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【10】 ハマナスのお礼 お供えのお返しはしますよ

⑤ 店は休まない

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 その日の夕。庭仕事を終えて、納屋へと入る。昨日までは、舞の後をついてくる女の子がいたのに。いままで一人でも平気だったのに、そばに人がいるのに慣れてしまうと、こんなにも寂しいものなのだと、切なさに襲われていた。

 夕の茜が差し込んでいる納屋に入って、舞は驚き立ち止まる。

「確かに。受け取りましたからね」

 紅のハマナスを片手に微笑む、アイヌ民族姿のカラク様がいた。
 陽射しの中、古い木棚にもたれ、ハマナスの花のかおりを吸っている。

「毎日そこで花を受け取っていたのは、カラク様だったのですか」
「だから、あれは僕の友達です。彼は美羽ちゃんが気に入ったようですね。僕に花を届ける名目で、お花をくれる美羽ちゃんに会いに来ていたんですよ。まあ、僕も毎日良い香りの花をいただけるので甘えてしまいました」
「じゃあ、美羽が乗ったタクシーを見送ってくれたのも……」
「お友達の彼ですよ。僕も彼も、お供えをもらったら、そのぶんはきちんとお返ししますよ。彼は最後に美羽ちゃんを見送ることで、お友達だ、約束する、見守ると伝えたかったのでしょう」

 舞はカラク様に頭を下げる。

「ありがとうございました」

 自然を通じて自分自身となにかが繋がっていることを、美羽に残してくれたと思えたからだ。頭の固そうなあの父親も、幾分か『世には不思議なこともあり、自分中心にはまわっていない。自分の思い通りにはならない』ことを感じ取ってくれたに違いない。ハマナスのカラスを見た時の驚き顔は、まさにそれだったと舞は少しだけ胸が空く思いを得られていたからだ。

 それが花のお供えのお返しということらしい。

「やはり剛さん、倒れましたね」

 残念そうに笑む彼を見て、舞はうなだれる。

「以前からカラク様が気にしてくださっていたのに。注意も対策も甘すぎました」
「いいえ。僕も力及ばずです。それにいろいろなことが起きましたからね。ですが、舞――」

 時々放つ威厳でカラク様が舞を鋭い視線で射貫く。

「泣いている場合ではないですよ。わかっていますね」

 本当はいまにもぺちゃんこに押しつぶされそうな胸には迷いが渦巻き、美羽と父がいっぺんにそばからいなくなった寂しさを見抜かれていると思った。


 その夜だった。父も妹もいなくなった二階の住居は静かすぎる。北国でもこの時期は熱帯夜になることもあり、なかなか舞は寝付けなかった。

 窓辺に置いているビューロのデスクに座って、ずっと満天の星を見上げていた。
 かすかに虫の声が聞こえ、たまに夜鳥の声も響いた。花蜜の香がする夜風の中、ミントと緑茶をブレンドした冷たいハーブティーを飲んでいる。

『泣いている場合ではないですよ』

 カラク様の険しい声が耳の奥に張り付いて消えない。
 舞はデスクから立ち上がり、一階へ向かう。

 冷たい飲み物のおかわりをしにきたのもあるのだが、入ろうとしたダイニングルームの入り口で、優大とばったり出会った。彼はまだコックコート姿で、やってきた方向も、ベーカリー厨房から。それに彼の身体から、なにかを焼いた甘い匂いも漂っていた。

