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【3】 オラオラ系なパン職人 優大君 オレンジの連鎖が始まる
④ SNSに宣伝投稿しよう
しおりを挟む「ねえ、お父さん。いままで優大君に懇々と教えてきたセオリーみたいなの、崩しちゃうの」
「それは商売をする上で、商品を開発する上では大事なことだ。それはいまも譲らない。ただ、父さんが確信してきたセオリーは『企業』であったからだ。思うんだ。いまは個人経営だ。予算と経費の調整はもちろん大事だ。でも個人だから出来ることもあるんじゃないか。それを……、せっかく個人経営になったのに忘れていた気がする。それにいまは、客も少ない。予算度外視でも、数を絞ればいい。それに、一度試してみるのもいい。優大君もなにかを感じて、父さんの教えに反してチャレンジしたくなったのだろう。だったら、一度、結果がどう出るかも彼の経験になるだろう」
なるほど――と、舞も納得した。でも意外な展開に、舞は呆然としている。
「ドリンクの組み合わせは、もちろんお客様の自由だ。しかしセット価格でお得感をだして、この組み合わせをプッシュしてみよう。ああ、そうだ。舞、SNSにアップしたいから、おすすめの切り花を準備してほしい」
「わ、わかったよ……」
急に溌剌とした笑顔になった父が立ち上がる。
「ようし、恐れずやってみよう。どうせ、後先ないカフェ経営だ。思いっきりやろう」
カフェを開店すると生き生きと準備を始めた一年前の父に戻った気がした。
父が楽しそうに、ハンサムな笑顔をきらきらさせていると、本当に幸せそうだった。
それなら、いいの。舞は思う。これがお父さんの幸せなら、私、いまはここに一緒にいるよ――と。
「とてもとても美味しかったです。美味でした美味! 優大君はこんどはいつ、この菓子を持ってきてくれるのですか?」
カラク様もいたく気に入った様子で、今度はオレンジティーオレンジティーだけでなく、『オレンジティー&ガトーショコラ!』と、毎日欲しい欲しいと言い出すのではないかと、舞はふと思ってしまった。
姿は麗しい大人の男性なのに、もぐもぐと焼き菓子を頬張っている彼はどこか無邪気に見える。
またもや不思議だった。この謎の人がオレンジティーが欲しいと言い出さなければ、こんな展開にならなかったはずだから。
午後になって、優大が『改良品』を持って、実家ベーカリーからスミレ・ガーデンカフェにやってきた。
「ちわっすー。昨日言われたことを踏まえて、改良品を作ってきました」
野立ベーカリーと書かれているパン屋のコンテナに、焼き上げてきた改良ガトーショコラを持ってきた。
舞も父と一緒に待っていたが、その父が優大を迎えるなり笑顔で言う。
「優大君。昨日のガトーショコラ。もう一度、作ってくれないかな」
「はい?」
「あれと私のオレンジティーを合わせて、売り出してみよう。期間限定、十日間だ」
「え? あ、はい……、って、ええ!?」
父の側に控えている舞へと『どうなっているんだ?』と優大の視線が向かってきた。
「優大君も試したら。お父さんのオレンジティーと、優大君のオレンジ・ガトーショコラ。すんごく素敵な香りだったよ。ね、お父さん」
父はまだ『自分セオリー』を曲げる事態になったことを受け切れていないのか、『まあね』と気のない返事をしただけ。それよりも――と、優大が持ってきたコンテナへと目線を移した。
「どれどれ。改良品も試してみるかな。期間限定の贅沢商品でなくとも、定番商品になるかもしれないからね」
優大が持ってきた改良品は、舞の感想を考慮してくれたのか、ガトーショコラ風ではなく、ショコラの蒸しパンのように軽くなっていた。オレンジピールとクルミが入っていて、それはそれで、ほっとする食感。ちょっとつまめる気兼ねのないおやつ感覚の手軽さになっていた。
「うん。重厚さはなくなったが、これはこれでお持ち帰りや、お子様にも食べやすいな。今後の焼き菓子候補に残しておこう」
「はあ……」
優大もまだ、どうしてこうなったとばかりに呆然としたままだった。
「予算を組み直すから、使った材料の分量を十日分、もう一度計算し直して提出して」
「は、はい」
ずっとそんな調子だったので、舞はそっと笑っていた。
カラク様は幽霊なのだろうか。どこで亡くなった、いつ頃に生存していた男性なのだろうか。彼が運んできた『不思議な連鎖』が始まる。
それから十日ほど。リージャン・ロード クライマーのピンクの花がぽつぽつと咲き始める。
同時に、オレンジ・ガトーショコラセット販売の準備ができた。まずはSNS発信で売り出す前の告知から始める。今日はその告知用の『撮影をする』と、父がオーナーとして、二人しかいないスタッフ舞と優大に告げた。
優大はオレンジ・ガトーショコラをもってきて、父はオレンジピールをブレンドした紅茶の準備を、舞は庭からいまが最盛期の花を摘み取ってくる。
選んだのは、ディープピンクに中心に黒色が入るバイカラーのオリエンタルポピーと、やっと咲いたシャクヤクを。ころんとした八重咲きのシャクヤクは、コーラルチャーム。珊瑚色の愛らしい花。華やかなピンクとバランスを取るため、白と紫の小花を少し集めた。
カフェに持って行くと、父と優大はもう撮影のためのディスプレイを始めている。
