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【後日談2】トロワ・メートル

31.テイスティング、配信!

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 旭川のそばにある大雪山に初雪が観測される。まだ紅葉も始まらない九月の末。だがそれは北国に、徐々に秋の黄色や赤色が運ばれてくる報せでもあった。

「うわあ、ほんっとに透き通っていますね。ここが倶多楽湖くったらこ!」

 すっかり元気を取り戻した甲斐チーフを誘って、雪が降る前にとあちこちにドライブに連れ出した。
 日本一丸いと言われている湖、倶多楽湖にも連れてきた。
 水辺からもう透明な湖水、そこから徐々に沖に向かってアクアマリンのグラデーションになる透明度に甲斐チーフも感激している。

 倶多楽湖は、外部から入ったり出ていったりする河川がないため、摩周湖に次いで透明度が高い水質といわれている。そのため、ほんとうに輝石のような透き通った色合いをいつも見せてくれる。

 その水辺を歩いていると、カメラを持っていた蒼が葉子と甲斐チーフが一緒に水辺ではしゃいでいるほうへと振り向く。

「よーし、ハコちゃん。ここでもライブ配信しちゃいましょうか」
「そうですね。ダラシーノさん」
「お師匠さんもいいですか」
「おう、いいぞ! よし、また大分の孫に知らせちゃおう」

 新婚さんなのに邪魔して悪いなあと、最初は遠慮していたのに。最近は『いまのうちに北海道をいっぱい回る』と意気込んでいる。
 その先々で、たまに『おでかけライブ』をすることもあったが、もう皆さんご存じの『お師匠さん』として馴染み、甲斐チーフも配信をするときはワクワクすると楽しんでくれるようになった。



 それはプライベートの話で、この頃になると葉子はテイスティングの訓練に入るようになった。



「皆様、こんばんはー。ちょっと遅い時間ですけれど、フレンチ十和田閉店をしたところです。今日はですね。お師匠さんのテストがある日で、いまからハコさんが挑みます。今日もハコパパシェフの許可を得て、その様子をライブ配信することにしました」

 湖畔の木々が黄色に染まりはじめ、夜の気温も低くなってきた初秋。北海道の秋は駆け足でやってきて、あっという間に過ぎていく。
 今夜もこっくりと群青の夜空に大沼も駒ヶ岳も隠れた窓辺で、蒼がカメラを構えて配信を始める。

「えー、先月、お師匠さんを初めて紹介いたしましたが、今夜からレストランコーナーに、もう一人出演者が増えまーす。メートル・ドテルの補助、または、コミ・ド・ランのまとめ役となります『シェフ・ド・ラン』というポジションにいるギャルソン君です。彼も、お師匠さんとおなじく『チーフ』となっています。今日から撮影の助手をしてくれることになりました。はい、チーフご挨拶どうぞ」

 ついに神楽君がレストランコーナーに出演することになった。

「初めまして。ダラシーノさんの助手をしております、グラノーラです」


*グラノーラ!? なんかダラシーノと響きが似てる!!
*え、声、若いね。お師匠さんとおなじチーフって、ハコちゃんより偉いってこと??


「はい、グラノーラ君。皆様が気にしていらっしゃるので、自己紹介をどうぞ」

「シェフ・ド・ランをしているグラノーラです。北星さんが亡くなった後にフレンチ十和田で働くようになりました。北星さんご本人のことは、先輩方のお話からしか伺っていませんが、どのような給仕長だったかと聞いているうちに、僕の中でも目標の先輩となっています。ハコさんの後輩になりますが、ダラシーノ給仕長に憧れてギャルソンを極めたいと思っておりまして、シェフ・ド・ランを任せてくれることになりました」

「ハコさんがソムリエを目指すことになったので、こちらグラノーラ君を、チーフとして任命していまーす。ちゃんと頑張っていますよ。今日は、お師匠さんのテストを、僕たちふたりが手伝うことになっています」


