名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで〉

市來茉莉(茉莉恵)

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【後日談1】シェフズテーブルで祝福を

3.ギャップの男、ダラシーノ

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 今日の動画配信はレストレランから。閉店後にリアルタイムでのライブ配信をする。

「こんばんは。ハコです。最近、やっと声がかすれなくなりました。唄はまだ全力で唄わないようにと担当医に言われています。そこで今回は――」

 今日のカメラマンはハコ。葉子は持っているカメラをそこへと向ける。

「給仕長であるダラシーノさんの、クレープフランベをライブでお届けします」

 クレープシュゼットを提供する道具が揃っているワゴンがカメラの画面に映っている。
 すでに準備されている丸いクレープと、その横には銀のフライパンとガスコンロ。そしてまだ黒いジャケットの制服姿の蒼がそこにいる。

「こんばんは、皆様。給仕長のダラシーノです。今夜はフレンチレストランで、お客様の目の前でメートル・ドテルが提供する『クレープフランベ』をごらんくださいませ」

*ん!? ダラシーノ??
*え? すっごい素敵な声……だったんだけど?
*手が見えるけど、なんか、かっこよくない??

 顔は映さず、首元のボウタイ蝶ネクタイから下の制服姿を葉子が撮影しているだけなのに、視聴者にも蒼の『給仕長として放つ落ち着いた空気』が画面越しでもわかるようだった。

「まず材料ですが、こちらがカラメリゼを行うためのシュガー。まんべんなく振ることができる容器に入れています。シュガーシェイカーと呼んでいます。次にバター、当店ではオレンジジュースを使用しております。そしてコアントロー、コニャック……」

*ほんっとに、ダラシーノ!?
*マジで給仕長、メートル・ドテルだったんだ。
*いつもうるさいのに、仕事の時のダラシーノって!!!
*背も高いしスタイルいいじゃん!? 制服姿、かっこいい!?

 そんなコメントが側に置いているパソコンから見えてきて、葉子はカメラマンをじっと務めながらも、そのギャップに驚いている視聴者の声に笑いが込み上げてきて堪えるのに必死だった。

「それでは、始めます」

 そこからの洗練された美しい仕草に、綺麗な手業、鮮やかで手際の良い流れるような作業に、やっぱり視聴者の声も『すごい』、『かっこいい』、『でも、ほんっとにダラシーノ!?』という声が繰り返されていた。

 最後の仕上げ、コニャックで青い炎でフランベをする絶妙な技術に、『ダラシーノ、すごい』、『かっこいい』、『おいしそう!』というコメントが続々と流れていく。これを彼が見ていたら『でっしょーー! 俺ってば、本物のメートル・ドテルなんですよぅーーーーっ』と大声で叫んで、音声が割れて、また視聴者から文句がバシバシ入り込む展開になるところなのに。今日は落ち着いた給仕長のままで、やっと視聴者に『本物の給仕長』だと信じてもらえたようだった。

 金の縁模様がある白いプレートに、三角折りにしたクレープを三枚重ねて、季節のフルーツを添えて盛り付けも完了する。

「クレープシュゼットでございます」

*すごかった! 地味目にみえるデザートだけど、絶対においしいよね!
*目の前でどうやって作られてるか見ていることで、味覚が刺激されるんだね。食べてみたい!
*ダラシーノじゃないよな。本当は違う人??
*北星さんもやっていたってことだよね……。北星さんのも見てみたかったなあ……
*えー! すっごいイケメンの香りが漂ってた! ダラシーノ、色気がある人なんだね!?

 そんなコメントが流れてくるのを、ひと息ついた蒼が、テーブルに置いているパソコンを見たときに気がついてしまう。

 そこからだった。葉子が構えているカメラのレンズの向こうで、蒼が盛り付けたプレートを手に取って、急にいつものきらきらっとした無邪気な笑顔になったのだ。
 うわ、やめて――と葉子が思った時には遅し。

「でっしょー!? 俺ってば、本物のメートル・ドテルだって、信じてもらえましたか!? これほんっとに皆様に食べていただきたいです!!! よーし、ハコちゃんに実食レポートしてもらいましょぉッー!!」

*うっるさ!! やっぱダラシーノじゃん!!
*さっきまですっごい惚れ惚れ、惚れそうになっていたのに。幻滅……。でもいつものダラシーノだった
*あーよかった。ニセモノかと思ったけど、やっぱダラシーノじゃん。なにそのギャップ!!
*なんか安心したというか……。え、仕事をしている時との落差……。ハコちゃん、いつもこんなのといるの……?

 あーあ、せっかく『給仕長かっこいい』で締めくくれそうだったのに。でも、葉子は微笑んでいた。

*いや、オンオフきっちりしているって証拠でしょ。仕事ができる男ぽいよ。なんかいつものダラシーノで安心した。それにかっこよかった!

