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【2】名もなき朝の写真《北星秀、最期の撮影》
3.Good-bye My Loneliness
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案の定、彼女『葉子』は初日から浮かぬ暗い顔をしている。
こんな田舎に仕方なく帰ってきたんだ、父が言うからひとまずここで働くだけなんだという顔。
初対面の日、秀星は、やる気のなさそうな彼女を初めて呼ぶ。
「えー、シェフのお嬢様ですね。ハコさんですか」
彼女がぎょっとした顔になった。
普通『ようこ』と読めるだろという顔だった。
「葉っぱの子で、ヨウコです」
「あ、そうだよね、そう読むよね。申し訳ない」
彼女が秀星の目を見た最初の時だった。
こっちの世界に踏み込ませ、ここで一緒に働く男がいることをわからせた瞬間。
履歴書も綺麗な字できちんと書かれている。
仕事も指示をしたことはきちんとできる。アルバイトでしっかり社会経験をしてきたこともわかる。
それでも、だった。
「十和田さん、ちょっといいかな」
なんとなくその時間をやりこなしている彼女を、閉店後の給仕長室へと呼んだのは、彼女が働き始めて二ヶ月経ったころだった。
十和田シェフにキャリアを認めてもらえ、『素晴らしい仕事だ。ここでも給仕長として接客全般をまかせるよ』と与えてくれた秀星専用の仕事部屋。そこに、葉子を呼びつける。
窓辺には白樺の木立がそばにあり、隙間の向こうには駒ヶ岳と大沼が見える。
「なんでしょうか……給仕長」
自覚があるのか。いつにない秀星の険しい視線に怯えている。
「とにかく姿勢が悪いです。立っている姿勢もそうだし、心構えもです」
彼女はなにも言わなかった。でも心では『やりたい仕事じゃない』と納得していないのは、秀星の眼から見ても明らかだった。
「いつかライブ会場のステージに立っておもいっきり唄いたいのでしょう。その時、お客様に向かってどう唄いたいのか、いまここで説明してください」
また彼女が眼を見開いて、秀星を見上げた。
もう二十も越えた大人だろうが、秀星から見ればまだまだ幼さが見え隠れしている女の子だった。
「……来てくださった、お客様に、喜んで帰っていただきたいです……」
その言い方で、彼女が既に秀星が言いたい核心を捉えていると確認する。もうそれが説明なしに見つけた答えなら、この子はこの先、きちんと生きていける子だと秀星も確信できる。でも、それには『生きていくためには心構えと術が必要だ』と心から欲せねばならない。彼女はまだその段階にきていない。
「わかっていただけましたか。ここは、これまで何十年と修行をしてきた貴女の、お父様の、大事なライブ会場です。貴女がステージで唄う時も、一人きりではできません。貴女を素敵に見せるためのスタッフが何人もいるはずなのです。いまここが『生きていくしかない場所と時間』だとしたら、いまの貴女はステージを支えるスタッフしかやれることはありません。プロになりたいなら『プロ』に敬意を払ってください。『プロ』の仕事に対価をくださるお客様にもです。それが出来ねば、貴女が思う『プロ』にはなれません。いますぐここを辞めてください」
「も、申しわけ、ありませんでした」
「ひとつの仕事を軽んじる者は、夢など叶えられませんよ」
「はい、承知いたしました……」
泣かせてしまった。
でも、父親である十和田シェフが同じことを言っても、彼女には響かなかったと秀星は思う。
