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42.かわいくない先生がいい
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お昼ごはんも白衣の父娘が並んでお食事。その姿を清子がにこにこ眺めている。
「いいですわね~。白衣のお医者様がお二人、しかもお父様とお嬢様。いまそこの道を歩いていただけで、診察を終えた皆さんが、美湖先生とパパ先生に診てもらったとどなたも嬉しそうに教えてくれましてね」
この日は午後休診日だったが、父がいるため清子が昼食を作ってくれた。
本当ならば、往診がなければ二階の部屋で瀬戸内海と船を眺めながら論文を作製しているか、晴紀とゆっくり話せる時間なのだが、本日は無理。往診も一軒入っているから出掛けなくてはならないし、父がいるのに愛しあうことなどできるはずもない。
「こんにちは。診療終わりましたか」
晴紀に触れたい、触って欲しいと思いを募らせているそこで、彼が勝手口に現れた。
しかもいつもと違う出で立ち。どうみても『船釣りにでかける釣り人』スタイル。片手に大きなリールがついている長い竿を持っている。
「ハル君、どうしたの。何処か行くの」
「お父さんを誘いに来た。午後は美湖先生ひとりで大丈夫だろ」
大丈夫だけれど、誘うって……。美湖はまだ食事中の父を見た。父も晴紀の格好を凝視している。
「美湖先生が子供の時は、お兄さんとお父さんと沼津まで釣りへと出かけていたと言っていたものですから、もしかしてと思いまして」
晴紀が男らしい微笑みで、父に言う。
「相良先生。俺の船で釣りに行きませんか。今日の獲物は、昨日、ご馳走できなかったカワハギです」
いやいや、さすがにお父さん。出会ったばかりの青年と二人きりになるのは億劫なのでは、しかも、ハル君もお父さんと二人きり緊張しないのかと美湖はハラハラする。
だが父は晴紀がいる勝手口まで行ってしまう。しかも目が輝いている!?
「すごい! プロ仕様の専門的な電動リールじゃないか。うわ、大きいな!」
「いちおう、漁師もやってるんで。鯛も獲れますが、いまは旬ではないんですよね。ですがチャレンジは出来ますよ。マナガツオもいまならギリギリいけるかも」
父の鼻息が荒くなったように見えたのは、錯覚? 美湖の胸騒ぎは当たる。
「ようし。行こう!」
父が白衣をさっと脱いだ。
「俺の釣り用の装備と服を持ってきたんで、よろしかったらどうぞ」
準備がよい晴紀の気遣いに、父はすっかりその気になって着替えるためにリビングへ消えてしまった。
美湖は唖然。しかし、父が釣りが好きなのは知っていた……が、子供が大きくなってもう辞めたと思っていたのに。
父を誘いに来てくれた晴紀と目が合う。
「ハル君、ありがとう」
「せっかく瀬戸内に来てくれたんだから。それに、父と娘で顔を付き合わせてばかりだと、また昨夜のようなことも起こりかねないかなと思っただけだよ」
清子も嬉しそうににこにこしている。
「あらあ、カワハギが釣れたら今夜のお夕食はお刺身ね。でもちょっとお肉も考えておこうかしら」
「あの……、父……、まだしばらくここにいるつもりみたいです。整形外科の患者さんを全部診るとか言いだして……」
その間、重見親子の負担になるだろうから、どこかで気遣う毎日はやめてもらおうと美湖は思っている。
「よろしいじゃないの。そのほうが島の住人としても助かるわ。食事のことはお任せくださいな、美湖先生。お父様のためですから気兼ねはいらないのよ」
「申し訳ないです……。はあ、すぐ帰ると思っていたのに」
しかし、清子と晴紀の母子が顔を見合わせ微笑んでいる。
「いや、先生そっくりだよ。島に怖じ気づくようなやわな精神の医者じゃなくて、むしろ熱血してくれるってね」
「お父様を拝見して、なるほど、このようなお嬢様が女医さんが誕生した訳ねと、私も納得しましたよ」
いやー、父と似ているなんて思いたくなーい! 熱血てなによ、この前から熱血って! 美湖は顔を両手で覆う。
都会で澄ましてなにごともなくすりぬけてきた私はどこに行ってしまった? ほんとうに最近、そう思っている。
「晴紀君。これでいいかな」
父も着替えると張りきって出てきた。
「大丈夫ですよ。俺の服がぴったりでよかったです」
