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【12】 カムイノミ 空に矢を放ち神の国へ帰そう

⑤ 矢を放ち神の国へ

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 小雪がちらつく中。優大と準備したお供えと、舞が作った見送りの弓矢と花矢をそれぞれで持って、加藤の息子さんがイナウを持って、一緒に森に入ってくれた。

「おまえも、アイヌの血が流れているんだからね。見ておきなさいよ」

 アイヌの着物姿の父親を見て、息子さんは少し当惑している様子だった。息子さんは舞の父親ぐらいの年齢だろうか。

「父さん、どうしてこの森の中なんだ。スミレカフェさんの庭ですればいいじゃないか」
「それはお見送りする生物自体がそこにあれば、そこでするよ。そうじゃないんだ、今回は。夢のお告げで、この谷が、カムイノミをしてもらえずに彷徨っているカムイの肉体が朽ちた場所だと、教えてもらったんだよ」
「父さんの夢だろ」

 息子さんは、非現実的だ、若い子を巻き込んで、雪が残っている足場の悪い森の奥へ入り込んで、尚且つ小雪がちらつく冷え込む日に、バカバカしいとでも言いたそうだった。しかしそれは年老いた父を心配してのことだ。本当ならお爺さんをこんなふうに巻き込むつもりなどなかった舞は、不穏な父子の空気にハラハラしている。

「父さんの確信だよ。あそこで遭難した舞さんを救助する時も、まわりにカラスがたくさんいて居場所を教えてくれたとか。妹さんもだ。森からカラスが飛んできて、妹さんから引き離すように花泥棒の女を襲っていた動画を父さんも見て確信した。あれは、母さんがいつも言っていた『うちの庭から帰れないカムイ』のことだってね。イナウやヘペレアイまで準備していたんだ。おまえのお祖母さんの心残りを昇華させてやってもいいだろう」

 いつも柔らかな口調のお爺ちゃんなのに、そこは父親やらしく厳しい声になっていた。

「その肉体が朽ちた場所で行うんだよ。本当は、カムイと繋いでくれる『火のカムイ』も必要なんだけれど、森の中で火は使えないしね。正式ではない簡易で、僕たちだけの気持ちでしかやれないけれど」
「しかたないな、もう。確かに祖母ちゃんはアイヌとして暮らしていた。こんな供物を準備していたなら、祖母ちゃんの思いを叶えてやろう」

 やっと気持ちが揃った父息子のあとを、舞と優大も一安心をしてついていく。
 雪はちらついているが、木立の隙間から見える遠い丘の空は青く晴れていた。
 それでも北国の雪雲は気まぐれで、晴れていたそこもあっという間に曇天の色合いになり、風に乗って先ほどより大きな雪が降り始める。

「急ごう」

 ふわりと大粒の牡丹雪が舞い始めた時、舞が遭難した谷へと辿り着いた。もう青空は見えない。
 すっかり雪が覆う斜面になっている谷間へと見下ろし、少し前に自分が転がり落ちたところかと思うと、舞はゾッとして後ずさった。

「大丈夫か、舞。思い出して怖くなったか」
「落ちたときは暗かったからわからなかったけど、改めて見たら、こんな急斜面を落ちたんだと思って。大丈夫――。お爺ちゃん、お供えものはここに置いていい?」
「うん。母が言っていたオレンジティーも持ってきてくれたんだね」
「はい。優大君の焼き菓子も持ってきました」
「どれ。僕も持ってきた物をお供えしようかな」

 加藤のお爺ちゃんもお酒や果物を持ってきてくれ、共に斜面が見下ろせる道ばたに置いた。

 本来、アイヌの祈りの儀式の準備には、年代と性別で役割が異なっている。祭壇をこしらえ、火を準備し、ユーカラを唄い、踊り、数日かけて行うものだ。しかし、今回は舞とアイヌのお婆様の気持ちを乗せて行ってくれる。カムイ・ユーカラで読んだ『キムン・カムイ』を見つけたアイヌの守護神が急ごしらえの儀式をしたように。心を込めて――。

