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21.HUMMER乗りのお坊ちゃん
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冷茶を飲み終わった早苗が診療所の玄関から帰ろうとしている。
夏の日が長い夕暮れ。それでも海が薄紫色に凪いでいる。
「相良先生とやっとお話が出来て良かったです。お困りのことがあったら、いつでも私に……。晴紀のこと……、清子さんのことお願いいたします」
美湖は美湖で、その話になると胸が痛くなる。きっと、いま美湖のいちばんそばにいる『大事』が重見親子になっていると気がつく。
「ありがとうございます。重見さんはよくしてくださるので、私も……」
ハルが人殺しなんて。どうして? うっかりだった。涙が出てしまった。それともこの大人の女性が自分の弱い部分も、こんな未熟な女に吐露してくれたからだろうか。
「先生、……相良先生……。大丈夫ですよ。晴紀を信じてあげてください」
「もう、早苗さんから聞いてしまいたい。安心したい。でも……、出来ない。彼から聞きたい」
聞くまではこんな気持ちを持ち続けて、ハルと清子の前ではいつもの美湖先生でいなくてはならない。
「早苗さんは知っているんですか……。なにもかも」
ハルが本当に人殺しなのか、ただの尾ひれがつきすぎた噂なのか。晴紀と近しい女性に聞いてしまう。
でも早苗が困った顔をしている。
「誰も、私も、きっと清子さんも、信じることしかできないような出来事だったんです」
信じるしかない。つまり真相はハルしかわからないということ? ますます困惑した。
「でも。あの子がそんなこと出来ると思います? どちらかというと正義感が強い子ですよ。でも……、先生もわかりますよね。正しく生きていれば決して殺人なんて出会わないなんてことはないと」
早苗のその言葉は、逆に美湖には衝撃的だった。正しく生きていても、人は時に過ちを犯すものなのだと。
「そう、思っているのですか。早苗さんは」
「いいえ。晴紀は間違いを犯していません。きっと」
きっと? なんの確証もなかった。
まだ涙が滲んでいる美湖を、今度は早苗が近くに寄ってきてそっと抱きしめてくれる。
「ハルを信じる気持ち、私は姉のように嬉しいです。でも、先生……我慢できなかったら、いつでも。それが晴紀を助けることになるかもしれない」
でも。まだ美湖は晴紀から聞きたいと思っている。
だから、この日は早苗とはそこまでで別れた。
でも、彼女が相良先生と話せて良かったと言ってくれたように、美湖も幾分かほっとしている。よかった。やっぱり吾妻が選んだ女性だと思った。
・◇・◇・◇・
ついに。出不精の女医。瀬戸内の離島に赴任して以来、初めて。定期で出ている高速船に乗って松山市へ買い物に出掛けた!
飛行機で松山空港に降りてから、タクシーで港まで直行してそのままフェリーに乗って島に来てしまったため、城下町である松山市は素通りだった。
中心街に出ればデパートもあると聞いて、美湖はそこで久しぶりに『女らしい買い物』をたくさんしてしまう。
そこで……、恥ずかしながら。水着を購入。しかし近頃の水着はちょっとした洋服のようで、胸元もビキニラインも気にしなくてもよい、露出が少なく身体のスタイルを気にしないもので溢れていた。
まだ独身なので体型も二十代のころから維持しているつもりだったが、もう大胆に胸も足もお尻も晒す勇気はなくなっていた。
他にも、診療所でもう少しラフに着られそうな仕事用の服、ランジェリーに化粧品など。やっぱり女の買い物は楽しいと存分に散財をしている。
全国的に有名な珈琲会社のカフェを見つけてしまい、そこでちょっと腹ごしらえ、上質なコーヒーを堪能して帰路につく。
天守閣が見える城山と、がたんごとんとのんびりと走っている路面電車。夏目漱石、正岡子規、秋山好古・真之兄弟など縁の街。古き良き時代の風を感じる。
蒸し暑い夏風がゆっくりと吹く市街をあとにして、美湖はふたたびフェリーが出る古港へと向かう。
電鉄の古港の駅を降りて、港の商店街を抜け、フェリー乗り場へと荷物を抱えながら歩いている時だった。
港チケット売り場の道沿い、歩いているすぐそばの車道、そこに大きな黒い車が停車した。
厳つい大きなクルーザー型の車。いきなり人のそばに停車したりして『なによ』と美湖は睨んでいた。その助手席側のウィンドウが自動で開いた。