後日、十和田シェフにも『任せてすまない』と頭を下げられてしまった。貴方の娘でなくとも同じことを言うと伝えた。
それから彼女の姿勢が変わった。立ち姿も、心構えも、笑顔も、よくなった。
「お写真、見せてください」
それからしばらくして、彼女が小さな仕事部屋に用事で訪れた時に、そう声をかけてくれた。
秀星のデスクには、いつもカメラが置いてある。出勤するとき、必ず持ってきている。
彼女も、秀星が写真を撮り続けていることを、もう知っていた。
父親から幾分か、秀星のいままでのことや、生き方を聞いたのだろう。
「いいよ」
デスクの引き出しにしまっている現像済みの写真ファイルの冊子を彼女に手渡す。
デスクのそばに、小さな椅子をおいてあげると、彼女が向き合うようにそこに座った。
そこには神戸のルミナリエがあった。
「これが、神戸の。綺麗、素敵……」
そう言われると嬉しい秀星だったが、ルミナリエは秀星の中では追悼を意味する哀しげな輝きなのだ。
若い彼女にはただ綺麗に美しく見えるだけで充分……。
写真を撮ることに関してはエゴを押し通してきた。でも写真の意味を人に押しつけようとは思ってない。
写真で我が儘を押し通す分、仕事は使命を持って果たしてきた。『社会に貢献する、人のためになることをする』。仕事はそうして対価を得るからだ。写真は我が儘にやってきたい。そのためにもやはり仕事は必要だった。
写真はエゴ。だから対価が生まれないのだろう。
それでも秀星はこれを貫いていく。これからも。
若い彼女には、わからないだろう――。
それに彼女には、こんなふうになって欲しくないと秀星は思ってしまった。
それでも、きっと。彼女が思い描く夢は、誰もが掴めるものではないのだ。いつか彼女もその現実を目の当たりにして、飲み込みながら生きていく日がやってくる。
若くてまだ諦めがつかないころの、自分の生き方をかみ砕けるようになるまでの苦悩。『エゴ』で生きていくことになる、いつか……。
その時に、夢だけじゃない『生き方』は持っていてほしいと思う。
秀星にはそれが『ギャルソン』であって、その結果が『メートル・ドテル』だった。
一冊見終わった彼女が、秀星に冊子を返しながら呟いた。
「ずっと写真をしてきたんですか」
「うん。辞めようと思ったことはないな。いまでも諦めていないよ」
「……どうしてですか」
「撮っているときが、楽しいから。あるいは、心が満たされるから。ハコちゃんもそうでしょう。唄っている時がいちばん楽しいでしょ。それと一緒」
「プロを目指しているんですか」
「まあ、そうなるには歳を取りすぎたかな。でもチャレンジはしているんだ。コンテストとかね。あ、それから、北海道に来てからこれを始めてみたんだ」
デスクの上にあるスマートフォンの画面を開き、彼女にそのアプリを見せた。
SNSのアカウント、そこに投稿した写真が並んでいた。
しかしフォロワーは一桁、フォローも二桁。投稿している写真には、いいねがひとつ、ふたつついているだけ。
だからなのか、葉子が固まっている。また反応に困っているようだった。
「少ない『いいね』のうちの、ひとつは、まえのレストランで一緒に働いていた後輩なんだ」
メートル・ドテルを引き継いだ後輩『篠田』がしてくれる『いいね』と、たまに残してくれるコメントを葉子に見せた。
『くっそー。めっちゃ良い景色!! 先輩もさぞや満足でしょうね~。ばっかやろーー』
相変わらずの『バカ』発言に葉子が面食らっていたが、その下にある秀星のリプライ返信を見て笑った。
@僕、いま、しあわせですからー。メシもうまい!!