*グラノーラ君、ダラシーノに憧れてるんだ!?
*よかったじゃん、ダラシーノ! 後継者を育てられる!
*ハコちゃんの後輩? ハコちゃんより若いってことかな……


「では、ハコさんはいま、厨房で待機しています。いまからお師匠さんと一緒に支度をしますね。僕、ダラシーノは撮影をするので、お師匠さんの支度の手伝いは、グラノーラ君がしてくれまっす」


 そんなふうにして始まった配信を、葉子は厨房にてスマートフォンで確認。

「葉子、スマートフォン見るなよ。こっちに渡せ」

 これからテイスティングのテストをするのだが、その準備も配信されるため、それを見ていたらカンニングとばかりに、強面の父が手を差し出して睨んでいる。

「もう切るよ。でも気になるから渡しておく」

 視聴者のコメントが気になるからライブで見ていたかったが、葉子は目を瞑りながら、父にスマートフォンを渡した。

「最初から全問正解なんてありえないからな。そのつもりでやれよ」
「はーい。はあ、今日は原料の葡萄種当てだけど、そのうちに銘柄まで当てられるようになるかな……」
「なるさ。深雪だって当てるんだから」
「え! お母さんが!?」
「おう。全部じゃないけれど、若いときから俺と一緒にあれこれ呑んできたからな。あれだって、シェフの女房だぞ」
「え、聞いたことがない……のろけ……なんですけど」

 娘を応援するために話したことだったのに、そんなつっこみに父が珍しく頬を赤くしていた。

「うるせい。つまり、慣れと経験ってことだよ。不正解を何度も重ねていけってことだ」

 ふいっとそっぽを向け、営業後の片付けへとキッチン台へと逃げて行ってしまった。
 それをスーシェフの石田さんも、パティシエの松本さんもニヤニヤして眺めている。
 そんな馴染みの料理人おじさんたちも、スマートフォンを一緒に眺めて、蒼と神楽君が甲斐チーフの準備を手伝っている配信を見ている。

 もう私の目の前で見るかな。気になるなあ。音声を絞っていて聞こえないが、葉子以外の皆が正解を知っていてそわそわする。

「お、葉子ちゃん。そろそろグラのお迎えが来るぞ」
「頑張っておいでー。初テイスティングテスト」

 石田のおじさんと松本のおじさんに冷やかされながら、葉子は迎えを待つ。

「葉子さん、準備できましたよ」

 グラノーラになっちゃった神楽君が迎えに来てくれ、葉子はテスト会場となったホールへ向かう。

 ホールに入ると、中央の長テーブルで蒼と甲斐チーフが待ち構えていた。
 蒼はカメラを回していて、甲斐チーフはテーブルのそばで待機している。
 テーブルにはワイングラスが数個、赤ワイン、白ワインと五個揃えられていた。
 そのグラスに入っているワインを、これから葉子がテイスティングをする。

「おまたせいたしました。ハコさんの登場です!」

 MCも蒼が担当。きっとコメント欄でも、視聴者さんたちが固唾を飲みつつ、待ち構えてくれているのだろう。それでも盛り上がってくれたら、葉子はそれだけで嬉しいし、頑張ろうと思える。

「赤二種、白三種ですよ。まだ修行を始めたばかりのハコさん。まずは、銘柄ではなく、原料となっている葡萄の種類を当ててもらいます。視聴者さんは、このグラスにお師匠さんがなにを入れたか、準備段階から一緒にご覧になっていたので答えはご存じですね。ハコさんだけが知りません。今夜は彼女もコメントは見えません」

