていた子たちに戻ってもらえるように手配したって言ってた」
「そうですか、ありがとうございます」
それを聞いて少し安心。とにかく隊員達の胃袋の心配が無くなっただけでも随分と気が楽になった。
「じゃあ俺は、あっちに戻るとするよ。後は頼めるかな」
「信吾さん達がここに迎えに来てくれるって言ってたから、六時頃まではいてあげられると思うわ」
「助かるよ」
そして二尉は怖い顔をして私に目を向ける。
「……退院できる日になったらちゃんと迎えに来るから、それまではおとなしくしていろ。これは命令だからな。それと、くれぐれもこの人を困らせるな、こう見えても医者なんだから」
「こう見えてもって失礼ね、これでも医者歴は渉君の人生より長いんだけど」
二尉の言葉にブツブツと反論するお母さんだった。
+++
「牛乳たくさん飲んだら早くつながるでしょうか?」
二尉が病室を出てしまってからしばらくして、お母さんに尋ねてみる。
「さあ、どうかしら。だけどさっきも言った通り、自衛官は普通の人より治癒までの時間が短いように思うから、言われているよりも早く治る可能性は高いわね。……ああもちろん、きちんと安静にしてリハビリをしたらの話よ?」
「あの、その比較データは一体どこから?」
その質問に、お母さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。その顔も二尉そっくりだ。
「うちの旦那様。折れたと思ったらいつのまにかギプスを外して、普通に生活していたんだもの。ビックリよね。良い機会だし、この際だからゆっくりと体を休めたら良いと思うわよ? ご飯作りって朝も早いし大変だって聞いたから」
「自分で望んでやってる仕事なので、大変とは思わないんですよ。皆がおいしいって言いながら食べてくれるのを見るのは楽しいですし」
「たしかに豪快な食べっぷりを眺めるのも楽しそうね」
それからしばらくは、二尉のお母さんとあれこれとお喋りをした。
お母さんはお医者さんで、大きな大学病院の不定愁訴外来ということろにいるんだそうだ。簡単に言えば愚痴外来? どうりで話を聞き出すのが上手だと思った。そして今日は診察の無いお休みの日ということで、二尉に頼まれてわざわざ駐屯地の最寄りの駅まで、私の私物を取りに行ってくれたということだった。
「なんだか申し訳ありません、せっかくのお休みに」
「いいのいいの。息子と付き合っている子なんだもの、身内も同然でしょ?」
そう言われて顔が赤くなるのを感じる。
「あ、あの、別にまだ結婚とかそういう話はまったくないわけですから」
「分かってる。それ以上に息子の性格もね」
「それってどういう……?」
お母さんは私の問い掛けには「さあ?」と可愛らしく首をかしげるばかりで、なにも答えてくれなった。
「ところで、明日からのリハビリのことは先生から聞いた?」
「え? ああ、怪我をしていない方の足やら手やらを動かすって言ってました。どういう理屈でそれをするのか、いまいち理解できませんでしたけど」
「簡単に言えば血流をよくするってやつね。そのことで治癒のスピードが速くなるの。それほどきつくないメニューだと思うから、気長に続けていってね」
「なるほど。良い機会ですから筋力アップのトレーニング代わりになるようなメニューがないか、理学療法士のスタッフさんに聞いてみます」
私の言葉に驚いた顔をしたけど、やがて愉快そうな笑みを口元に浮かべた。
「そう言えば目標は、戦う料理人さんだっけ?」
「そんなことまで二尉はお母さんに話したんですか? まったくもう……」
「言ってたわよ? そのうち、どうして女性隊員はレンジャーに行けないんだとか言い出すんじゃないかって」
「あー、なるほど、そこまでは考えてませんでした、でも確かに覗くだけでも覗いてみたい気はします、後学のために」
「あら、やぶへびだったかしら」
お母さんは息子に叱られちゃうわと楽しそうに笑った。
それから夕飯の時間になり、ベッドに据え付けられたテーブルに食事が置かれたところで、病室に大きな人影が現れた。二尉のお父さんだ。
「思っていたより酷いのよ、可哀想に。三ヶ月ぐらいですって」
お母さんはお父さんの顔を見てそんなことを言った。
「災難だったね、お大事に。事故を起こしたのは釜屋の娘だって?」
さすがお父さん、お耳が早い。
「たかが鍋蓋だと軽く見て、下手に事故を揉み消したりするなとは釘を刺しておいたから、きちんと対処してくれるだろう。音無君は安心して養生しなさい」
「……はい」
ここで気合と根性で原隊に戻れとか言ってもらえないのは、やはり普通科の人間じゃないからなのか。実に無念だ。
「じゃあ、私はこれで失礼するわね。何か必要なものがあったら、遠慮なく息子に伝言してね」
「ありがとうございます……あの!!」
病室を出ようとしたお母さんに声をかけた。