「お父さん、持ってきたよ」
「お、いいね。色が華やかだ。こちらはダークなショコラ色だからな」
よくある白いケーキ皿に優大が作り出したオレンジ・ガトーショコラが置かれ、粉砂糖を父が振っていた。切り口が見えるように二きれ、オレンジピールの贅沢さが一目でわかるように。そしてティーカップも飾り気がないニューヨーク風の白いカップに紅茶を注ぎ、父はソーサーの周りにわざと使っているオレンジピールを散らしていた。
そしてそっとファインダー角の位置になるだろうところに、ピンクの濃淡になるポピーとシャクヤク、そして愛らしい白と紫の小花たち。父はスマートフォンではなく、自分が趣味で使っている一眼レフのカメラを持ってきた。レンズをテーブルに整えたディスプレイへと向け、シャッターを一押し。二押し。そこで父が一度撮ったものをカメラのディスプレイで確認をしていたが首をかしげている。
「もうひとアクセントほしいな」
エルム珈琲でさんざん売り込みの広告作成を見てきたのだろう。その父がなにかしっくりしないと首をかしげて唸っている。
そこに。ふっと午後の爽やかな初夏の風が、カフェの開いている窓からはいってきた。舞の鼻先に、あのローズマリーの香り。父も気がついたのか、いつもカラク様が気に入って座っているテーブル席の窓辺を見つめた。
「ああやって使うと、さりげなく香るものなんだな」
少し前から飾っているのに、いまごろ気がついたかのように父が呟き、じっと見つめたまま顎をさすって考え込んでいる。
「あれのオレンジの輪切りを使っているものもあったな。あのローズマリーの葉もいいな」
そういって父はレジ付近に手作りサークルの奥様たちが作っている『ワックス・サシェ』をいくつか持ってきた。それをディスプレイの片隅に置いた。
父が再度、カメラを構えファインダーを覗く。
「ん、いいな。いい雰囲気だ。カントリー的。これだ。スミレ・ガーデンカフェだ」
父の中でなにかがカチッとはまった音でもしたのだろうか。迷わずシャッターを押した父は満足げに微笑みを湛えていた。
木のテーブルにシンプルな白いケーキ皿にショコラケーキ。オレンジピールをちりばめた白いティーカップからはいかにもオレンジの香りが漂ってきそう。そしてドライオレンジの輪切りが飾ってある白い蝋の板の『ワックス・サシェ』。ファインダーの縁を飾るかのような初夏の濃いマゼンダ色の華やかな花たち。どこかアンティークで、でも洗練された都会の片隅も思わす一齣(ひとこま)ができあがった。
さらに父がスタッフである娘と優大に伝えた。
「思い切って、今回の顛末? というか、ここまでに至ったエピソードもSNSで伝えてみようと思うんだ。経験ある私の凝り固まった考えとパン職人青年のチャレンジ精神がぶつかり合ってこの企画が誕生したということを。そういうのも発信の一環として試したくなったんだけれど。いいかな、優大君」
コックコート姿のままの優大がまたさらに目を見開いて驚き固まっていた。
「お、俺は、構いませんけど」
「じゃ、そうさせてもらうね。これからも掲載するエピソードについては前もって周知したうえで、スタッフの了承を取ってから掲載するから安心して。よし、いまから文章作成、投稿するぞ」
父が張り切ってカメラのデータをパソコンに移そうとレジカウンターの中、厨房手前にある事務用のテーブルに座り込んでしまった。撮影会は終了となる。舞は撮影をしていたテーブルで、切ってきた花をフラワーベースにアレンジして、優大は持ってきたガトーショコラを目の前で片付けている。その時。
「舞。これ持って行け」
「え、いいの、もらって」
「ああ。撮影用だから、俺らで食べてしまおう。庭で休憩する時のために包んでおくな」
またラップに包んでくれる。『カラク様が喜ぶ』、もらえて思うのはそのこと。そんなことを思い描いている舞が花を生けている側に、彼が来て手渡してくれる。
「ありがとう。良かったね。このままのレシピで売れるようになって」
優大が舞の手を見つめていた。
「荒れてるな。だよな、土をいじったり、草で切ったりするよな。手伝いがいるならいつでも」
ん? いままでと違う彼だと、舞は密かに眉をひそめた。
「手伝えるわけないでしょう。素手でパン生地をこねるんだから、切り傷があったらダメなんでしょう。庭仕事なんて手伝って傷ついたらどうするの。そういうこと安易に言わないで」
急に気遣われたので舞も少し動揺していた。それを誤魔化すために、そっぽを向ける。ひたすら活けているポピーとシャクヤクのバランスを気にしているふりをする。
「だから、広い庭を独りでやっているのは大変だろうって」
「花のコタンの上司が、私が一人で出来る広さと敷地だとお墨付きをくれたからやることにしたの。いままで習得してきた仕事の知識の集大成を試しているんだから。大丈夫」
優大が黙った。舞もはっとする。いつもの素直じゃない口になっていると気がついたからだ。
「あ、でも、ありがとうね。手伝いがいる時は父に相談して、専門の人をつれてきてもらうから。優大君は手を大事にして、また美味しい焼き菓子を作ること頑張って」
「……うん。そうする」
また。いつもと違う反応を彼が見せたので、舞は訝しむ。
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