 葉子とおなじ気持ちのコメントが見えた。
 そうなの。これが篠田給仕長でダラシーノ、私の蒼くん。こんな人だから、ほっとするの。それが伝わればいいなと思っている。

「では、カメラマンを交代で、ハコちゃんに実食……」

「おい。終わったのか。はやく片付けろよ」

 遠くから父の声が聞こえてきて、ライブ配信に入ってしまった。

*ハコパパ!?
*あのどっしり渋い重みのある声は、ハコパパに違いない!!

 今夜ここでのライブ撮影を許可してくれた父も、たまに配信に協力してくれるので視聴者に知れることになった。その声ももう皆の耳に覚えてもらっているのか、そんなコメントが並ぶ。

「ちょうどいい! ハコパパシェフ、試食してください!!」

『はあ? 俺? まだ終わってなかったのか。え、配信中??』と、父が戸惑う声も入ってしまっていた。

*そうだ。ハコちゃんより、プロのシェフに食べてもらえ!!
*ハコパパ、正当な評価をお願いします!!

 なんてコメントが見えたので、まだカメラを構えている葉子も『お願い』という仕草を父に送ってみる。
 父が黒髪をかきながら、照れくさそうして、こちらに向かってきてくれる。

「こんばんは。ハコパパです」

*わー、ハコパパだ!!
*いつもシェフの『本日のひと皿コーナー』楽しみにしています!
*私も『ちょっとした軽食ランチコーナー』のメニューも参考にしています!!
*ハコパパ、プロの視点からお願いします!!

 父にそのコメントは見えていないが、それでも真剣な目でそのひと皿を手に取った。
 ほんとうに真剣な怖い目だったので、葉子も気が引き締まる思いで背筋を伸ばして、父のコックコート姿を顔を避けて撮影する。

「シェフ、お願いします」

 フルシェットフォークを手にした父が、クレープをひとくち分取り頬張る。

 顔を映してはいないが、蒼も珍しく緊張した顔をしている。
 父もカメラ慣れしてきたようで、最近はいつものありのままの姿で堂々としている。だからって、動画配信がどういうものかも心得てくれていて、本名をうっかり口にするということもなく、そこも瞬時に気遣ってくれて、こうしていきなりの出演も気にならないようで協力してくれている。

「うん。さすが。給仕長だな。北星には負けるか」
「ええっ!? なんっすかそれ!!!」
「うーん。ほんのちょっとの香りとコクかな」
「ええーー! うっそーん、うそだって言ってシェフっ。だってこれ先輩に合格をもらえたやり方なんですよっ!」
「だから、さすがだって。でも、ほんのちょっとな、ちょっとな。ほんとうにちょっとの差な」
「うわーん、給仕長のキャリアを積んでも、まだまだ修行中ってことですね。わかりました!! 調子にのってました、反省っ」

*さすがシェフ。プロの給仕長でも容赦ないな
*やっぱり北星さん、優秀なメートル・ドテルだったんだね
*でも『さすが』と言ってもらってるじゃん。北星さんがすごいだけだよ。ダラシーノ、かっこよかったよ
*ダラシーノ、もうダラシーノにすっかり戻ってる。
*あとでもう一度閲覧して、かっこいい給仕長モードも見直しておこう……

 今回も大盛況でライブが終了。さて片付けという段階になって、葉子は蒼に伝えてみる。

「蒼君。広島のご家族が来られた時、私がクレープフランベをしたいんだけど、どうかな」

 一緒にワゴンを片付ける蒼が少し驚いた顔を見せた。でもすぐに笑顔になる。

「いいんじゃない。仕事で迎えるゲストではないから、葉子ちゃんの気持ちが伝わるものであれば、うちの親も姉ちゃんも喜んでくれると思う」
「……でね。憧れているやり方があって」
「ん? 憧れている?」

 葉子はちょっと自信なさげに、でも、この時だからと告げる。

「オレンジの皮を螺旋に剥いて、上からリキュールをつたわせてフランベするの……やりたいの……」

 さすがに蒼がぎょっとした顔をした。

「葉子ちゃん……、カッティングは……あんまり……」
「そうなんだけど」

 料理もするしできるが、意識高い系の独り暮らしをしてきた蒼には敵わず、さらに『プロの包丁捌き』はまだ勉強中だった。
 いわゆる、バーテンダーもメートル・ドテルも身につける『カッティング』の技術。フルーツカットにデクパージュに必要な技術だった。

 でも蒼はすぐに笑顔になった。

「いいこと思いついちゃったー」

『うふふ』と怪しい笑顔を浮かべている??
 え、なにをするつもり?? 葉子は逆に不安になってきた。
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