貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第十四話 駐屯地の一般開放 その1

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 陸上自衛隊と言えば、富士の総合火力演習が一番知られている演習だ。ただ、これも本来は一般公開が目的ではなく、訓練は一ヶ月ほどかけて行われるもので、その中の二日間ほどを広報の目的で、陸幕が主催して公開しているにすぎない。

 じゃあ、陸自の訓練展示を他で見ることはできないのかと言えばそうでもなくて、駐屯地の創設記念行事などで、小規模ではあるけれど訓練展示をしている。

 ちなみにうちの駐屯地でもやっていることで、当日はマニアな人から御近所さんまで様々な人がやってくる。もちろん設立記念式典なので偉い人達もやってくるし、観閲行進やヘリ部隊などの観閲飛行も行われるので、隊員としては気は抜けない。

 とは言え、最近は地域の定例イベントとしても色合いが濃くなり、事故や事件が起きないようにと気は抜けないものの、一般開放の日はちょっとした地域のお祭り状態だ。

+++

「タコ嫌い」

 私の目の前で悲しそうな顔をしている男の子が一人。

「タコ、嫌いなの?」
「うん」

 今日は我が駐屯地の創設記念日。桜の季節と相まって一年で一番賑やかになる日でもある。

 名物のカレーやらなにやらな屋台が出る中で、今年はたこ焼きという関西系のものがあるのは、今年は新しくやって来た隊員の中に、大阪出身の人が何人かいたから。お好み焼きもやりたいと熱心に粉モン愛を叫んでくれていたけど、手間と予算の関係上たこ焼きが採用された。

 ただ自慢じゃないけど、私はたこ焼きを自分で焼いたことがなかったので、何日間かは彼等に『臨時たこ焼き特別課程』と称してたこ焼の作り方を教わった。教わっている間、彼等のたこ焼きに対するこだわりを、延々と聞かされ続けることになったのはさすがに参った。

 あと今回の展示で意外だったのは、装備品だけじゃなくて「ミリ飯」と呼ばれている携帯糧食の試食が、マニアックな人達以外にも人気だったということ。食に対する探求心にはいつも感心させられる。まあ最近の戦闘糧食がおいしいのは私達も認めるところだけど。

 そして目の前で悲しそうな顔をしている男の子は、今年初の出店のたこ焼きを食べたいらしいんだけど、中に入っているタコが嫌いらしい。あのガムみたいな食感がイヤなんだって。けど、たこ焼きは食べたいらしく、さっきからずっと悩んでいるらしいのだ。

「もう諦めたら?」

 一緒のお母さんとお父さんは、タコを取り除いてもらったのを食べたら?って提案しているんだけど、この子にはこの子なりのこだわりがあるみたいなんだな。だけどタコが入ってないたこ焼きって、何て呼べば良いんだろう、ただの、焼き?

「ほら、隊員さんが困ってるよ」
「まあ、お気遣いなく……」

 私はひたすらたこや焼きで引っくり返しているだけで、皆さんに配っているのは江崎えざきさんだから。

「……どうしたものかなあ。あ、そうだ。もしもし、ちょっと、すみません」

 そう言いながら、隣のフランクフルトを焼いている屋台のお兄さんに声をかけた。こちらは隊員ではなく、イベントのためにやってきた民間の人だ。

「なにか?」
「そっちのフランクフルト、一本、私、買います」
「毎度あり」
「それでお願いがあるんですけど、それをこのぐらいの大きさに切ってもらえません?」

 そう言ってお兄さんにタコを見せた。そうだよ、タコを入れなければ、この子だって食べられるんだから。大阪出身の隊員君達からしたら、とんでもない邪道たこ焼きかもしれないけど、ここはやはり目の前の男の子のために、臨機応変りんきおうへんになるべきでしょ?