「なあに?」
「このまま連れ出して駐屯地に送り届けてもらえませんか、なんてお願いしたら駄目ですよね……?」
お母さんは「どうする?」という顔をお父さんに向けた。
「自分が君の立場だったらどうだろうと考えれば、送ってやりたいのはやまやまなんだが、諦めてもらうしかないな。二週間すれば駐屯地には戻れるんだ。それまでは我慢するように」
少なくともお父さんは、二尉よりもずっと私の気持ちが分かってくれたみたいで、気の毒そうな顔をしてみせた。
「それに今無理をしたら、後々ずっと後遺症に悩むことになる。この後も自衛官として働くつもりだったら、今は治療も任務のうちと思って専念することだ」
お父さんの言い分はもっともでうなづくしかない。
「……分かりました。今日は色々とありがとうございました」
「退院するまでにまた顔を出すから頑張ってね」
お母さんはニッコリと優しい笑みを私に向けると、手を振ってから病室を出ていった。
そういうわけで、私の長く退屈な療養生活が始まったのだ。
ベッドでぶつくさ言いながら天井を見上げた。
思っていたよりも私の足は大変なことになっていてたらしく、プレートで骨をつなぐ手術ってのをするハメになった。そして診てくれた医官先生からは、全治二ヶ月から三ヶ月だねと、気の毒そうに申し渡されてしまった。
ここは駐屯地に一番近い自衛隊病院……と言っても、駐屯地からはかなり離れた場所にある。まさかこんな遠くまで連れてこられるなんて。駐屯地の周辺にはたくさん民間病院があるじゃない!という私の言い分は、無いものとして扱われて今に至る……。
「これが訓練中とかなら、まだ格好もつくんだけどなあ……」
怪我の原因は鍋蓋だよ鍋蓋! 鍋蓋で三ヶ月って一体どういうこと?!
「明日には戻りますからね! 釜屋陸士長のことが心配でおちおち休んでなんかいられませんよ」
「二週間の入院だそうだ」
そして横に立って冷静なことを言っているのは何故か二尉。私の上官でもないのに何故?!
「その二週間、駐屯地での皆さんの食事はいかなることに?!」
「さて、どうなることやら……」
まるで他人事のように言ってますが二尉、あなたのお腹の中にも入るものなんですよ?!
「駄目です、大惨事の予感しかしません」
「音無がいなくても、蓮田一尉も苅部二曹もいるじゃないか」
「班長は管理をするだけで、ご飯作りなんてしたことありませんよ。それに苅部さん一人では、いくらなんでも荷が重すぎますよ。あの人、飲食店のバイト経験はありますけど、本来は技術屋なんですから。やっぱり心もとないから帰ります、心配すぎる」
心配すぎて絶対に眠れない。だから動けなくても帰りたい。駐屯地に戻れば、少なくとも監視はしていられるんだから。
「この二週間の入院も、医官からの命令だぞ?」
「命令よりも隊員の命ですよ!」
「なに言ってるんだ、洗剤でとがれた米を俺達に食わせたくせに」
「まだ言いますか、それ!」
二尉は起き上がった私の額を、人差し指でツンと押した。片足の先っぽがギプスて固められているせいで踏ん張りが効かず、そのままバランスを崩して引っ繰り返ってしまう。
「二尉、遊んでる場合じゃないんですって。私は真面目なんですから」
「俺も別に遊んでいるわけじゃなく、真面目に対処しているんだがな」
そう言いながら、起き上がろうとする私の頭を、今度は容赦なくつかんでグイッと枕に押しつけた。こういうところが自衛隊員同士だと困るんだ、本当に容赦がないというかなんというか。ううん、自衛隊員同士だったとしても、今の頭をつかんで押し戻すのは容赦がなさすぎる。
「もう! 怪我人への態度とは思えないですよ」
「そっちこそ全治三ヶ月の怪我人の態度は思えんな」
起きようとしているのに、頭を抑えられていて身動きが取れない。
「さっさとその手を離して私の制服を渡してください。私は何が何でも帰営するんですからね!」
「残念ながら、音無の制服はただいま洗濯中だ」
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「マジなのか……」
ってことは私が着られるものは、今、身に着けている診察用のガウンしか無いということだ。さすがにこれでは、仮に病院を抜け出せたとしても駐屯地まで戻れない。
「心配するな、退院する前にちゃんと戻ってくる。入院中に必要なものに関しては、今日中にこっちに届けてくれるだろう」
「誰が」
「さて、誰だったかな……江崎三曹だったと思う。糧食班の人手をこれ以上割くわけにはいかないからな」
怪我の原因を作った釜屋さんは、江崎さんの部下にあたる子だ。彼女自身のせいではないのに、今回の件では責任を感じてしまっているらしい。そんな話をしたところで、タイミングよく病室のドアがコンコンとノックされた。そこに立っていたのは紙袋を持った江崎さん……じゃなくて二尉のお母さん?!
