63 / 66
【12】 カムイノミ 空に矢を放ち神の国へ帰そう
⑤ 矢を放ち神の国へ
しおりを挟む小雪がちらつく中。優大と準備したお供えと、舞が作った見送りの弓矢と花矢をそれぞれで持って、加藤の息子さんがイナウを持って、一緒に森に入ってくれた。
「おまえも、アイヌの血が流れているんだからね。見ておきなさいよ」
アイヌの着物姿の父親を見て、息子さんは少し当惑している様子だった。息子さんは舞の父親ぐらいの年齢だろうか。
「父さん、どうしてこの森の中なんだ。スミレカフェさんの庭ですればいいじゃないか」
「それはお見送りする生物自体がそこにあれば、そこでするよ。そうじゃないんだ、今回は。夢のお告げで、この谷が、カムイノミをしてもらえずに彷徨っているカムイの肉体が朽ちた場所だと、教えてもらったんだよ」
「父さんの夢だろ」
息子さんは、非現実的だ、若い子を巻き込んで、雪が残っている足場の悪い森の奥へ入り込んで、尚且つ小雪がちらつく冷え込む日に、バカバカしいとでも言いたそうだった。しかしそれは年老いた父を心配してのことだ。本当ならお爺さんをこんなふうに巻き込むつもりなどなかった舞は、不穏な父子の空気にハラハラしている。
「父さんの確信だよ。あそこで遭難した舞さんを救助する時も、まわりにカラスがたくさんいて居場所を教えてくれたとか。妹さんもだ。森からカラスが飛んできて、妹さんから引き離すように花泥棒の女を襲っていた動画を父さんも見て確信した。あれは、母さんがいつも言っていた『うちの庭から帰れないカムイ』のことだってね。イナウやヘペレアイまで準備していたんだ。おまえのお祖母さんの心残りを昇華させてやってもいいだろう」
いつも柔らかな口調のお爺ちゃんなのに、そこは父親やらしく厳しい声になっていた。
「その肉体が朽ちた場所で行うんだよ。本当は、カムイと繋いでくれる『火のカムイ』も必要なんだけれど、森の中で火は使えないしね。正式ではない簡易で、僕たちだけの気持ちでしかやれないけれど」
「しかたないな、もう。確かに祖母ちゃんはアイヌとして暮らしていた。こんな供物を準備していたなら、祖母ちゃんの思いを叶えてやろう」
やっと気持ちが揃った父息子のあとを、舞と優大も一安心をしてついていく。
雪はちらついているが、木立の隙間から見える遠い丘の空は青く晴れていた。
それでも北国の雪雲は気まぐれで、晴れていたそこもあっという間に曇天の色合いになり、風に乗って先ほどより大きな雪が降り始める。
「急ごう」
ふわりと大粒の牡丹雪が舞い始めた時、舞が遭難した谷へと辿り着いた。もう青空は見えない。
すっかり雪が覆う斜面になっている谷間へと見下ろし、少し前に自分が転がり落ちたところかと思うと、舞はゾッとして後ずさった。
「大丈夫か、舞。思い出して怖くなったか」
「落ちたときは暗かったからわからなかったけど、改めて見たら、こんな急斜面を落ちたんだと思って。大丈夫――。お爺ちゃん、お供えものはここに置いていい?」
「うん。母が言っていたオレンジティーも持ってきてくれたんだね」
「はい。優大君の焼き菓子も持ってきました」
「どれ。僕も持ってきた物をお供えしようかな」
加藤のお爺ちゃんもお酒や果物を持ってきてくれ、共に斜面が見下ろせる道ばたに置いた。
本来、アイヌの祈りの儀式の準備には、年代と性別で役割が異なっている。祭壇をこしらえ、火を準備し、ユーカラを唄い、踊り、数日かけて行うものだ。しかし、今回は舞とアイヌのお婆様の気持ちを乗せて行ってくれる。カムイ・ユーカラで読んだ『キムン・カムイ』を見つけたアイヌの守護神が急ごしらえの儀式をしたように。心を込めて――。
「舞ちゃん。お礼を込めて」
「はい」
舞は目を瞑り、小さく囁く。
ありがとう。カラク様。美羽と私を救ってくれて。
いつのまにか示してくれた道しるべ、いつも舞ならわかりますね、よく考えて――と示してくれた標のおかげで、私はいま、とても『しあわせ』になろうとしています。
なにより。父ひとり娘ひとり、いつか私は一人きりになると恐れていたのだと思います。だから誰にも頼らずに生きていこうと、心を冷たくしていたんだと思います。
でもカラク様は、様々な人々や、この自然に溢れる様々なものに囲まれて生きている中で、私自身がどう向き合うべきか教えてくれました。
そして『しあわせ』は、自分がたくさんのことに真摯に向き合って、自分が導くものだと、カラク様は教えてくれました。
父と彼と、妹と。あのガーデンを守っていきます。
私に『しあわせ』をもたらしてくれた、カララク・カムイ様。
どうかどうか、元にいらしたカムイモシリィにお帰りになって、またいらしてください――。
祈りの間も、雪がしんしんと降っている。きっと今夜は深く積もる。そんな雪だったが、舞は寒さも忘れて祈りを呟いている。
隣の優大もだった。
舞を、美羽を、助けてくれて、ありがとうございました。
彼女を助けるために、俺の目の前に現れてくれたこと感謝いたします。
未熟だった俺の焼き菓子を気に入ってくださったことにも――。
心込めて焼きました。どうぞお持ち帰りいただき、ご賞味くださいませ。
加藤のお爺ちゃんも、『母がお世話になりました』と息子さんと手を合わせ呟いていた。
お祈りが終わり、加藤のお爺ちゃんと舞は目を合わせ頷き合う。
「それでは。お帰り頂こう」
矢は力がある優大が撃つ。
雪が無数に降りしきる空へと、優大が弓矢を構えた。
「カララクの神よ。出発の時が来ました。この青年が撃つ矢に乗って、神の国へお帰りください!」
加藤のお爺ちゃんが谷間へと叫ぶ、その声が響いた。
「オホー、ホホホホーゥ……オホー」
アイヌ独特の叫び声なのかお爺ちゃんが空高く声をあげてくれる。
舞う雪の中、祈りながら何度も呟く。
「カラク様が帰れますように。カムイの国で豊かに過ごせますように。たくさんの富をアイヌの私たちにくださったカムイです。ですから、ですから……」
この谷から丘から、カラク様を連れて行って!
