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22.夕凪はせつなくて
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チケット売り場の待合室、そこのソファーで素直に待っていると、スーツ姿の晴紀が颯爽とやってきた。
「いっぱい買ったなあ。やっぱセンセだって欲しいもんいっぱいあるじゃん」
そういって彼が美湖にチケットを差し出してきたから驚く。
「これ、先生の乗船チケット。俺が買ったからいいよ」
「え、なんで。自分の交通費は自分で出すって」
バッグから財布を出そうとすると、晴紀がそれを止めるかのようにどっかりと美湖の隣に座り込んだ。
「水着、幾らした? 俺が準備しろと言い張って、センセ、市街に出て買ってきてくれたんだろ」
「それだけじゃないよ。他にもいっぱい買い物したし。あ、ほら、城が見える中心街で素敵なカフェをみつけちゃって! そこでもおいしいもの食べたの。コーヒーもすっごいおいしかった」
私は私で楽しんだんだから、ちゃんと払う――とまた財布を出そうとした手を、今度はハルの男の手ががっしりと掴んで止めた。
「水着。用意してくれたってことは、俺の船に乗ってくれる気になったてことだよな、センセ」
「……え、……う、ん……」
スーツ姿の凛々しい青年の真顔が目の前にある。あの綺麗なまつげの眼差しが美湖へと向かっている、間近で。
いつもはラフなハル君。でも、今日は大人の色香を感じずにはいられない晴紀君だった。
「じゃ、これは俺のお礼ね」
俺が誘ったことで先生が水着を買うことになって、出不精なのに島を出て市街まででかけてくれた。だからそのお礼。しかも、いつものあの睨む真顔で美湖がうんというまで、見つめられたまま。
だから美湖もついに『うん』と頷いてしまった。
「そろそろ乗れる時間だな。よし、桟橋に行こう。センセ」
しかも美湖が抱えていた荷物もさっと持ってくれ、先へと行ってしまう。
そんな颯爽としたかっこいい青年のあとを美湖はただついていくだけになっていた。
高速船は少し長めのクルーザー船のようで、客室はふたりがけの椅子が二列あるだけの狭いもの。それでもフェリーより速いため島民はバス感覚で乗っている。ただし料金は高め。
その船室にハルと一緒の席に隣り合わせて座った。また窓際に美湖を座らせてくれて、そうして島を出てスーツでいる晴紀は気が利くいい男にしか見えない。
その日は日曜の夕方だったためか、これから順番に巡っていく西側航路のそれぞれの島へ帰る島民も多かった。
よく晴れた夏の夕は黄金色。冷たい青色に差す光が滲んで輝いていく。
波間を切っていく高速船の中、美湖は晴紀と肩を並べていても、いざとなって言葉がでてこなくて困っていた。
でも晴紀も疲れているのか、ぼんやりと海の水平線を遠く見つめているだけ。
「センセ。盆休みはどうするんだよ。静岡に帰省する?」
唐突に聞かれてびっくりしながらも、美湖も答える。
「ううん。島に来たばかりだから、今年は帰らない。というか、めんどくさい」
「でた。めんどくさい。まさか、帰省しないのも出不精のせいかよ」
ハルのいつもの呆れ笑い。
「うーん、帰ってもね。こんな大きな子供がひとり増えるだけだと思うんだよね」
「大きな子供?」
「そう。実家に帰ると、甥っ子と姪っ子と同じくくりにされるの、末っ子の私。親から見ても兄貴たちから見ても、私はずうっと子供扱い。お義姉さんたちにも気を使わせちゃうしね」
なのに晴紀が隣でまた笑いを堪えに堪え、お腹を抱えていた。
「なんかおかしかった?」
「いや。なんかちょっとわかる気がして。姪御さんと甥御さんとおなじ手がかかる大きな子供って、そういう意味か」
「もうー、なに? 私の生活力がゼロだから? 料理だってできないわけじゃないよ。ちゃんと洗濯できるしアイロンもできるし……、裁縫は……ダメかな」
