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【後日談2】トロワ・メートル
2.お土産は二階堂
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「はるばる九州から来たのですけれどね。予約のみという注意書きも見つけられなかった」
わ、これはもしや……。葉子はドキドキしてきた。
いやいや、いけない。『お客様の第一印象などで決めつけてはいけない』と、秀星にきっちり仕込まれたので、葉子もいまはなにも思わずに、九州から来てくれたお客様という情報だけインプットしてとどめる。
秀星ならここで、ほんのりした微笑みだけ浮かべて、目は真摯にお客様に向けて謝辞を述べ、『明日であれば……。近辺にお住まいか、或いはご宿泊はどちらか』と、こちらの条件とあちらの条件の境目を探る。
蒼もおなじ。こちらは、謝辞を述べた後は、明るく爽やかな男前フェイスに整え、『明日で……』と言い出すはず――。
なのに蒼は、なんとか微笑みの顔に整えることができたようなのに、なにか考えあぐねている様子で黙っている。
その間にご老人から言い出してしまう。
「明日は私も来られないので、今夜しかないのですが」
さらに葉子はぎょっとして硬直してしまった。
こちら側の『いつもの逃げ道』を塞がれた。
しかも、蒼の様子がおかしい。笑顔が消えているのだ。こんな先手を取られる事なんて滅多にない。
もう、なにかを畏れるようにして硬直しているように見えた。葉子はハラハラ……。もしかして? 神戸のお店にいるときに、なにかあったお客様とここで再会? 決めつけちゃいけないけど、やっぱり、あれこれやりにくいことを要求してくるお客様??
さらにご老人は、肩にかけていたバッグから『エゴイスト』と表紙に書かれている書籍を取り出した。
「この方の作品を見て、ここに来ました」
その写真集を見ただけで蒼が再度背筋を伸ばして、ご老人へとやっといつもの微笑みを優雅に浮かべた。
「遠いところからのご来店、ありがとうございます。お一人様でよろしかったでしょうか」
「はい。一人です」
受けちゃった。いまは予約分しか受け入れていないのに、予約なしのお客様を受け入れちゃった。
葉子は内心唖然としていたが、少し姿勢を崩したように見えた蒼が、キリッと持ち直したので、葉子もいつもの仕事の姿勢へと正す。
「十和田さん、カウンターまでお願いいたします」
「はい。いらっしゃいませ、どうぞ、こちらでお荷物をお預かりいたします」
「あなたが、葉子さん。ハコさんですね」
ああ、視聴者さんの飛び込みかなと葉子は思ったが、いつもの笑顔で応える。
「はい。北星秀の写真集をお持ちくださって、ありがとうございます。動画配信では『ハコ』の、十和田葉子です」
「ありがとうね。秀星の写真をここまでにしてくれて」
え……。葉子は驚き、目を見開きながら、ご老人のお顔を見上げてしまった。
最後、本名を明かしていないのは、亡くなった秀星だけ。彼の名は『北星秀』としてしか知られていないのだから。どうしてこの方が?
秀星の関係者? だったら蒼にも関係者?
葉子が茫然とした隙に、お客様から蒼が控えるカウンターへと向かってしまった。
ペンを握った蒼が、お客様と向き合う。
「……北星の写真集をお持ちくださって、ありがとうございます。受付をさせてください。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「甲斐です。甲斐の国のカイです」
「ありがとうございます。ご連絡先も教えていただけますでしょうか」
「090……」
「北星の写真集をお持ちの方には、ドリンクのサービスがお一人様につき一杯つくことをご存じでしたでしょうか」
「いいえ。知らなかったのですが、私もそのサービスをいただけるのでしょうか」
「はい、せっかくですので、そちらのサービスも本日おつけいたしますね」
やっと蒼が笑顔を見せたので、葉子もホッとする。
でも――。どうして秀星の本名を知っていたのだろう。そちらが気になって気になって。
「十和田さん。『今夜のお席』にご案内をしてください」
『今夜のお席』とは、予約客なら前もって準備していたテーブルに案内するが、この飛び込みのお客様に関しては、『予約なし飛び込み用、予備席』へと案内をするという意味だった。どんな日も、なるべく一席分を残して用意をしているので、そのテーブルのことを言っているのだと葉子にも通じた。
「かしこまりました。甲斐様、お預かりのお荷物は、こちらのみでよろしかったでしょうか」
手に持っていた土産ものの袋のみを差し出されていたので、既に受け取っていた葉子は、他にはないかと確認をする。
「あなたたちへお土産です。秀星の霊前へ供えてやってくれませんか。会うときはいつも『二階堂』を持って行くと喜んでいたので――」
ほんとうに、この方はどなた?
