先生は、かわいくない

市來茉莉(茉莉恵)

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40.俺も負けてないんで②

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「美湖先生も、いつもの調子で歯止めが効かなくなるまで言わない。ちょっと冷静になって、センセ」

 さらに、若い彼が落ち着いた口調でそう言ってくれて、美湖もやっと熱くなっていた気持ちをなんとか抑え込む。それは目の前の父もだった。

「申し訳ない。みっともないところを」

 父もなんとか深呼吸をして、その手を美湖から離してくれる。

「はあ、まったく。ほんとに、美湖センセたら、お父さんにまでそんな容赦ないだなんて……、びっくりだよ、マジで」

 呆れた深い溜め息を晴紀が吐いた。そんな晴紀のいつもの気取らない言葉を聞いて、逆に父のほうが先に気持ちが鎮まったよう。

「まさか、晴紀君もこんなふうに美湖にズケズケ言われたのかね」
「いえ、俺もズケズケ言い返しますから問題ありません」

 真顔で返した晴紀の返答に、父が面食らった。

「それは、まったく……。アハハ」

 父が笑い出したので、逆に美湖はきょとんとする。

「実はそうなのですよ。お父様。晴紀も先生に遠慮なく物言いをするので、私も怒ったことがありますの。ですが、まあ、すごい親子喧嘩を見てしまいましたわ。もう美湖先生たら本当にお強いわね」

 清子に上品に笑われてしまうと、美湖も弱い。かえって自分の気の強さが気恥ずかしくなってくる。それも父に取っては『おお、これは』と思わぬ娘の弱点を知ることが出来て、にんまりと余裕の顔に戻っていく。

「ですが、お父様。美湖先生ぐらいの気構えをお持ちでないと、ここでのお医者様のお仕事は務まらないと、わたくしども島民は思っております。美湖先生が女性ながらもしっかりとしたお気持ちでここに来てくださったので、私たちは安心しているのです」

 そんな清子が立って、父に頭を下げてくれる。

「大事なお嬢様でしょうが、立派なお医者様としてお育てくださり、私どもの島まで来てくださるようにしてくださって、ご家族にも感謝しております」

 田舎の島に住まうひとりの奥様のはずの清子が、本当に清楚で悠然としているその様は、いいところの奥様そのもの。そのオーラは父にも伝わったようだった。

「いいえ……。医師としてお役に立てているのならば、安心いたしました」

 父もきちんと清子のお辞儀に答え、返礼してくれた。

「あら、お父様。本日はこちらにお泊まりでしょう。まさかお宿を取られました?」
「い、いえ。娘のところで世話になるつもりで参りました」
「晴紀。お父様がお休みになるお部屋をつくってあげて」
「わかった。夕食はどうする。いまならスーパー閉まるまでギリギリだから、俺、なにか見繕ってこようか」
「そうね。カワハギがあったらそうして、太刀魚でもいいかしらね」

 晴紀はさっと出かけていく。

「美湖先生、あとでキッチンをお借りしますね」
「あの、そんな父が来ただけのことですし」
「あら。美湖先生、今日も生協が届く前で冷蔵庫が寂しくなっていましたよ。お一人分の気ままなお夕食ならともかく、せっかくお父様が瀬戸内の島まで来てくださったのですから、ここは島の住民である私と晴紀にお任せください」

 それでは――と、清子もにっこり出て行ってしまった。

 言い争っていた父親と二人きりになる。
 二人きりになると不思議と、お互いの勢いも冷めていて今度は向きあって座っていた。

「言い過ぎました。お父さん、ごめんなさい」
 美湖から素直に謝ったので、父が目を瞠っている。
「なんだ、少しは大人になったのか」

 晴紀と清子がなんでもない顔で美湖と父親のどうしようもない言い合いを受け流してくれたせいもあるし、二人がこれまたなんでもない顔で父にご馳走するために動き始めてしまったから。ここで意地を張った喧嘩を続けたら、重見母子をがっかりさせる気がしたからだった。

 それは父にも、あの重見母子の『空気』は感じ取れたようだった。

「しっかりされた奥様と、きちんと育てられた長男――といった感じだったな」
 美湖が作っていた冷茶を父がやっとひとくち飲んだ。
「ん? もしかしてうちが送った茶か」
「今年のね。作っておくと、飲んでくれた島の人はすごくおいしいって言ってくれるから」
「そうか」
 茶畑に囲まれて育った父が嬉しそうに微笑んだ。