@あーそうですか。お好きなだけお写真をどうぞ! いいね、しまくってやりますよ♥( • ̀ω•́ )b ✧ 今度、蟹、くださーい
@やだ😌
@(*`Д´*)💢 いままでのいいね♥没収する
@😌いいよ
@😡😡😡
たったひとりの、確実な閲覧者は彼だけだった。
大人の男同士のやりとりに、彼女がずっとくすくすと笑っている。
「楽しそうですね」
「楽しいよ。彼はいいヤツなんだ。なんでも男前、男らしくてね。これも彼の優しさ」
そこで葉子が急に神妙な顔つきになって、眼を伏せて秀星に問う。
「プロは諦めてないんですね」
「……『写真家』を諦めていない、だよ」
若い彼女と噛み合わない違和感が、静かな空気の中で軋んだ。
しかたがないことだと、秀星は多くは返さない。彼女も怖がるように聞いてこない。
その後からだった。葉子、『ハコ』が朝早くランニングを始め、湖畔で発声練習を始めた。秀星が毎朝写真を撮っている湖畔のそばだった。
東屋のある畔で、空へと音符が飛んでいくようなイメージが浮かぶほどの、金管楽器のような声だったのだ。
「ハコちゃん、凄いね。そんな声が出るんだ!」
カメラを担いで東屋で彼女を見つけた秀星が声をかけると、彼女が気恥ずかしそうにうつむいた。
あれ。歌手になりたいんだろ? そんな恥ずかしがるなんて。人前で唄いたいと願っている人間に見えなかったのだ。
なんとなく。彼女がオーディションに受からなかったことがわかったような気がした。もっとハングリーなライバルにだいぶ押しのけられてきたことだろう。
なにかを唄ってくれと頼んでも、彼女は唄ってくれなかった。
でも。毎朝、撮影を終えて散策道を辿って東屋に着くと、彼女が今日の写真を見せて欲しいというので、秀星も嬉しくなってほいほいと見せるのが楽しみになってしまった。
「秀星さんは、なんの曲が好きなの?」
初めて彼女に聞かれる。
「ZARDの『Good-bye My Loneliness』」
まだ若く恋人もいたころの思い出の曲だった。
女性とは長続きせず、やはり写真のために結婚をしたいという気持ちには至らない男として独身を続けてきた。
そのために別れてきた恋の思い出。
この楽曲は、そういうほろ苦く甘いせつなさを覚える。
なぜ、この曲をすぐに答えたのか。
秀星はこの時、初めて自分の気持ちがいままでと違うなにかを持ったことに気がついた。
答えた数日後の朝だった。
その唄を知らなかったので、聴いて覚えてきたと葉子が微笑んだ。
「秀星さんのために、唄うね」
最初で最後。『ハコ』が秀星に唄ってくれた、たった一曲になる。
その歌詞に、『僕の気持ち』が見え隠れしていると知った。
――僕は、この楽曲と、君の唄を、いちばん大事な場所にしまうと決めたよ。ハコは知らない。
こんな田舎に仕方なく帰ってきたんだ、父が言うからひとまずここで働くだけなんだという顔。
初対面の日、秀星は、やる気のなさそうな彼女を初めて呼ぶ。
「えー、シェフのお嬢様ですね。ハコさんですか」
彼女がぎょっとした顔になった。
普通『ようこ』と読めるだろという顔だった。
「葉っぱの子で、ヨウコです」
「あ、そうだよね、そう読むよね。申し訳ない」
彼女が秀星の目を見た最初の時だった。
こっちの世界に踏み込ませ、ここで一緒に働く男がいることをわからせた瞬間。
履歴書も綺麗な字できちんと書かれている。
仕事も指示をしたことはきちんとできる。アルバイトでしっかり社会経験をしてきたこともわかる。
それでも、だった。
「十和田さん、ちょっといいかな」
なんとなくその時間をやりこなしている彼女を、閉店後の給仕長室へと呼んだのは、彼女が働き始めて二ヶ月経ったころだった。
十和田シェフにキャリアを認めてもらえ、『素晴らしい仕事だ。ここでも給仕長として接客全般をまかせるよ』と与えてくれた秀星専用の仕事部屋。そこに、葉子を呼びつける。
窓辺には白樺の木立がそばにあり、隙間の向こうには駒ヶ岳と大沼が見える。
「なんでしょうか……給仕長」
自覚があるのか。いつにない秀星の険しい視線に怯えている。
「とにかく姿勢が悪いです。立っている姿勢もそうだし、心構えもです」
彼女はなにも言わなかった。でも心では『やりたい仕事じゃない』と納得していないのは、秀星の眼から見ても明らかだった。
「いつかライブ会場のステージに立っておもいっきり唄いたいのでしょう。その時、お客様に向かってどう唄いたいのか、いまここで説明してください」
また彼女が眼を見開いて、秀星を見上げた。
もう二十も越えた大人だろうが、秀星から見ればまだまだ幼さが見え隠れしている女の子だった。
「……来てくださった、お客様に、喜んで帰っていただきたいです……」
