上 下
35 / 66
【6】 スミレ・ガーデン シーズンオフ 父の様子がおかしい

⑤ 父が東京へ行った理由

しおりを挟む

 その提案をする日が来る。三が日が終わり、スミレ・ガーデンカフェも通常営業に戻った仕事始め。その日の夕のミーティングも住居キッチンのダイニングテーブルで行われる。その時に優大と話し合ったことを、舞から提案してみた。

 父がどう思うかは娘の舞でも未知数で、どう反応するのかドキドキしている。
 今日は削ったチョコレートをミルクで溶かしたホットチョコレートが、父が作ってくれたドリンクだった。父がマグカップを手にして、チョコレートの香りを確かめながら呟いた。

「うん。いいよ。そうしよう」

 いつもの穏やかな父の反応だったので、舞も優大もホッとした。

「だったら。オーナーであって、お父さんでもある私からも、君たちにお願いしたいことがあるんだ」

 父からお願いとはなんだろうかと、ふたりで顔を見合わせた。

「十日ほど、出張をしたいんだけれどいいかな」
「出張? え、会社勤めじゃないのに?」

 舞から尋ねると、優大も不思議そうに頷いている。

「今年で三年目。経営を軌道に乗せるのに必死で、札幌にすら帰っていない。営業はベーカリーと卵などのテイクアウトや小物の販売のみにして、その間、オーナーひとりで、東京まで出向いてマーケティングリサーチをしたいんだ」

 なるほどと舞も納得した。ずっと羊と丘の町に閉じこもっていたが、飲食店のオーナーとして、何が売れ筋になるのか、今後のための飲食データのアップデートをしたいのだと理解した。実際に、父がエルム珈琲のメニュー開発に勤めていたときは、首都圏に出てマーケティングの出張には良く出向いていたから初めてのことではない。

「そうなんだ。うん。わかった。いいよね、優大君も」
「もちろんです。では、出張期間は俺が焼いたパンと焼き菓子のみの販売で、売り上げまとめはどうしたらいいですか」
「私のところまでメールで報告して。東京でオンラインでの帳簿をつけておくから。舞もいいかな。接客を手伝ってあげてくれ」

 二人揃って『わかりました』と了解する。

「優大君。悪いけれど、この家で舞が一人になる間の留守をお願いしたいんだ。セキュリティは入れているけれど、人が少ない土地柄だから、女性一人置いていくのが心配でね」
「大丈夫です。実家に帰らないで下の部屋でちゃんと番犬をしますから」

 自分から番犬と言い出したので、舞はもう少しで笑いそうになったが堪えた。
 というか。おかしくない? 独身の娘を男と二人きりに父親からさせているの、おかしくない? と舞は思い至る。

「うん、優大君だから頼んでいるんだよ。くれぐれもよろしく頼んだよ」
「任せてください」

 だが、父と優大の間では当たり前のようなやり取りになっている。

「えーっと。では私が帰ってきたときに、なにか変わったことがあったのなら報告するように。まあ、二人とも、もう三十路の大人なのだから、それぞれ責任を持ってできるよね」

 父が、いつにないほどにニヤリと意味深な笑みを見せた気がした。
 優大は気がついていない。いつも通り素直なまま『大丈夫です』と張り切っているだけなのに対し、娘の舞は『男と二人きり留守になってどうなろうとも、ちゃんと自分で責任を持ちなさい』と言われているような気にもなった。

 そして舞も父を送り出す気持ちにはなったのに。優大と十日もこの家で二人きりになることに胸がざわついていたのだ。意識しているのは自分だけなのだろうか。


 しかしそんな舞の杞憂も無駄に終わる。
 父が東京出張に出かけている間、優大は自分が店を任されたからと、きちんとパンと焼き菓子を生産し、店を開けて、接客をし、レジを締め、店締めもきちんとする。夜はいつも通り、二人で口悪い会話を交わしつつも笑い飛ばして、夕食を共にする。その後は、優大が一階で休み、舞も二階の自室で休む。時々、スマートフォンの会話アプリで『もう寝たのかよ』、『寝ていない。吹雪の風がうるさくて眠れない』、『なんか飲むか。ホットレモネード、柚子茶、ホットワイン、ホットミルク。作るぞ』、『柚子茶がいい』、『ダイニングに来いよ』。『できあがった。置いておく』という通知が来て、ダイニングに行くが、そこには優大の姿はないのだ。

 決して夜は舞と無闇に一緒に過ごさない。優大は徹底していた。そして舞は安心もしていた。父に託された責任を全うしているのだ。優大はそういう男だ。舞はますますそう確信をして、そんな彼を信じている。なにが大事か良くわかっている、舞を大事にしてくれる人間のひとりになっている。

 オーナー留守中のカフェ営業も、若い二人だけで無事に終えることができた。
 舞よりも優大がオーナー代理の責務を果たしていた。舞はただの娘であるかもしれないが、優大は正スタッフという責任を舞よりも重く感じていて、そして留守の営業をやり遂げたことで、さらなる自信をつけたようだった。




 だが、東京から帰ってきた父の様子が変わったことを察知したのは、娘の舞だった。
 夜のダイニングでうなだれて、じっとしている姿をよく見かけるようになった。たまに滅多にやらない『ひとり酒』をしていた。

 父のあんな思い詰めた顔を見たのは、いつぶりだろうか。伯母の借金問題の時は、舞は離れて暮らしていたので父の様子を知るよしもなかったが、そこから遡れば、やはり、あの人と別れたとき以来だと思い返す。そして舞は胸騒ぎがするのだ。あのときのように、父も自分も、どうしようもなく哀しく空しい思いをするなにかがおきるのではないかと。まさか。このお店、やっぱりダメなの? 続けられないの?