父のほうが年齢的に横幅があるが、背丈は晴紀とそう変わらない。晴紀の釣りレジャーの服を着込んだ父は靴も借りてすっかりでかける準備完了。
「お父さんも、このリールでやってみますか。シンプルなのもあります」
「いや、この電動リール使ってみたいと思っていたんだ」
では、行ってきます――と、晴紀は臆することなく堂々と父を連れてでかけていく。
診療所が静かになる。清子が片づけを始めた。
「美湖先生。お休みになられたら。お父様がいらして、久しぶりに一緒にいてお疲れでしょう」
親子だからとて、久しぶりに会うと普段離れて暮らしているため『日常』というわけにはいかなくなり確かに気疲れはする。
「お父様も娘を訪ねてきたとはいえ、知らない土地と知らない住民となると気が張っているまま、それではお疲れになるでしょう。晴紀が気張らしにお父様の相手をしますから、往診時間までお休みください」
そこのところ、晴紀と清子が気遣ってくれたようだった。
静かな二階のひとり部屋で美湖はしばしほっとする。
でも、本当は。ハルと二人で過ごしたかった。
「まったく、なにしに来たのよ。いったい、」
娘に説教しにきたんじゃないのかと、逆に晴紀と楽しそうな父に多少のジェラシー発生。
瀬戸内の海に、晴紀の漁船が見えるか、窓辺から探してしまった。
・◇・◇・◇・
晴紀と父は見事に『カワハギ』と『マナガツオ』を釣り上げてきた。
その日の夕食も重見母子と一緒の食事。父がもう自分の手柄のように、また晴紀に教わりながら大きなリールを操って釣り上げたことを自慢げに話す食卓になった。
食事の後、父は疲れたのかリビングに用意された寝床で、すぐに寝入ってしまった。
美湖は、清子と晴紀と一緒に片づけをする。『おやすみなさい』と、勝手口から母子を見送った時。
「美湖センセ、ちょっといいかな」
母親を先に行かせた晴紀が美湖のところへ戻ってきた。
美湖も頷く。そのまま晴紀について、港へと向かう。
ほどよい潮風、桟橋で揺れるいくつもの漁船。その波打ち際を晴紀と歩いた。
「ハル君。ありがとうね、父のこと。お父さんたら、ほんっと、すごいはしゃいでたね」
晴紀がふっと笑う。
「美湖先生のお父さんだから……、それにセンセ、会うなりすごい戦闘態勢だったから、なんとか雰囲気良くしたくて」
美湖は再度、ありがとうと微笑む。それは本当に助かったことだったから。
「船の操縦も、釣りをする手際もテキパキして仕事ができるし、気遣いもできる良い息子さんだって。ハル君のほうが私より大人だって、父が褒めていたよ。外航船に乗っていた時の話もしたんだってね。日本でも有数の大手海運会社にいたのにもったいないって……」
「島の家を継ぐために、仕事を辞めて帰ってきたんだと……、美湖先生がそうお父さんに話してくれていたんだってな。辞めた理由はすんなりとそれで受け止められていたようだったよ……」
美湖は戸惑う。正直に父に言えないこと。そして、晴紀から喋らないことを美湖から勝手に言えなかっただけ。
「ごめん、その、正直には言えなくて。勝手に……言えることじゃなくて……」
「大丈夫だよ。そんなこと美湖サンに言わせるつもりないから。俺、知られても覚悟できている」
一緒に夜風の中あるく港道、そこで晴紀が美湖の手を握ってくれた。
覚悟ってなに。美湖は聞き返せなかった。彼女の父親に過去を知られて、晴紀はそこで身をひくのか、それとも許されなくても美湖と一緒にいたいと『娘の男として認めない』と罵られるかもしれない苦しい道を選ぶのか。
それは美湖も同じ。父にハルの過去を知られたら、美湖も覚悟をするべきなのだ、きっと。
「やっとハル君に触れた」
明るい月の海辺で、美湖はハルに向かって微笑む。
「俺も、センセの匂いかぎたかった。でも、いまは我慢できるよ。というかさ、センセ、男も『めんどうくさい』から、全然平気だったんじゃないのかよ」
いつもの生意気な顔で晴紀がにやりと意地悪そうに笑った。もう、そんなただの『男』じゃなくなっている。かわいくない美湖を、かわいくないままでも……。だから、かわいくない女医はいつもどおりに切り返す。
「そうよ。あってもなくても平気……なんだから! そんなもんなくても、ハル君のこと……」
大好きだし、愛していけるよ。
そう言おうとしていた自分に、美湖はとてつもなく驚いて口をつぐむ。
愛しているって。感じたことなんてなかったんじゃないの。愛しているなんて感じることが、いま、私、できている!?