視聴者がどんなに北星の写真についてあれこれ論じても、もう葉子の心は揺るがなくなった。でも『桐生秀星』としてはそうではない――らしい。葉子は改めて、そう知ってしまった。私の心はまだ『秀星』を感じると、心が泣きたくなるのだ――と。
「十和田さん――」
篠田給仕長の目線が途端に鋭くなり、葉子へと向いていることに気がつく。
葉子の心がセルヴーズとしての心構えを崩して、『ハコ』になっていることを見抜かれている。
「失礼いたしました。給仕長、こちらのお土産をいただいてもよろしいですか」
「甲斐様、ありがとうございます。オーナーの十和田にも伝えておきます。いただきますね」
カウンターから出てきた蒼が、静かに葉子のそばにやってきて、葉子が受け取った土産袋を彼が手に取った。
「懐かしいですね。二階堂、大分焼酎。いつも甲斐さんが帰省した時のお土産でしたもんね」
「だろ。北海道のいまの季節だと、なにを合わせて飲めばいいかねえ」
「函館が近いので、断然、スルメイカの刺身がオススメですね。漁が解禁されたばかりの積丹産のウニも是非、苫小牧のホッキ貝もいまが旬です。フルーツならまだサクランボが出回っておりますので、北海道のサクランボの新鮮さを味わうのもオススメです」
「うむ、スルメイカにウニにホッキ貝、どれも逃せないね。サクランボか、余市か、仁木町かね。すっかり北国の住人じゃないか篠田」
「いえ、フレンチに携わっていればおのずと。地元の食材でというのが、こちらシェフのこだわりでもありますから」
「秀星が選んだ店だけありそうだな。楽しませてもらおう」
やっぱり知り合い! いったいどのようなご関係? 葉子が目を丸くしていると、やっと蒼が致し方ないような笑みを見せて教えてくれる。
「ちょっとだけ、仕事を解除いたしますね。甲斐さん」
「おお、いいぞ。許可しよう」
しかも、蒼よりなんだか偉そう――と葉子が感じたのも束の間、その正体が明かされる。
「秀星さんの前に、矢嶋シャンテでメートル・ドテルをされていた方だよ。もう引退をされてね。地元の大分に帰られたんだ。つまり、秀星さんのお師匠さん。そして俺の師匠の師匠みたいなお方だよ」
え!? 元メートル・ドテル!? 秀星さんのお師匠さん!?
葉子の背筋も一気に伸びた。驚きで息が止まったまま、白髪のご老人を見つめる。
「すっかり老いぼれですけれどね。ああ、会いたかった。ハコちゃんに」
突然やってきて、驚かせてすまなかった――と、元給仕長とやらの彼が、蒼にぺこっと頭を下げている。
わ、これはもしや……。葉子はドキドキしてきた。
いやいや、いけない。『お客様の第一印象などで決めつけてはいけない』と、秀星にきっちり仕込まれたので、葉子もいまはなにも思わずに、九州から来てくれたお客様という情報だけインプットしてとどめる。
秀星ならここで、ほんのりした微笑みだけ浮かべて、目は真摯にお客様に向けて謝辞を述べ、『明日であれば……。近辺にお住まいか、或いはご宿泊はどちらか』と、こちらの条件とあちらの条件の境目を探る。
蒼もおなじ。こちらは、謝辞を述べた後は、明るく爽やかな男前フェイスに整え、『明日で……』と言い出すはず――。
なのに蒼は、なんとか微笑みの顔に整えることができたようなのに、なにか考えあぐねている様子で黙っている。
その間にご老人から言い出してしまう。
「明日は私も来られないので、今夜しかないのですが」
さらに葉子はぎょっとして硬直してしまった。
こちら側の『いつもの逃げ道』を塞がれた。
しかも、蒼の様子がおかしい。笑顔が消えているのだ。こんな先手を取られる事なんて滅多にない。
もう、なにかを畏れるようにして硬直しているように見えた。葉子はハラハラ……。もしかして? 神戸のお店にいるときに、なにかあったお客様とここで再会? 決めつけちゃいけないけど、やっぱり、あれこれやりにくいことを要求してくるお客様??
さらにご老人は、肩にかけていたバッグから『エゴイスト』と表紙に書かれている書籍を取り出した。
「この方の作品を見て、ここに来ました」
その写真集を見ただけで蒼が再度背筋を伸ばして、ご老人へとやっといつもの微笑みを優雅に浮かべた。
「遠いところからのご来店、ありがとうございます。お一人様でよろしかったでしょうか」
「はい。一人です」
受けちゃった。いまは予約分しか受け入れていないのに、予約なしのお客様を受け入れちゃった。
葉子は内心唖然としていたが、少し姿勢を崩したように見えた蒼が、キリッと持ち直したので、葉子もいつもの仕事の姿勢へと正す。
「十和田さん、カウンターまでお願いいたします」
「はい。いらっしゃいませ、どうぞ、こちらでお荷物をお預かりいたします」
「あなたが、葉子さん。ハコさんですね」
ああ、視聴者さんの飛び込みかなと葉子は思ったが、いつもの笑顔で応える。
「はい。北星秀の写真集をお持ちくださって、ありがとうございます。動画配信では『ハコ』の、十和田葉子です」
「ありがとうね。秀星の写真をここまでにしてくれて」
え……。葉子は驚き、目を見開きながら、ご老人のお顔を見上げてしまった。
最後、本名を明かしていないのは、亡くなった秀星だけ。彼の名は『北星秀』としてしか知られていないのだから。どうしてこの方が?