「美湖先生!」
運転席から助手席へと身を乗り出してこちらを見下ろした男の顔に、美湖も驚く。
「ハル君!」
「すげえ、センセ、島を出て一人で買い物が出来たんだ」
またスーツ姿の凛々しい男が、でもいつもの生意気な声でそういって笑っている。
「ハル君が水着を準備しておけっていうから、わざわざ出て行ったんだから」
「持ってなかったんだ、水着。それであんなに水着じゃないとダメなのかって言っていたのかよ」
「水着なんて喜んで着るのは二十代の若い時だけ! しかも前の水着なんて恥ずかしくて着られないから! 三十代の女のキモチなんだからねっ」
あ、そうだったのかとハルも我に返っている。
「そう言ってくれたらいいのに。おしっことか生理用品とか言えて、どうしてそれ言えなかったんだよ」
うわー、そういうつっこみするか。私にだって照れとか女心があってだね、ただ、それがかわいげがないだけでね! そう思ったが言いたくなかったので美湖は黙る。
「センセ、何時の船? 高速船だろ。俺も乗って帰るから。座席を合わせたいから、チケット売り場で買わずに待っていて」
「え、この車は?」
高速艇は人しか乗れない。車はフェリーでないと持って帰れないはず? しかも島で彼がこの車に乗っているのを見たことがない。
「これ、こっち市街用。今治に行く時に使っているからこっちの月極に預けてるんだ。そこまで置いてくるから」
そういうとハルの大きな黒い車が発進する。
「HUMMERなんか乗っちゃって。あれ、めちゃくちゃ高いでしょ??」
しかも、厳つくかっこよくきめちゃって。やっぱり年頃の大人の男なんだなあと改めて思った。
「会社経営の母方親戚に、不動産持ちの古い家系らしき島民の家柄で。クルーザー持ち、高級外車持ち。まさか、おぼっちゃん??」
初めてそう思えた。
夏の日が長い夕暮れ。それでも海が薄紫色に凪いでいる。
「相良先生とやっとお話が出来て良かったです。お困りのことがあったら、いつでも私に……。晴紀のこと……、清子さんのことお願いいたします」
美湖は美湖で、その話になると胸が痛くなる。きっと、いま美湖のいちばんそばにいる『大事』が重見親子になっていると気がつく。
「ありがとうございます。重見さんはよくしてくださるので、私も……」
ハルが人殺しなんて。どうして? うっかりだった。涙が出てしまった。それともこの大人の女性が自分の弱い部分も、こんな未熟な女に吐露してくれたからだろうか。
「先生、……相良先生……。大丈夫ですよ。晴紀を信じてあげてください」
「もう、早苗さんから聞いてしまいたい。安心したい。でも……、出来ない。彼から聞きたい」
聞くまではこんな気持ちを持ち続けて、ハルと清子の前ではいつもの美湖先生でいなくてはならない。
「早苗さんは知っているんですか……。なにもかも」
ハルが本当に人殺しなのか、ただの尾ひれがつきすぎた噂なのか。晴紀と近しい女性に聞いてしまう。
でも早苗が困った顔をしている。
「誰も、私も、きっと清子さんも、信じることしかできないような出来事だったんです」
信じるしかない。つまり真相はハルしかわからないということ? ますます困惑した。
「でも。あの子がそんなこと出来ると思います? どちらかというと正義感が強い子ですよ。でも……、先生もわかりますよね。正しく生きていれば決して殺人なんて出会わないなんてことはないと」
早苗のその言葉は、逆に美湖には衝撃的だった。正しく生きていても、人は時に過ちを犯すものなのだと。
「そう、思っているのですか。早苗さんは」
「いいえ。晴紀は間違いを犯していません。きっと」
きっと? なんの確証もなかった。
まだ涙が滲んでいる美湖を、今度は早苗が近くに寄ってきてそっと抱きしめてくれる。
「ハルを信じる気持ち、私は姉のように嬉しいです。でも、先生……我慢できなかったら、いつでも。それが晴紀を助けることになるかもしれない」
でも。まだ美湖は晴紀から聞きたいと思っている。
だから、この日は早苗とはそこまでで別れた。
でも、彼女が相良先生と話せて良かったと言ってくれたように、美湖も幾分かほっとしている。よかった。やっぱり吾妻が選んだ女性だと思った。
・◇・◇・◇・
ついに。出不精の女医。瀬戸内の離島に赴任して以来、初めて。定期で出ている高速船に乗って松山市へ買い物に出掛けた!