「舞ちゃん。お礼を込めて」
「はい」

 舞は目を瞑り、小さく囁く。


ありがとう。カラク様。美羽と私を救ってくれて。
いつのまにか示してくれた道しるべ、いつも舞ならわかりますね、よく考えて――と示してくれた標のおかげで、私はいま、とても『しあわせ』になろうとしています。
なにより。父ひとり娘ひとり、いつか私は一人きりになると恐れていたのだと思います。だから誰にも頼らずに生きていこうと、心を冷たくしていたんだと思います。
でもカラク様は、様々な人々や、この自然に溢れる様々なものに囲まれて生きている中で、私自身がどう向き合うべきか教えてくれました。
そして『しあわせ』は、自分がたくさんのことに真摯に向き合って、自分が導くものだと、カラク様は教えてくれました。
父と彼と、妹と。あのガーデンを守っていきます。
私に『しあわせ』をもたらしてくれた、カララク・カムイ様。
どうかどうか、元にいらしたカムイモシリィにお帰りになって、またいらしてください――。


 祈りの間も、雪がしんしんと降っている。きっと今夜は深く積もる。そんな雪だったが、舞は寒さも忘れて祈りを呟いている。

 隣の優大もだった。

舞を、美羽を、助けてくれて、ありがとうございました。
彼女を助けるために、俺の目の前に現れてくれたこと感謝いたします。
未熟だった俺の焼き菓子を気に入ってくださったことにも――。
心込めて焼きました。どうぞお持ち帰りいただき、ご賞味くださいませ。

 加藤のお爺ちゃんも、『母がお世話になりました』と息子さんと手を合わせ呟いていた。
 お祈りが終わり、加藤のお爺ちゃんと舞は目を合わせ頷き合う。

「それでは。お帰り頂こう」

 矢は力がある優大が撃つ。
 雪が無数に降りしきる空へと、優大が弓矢を構えた。

「カララクの神よ。出発の時が来ました。この青年が撃つ矢に乗って、神の国へお帰りください!」

 加藤のお爺ちゃんが谷間へと叫ぶ、その声が響いた。

「オホー、ホホホホーゥ……オホー」

 アイヌ独特の叫び声なのかお爺ちゃんが空高く声をあげてくれる。
 舞う雪の中、祈りながら何度も呟く。

「カラク様が帰れますように。カムイの国で豊かに過ごせますように。たくさんの富をアイヌの私たちにくださったカムイです。ですから、ですから……」

 この谷から丘から、カラク様を連れて行って!
 舞の心の叫びと共に、優大が空へと矢を放った。

 そんなに高くは飛ばず、すぐそこの谷間の中腹に落ちそうな、そんな勢いに見えたが、それでも帰れるのだろうか――と案じた瞬間。ゴウーッと谷間から風が吹き上がってきた! 谷間に積もっている雪が風に巻き上げられている地吹雪なのか、それとも向こうの曇天がここに辿り着いて吹き始めた吹雪なのかわからなかったが、舞と優大と加藤親子が儀式をしているそこが風と雪に渦巻かれる。

 でも舞は見た。その吹雪に乗って、優大が撃った矢が空高く昇っていくのを!

「カララク様! お元気で!」

《ずっと貴方たちの『しあわせ』を見守っていますからね!》


 そんな声が聞こえてきた気がする。
 矢が見えなくなると、あっという間に吹雪がやんでしまった。
 丘の向こうに見えていた晴れ間が谷の上空にも広がってくる。

「いまの風……、まさか……だよな」

 優大も、ただの突風とは思えなかったようだった。

「いやあ、一緒に来てよかった。あの矢が空高く昇っていくのを見たよ」
「これで祖母ちゃんも、満足してくれただろうね」

 加藤親子も空を仰いでいる。

 舞も空をずっと見上げている。
 舞い上がった雪が、晴れてきた青空にキラキラと輝いていた。
 まるで、カラク様の黒髪が虹色に光っていたような、そんな七色の輝きを煌めかせて。

「行っちゃった……」

 もう、いない。気が遠くなるほどの長い年月を経て、あの人はきっとカムイの国に帰れた。そう思える風と空と七色の雪。

「行っちゃった……、行っちゃった……」

 あの人の旅立ちなのに。やっぱり舞は泣いていた。もう会えないんだ。必要ないなんて言われたって、やっぱり寂しいに決まっている。

「また来る。それがカムイだ」

 泣き止むことができない舞を、優大が強く抱きしめてくれる。
 その胸を借りて、舞は思い切り泣いた。

 さよなら、カラク様――。

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