「分かった。ちょっと待ってて」

 私が何をしたいのかすぐに理解してくれたお兄さんは、そう言って焼けたばかりのフランクフルトを一本、後ろの作業場でアチチと騒ぎながら小さく刻んでくれた。

「はい、どうぞ」

 使い捨てのお皿に、刻んだウィンナーを入れてこちらに渡してくれる。

「ありがとうございます。ちょっと待っててね、たこ焼きもどき用意するから」

 男の子にそう言うと、小さく刻まれたウィンナーを受け取って、生地を流し込んだところに一個ずつ放り込む。

「好き嫌いは駄目だぞって言うのが本来なんだけど、嫌いなものは仕方がないよね。それに、大人になったら平気になるかもしれないし」

 クルクルとたこ焼きを引っ繰り返しながら、その子に話しかける。

「ウインナーは好き?」
「うん。ママにお願いしてお弁当に入れてもらうの」
「そう。おいしいよね」
「ケチャップで焼くんだよ」
「それおいしいよねー、私も食べたくなってきた」

 そんなことを話している内に、綺麗に焼けたたこ焼きもどきができあがった。男の子用にお皿に入れると、江崎さんに声をかけた。

「でも、これ内緒ね?」
「内緒なの?」
「うん。怒られちゃうから……ほら、あのお兄さんに」

 そう言って少し離れたところを歩いていた二尉を、手に持っていた千枚通しの柄のほうでさした。私達の不穏な空気に気がついたのか、また何か良からぬことを言っているなって顔をされた。だってしかたがないじゃない、二尉がこういう絶妙なタイミングで姿を現すんだから。

「内緒だね!」
「そうそう、こっちにいるお兄さんと私達と、僕との秘密」

 江崎さんがそう言いながら、お皿をその子に手渡した。

「そろそろ交代時間やでー」

 男の子を手を振りながら見送っていると、元気な声をあげながらたこ焼きマスターがテントにやってきた。

「待ってました。もう当分たこ焼き焼きたくありません」
「愛が足りへんなあ、愛が。大阪で生きてかれへんで。……ん? なんやウィンナーのにおいが」
「それは隣の屋台のにおいです。ああ、疲れた、じゃあ後はお願いします」
「ほい、任された。さあ、はりきって焼くで~~」

 テントの裏に下がると、ポケットから念のためにと忍ばせておいた小銭を出した。そしてお隣のお兄さんに声をかける。

「さっきはありがとうございました。これ、フランクフルトのお代金」
「いやいや、あれはサービスってことで」
「でも」
「かまわないよ。毎年ここでやらせてもらってるから、そのお礼代わりってことにしておくから」

 そう言えば去年も、このお兄さんがいたかもしれない。

「そうですか? じゃあお言葉に甘えて」
「その代わりと言っちゃなんだけど……」

 お兄さんが何か言いかけて、ニッコリしたまま急に口をつぐんだ。ん? 固まってるのは何故?

「その代わりになんです?」
「いや、いいんだ、気にしないで。とにかくサービスだから」
「そうですか、ありがとうございます」

 お兄さんの変な様子に心の中で首をかしげながら振り返ると、すぐそばに二尉が立っていた。目の前がいきなり制服の壁というのも、なかなか心臓に悪い。

「ちょっ、近寄りすぎ!!」
「なんだ今のは」
「今の? ああフランクフルトをいただいたんですよ。タコが食べられない男の子がいまして、その子に特注たこ焼きもどきを作るための。それでお代金を払おうとしたら、サービスでいいですよって」

 申し訳なかったですかねえと言いながらテントを離れる。そんな私の後ろを二尉は黙ったままついてきた。心なしか不機嫌そうな空気を垂れ流しているのは何故? あ、まさかさっきの、叱られちゃうって男の子に話していたのを聞かれていたとか?