「これ、江崎さんって人から預かってきたわよ」
「ちゃんと会えた?」
「もちろん……制服の人が来るとばかり思っていたら違ってね、あやうく前を通り過すそうになったけど」
二尉にジッと見つめられて、お母さんは居心地悪そうに付け足した。
「あの、なんて二尉のお母さんが?」
「駐屯地の人がこっちに出てきてまた戻るのは大変でしょ? 私は今日は仕事がお休みだから、最寄りの駅まで荷物を受け取りに行ってきたのよ」
病室に入ってきたお母さんは紙袋をベッドの足元に置くと、私の足のギプスを真面目な顔をして確認している。
「思ったより酷いのね」
「全治二、三ヶ月程度だそうだ。それが普通?」
「足の甲って力がかかりやすいところだから、完治まで時間がかかるのよ。この様子だとプレートか何か入れたのね。骨がくっつくまで二週間程度、松葉杖を使わなくても良くなるまでは二ヶ月程度ってとこかしら」
「医官と同じ見解だ」
「ただし、貴方達自衛官の治癒能力はちょっと変だから、もう少し短縮するかもね」
そう言ってお母さんは、私のことを気の毒そうな顔で見つめながら微笑んだ。その笑った口元なんかは二尉にそっくりで、やっぱり親子なんだなと思えてしまう。
「音無さんの御両親には連絡したの?」
「彼女の上司である班長の方からするって話だった。俺は直属の上官じゃないから」
「なるほどね。ああ、そうだ。こっちのことは心配しなくても良いから、ちゃんと養生するようにって。江崎さんが班長さんから伝言を頼まれたって言っていたわ。前にご飯作りをしていた子たちに戻ってもらえるように手配したって言ってた」
「そうですか、ありがとうございます」
それを聞いて少し安心。とにかく隊員達の胃袋の心配が無くなっただけでも随分と気が楽になった。
「じゃあ俺は、あっちに戻るとするよ。後は頼めるかな」
「信吾さん達がここに迎えに来てくれるって言ってたから、六時頃まではいてあげられると思うわ」
「助かるよ」
そして二尉は怖い顔をして私に目を向ける。
「……退院できる日になったらちゃんと迎えに来るから、それまではおとなしくしていろ。これは命令だからな。それと、くれぐれもこの人を困らせるな、こう見えても医者なんだから」
「こう見えてもって失礼ね、これでも医者歴は渉君の人生より長いんだけど」
二尉の言葉にブツブツと反論するお母さんだった。
+++
「牛乳たくさん飲んだら早くつながるでしょうか?」
二尉が病室を出てしまってからしばらくして、お母さんに尋ねてみる。
「さあ、どうかしら。だけどさっきも言った通り、自衛官は普通の人より治癒までの時間が短いように思うから、言われているよりも早く治る可能性は高いわね。……ああもちろん、きちんと安静にしてリハビリをしたらの話よ?」
「あの、その比較データは一体どこから?」
その質問に、お母さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。その顔も二尉そっくりだ。
「うちの旦那様。折れたと思ったらいつのまにかギプスを外して、普通に生活していたんだもの。ビックリよね。良い機会だし、この際だからゆっくりと体を休めたら良いと思うわよ? ご飯作りって朝も早いし大変だって聞いたから」
「自分で望んでやってる仕事なので、大変とは思わないんですよ。皆がおいしいって言いながら食べてくれるのを見るのは楽しいですし」
「たしかに豪快な食べっぷりを眺めるのも楽しそうね」
それからしばらくは、二尉のお母さんとあれこれとお喋りをした。
お母さんはお医者さんで、大きな大学病院の不定愁訴外来ということろにいるんだそうだ。簡単に言えば愚痴外来? どうりで話を聞き出すのが上手だと思った。そして今日は診察の無いお休みの日ということで、二尉に頼まれてわざわざ駐屯地の最寄りの駅まで、私の私物を取りに行ってくれたということだった。