そうして驚いていると、晴紀が立ち止まった。
「ハル……、俺のこと、なに?」
真上から美湖を切なそうに見下ろしている。その言葉の先を、きっと晴紀も聞きたいのだろう。
ハル君のこと……。今度こそ言うと思ったら、初めて好きになった男に言おうと思ったのに。
「いい、やっぱりいい。先生が、そんなの……、俺、怖くなる」
そういった晴紀が繋いでいた手を離して、美湖より先に前へと歩き出してゆく。
離れていく背中を、美湖もせつなく見つめるだけしかできない。
なのに、その背を向けたまま、彼が言った。
「なにも言わなくていい、先生は。俺が言う。先生、好きだ。大好きだ。センセ、かわいくない先生がいちばんだ」
先生がわかいいことをしたら、先生がいなくなる気がする。
消え入る声で最後にそう呟いたけれど、美湖にはちゃんと聞こえた。
美湖も。言ってしまったら、なにかが変わってしまいそうで怖い。
その日はすぐに来た。
美湖の代わりに往診に出向いていた父が、診察室で雑務をしている美湖のところに駆け込んできて、恐ろしい顔で言った。
「美湖。晴紀君が人殺し――というのは、本当か!」
覚悟は決めている。美湖は父に向かう。
「いいですわね~。白衣のお医者様がお二人、しかもお父様とお嬢様。いまそこの道を歩いていただけで、診察を終えた皆さんが、美湖先生とパパ先生に診てもらったとどなたも嬉しそうに教えてくれましてね」
この日は午後休診日だったが、父がいるため清子が昼食を作ってくれた。
本当ならば、往診がなければ二階の部屋で瀬戸内海と船を眺めながら論文を作製しているか、晴紀とゆっくり話せる時間なのだが、本日は無理。往診も一軒入っているから出掛けなくてはならないし、父がいるのに愛しあうことなどできるはずもない。
「こんにちは。診療終わりましたか」
晴紀に触れたい、触って欲しいと思いを募らせているそこで、彼が勝手口に現れた。
しかもいつもと違う出で立ち。どうみても『船釣りにでかける釣り人』スタイル。片手に大きなリールがついている長い竿を持っている。
「ハル君、どうしたの。何処か行くの」
「お父さんを誘いに来た。午後は美湖先生ひとりで大丈夫だろ」
大丈夫だけれど、誘うって……。美湖はまだ食事中の父を見た。父も晴紀の格好を凝視している。
「美湖先生が子供の時は、お兄さんとお父さんと沼津まで釣りへと出かけていたと言っていたものですから、もしかしてと思いまして」
晴紀が男らしい微笑みで、父に言う。
「相良先生。俺の船で釣りに行きませんか。今日の獲物は、昨日、ご馳走できなかったカワハギです」
いやいや、さすがにお父さん。出会ったばかりの青年と二人きりになるのは億劫なのでは、しかも、ハル君もお父さんと二人きり緊張しないのかと美湖はハラハラする。
だが父は晴紀がいる勝手口まで行ってしまう。しかも目が輝いている!?