 蒼の案内が終わり、彼が悠然と構えている甲斐チーフへと目配せをした。
 お師匠さんも頷いて、葉子を見た。

「では、ハコさん。始めますよ」
「はい、チーフ」

 視聴者さんのコメントも今夜は見せてくれない。

「順番は問いません。じっくりとテイスティングをした上で、主な原料となっているだろう葡萄の種類をお答えください」

 チーフの『開始』の合図で、葉子はワイングラスの前へと立つ。

 赤二種、白三種。それぞれ、グラスを手に取り、鼻先に近づけ、まずは香りから。
 すぐにわかったグラスがひとつ。

「この白のグラスは、ナイアガラです」

 甘い香りが強く、白葡萄特有の香りが際立っている。葉子はそのグラスを味わうまでもなく、甲斐チーフへと告げる。
 そのグラスが準備されていたところに、二つ折りにされている白い紙が置いてある。
 それを甲斐チーフが手に取り開く。それを蒼が持っているカメラへと向けた。

「正解です。よろしいでしょう。おたるワインの人気の銘柄です」

 正解のボトルが、グラスのそばに置かれた。
 視聴者さんにもわかるように、そのボトルをみせながら、グラスに注ぐところから配信をしていたようだった。

 カメラを持っている蒼がほっとした顔になったのを、葉子は見る。しかもグッジョブのハンドサインも見せてくれた。神楽君も蒼のそばで小さく拍手をしてくれる。

「あと四つ、お願いします」

 師匠に促され、葉子は再度、ワインの香りを確かめる。
 今度はそれぞれ、少しずつ口に含む。空気を混ぜるように口の中でも攪拌する。

 ひとつの赤ワインのグラスを差し出す。

「こちらが、メルロー。こちらが、カベルネ・ソーヴィニヨンです」

 ふたつ一度に回答する。また甲斐チーフが静かに正解の二つ折りの紙を開いて、カメラへ向ける。

「カベルネ・ソーヴィニヨンは正解です。もう片方ですが、メルローではなく、ピノ・ノワールです」

 葉子はがっくりと肩を落とすが、カメラを構えている蒼もしょんぼりとした顔をしてくれたので、気を取り直す。

「ですが、カベルネ・ソーヴィニヨンがタンニンが強いことを意識して、やわらかいこちらは、ベリー系の風味と香りで嗅ぎ分けたのは良かったですね。ブレンドによっては、どちらか区別がつきにくいこともありますから、まずまずです。では、残りの白ワインをお願いします」

 残りの白ワインのグラスを手に、葉子はもう一度香りをかいで、口に含んでテイスティング。

「こちらがバッカス、こちらはケルナー。どちらも七飯町のものでしょうか……。当店でよく出している親しみを感じます」

「正解です! そう、十和田シェフがこだわってお出ししている銘柄、七飯町産のものです」

 甲斐チーフの表情がぱっと笑顔になる。レクチャー中には滅多に見られない表情だった。
 さらにもうひとり、ピカッと光るといいたくなる笑顔を見せて飛び上がる男が……。

「すっげ、すげえじゃないの。奥ちゃんったら。きゃー!!さっいっこうう」

 カメラを持ったまま『ヒャッホー!!』と飛び上がっている。
 あ、蒼君。それ、画面が揺れて大変……と、止めようと思ったが遅かった。

「今回はわかりやすく判断できるような出題をいたしましたが、それでも、さすがですね。ソムリエを目指すためにテイスティングに取り組むようになったのは最近ですが、実は、北星が教えていたころからの積み重ねがあるのですよ。あと、お父様のこのレストランを六年間も手伝って、様々な食材にワインに親しんできた下地があります。ハコさんは気がついていないかもしれませんが、覚えているのですよ。五感で、既に、このレストランにあるワインを。私も嬉しくなってしまいました! 北星もよろこんでいることでしょう」

 意外な総評をもらい、葉子は驚く――。
 秀星がきちんと葉子の中の五感に、さまざまなものを遺してくれていた実感が湧いてくる。

「あとは出来れば、海外のワインに触れていくとよいでしょう。きっと、ハコさんならできると確信いたしました」

 この日のテイスティングテストは、ここで終了した。

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