「なんだか申し訳ありません、せっかくのお休みに」
「いいのいいの。息子と付き合っている子なんだもの、身内も同然でしょ?」
そう言われて顔が赤くなるのを感じる。
「あ、あの、別にまだ結婚とかそういう話はまったくないわけですから」
「分かってる。それ以上に息子の性格もね」
「それってどういう……?」
お母さんは私の問い掛けには「さあ?」と可愛らしく首をかしげるばかりで、なにも答えてくれなった。
「ところで、明日からのリハビリのことは先生から聞いた?」
「え? ああ、怪我をしていない方の足やら手やらを動かすって言ってました。どういう理屈でそれをするのか、いまいち理解できませんでしたけど」
「簡単に言えば血流をよくするってやつね。そのことで治癒のスピードが速くなるの。それほどきつくないメニューだと思うから、気長に続けていってね」
「なるほど。良い機会ですから筋力アップのトレーニング代わりになるようなメニューがないか、理学療法士のスタッフさんに聞いてみます」
私の言葉に驚いた顔をしたけど、やがて愉快そうな笑みを口元に浮かべた。
「そう言えば目標は、戦う料理人さんだっけ?」
「そんなことまで二尉はお母さんに話したんですか? まったくもう……」
「言ってたわよ? そのうち、どうして女性隊員はレンジャーに行けないんだとか言い出すんじゃないかって」
「あー、なるほど、そこまでは考えてませんでした、でも確かに覗くだけでも覗いてみたい気はします、後学のために」
「あら、やぶへびだったかしら」
お母さんは息子に叱られちゃうわと楽しそうに笑った。
それから夕飯の時間になり、ベッドに据え付けられたテーブルに食事が置かれたところで、病室に大きな人影が現れた。二尉のお父さんだ。
「思っていたより酷いのよ、可哀想に。三ヶ月ぐらいですって」
お母さんはお父さんの顔を見てそんなことを言った。
「災難だったね、お大事に。事故を起こしたのは釜屋の娘だって?」
さすがお父さん、お耳が早い。
「たかが鍋蓋だと軽く見て、下手に事故を揉み消したりするなとは釘を刺しておいたから、きちんと対処してくれるだろう。音無君は安心して養生しなさい」
「……はい」
ここで気合と根性で原隊に戻れとか言ってもらえないのは、やはり普通科の人間じゃないからなのか。実に無念だ。
「じゃあ、私はこれで失礼するわね。何か必要なものがあったら、遠慮なく息子に伝言してね」
「ありがとうございます……あの!!」
病室を出ようとしたお母さんに声をかけた。
「なあに?」
「このまま連れ出して駐屯地に送り届けてもらえませんか、なんてお願いしたら駄目ですよね……?」
お母さんは「どうする?」という顔をお父さんに向けた。
「自分が君の立場だったらどうだろうと考えれば、送ってやりたいのはやまやまなんだが、諦めてもらうしかないな。二週間すれば駐屯地には戻れるんだ。それまでは我慢するように」
少なくともお父さんは、二尉よりもずっと私の気持ちが分かってくれたみたいで、気の毒そうな顔をしてみせた。
「それに今無理をしたら、後々ずっと後遺症に悩むことになる。この後も自衛官として働くつもりだったら、今は治療も任務のうちと思って専念することだ」
お父さんの言い分はもっともでうなづくしかない。
「……分かりました。今日は色々とありがとうございました」
「退院するまでにまた顔を出すから頑張ってね」
お母さんはニッコリと優しい笑みを私に向けると、手を振ってから病室を出ていった。
そういうわけで、私の長く退屈な療養生活が始まったのだ。
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