「晴紀君が名義の大家と言うことだが、あちらのお父さんは他界されているということか」
「うん。長男の晴紀君がだいたい相続して、若いけれどあの家のご当主みたい。お母さんも幾分か所有しているみたいだけれど、息子にほぼ任せたと言っている」
「大きな家だな。しかも立派な造りだ」
「そこのあたりはまだ詳しく聞いていないけれど。たぶん、この島で代々続いてきたご一家だと思う。重見さんだけじゃなくて、この島はそういう受け継がれてきた財を守って暮らしている人が多いよ」

 父だからこそ、見る目が養われているのか意外とすんなりと『そうか』と静かだった。

「小澤君から聞いていたが、確かに綺麗にリフォームされているな。診察室も見せてもらっていいか」

 まず娘が働いている場所を確認したいらしい。美湖もやっと素直になって、リビングと診察室を案内する。
 外観は古いが綺麗にリフォームされた一軒家と、庭の彩り、そして個人医院並に機器が揃っている診察室と、整った待合室を見て父も安心したようだった。

 


 その夜、清子が診療所のキッチンで瀬戸内のお母さんの味をこしらえてくれた。晴紀も母親の隣で調理を手伝って。
 父には地酒を探してきて振る舞ってくれる。そんなてきぱきと働いている重見親子を見た父はとても感心してくれていた。

 美湖が手伝おうとするとキッチンから『美湖先生はお父様のところにいらして』、『センセ、邪魔。どうせ足手まとい』と追い出された。
 リビングの海が見える縁側に、清子が作ってくれた大根おろしとシラスの和え物を肴に、父に地酒の酌をする。

「なにもできない娘の酌なんて美味くない」
「申し訳ないですねえ」

 でも、二人一緒に日が沈んだ瀬戸内を庭から眺める。九月の月は大きく明るく、いつも以上に瀬戸内の海を金糸雀色カナリアいろに染める。
 今夜も遠く水平線まで、何隻もの貨物船に漁船、フェリーが往き来している。

「船、多いな」
「この海域は、村上水軍が活躍した海域だからね。いまも、海運の要だよ。この島の人たちは、そういう歴史を重んじてこの島で血脈を受け継いできているの。ハル君も、ナースの愛美さんの婚家も、彼女のご実家も彼女のお兄様が若いけれど不動産を引き継いで管理しているんですって」

 都会とは違う血脈の守り方と地域と暮らし方、親と子が繋ぐもの。都会のものさしはここでは意味はない。父もそう感じてくれているのだろうか。
 久しぶりに会った父は、歳は取っていたが、美湖がよく知っている『パパ』の顔。

「こちら、先に焼けたのでどうぞ」
 晴紀が焼き魚を持ってきてくれた。リビングのテーブルに少しずつ料理が増えてくる。
「これは?」
「太刀魚です。このあたりでよく獲れるんですよ。俺も今朝、船でだいぶ獲りました。シンプルに塩焼きです」
「わー、おいしそう。このお魚はまだ食べていないな、私」
「センセも先に食べていて。俺と母ちゃんもあとでおじゃまするから」
「では、お先にいただきまーす」

 遠慮なく若い男の子の世話になっている娘を見て、父が顔をしかめた。

「まったく。おまえ、晴紀君を見習えっ。ちゃんとお母さんのお手伝いをして、料理までできて。おまえはもうただ食べるだけとは情けない」
「でも。ハル君のほうが料理上手なんだもの。船乗りでなんでもできるんだもの」

 また父が呆れている。晴紀はまた父と娘がバトルを開始するのではとハラハラしている目、それを見たら美湖も勢いを宥める。

「お父さん、相良先生。そのぶん、美湖先生は立派なドクターですよ。それは、俺にも母にも誰にもできることではないのですから。医師としてここに来てくださることを望んだのは俺たちです。美湖先生が住みやすいようにさせていただいているだけです。いまは……、美湖先生には医療としての仕事に集中していただきたいです」

 そのためなら、ほかの暮らしについては母と自分がフォローすると晴紀は父に言ってくれた。

「ありがとう、晴紀君。では、せっかくですから温かいうちにいただこうかね」

 父と一緒に旬の魚を頬ばると、ほっこりとした柔らかい白身に銀色の塩みのきいた皮の香ばしさに頬が落ちそうになる。

「うまい。これは酒がすすみますな」

 父が上機嫌になった。美湖も一緒にご馳走になる。
 清子の手料理が揃って、今夜は相良父娘と重見母子で賑やかな団欒になった。

 しかし父がこの家に寝泊まりするということは、ハルともゆっくり二人きりで過ごすこともできなくなるんだ……と、美湖は気がつき、げんなりしてしまう。 
 いつまでいるつもりなのやら。出来れば『人殺し』なんて噂は聞かないで帰ってほしい。
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