その言い方で、彼女が既に秀星が言いたい核心を捉えていると確認する。もうそれが説明なしに見つけた答えなら、この子はこの先、きちんと生きていける子だと秀星も確信できる。でも、それには『生きていくためには心構えと術が必要だ』と心から欲せねばならない。彼女はまだその段階にきていない。
「わかっていただけましたか。ここは、これまで何十年と修行をしてきた貴女の、お父様の、大事なライブ会場です。貴女がステージで唄う時も、一人きりではできません。貴女を素敵に見せるためのスタッフが何人もいるはずなのです。いまここが『生きていくしかない場所と時間』だとしたら、いまの貴女はステージを支えるスタッフしかやれることはありません。プロになりたいなら『プロ』に敬意を払ってください。『プロ』の仕事に対価をくださるお客様にもです。それが出来ねば、貴女が思う『プロ』にはなれません。いますぐここを辞めてください」
「も、申しわけ、ありませんでした」
「ひとつの仕事を軽んじる者は、夢など叶えられませんよ」
「はい、承知いたしました……」
泣かせてしまった。
でも、父親である十和田シェフが同じことを言っても、彼女には響かなかったと秀星は思う。
後日、十和田シェフにも『任せてすまない』と頭を下げられてしまった。貴方の娘でなくとも同じことを言うと伝えた。
それから彼女の姿勢が変わった。立ち姿も、心構えも、笑顔も、よくなった。
「お写真、見せてください」
それからしばらくして、彼女が小さな仕事部屋に用事で訪れた時に、そう声をかけてくれた。
秀星のデスクには、いつもカメラが置いてある。出勤するとき、必ず持ってきている。
彼女も、秀星が写真を撮り続けていることを、もう知っていた。
父親から幾分か、秀星のいままでのことや、生き方を聞いたのだろう。
「いいよ」
デスクの引き出しにしまっている現像済みの写真ファイルの冊子を彼女に手渡す。
デスクのそばに、小さな椅子をおいてあげると、彼女が向き合うようにそこに座った。
そこには神戸のルミナリエがあった。
「これが、神戸の。綺麗、素敵……」
そう言われると嬉しい秀星だったが、ルミナリエは秀星の中では追悼を意味する哀しげな輝きなのだ。
若い彼女にはただ綺麗に美しく見えるだけで充分……。
写真を撮ることに関してはエゴを押し通してきた。でも写真の意味を人に押しつけようとは思ってない。
写真で我が儘を押し通す分、仕事は使命を持って果たしてきた。『社会に貢献する、人のためになることをする』。仕事はそうして対価を得るからだ。写真は我が儘にやってきたい。そのためにもやはり仕事は必要だった。
写真はエゴ。だから対価が生まれないのだろう。
それでも秀星はこれを貫いていく。これからも。
若い彼女には、わからないだろう――。
それに彼女には、こんなふうになって欲しくないと秀星は思ってしまった。
それでも、きっと。彼女が思い描く夢は、誰もが掴めるものではないのだ。いつか彼女もその現実を目の当たりにして、飲み込みながら生きていく日がやってくる。
若くてまだ諦めがつかないころの、自分の生き方をかみ砕けるようになるまでの苦悩。『エゴ』で生きていくことになる、いつか……。
その時に、夢だけじゃない『生き方』は持っていてほしいと思う。
秀星にはそれが『ギャルソン』であって、その結果が『メートル・ドテル』だった。
一冊見終わった彼女が、秀星に冊子を返しながら呟いた。
「ずっと写真をしてきたんですか」
「うん。辞めようと思ったことはないな。いまでも諦めていないよ」
「……どうしてですか」
「撮っているときが、楽しいから。あるいは、心が満たされるから。ハコちゃんもそうでしょう。唄っている時がいちばん楽しいでしょ。それと一緒」
「プロを目指しているんですか」
「まあ、そうなるには歳を取りすぎたかな。でもチャレンジはしているんだ。コンテストとかね。あ、それから、北海道に来てからこれを始めてみたんだ」
デスクの上にあるスマートフォンの画面を開き、彼女にそのアプリを見せた。
SNSのアカウント、そこに投稿した写真が並んでいた。
しかしフォロワーは一桁、フォローも二桁。投稿している写真には、いいねがひとつ、ふたつついているだけ。
だからなのか、葉子が固まっている。また反応に困っているようだった。
「少ない『いいね』のうちの、ひとつは、まえのレストランで一緒に働いていた後輩なんだ」
メートル・ドテルを引き継いだ後輩『篠田』がしてくれる『いいね』と、たまに残してくれるコメントを葉子に見せた。
『くっそー。めっちゃ良い景色!! 先輩もさぞや満足でしょうね~。ばっかやろーー』
相変わらずの『バカ』発言に葉子が面食らっていたが、その下にある秀星のリプライ返信を見て笑った。
@僕、いま、しあわせですからー。メシもうまい!!