「外科医なのに! 人の身体は縫えて、布はダメなのかよ」
さらにハルがケラケラと笑い出す。
「縫い方が違うし、対象物質も違うし、針と糸も形状全然違うじゃない。笑えないから!」
「いや、笑える!」
黒ステッチがある白シャツに、黒い品のあるネクタイを揺らしてずっと笑っている。
出会っていままでそうであったように、年上の女医さんが年下の男に馬鹿にされるように笑われているのに。でも、今日の美湖はそんな晴紀を見て少し泣きたくなっていた。
人殺しなんて。本当に過ちを犯していたとしても、していなくても。人殺しなんて人々に後ろ指さされて三年も過ごしてきたならどれだけ辛かったか。その彼がいま笑っている。笑えるならそれでいいじゃない。美湖の目が熱くなってくる。
そんないつもと反応が違う美湖の様子にハルも気がついたのか。
「センセ?」
「……そんなに笑わなくてもいいじゃん。これでも、気にしているんだよね」
ちょっぴり涙が滲んでしまったから、つい思ってもいないことで誤魔化してしまう。
ぷいっと窓のむこうの夕凪へと向いていた。
なのに。美湖の手を、晴紀の大きな手がぎゅっと握ってきた。
「ごめん、先生。俺、そんなつもりじゃなくて」
「なに、優しくしたり意地悪したり、疲れちゃうんだけれど」
だめだ。どうして、私はいつから、こんな駄目になってしまったんだろう? 涙が出てしまった。
「ごめん。センセ……。俺、いつも口が悪くて」
違うよ。ハル君はなんも悪くないよ。私が涙の訳を言えなくて、また『かわいくない』ことをしているだけ。
それでもハルはずっと美湖の手を握ったまま離してくれない。熱くて、彼の男の匂いがそばにあって、堪らなく切なくなる。
あなたは素敵な男性だよ。きっと。女の子に気遣えて、人に優しくできて、男らしい青年だよ。ただちょっと口が悪くて生意気で目つきが悪いだけ。
しかも最後には、晴紀が美湖の肩を抱いてそっと抱き寄せてくれる。もう堪らなかった。嘘をついて泣いているのに。自分のせいだと思って労ってくれる、自分より若い彼の、することが……。することが。
「いっぱい買ったなあ。やっぱセンセだって欲しいもんいっぱいあるじゃん」
そういって彼が美湖にチケットを差し出してきたから驚く。
「これ、先生の乗船チケット。俺が買ったからいいよ」
「え、なんで。自分の交通費は自分で出すって」
バッグから財布を出そうとすると、晴紀がそれを止めるかのようにどっかりと美湖の隣に座り込んだ。
「水着、幾らした? 俺が準備しろと言い張って、センセ、市街に出て買ってきてくれたんだろ」
「それだけじゃないよ。他にもいっぱい買い物したし。あ、ほら、城が見える中心街で素敵なカフェをみつけちゃって! そこでもおいしいもの食べたの。コーヒーもすっごいおいしかった」
私は私で楽しんだんだから、ちゃんと払う――とまた財布を出そうとした手を、今度はハルの男の手ががっしりと掴んで止めた。
「水着。用意してくれたってことは、俺の船に乗ってくれる気になったてことだよな、センセ」
「……え、……う、ん……」
スーツ姿の凛々しい青年の真顔が目の前にある。あの綺麗なまつげの眼差しが美湖へと向かっている、間近で。
いつもはラフなハル君。でも、今日は大人の色香を感じずにはいられない晴紀君だった。
「じゃ、これは俺のお礼ね」
俺が誘ったことで先生が水着を買うことになって、出不精なのに島を出て市街まででかけてくれた。だからそのお礼。しかも、いつものあの睨む真顔で美湖がうんというまで、見つめられたまま。
だから美湖もついに『うん』と頷いてしまった。
「そろそろ乗れる時間だな。よし、桟橋に行こう。センセ」
しかも美湖が抱えていた荷物もさっと持ってくれ、先へと行ってしまう。
そんな颯爽としたかっこいい青年のあとを美湖はただついていくだけになっていた。