 どうしようか。舞は優大に相談をしようと思い至ったが、いま彼は資格を取る勉強中で、余計な心配をさせたくないと思ってしまった。

 舞がそうして迷っているうちに、父から持ちかけてきた。

「舞、今夜、話がある」

 外が真っ暗になった閉店間際に、レジ締めをしている父に言われる。

 優大との食事を終えた後、父がミルクティーを作ってくれ、それを挟んで父と娘で向き合う準備が整う。

「えっと、俺はお先に失礼いたします。部屋で休んでいますね」

 優大がなにかを察して、ダイニングキッチンを出て行った。父も止めなかった。

 ダイニングキッチンの側にある優大の部屋のドアが閉まった音が聞こえると、父はひと呼吸置いて、舞へと向かう。

「大事な話と相談だ。まず、舞には謝っておく。東京への出張はマーケティングを目的にしていたのも本当だが、もっと違う目的で出かけていた」

 違う目的? 娘の舞にも告げられない理由があって出向いたということだった。

「どうしたの。なにかあったの? このお店、危ないの?」

 父が首を振る。そして、側に控えていた封書を舞へ差し出した。

「結果が出るまでと思って黙っていた」

 舞はその封書に記されている差出人を確認する。鑑定研究所とある。
 その封筒の中身を見ようとしたところ、先に父が告げた。

「別れた彼女に子供が生まれていた。十四歳になっていた。別れてすぐの子だ。知らなかったんだ。彼女が一人で産んで育てていた、首都圏で。急に連絡があったから、こちらだってそんなことすぐに信じられない。だから鑑定をしたんだ」

 別れた彼女が誰なのか、聞かずとも舞にはわかる。あの日、ママとして憧れたあの人の綺麗な姿がいまでも鮮烈に蘇るほどに、遠いものではないから。そして父がうなだれながら告げたことに、舞の一切の動きが止まる。封書の中身を出そうとしたその指先も、瞬きも、思考も――。

「私の子だったよ。舞の妹だ」

 さらに衝撃に襲われる。もう封筒の中身を取り出そうと指が動くことはなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました

卯月みか
キャラ文芸
両親を交通事故で亡くした月ヶ瀬美桜は、叔父と叔母に引き取られ、召使いのようにこき使われていた。ある日、お金を盗んだという濡れ衣を着せられ、従姉妹と言い争いになり、家を飛び出してしまう。 そんな美桜を救ったのは、幽世からやって来た龍神の翡翠だった。異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだという翡翠に、美桜はついて行く決心をする。 お菓子作りの腕を見込まれた美桜は、翡翠の元で生活をする代わりに、翡翠が営む万屋で、洋菓子店を開くことになるのだが……。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【未完】妖狐さんは働きたくない!〜アヤカシ書店の怠惰な日常〜

愛早さくら
キャラ文芸
街角にある古びた書店……その奥で。妖狐の陽子は今日も布団に潜り込んでいた。曰く、 「私、元は狐よ?なんで勤労なんかしなきゃいけないの。働きたいやつだけ働けばいいのよ」 と。そんな彼女から布団を引っぺがすのはこの書店のバイト店員……天狗と人のハーフである玄夜だった。 「そんなこと言わずに仕事してください!」 「仕事って何よー」 「――……依頼です」 怠惰な店主のいる古びた書店。 時折ここには相談事が舞い込んでくる。 警察などでは解決できない、少し不可思議な相談事が。 普段は寝てばかりの怠惰な陽子が渋々でも『仕事』をする時。 そこには確かに救われる『何か』があった。 とある街の片隅に住まう、人ならざる者達が人やそれ以外所以の少し不思議を解決したりしなかったりする短編連作。 ……になる予定です。 怠惰な妖狐と勤勉な天狗(と人とのハーフ)の騒がしかったりそうじゃなかったりする日常を、よろしれば少しだけ、覗いていってみませんか? >>すごく中途半端ですけど、ちょっと続きを書くのがしんどくなってきたので2話まででいったん完結にさせて頂きました。未完です。

〜鎌倉あやかし奇譚〜 龍神様の許嫁にされてしまいました

五徳ゆう
キャラ文芸
「俺の嫁になれ。そうすれば、お前を災いから守ってやろう」 あやかしに追い詰められ、龍神である「レン」に契約を迫られて 絶体絶命のピンチに陥った高校生の藤村みなみ。 あやかしが見えてしまう体質のみなみの周りには 「訳アリ」のあやかしが集うことになってしまって……!? 江ノ島の老舗旅館「たつみ屋」を舞台に、 あやかしが見えてしまう女子高生と俺様系イケメン龍神との ちょっとほっこりするハートフルストーリー。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

処理中です...