飛行機で松山空港に降りてから、タクシーで港まで直行してそのままフェリーに乗って島に来てしまったため、城下町である松山市は素通りだった。
中心街に出ればデパートもあると聞いて、美湖はそこで久しぶりに『女らしい買い物』をたくさんしてしまう。
そこで……、恥ずかしながら。水着を購入。しかし近頃の水着はちょっとした洋服のようで、胸元もビキニラインも気にしなくてもよい、露出が少なく身体のスタイルを気にしないもので溢れていた。
まだ独身なので体型も二十代のころから維持しているつもりだったが、もう大胆に胸も足もお尻も晒す勇気はなくなっていた。
他にも、診療所でもう少しラフに着られそうな仕事用の服、ランジェリーに化粧品など。やっぱり女の買い物は楽しいと存分に散財をしている。
全国的に有名な珈琲会社のカフェを見つけてしまい、そこでちょっと腹ごしらえ、上質なコーヒーを堪能して帰路につく。
天守閣が見える城山と、がたんごとんとのんびりと走っている路面電車。夏目漱石、正岡子規、秋山好古・真之兄弟など縁の街。古き良き時代の風を感じる。
蒸し暑い夏風がゆっくりと吹く市街をあとにして、美湖はふたたびフェリーが出る古港へと向かう。
電鉄の古港の駅を降りて、港の商店街を抜け、フェリー乗り場へと荷物を抱えながら歩いている時だった。
港チケット売り場の道沿い、歩いているすぐそばの車道、そこに大きな黒い車が停車した。
厳つい大きなクルーザー型の車。いきなり人のそばに停車したりして『なによ』と美湖は睨んでいた。その助手席側のウィンドウが自動で開いた。
「美湖先生!」
運転席から助手席へと身を乗り出してこちらを見下ろした男の顔に、美湖も驚く。
「ハル君!」
「すげえ、センセ、島を出て一人で買い物が出来たんだ」
またスーツ姿の凛々しい男が、でもいつもの生意気な声でそういって笑っている。
「ハル君が水着を準備しておけっていうから、わざわざ出て行ったんだから」
「持ってなかったんだ、水着。それであんなに水着じゃないとダメなのかって言っていたのかよ」
「水着なんて喜んで着るのは二十代の若い時だけ! しかも前の水着なんて恥ずかしくて着られないから! 三十代の女のキモチなんだからねっ」
あ、そうだったのかとハルも我に返っている。
「そう言ってくれたらいいのに。おしっことか生理用品とか言えて、どうしてそれ言えなかったんだよ」
うわー、そういうつっこみするか。私にだって照れとか女心があってだね、ただ、それがかわいげがないだけでね! そう思ったが言いたくなかったので美湖は黙る。
「センセ、何時の船? 高速船だろ。俺も乗って帰るから。座席を合わせたいから、チケット売り場で買わずに待っていて」
「え、この車は?」
高速艇は人しか乗れない。車はフェリーでないと持って帰れないはず? しかも島で彼がこの車に乗っているのを見たことがない。
「これ、こっち市街用。今治に行く時に使っているからこっちの月極に預けてるんだ。そこまで置いてくるから」
そういうとハルの大きな黒い車が発進する。
「HUMMERなんか乗っちゃって。あれ、めちゃくちゃ高いでしょ??」
しかも、厳つくかっこよくきめちゃって。やっぱり年頃の大人の男なんだなあと改めて思った。
「会社経営の母方親戚に、不動産持ちの古い家系らしき島民の家柄で。クルーザー持ち、高級外車持ち。まさか、おぼっちゃん??」
初めてそう思えた。
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