高速船は少し長めのクルーザー船のようで、客室はふたりがけの椅子が二列あるだけの狭いもの。それでもフェリーより速いため島民はバス感覚で乗っている。ただし料金は高め。
その船室にハルと一緒の席に隣り合わせて座った。また窓際に美湖を座らせてくれて、そうして島を出てスーツでいる晴紀は気が利くいい男にしか見えない。
その日は日曜の夕方だったためか、これから順番に巡っていく西側航路のそれぞれの島へ帰る島民も多かった。
よく晴れた夏の夕は黄金色。冷たい青色に差す光が滲んで輝いていく。
波間を切っていく高速船の中、美湖は晴紀と肩を並べていても、いざとなって言葉がでてこなくて困っていた。
でも晴紀も疲れているのか、ぼんやりと海の水平線を遠く見つめているだけ。
「センセ。盆休みはどうするんだよ。静岡に帰省する?」
唐突に聞かれてびっくりしながらも、美湖も答える。
「ううん。島に来たばかりだから、今年は帰らない。というか、めんどくさい」
「でた。めんどくさい。まさか、帰省しないのも出不精のせいかよ」
ハルのいつもの呆れ笑い。
「うーん、帰ってもね。こんな大きな子供がひとり増えるだけだと思うんだよね」
「大きな子供?」
「そう。実家に帰ると、甥っ子と姪っ子と同じくくりにされるの、末っ子の私。親から見ても兄貴たちから見ても、私はずうっと子供扱い。お義姉さんたちにも気を使わせちゃうしね」
なのに晴紀が隣でまた笑いを堪えに堪え、お腹を抱えていた。
「なんかおかしかった?」
「いや。なんかちょっとわかる気がして。姪御さんと甥御さんとおなじ手がかかる大きな子供って、そういう意味か」
「もうー、なに? 私の生活力がゼロだから? 料理だってできないわけじゃないよ。ちゃんと洗濯できるしアイロンもできるし……、裁縫は……ダメかな」
「外科医なのに! 人の身体は縫えて、布はダメなのかよ」
さらにハルがケラケラと笑い出す。
「縫い方が違うし、対象物質も違うし、針と糸も形状全然違うじゃない。笑えないから!」
「いや、笑える!」
黒ステッチがある白シャツに、黒い品のあるネクタイを揺らしてずっと笑っている。
出会っていままでそうであったように、年上の女医さんが年下の男に馬鹿にされるように笑われているのに。でも、今日の美湖はそんな晴紀を見て少し泣きたくなっていた。
人殺しなんて。本当に過ちを犯していたとしても、していなくても。人殺しなんて人々に後ろ指さされて三年も過ごしてきたならどれだけ辛かったか。その彼がいま笑っている。笑えるならそれでいいじゃない。美湖の目が熱くなってくる。
そんないつもと反応が違う美湖の様子にハルも気がついたのか。
「センセ?」
「……そんなに笑わなくてもいいじゃん。これでも、気にしているんだよね」
ちょっぴり涙が滲んでしまったから、つい思ってもいないことで誤魔化してしまう。
ぷいっと窓のむこうの夕凪へと向いていた。
なのに。美湖の手を、晴紀の大きな手がぎゅっと握ってきた。
「ごめん、先生。俺、そんなつもりじゃなくて」
「なに、優しくしたり意地悪したり、疲れちゃうんだけれど」
だめだ。どうして、私はいつから、こんな駄目になってしまったんだろう? 涙が出てしまった。
「ごめん。センセ……。俺、いつも口が悪くて」
違うよ。ハル君はなんも悪くないよ。私が涙の訳を言えなくて、また『かわいくない』ことをしているだけ。
それでもハルはずっと美湖の手を握ったまま離してくれない。熱くて、彼の男の匂いがそばにあって、堪らなく切なくなる。
あなたは素敵な男性だよ。きっと。女の子に気遣えて、人に優しくできて、男らしい青年だよ。ただちょっと口が悪くて生意気で目つきが悪いだけ。
しかも最後には、晴紀が美湖の肩を抱いてそっと抱き寄せてくれる。もう堪らなかった。嘘をついて泣いているのに。自分のせいだと思って労ってくれる、自分より若い彼の、することが……。することが。
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