「すごい! プロ仕様の専門的な電動リールじゃないか。うわ、大きいな!」
「いちおう、漁師もやってるんで。鯛も獲れますが、いまは旬ではないんですよね。ですがチャレンジは出来ますよ。マナガツオもいまならギリギリいけるかも」
父の鼻息が荒くなったように見えたのは、錯覚? 美湖の胸騒ぎは当たる。
「ようし。行こう!」
父が白衣をさっと脱いだ。
「俺の釣り用の装備と服を持ってきたんで、よろしかったらどうぞ」
準備がよい晴紀の気遣いに、父はすっかりその気になって着替えるためにリビングへ消えてしまった。
美湖は唖然。しかし、父が釣りが好きなのは知っていた……が、子供が大きくなってもう辞めたと思っていたのに。
父を誘いに来てくれた晴紀と目が合う。
「ハル君、ありがとう」
「せっかく瀬戸内に来てくれたんだから。それに、父と娘で顔を付き合わせてばかりだと、また昨夜のようなことも起こりかねないかなと思っただけだよ」
清子も嬉しそうににこにこしている。
「あらあ、カワハギが釣れたら今夜のお夕食はお刺身ね。でもちょっとお肉も考えておこうかしら」
「あの……、父……、まだしばらくここにいるつもりみたいです。整形外科の患者さんを全部診るとか言いだして……」
その間、重見親子の負担になるだろうから、どこかで気遣う毎日はやめてもらおうと美湖は思っている。
「よろしいじゃないの。そのほうが島の住人としても助かるわ。食事のことはお任せくださいな、美湖先生。お父様のためですから気兼ねはいらないのよ」
「申し訳ないです……。はあ、すぐ帰ると思っていたのに」
しかし、清子と晴紀の母子が顔を見合わせ微笑んでいる。
「いや、先生そっくりだよ。島に怖じ気づくようなやわな精神の医者じゃなくて、むしろ熱血してくれるってね」
「お父様を拝見して、なるほど、このようなお嬢様が女医さんが誕生した訳ねと、私も納得しましたよ」
いやー、父と似ているなんて思いたくなーい! 熱血てなによ、この前から熱血って! 美湖は顔を両手で覆う。
都会で澄ましてなにごともなくすりぬけてきた私はどこに行ってしまった? ほんとうに最近、そう思っている。
「晴紀君。これでいいかな」
父も着替えると張りきって出てきた。
「大丈夫ですよ。俺の服がぴったりでよかったです」
父のほうが年齢的に横幅があるが、背丈は晴紀とそう変わらない。晴紀の釣りレジャーの服を着込んだ父は靴も借りてすっかりでかける準備完了。
「お父さんも、このリールでやってみますか。シンプルなのもあります」
「いや、この電動リール使ってみたいと思っていたんだ」
では、行ってきます――と、晴紀は臆することなく堂々と父を連れてでかけていく。
診療所が静かになる。清子が片づけを始めた。
「美湖先生。お休みになられたら。お父様がいらして、久しぶりに一緒にいてお疲れでしょう」
親子だからとて、久しぶりに会うと普段離れて暮らしているため『日常』というわけにはいかなくなり確かに気疲れはする。
「お父様も娘を訪ねてきたとはいえ、知らない土地と知らない住民となると気が張っているまま、それではお疲れになるでしょう。晴紀が気張らしにお父様の相手をしますから、往診時間までお休みください」
そこのところ、晴紀と清子が気遣ってくれたようだった。
静かな二階のひとり部屋で美湖はしばしほっとする。
でも、本当は。ハルと二人で過ごしたかった。
「まったく、なにしに来たのよ。いったい、」
娘に説教しにきたんじゃないのかと、逆に晴紀と楽しそうな父に多少のジェラシー発生。
瀬戸内の海に、晴紀の漁船が見えるか、窓辺から探してしまった。
・◇・◇・◇・
晴紀と父は見事に『カワハギ』と『マナガツオ』を釣り上げてきた。
その日の夕食も重見母子と一緒の食事。父がもう自分の手柄のように、また晴紀に教わりながら大きなリールを操って釣り上げたことを自慢げに話す食卓になった。
食事の後、父は疲れたのかリビングに用意された寝床で、すぐに寝入ってしまった。