秀星の関係者? だったら蒼にも関係者?
葉子が茫然とした隙に、お客様から蒼が控えるカウンターへと向かってしまった。
ペンを握った蒼が、お客様と向き合う。
「……北星の写真集をお持ちくださって、ありがとうございます。受付をさせてください。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「甲斐です。甲斐の国のカイです」
「ありがとうございます。ご連絡先も教えていただけますでしょうか」
「090……」
「北星の写真集をお持ちの方には、ドリンクのサービスがお一人様につき一杯つくことをご存じでしたでしょうか」
「いいえ。知らなかったのですが、私もそのサービスをいただけるのでしょうか」
「はい、せっかくですので、そちらのサービスも本日おつけいたしますね」
やっと蒼が笑顔を見せたので、葉子もホッとする。
でも――。どうして秀星の本名を知っていたのだろう。そちらが気になって気になって。
「十和田さん。『今夜のお席』にご案内をしてください」
『今夜のお席』とは、予約客なら前もって準備していたテーブルに案内するが、この飛び込みのお客様に関しては、『予約なし飛び込み用、予備席』へと案内をするという意味だった。どんな日も、なるべく一席分を残して用意をしているので、そのテーブルのことを言っているのだと葉子にも通じた。
「かしこまりました。甲斐様、お預かりのお荷物は、こちらのみでよろしかったでしょうか」
手に持っていた土産ものの袋のみを差し出されていたので、既に受け取っていた葉子は、他にはないかと確認をする。
「あなたたちへお土産です。秀星の霊前へ供えてやってくれませんか。会うときはいつも『二階堂』を持って行くと喜んでいたので――」
ほんとうに、この方はどなた?
視聴者がどんなに北星の写真についてあれこれ論じても、もう葉子の心は揺るがなくなった。でも『桐生秀星』としてはそうではない――らしい。葉子は改めて、そう知ってしまった。私の心はまだ『秀星』を感じると、心が泣きたくなるのだ――と。
「十和田さん――」
篠田給仕長の目線が途端に鋭くなり、葉子へと向いていることに気がつく。
葉子の心がセルヴーズとしての心構えを崩して、『ハコ』になっていることを見抜かれている。
「失礼いたしました。給仕長、こちらのお土産をいただいてもよろしいですか」
「甲斐様、ありがとうございます。オーナーの十和田にも伝えておきます。いただきますね」
カウンターから出てきた蒼が、静かに葉子のそばにやってきて、葉子が受け取った土産袋を彼が手に取った。
「懐かしいですね。二階堂、大分焼酎。いつも甲斐さんが帰省した時のお土産でしたもんね」
「だろ。北海道のいまの季節だと、なにを合わせて飲めばいいかねえ」
「函館が近いので、断然、スルメイカの刺身がオススメですね。漁が解禁されたばかりの積丹産のウニも是非、苫小牧のホッキ貝もいまが旬です。フルーツならまだサクランボが出回っておりますので、北海道のサクランボの新鮮さを味わうのもオススメです」
「うむ、スルメイカにウニにホッキ貝、どれも逃せないね。サクランボか、余市か、仁木町かね。すっかり北国の住人じゃないか篠田」
「いえ、フレンチに携わっていればおのずと。地元の食材でというのが、こちらシェフのこだわりでもありますから」
「秀星が選んだ店だけありそうだな。楽しませてもらおう」
やっぱり知り合い! いったいどのようなご関係? 葉子が目を丸くしていると、やっと蒼が致し方ないような笑みを見せて教えてくれる。
「ちょっとだけ、仕事を解除いたしますね。甲斐さん」
「おお、いいぞ。許可しよう」
しかも、蒼よりなんだか偉そう――と葉子が感じたのも束の間、その正体が明かされる。
「秀星さんの前に、矢嶋シャンテでメートル・ドテルをされていた方だよ。もう引退をされてね。地元の大分に帰られたんだ。つまり、秀星さんのお師匠さん。そして俺の師匠の師匠みたいなお方だよ」
え!? 元メートル・ドテル!? 秀星さんのお師匠さん!?
葉子の背筋も一気に伸びた。驚きで息が止まったまま、白髪のご老人を見つめる。
「すっかり老いぼれですけれどね。ああ、会いたかった。ハコちゃんに」
突然やってきて、驚かせてすまなかった――と、元給仕長とやらの彼が、蒼にぺこっと頭を下げている。
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