@あーそうですか。お好きなだけお写真をどうぞ! いいね、しまくってやりますよ♥( • ̀ω•́ )b ✧ 今度、蟹、くださーい
@やだ😌
@(*`Д´*)💢 いままでのいいね♥没収する
@😌いいよ
@😡😡😡
たったひとりの、確実な閲覧者は彼だけだった。
大人の男同士のやりとりに、彼女がずっとくすくすと笑っている。
「楽しそうですね」
「楽しいよ。彼はいいヤツなんだ。なんでも男前、男らしくてね。これも彼の優しさ」
そこで葉子が急に神妙な顔つきになって、眼を伏せて秀星に問う。
「プロは諦めてないんですね」
「……『写真家』を諦めていない、だよ」
若い彼女と噛み合わない違和感が、静かな空気の中で軋んだ。
しかたがないことだと、秀星は多くは返さない。彼女も怖がるように聞いてこない。
その後からだった。葉子、『ハコ』が朝早くランニングを始め、湖畔で発声練習を始めた。秀星が毎朝写真を撮っている湖畔のそばだった。
東屋のある畔で、空へと音符が飛んでいくようなイメージが浮かぶほどの、金管楽器のような声だったのだ。
「ハコちゃん、凄いね。そんな声が出るんだ!」
カメラを担いで東屋で彼女を見つけた秀星が声をかけると、彼女が気恥ずかしそうにうつむいた。
あれ。歌手になりたいんだろ? そんな恥ずかしがるなんて。人前で唄いたいと願っている人間に見えなかったのだ。
なんとなく。彼女がオーディションに受からなかったことがわかったような気がした。もっとハングリーなライバルにだいぶ押しのけられてきたことだろう。
なにかを唄ってくれと頼んでも、彼女は唄ってくれなかった。
でも。毎朝、撮影を終えて散策道を辿って東屋に着くと、彼女が今日の写真を見せて欲しいというので、秀星も嬉しくなってほいほいと見せるのが楽しみになってしまった。
「秀星さんは、なんの曲が好きなの?」
初めて彼女に聞かれる。
「ZARDの『Good-bye My Loneliness』」
まだ若く恋人もいたころの思い出の曲だった。
女性とは長続きせず、やはり写真のために結婚をしたいという気持ちには至らない男として独身を続けてきた。
そのために別れてきた恋の思い出。
この楽曲は、そういうほろ苦く甘いせつなさを覚える。
なぜ、この曲をすぐに答えたのか。
秀星はこの時、初めて自分の気持ちがいままでと違うなにかを持ったことに気がついた。
答えた数日後の朝だった。
その唄を知らなかったので、聴いて覚えてきたと葉子が微笑んだ。
「秀星さんのために、唄うね」
最初で最後。『ハコ』が秀星に唄ってくれた、たった一曲になる。
その歌詞に、『僕の気持ち』が見え隠れしていると知った。
――僕は、この楽曲と、君の唄を、いちばん大事な場所にしまうと決めたよ。ハコは知らない。
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