美湖は、清子と晴紀と一緒に片づけをする。『おやすみなさい』と、勝手口から母子を見送った時。
「美湖センセ、ちょっといいかな」
母親を先に行かせた晴紀が美湖のところへ戻ってきた。
美湖も頷く。そのまま晴紀について、港へと向かう。
ほどよい潮風、桟橋で揺れるいくつもの漁船。その波打ち際を晴紀と歩いた。
「ハル君。ありがとうね、父のこと。お父さんたら、ほんっと、すごいはしゃいでたね」
晴紀がふっと笑う。
「美湖先生のお父さんだから……、それにセンセ、会うなりすごい戦闘態勢だったから、なんとか雰囲気良くしたくて」
美湖は再度、ありがとうと微笑む。それは本当に助かったことだったから。
「船の操縦も、釣りをする手際もテキパキして仕事ができるし、気遣いもできる良い息子さんだって。ハル君のほうが私より大人だって、父が褒めていたよ。外航船に乗っていた時の話もしたんだってね。日本でも有数の大手海運会社にいたのにもったいないって……」
「島の家を継ぐために、仕事を辞めて帰ってきたんだと……、美湖先生がそうお父さんに話してくれていたんだってな。辞めた理由はすんなりとそれで受け止められていたようだったよ……」
美湖は戸惑う。正直に父に言えないこと。そして、晴紀から喋らないことを美湖から勝手に言えなかっただけ。
「ごめん、その、正直には言えなくて。勝手に……言えることじゃなくて……」
「大丈夫だよ。そんなこと美湖サンに言わせるつもりないから。俺、知られても覚悟できている」
一緒に夜風の中あるく港道、そこで晴紀が美湖の手を握ってくれた。
覚悟ってなに。美湖は聞き返せなかった。彼女の父親に過去を知られて、晴紀はそこで身をひくのか、それとも許されなくても美湖と一緒にいたいと『娘の男として認めない』と罵られるかもしれない苦しい道を選ぶのか。
それは美湖も同じ。父にハルの過去を知られたら、美湖も覚悟をするべきなのだ、きっと。
「やっとハル君に触れた」
明るい月の海辺で、美湖はハルに向かって微笑む。
「俺も、センセの匂いかぎたかった。でも、いまは我慢できるよ。というかさ、センセ、男も『めんどうくさい』から、全然平気だったんじゃないのかよ」
いつもの生意気な顔で晴紀がにやりと意地悪そうに笑った。もう、そんなただの『男』じゃなくなっている。かわいくない美湖を、かわいくないままでも……。だから、かわいくない女医はいつもどおりに切り返す。
「そうよ。あってもなくても平気……なんだから! そんなもんなくても、ハル君のこと……」
大好きだし、愛していけるよ。
そう言おうとしていた自分に、美湖はとてつもなく驚いて口をつぐむ。
愛しているって。感じたことなんてなかったんじゃないの。愛しているなんて感じることが、いま、私、できている!?
そうして驚いていると、晴紀が立ち止まった。
「ハル……、俺のこと、なに?」
真上から美湖を切なそうに見下ろしている。その言葉の先を、きっと晴紀も聞きたいのだろう。
ハル君のこと……。今度こそ言うと思ったら、初めて好きになった男に言おうと思ったのに。
「いい、やっぱりいい。先生が、そんなの……、俺、怖くなる」
そういった晴紀が繋いでいた手を離して、美湖より先に前へと歩き出してゆく。
離れていく背中を、美湖もせつなく見つめるだけしかできない。
なのに、その背を向けたまま、彼が言った。
「なにも言わなくていい、先生は。俺が言う。先生、好きだ。大好きだ。センセ、かわいくない先生がいちばんだ」
先生がわかいいことをしたら、先生がいなくなる気がする。
消え入る声で最後にそう呟いたけれど、美湖にはちゃんと聞こえた。
美湖も。言ってしまったら、なにかが変わってしまいそうで怖い。
その日はすぐに来た。
美湖の代わりに往診に出向いていた父が、診察室で雑務をしている美湖のところに駆け込んできて、恐ろしい顔で言った。
「美湖。晴紀君が人殺し――というのは、本当か!」
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