先生は、かわいくない

市來茉莉(茉莉恵)

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29.ドクター離島①

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 今年の盆も帰省しなかった。毎年のこと。帰省するなら年末年始。実家とはそれ以来だった。
 母から『お父さんが怒っている』とメッセージが来たが『仕事だから仕方がない』とだけの返信しかしていない。

 海辺や港の水辺に海月くらげがふわふわ見える時期。盆も過ぎると、少し海と空の色が優しくなる気がする。

 午後休診日、定期的に往診しているお年寄りのご自宅へ訪問した帰り。往診の日は、ラフなカットソーやティシャツにパンツスタイルにして出掛けている。大きなつばの帽子をかぶって、水分補給のスポーツドリンクも忘れずに、ドクターバッグを片手に美湖は白衣を羽織って海辺を歩く。

 港にある診療所までの岸辺はテトラポットの磯辺。残暑厳しい中でも、海風が暑さを凌いでくれる。潮の匂いにも慣れてきた。遠い水平線まで幾重もの大型船舶が行き来しているのを眺めながら、晴紀がいま乗船している船がこのあたりも通過するのだろうかとふと考えてしまう。

 晴紀はまた、スーツを凛々しく着込んで出掛けていった。
『美湖先生がいるし、ほぼ毎日、先生の昼飯を作りに行くし、母も安心しておいていける』
 そして晴紀は最後に言った。『たぶん、母にはばれている』と。まだ清子はいままでどおりに接してくれていて、美湖も息子と恋に落ちたことは見せないようにしていた。


「美湖先生やん!」
 テトラポットの影からそんな声。小学生の男の子たちが数名、わらわらでてきた。
 子供たちから親しげに声をかけてもらえるだなんて、いよいよ私も『ドクター離島か』と思ってしまう。

 晴紀がいない間は、ほんとうに色気なしの女医まっしぐら。
 その中に、いま診察に行ったばかりの『石田家』のお孫ちゃんがいた。

「センセー、タケ祖父ちゃんとこ行ってきたんけえ」
「うん、大輝君のおうちに行ってきたよ。じいちゃん元気だったからね」
「食欲ないってゆうとったけん」
「暑いからね。胃腸がちょっとだけ弱っていたから、胃に優しいものから少しずつでも食べるように言ってきたよ。点滴もしておいたからねー」

 タンクトップに短パン。真っ黒に日焼けして元気いっぱい、島の子らしい。美湖も微笑ましくなる。晴紀も子供の時はこんなだったのかなとつい重ねてみる。

 その男の子たちがひそひそと話して、何故か美湖を見てにやっと悪戯げに笑った。美湖もドキリとする。彼らがそろってバケツ片手に近づいてきた。

「センセ、これ知っとるか」

 大輝がテトラポットに立ったまま、港のコンクリートの岸辺にいる美湖へとバケツを差し出した。

 その中に、なにかがいっぱい入っている。

「なに、これ」
「亀の手なんよ」

 白黒のちょこちょこと指が生えている小さな手がこれでもかというぐらいに入っていた。美湖は絶句、顔面蒼白になって叫んだ。

「ちょーっと! なにやってんのよ!! 亀、亀の手をちぎって遊んでるの! 虐待じゃない、これ!!」

 島の子たちの大胆な遊び方に、美湖はショックを隠せない。なのに彼らは『ほらみろ、やっぱ驚いた』、『都会のお医者さんは知らんのじゃ』と笑っている。

 こら! いくら海の子島の子、昔ながらの遊びでも、これは絶対に絶対にしちゃだめ! こんな遊びを受け継いできたのかこの島は、大人たちに島外から来た人間の目線として抗議してやる――と美湖も息巻いた。

「なに騒いでんじゃ、おまえら」

 漁協の岡氏がちょうど通りかかった。

「岡さん!」

 美湖が会うなりすごい形相で食いついたからなのか、岡が『なんや先生』と後ずさった。

「島ではこんな遊びを許しているんですか。岡さんもやっていたんですか!」
「は、なんのことじゃ」
「この子たちのバケツをみてくださいよ!」

 逆に今度は子供達が焦っている。岡氏が子供達のバケツを覗いた。

「あー、カメノテか。俺も子供ん時、よう取ったわ。母ちゃんが茹でてくれてな」
「岡さんまで! しかも茹でて食べるんですかぁ~……」

 もう気絶しそうな思いで、美湖はおもわずふらつく。あれ、ハル君と清子さんは私が島外から来たから、きっと食べないだろうと思って出さなかっただけ、だけ?

「あー、わかったわ。おまえら、美湖先生にちゃんと説明しないで驚かせたんやろ」

 ちゃんと説明? なんの説明? だけれど子供達が今度は神妙に揃って頷いていた。

「こんな怒ると思わんかったけん」
「都会から来たから知らんおもうて、ちょっと驚かせたかっただけなんよ」

 大輝に他の子供達がごめんなさいと謝ったので、美湖はますます訳がわからない。

「先生。これな、貝なんや。亀の手に似とるやろ。そやから、カメノテという名がついとるんよ」
「貝……?」
「貝の仲間つーかな、甲殻類」

 え、そうなの。と、子供達を見た。子供達は、うんうん頷いている。

「うちで茹でてやるけん。もうここからあがれや。母ちゃんたちにテトラポットでは遊ぶないわれとるやろ」
「そうなんですか。私、父と兄と一緒に沼津まで釣りに行ったら、テトラポットに乗っかって遊びましたけれど」
「このご時世、厳しくなっとるからな。子供たち見かけた聞いて、見回りにきたとこやったんよ。漁協のテリトリーやけんな。なんかあったら漁協の責任てなってまうんや。だからとて叱りたあないけれどな、学校から気をつけるよう言われてるもんやけん」

 島でも子供の遊び方には厳しくなっていて大変と聞かされ、美湖は子供達と一緒に岡家へついていくことになった。
 だが子供達がテトラポットから港の舗道、岸辺に上がろうとしたが一人の男の子が転んだ。その子が立ち上がった時、ギャーと泣き始めた。

「おっちゃん! 悠斗がフジツボで手を切った!」
「めっちゃ、血が出とる!!」

 岡と美湖もびっくりしたが、岡がすぐにテトラポットに飛び降りて、泣いている男児へと駆けていく。

「ほんまや。わ、ちょっと深いかもしれんな」
「岡さん、はやくこちらへ!」

 子供達が、ほうや美湖センセがおったとまたざわついた。

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