「あの、なにか? さっきの男の子の件でしたら……」
「いや、そっちはいい。あの子からは何も言われなかったしな。そうじゃなくて、そろそろ訓練展示が始まるから、声をかけにきた。見たいと言っていたろ?」
「ああ、そうでした! うっかり忘れるところだった」

 本日の訓練展示に関しては、直前に行われた大規模演習に参加しなかった残留組が行う予定で、二尉の偵察小隊は参加しないらしい。そして私は後学のために、それの見学を希望していたのだ。何の後学かって? そりゃあ、最強料理人になるための後学に決まってる。

「そう言えば、中央のお偉いさんも来ているらしいですね、今回」
「らしいな。珍しいこともあるもんだ」
「もしかして一本釣りの下調べとか?」
「その可能性はあるかな」
「へえ。一本釣りをするのは、空自の飛行教導群だけかと思ってましたよ」

 基本的に空挺もレンジャーも、自ら志願してそれぞれの過程に進むものだけど、たまーにそうじゃない人達もいる。こうやって偉い人達がやってくるのは式典参加だけではなく、そういう人材を探し出し、しかるべき課程を受けさせ、しかるべき部隊に送り込むためらしいと、隊の中ではまことしやかに囁かれていた。だから小さな訓練展示でも気が抜けないのだ。

 そして特設の観客席に向かう途中で、私達は声をかけられた。声をかけてきたのは若い御夫婦、私が今までに何度もお目にかかっている人達だ。

「ああ、こんにちは。今日は奥様と御一緒なんですね」

 そう言って旦那さんに話しかける。うん、実のところ奥様よりも、旦那様の方とよく顔を合わせているんだよね。

「今年は店の定休日と重なったものだから、妻と一緒に来たんだよ。なにせここは古巣だからね」
「そうだったんですか。あ、二尉、こちら、いつも伺うカフェのオーナー御夫妻さんです。会ったことはありますよね、何度も」

 「何度も」と強調して言うと、相手が誰だか気がついたのか二尉が硬直した。なかなか面白い反応だ。

「こちらの姿では初めまして。いつもご利用ありがとうございます」
「……どうも?」

 返事をしながら私の方に目を向ける。

「そうですよ、ママさんです。あ、もしかしてそれが趣味の人と思ってます? そこは違いますからね。ノーマルな方ですよ」
「うちの嫁がスタイリストでね。何故か僕のことをすぐに実験台にするんですよ」
「だって素材がいいんですもの。昔っから私よりお化粧のノリも良いし」
「昔から……?」

 二尉の魂、もしかしたら抜けかけているかもしれない。でも素材が良いという奥さんの言葉は理解できる。だって旦那さん、元陸自とは思えない端正な顔なんだもの。これで重たい荷物を背負って野山を駆け回っていたなんて、いまだに信じられない。

「現役だった頃から、会うたびに顔に塗りたくられて大変でした。デートで恋人を女装させるなんてねえ」
「でもしょう君だって、可愛い服を着れて楽しんでいたでしょ?」
「まあたしかに、君の服の趣味は素晴らしいよ」

 アハハと呑気に笑っているママさん御夫妻に、二尉は何とも言えない顔をしている。

「あ、もしかして呼び止めてしまったかな? 申し訳ない」
「いえいえ。ママさん達も楽しんでいってくださいね」
「ありがとう。ああ、そうだ。新しいケーキを来週から出す予定にしているから、また二人で是非お越しください」
「そうなんですか? 楽しみです! 絶対に行きますね」

 そう言って立ち去る二人を見送った。そんな私の横で二尉の硬直状態はまだ続いている。

「大丈夫ですか?」
「……多分」
「ドンマイですよ二尉。私達が知らない世界なんて、この世にはまだまだたくさんあるんですから」

 そう言ってポンポンと肩を叩いて慰めると、一気に脱力した。そんなに緊張していたなんて。

「知らなくても良さそうな世界だよな、今のは……」
「楽しそうですけどね」
「……」

 どうしてそんな、信じられないって顔をしてこっちを見るかな? ああ、なるほど、自分まで女装させられるんじゃないかと恐れおののいているってやつね。

「大丈夫ですよ。私は二尉に女装させようなんて、これっぽっちも思ってませんから! どう考えても似合いませんものね」
「……そういう問題じゃない」

 二尉はガックリと肩を落とした。
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