「まだ仕事していたの」
「三島先生とのコラボ企画の試作だよ。やれるかどうかわからないけれどな」

 優大には『店は休むと父が決めた』とは伝えている。優大もオーナーの決断だからなのか、何も言わなかった。

 そんな彼と舞はそこでしばらく、視線を合わせていた。

「優大君、話があるんだけど」
「俺もある」

 その時、初めて思ったのだ。『同じ事を思っている。彼とは通じている』のだと。それは優大もだ。確信した眼差しで、舞から視線を外さない。

 二人揃って、ダイニングテーブルへ向かう。いつもの隣り合わせの席に座って、口を揃えた。

「同じことを考えているよね」
「きっとそうだ。同じ事ことを考えている」

 そして息が合ったように一緒に口にする。
「お店、やろう」
「店、やろう」
「二人でなんとかしよう」
「おう。やってやる」

 この男とは通じている。気持ちも揃っている。心強い気持ちを得た舞は、矢継ぎ早に優大に提案する。

「お父さんが担当していたカフェメニューは中断して、優大君のパンやお持ち帰りのお品だけの販売にしよう。でも冬に留守番したときのように、来客数が少ないわけでもないシーズン真っ最中に、カフェに来たのに休めないのは問題だと思うの。そこで、店内をイートイン化したらどうかな。買ってくれたパンや焼き菓子はテーブル席で食べられるの。飲み物は、ペットボトル販売にしようよ」
「俺も同じ事を考えていた。でも飲み物だけどよ。オーナーが勤めていたエルム珈琲さんで、簡単に準備できるレンタル業務用品とかないのかなと思っているんだよ。俺も教わってはきたけれど、まだ合格はもらっていない。そんな俺でも簡単に準備が出来る業務用商品だよ」

 なるほどと舞も唸った。

「お父さんに聞いてみる。それから、もうひとつ。私から優大君にお願いがある」
「な、なんだよ」
「お願いします。スミレ・ガーデンカフェの店長になってくれませんか」

 椅子に座ったままでも、優大へと身体を向けて、舞は深く頭を下げていた。

「な、なんだよ。そんなことできねえよ。おまえがやれよ。オーナーの娘なんだから。俺はどんな状態でも、一緒にやっていくし、この店を辞めるつもりはないから、安心しろ」

 このように断られることも予測済みだったから、舞は顔を上げ、目の前にいる優大に詰め寄る。

「だったら、やって! 私は娘でも、ガーデン専門! 店の経営、食品管理、全て専門外。そこは食の専門家がするべきでしょう。押しつけているんじゃないよ。優大君だから、やってほしいと言っているの!」
「いや、それは……さすがに」
「自信ないんだ。お父さんがいないと、自信がないんだ」

 優大がカチンとした男の顔になった。

「そういう言い方やめろや! 俺はまだ相応しい者ではないと言っているんだよ」
「どこが? お父さんが留守の時の、代理の経験もしているじゃない。充分に相応しいじゃないの。私、オーナーの娘として、野立君を推薦します! あなたは店長だけど、私はオーナー代理。この家と庭と店の全てにおいて、私が責任を持つ。でも店を飲食店として守るのは、優大君に委ねたいと言っているの。店は絶対に休まない、閉めない、辞めない。なぜなら、ここがもう私にとっても終の棲家で、いつでも美羽が帰ってこられる家にしておきたいし、助けてくれたカラスたちの遊び場として庭も守っていきたいからよ」

 そして舞は大きく息を吸って、優大にぶつける。

「一緒にやって。一緒に守って! 私と――」

 優大が驚きたじろいでいたが、彼もふっとひと息ついて肩の力を抜いた。

「言われなくても。おまえと一緒にやっていくつもりだよ。これからだって」

 そう言ってくれたのは、舞がよく知る笑顔だったが、その後は至極真剣な顔つきになった。しかもそのまま視線を落として黙っている。その間がしばし続いた。

 でも舞は待っている。大人の男の顔で考えている彼のその気持ちを答えを待っている。

「わかった。オーナーが許可をしてくれたらやる」
「ありがとう! 私なんかより、このカフェは優大君じゃないと経営できないよ。そのかわり、私はガーデンの花を守る。この家のなにもかもを守るから」

 ほっとして、舞も前のめりにしていた身体をすっと椅子へと引いた。そうしたら、正面にいる優大の大きな手が、舞の手を握ってきた。

「おまえ、なんもわかってねえな」
「わかっていないって?」
「おまえが一緒にやってくれというなら、一生、おまえとやっていく気持ちなんて、俺はずっと前から、そのつもりだってこと。そのためなら、俺、誰とも結婚しねえとすら思っているからよ」

 いつもパンをこねている綺麗な手が、舞の手を強く強く握ってくれている。
 結婚しない? この店のために?
 妙な狂おしさが、舞の胸の中を熱くしていく。

「結婚は、自由じゃないかな。そこまでお店のために犠牲にしなくても、好きな人ができれば、その人とすればいい、じゃない」
「……は、おまえらしくって……。だったら、自由にさせてもらうわ」

 諦め加減の笑みを見せた優大から立ち上がって、さっとダイニングルームを出て行ってしまった。

「だって。結婚なんて言葉、ここで使う? 関係ないよね?」

 熱くなっているのは胸だけではなく、頬も、そして握られた手も。舞は慌てて冷蔵庫から、おかわりのミント緑茶ティーをグラスに注いだ。
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