舞の心の叫びと共に、優大が空へと矢を放った。
そんなに高くは飛ばず、すぐそこの谷間の中腹に落ちそうな、そんな勢いに見えたが、それでも帰れるのだろうか――と案じた瞬間。ゴウーッと谷間から風が吹き上がってきた! 谷間に積もっている雪が風に巻き上げられている地吹雪なのか、それとも向こうの曇天がここに辿り着いて吹き始めた吹雪なのかわからなかったが、舞と優大と加藤親子が儀式をしているそこが風と雪に渦巻かれる。
でも舞は見た。その吹雪に乗って、優大が撃った矢が空高く昇っていくのを!
「カララク様! お元気で!」
《ずっと貴方たちの『しあわせ』を見守っていますからね!》
そんな声が聞こえてきた気がする。
矢が見えなくなると、あっという間に吹雪がやんでしまった。
丘の向こうに見えていた晴れ間が谷の上空にも広がってくる。
「いまの風……、まさか……だよな」
優大も、ただの突風とは思えなかったようだった。
「いやあ、一緒に来てよかった。あの矢が空高く昇っていくのを見たよ」
「これで祖母ちゃんも、満足してくれただろうね」
加藤親子も空を仰いでいる。
舞も空をずっと見上げている。
舞い上がった雪が、晴れてきた青空にキラキラと輝いていた。
まるで、カラク様の黒髪が虹色に光っていたような、そんな七色の輝きを煌めかせて。
「行っちゃった……」
もう、いない。気が遠くなるほどの長い年月を経て、あの人はきっとカムイの国に帰れた。そう思える風と空と七色の雪。
「行っちゃった……、行っちゃった……」
あの人の旅立ちなのに。やっぱり舞は泣いていた。もう会えないんだ。必要ないなんて言われたって、やっぱり寂しいに決まっている。
「また来る。それがカムイだ」
泣き止むことができない舞を、優大が強く抱きしめてくれる。
その胸を借りて、舞は思い切り泣いた。
さよなら、カラク様――。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました
卯月みか
キャラ文芸
両親を交通事故で亡くした月ヶ瀬美桜は、叔父と叔母に引き取られ、召使いのようにこき使われていた。ある日、お金を盗んだという濡れ衣を着せられ、従姉妹と言い争いになり、家を飛び出してしまう。
そんな美桜を救ったのは、幽世からやって来た龍神の翡翠だった。異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだという翡翠に、美桜はついて行く決心をする。
お菓子作りの腕を見込まれた美桜は、翡翠の元で生活をする代わりに、翡翠が営む万屋で、洋菓子店を開くことになるのだが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
【未完】妖狐さんは働きたくない!〜アヤカシ書店の怠惰な日常〜
愛早さくら
キャラ文芸
街角にある古びた書店……その奥で。妖狐の陽子は今日も布団に潜り込んでいた。曰く、
「私、元は狐よ?なんで勤労なんかしなきゃいけないの。働きたいやつだけ働けばいいのよ」
と。そんな彼女から布団を引っぺがすのはこの書店のバイト店員……天狗と人のハーフである玄夜だった。
「そんなこと言わずに仕事してください!」
「仕事って何よー」
「――……依頼です」
怠惰な店主のいる古びた書店。
時折ここには相談事が舞い込んでくる。
警察などでは解決できない、少し不可思議な相談事が。
普段は寝てばかりの怠惰な陽子が渋々でも『仕事』をする時。
そこには確かに救われる『何か』があった。
とある街の片隅に住まう、人ならざる者達が人やそれ以外所以の少し不思議を解決したりしなかったりする短編連作。
……になる予定です。
怠惰な妖狐と勤勉な天狗(と人とのハーフ)の騒がしかったりそうじゃなかったりする日常を、よろしれば少しだけ、覗いていってみませんか?
>>すごく中途半端ですけど、ちょっと続きを書くのがしんどくなってきたので2話まででいったん完結にさせて頂きました。未完です。
〜鎌倉あやかし奇譚〜 龍神様の許嫁にされてしまいました
五徳ゆう
キャラ文芸
「俺の嫁になれ。そうすれば、お前を災いから守ってやろう」
あやかしに追い詰められ、龍神である「レン」に契約を迫られて
絶体絶命のピンチに陥った高校生の藤村みなみ。
あやかしが見えてしまう体質のみなみの周りには
「訳アリ」のあやかしが集うことになってしまって……!?
江ノ島の老舗旅館「たつみ屋」を舞台に、
あやかしが見えてしまう女子高生と俺様系イケメン龍神との
ちょっとほっこりするハートフルストーリー。
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる