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19.島のお姉さん
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「吾妻先生もそろそろではないかと案じていました」
吾妻も知っている。そう聞いただけで、美湖は観念をした。
「吾妻先生も知っているんですか……、ハル君のこと……」
早苗も『はい。島に来てしばらくしてから』と小さく答えてくれる。
「吾妻先生が心配していたからだけではありません。相良先生とハルが一緒にいるのはやはり目立つのでしょう。一緒にいるところを見てしまえば、そこらかしこで『言いたくなること』あるでしょう」
彼女から切り出してきた。そして美湖も理解した。
「つまり……、私と晴紀君が一緒にいるせいで言われたことを、聞いたってことですか? いまそう噂されているんですね」
自分と晴紀が毎日一緒にいる、距離が近い生活をしていることで、新たな『噂』になっているのだと察した。
だから彼女が来てくれた? 吾妻がよこしてくれた? 彼女が今日ここに来たのはそういうことだというのも理解した。
彼女が哀しそうな目の色に変わった。大人の情が深い柔らかな目。吸い込まれそうだった。これは吾妻が好きになるはずだと思うほどに。
「晴紀と先生がそういう仲になるとしたら、ハルの東京での出来事は避けられない。相良先生が知らないままつきあうのはどうなのかと、心配になってしまうことが、噂話になるだけですよ」
やっぱり。美湖はひとりそっと目を閉じ残念に思う。あの時、一緒に買い物に行くべきではなかったのかもしれない。どうあっても若い男と女。大家と彼の土地に住まう診療所の医師だとしても、もっと気を配るべきだった。
「迂闊でした。晴紀君の立場を思いやって、馴れ馴れしくすべきではありませんでした」
「いえ、先生。私はそういうことが言いたいのではないのです」
彼女が慌てた。
「幼い頃からこの西の港地区で一緒に育って暮らしてきた子供同士です。むしろ、相良先生が来てくださったことで、晴紀にも清子さんにも変化がでていること、先生が自然に接してくださっていることとても良いことだったと思っています。子供の頃から優しくしてくれた清子さんが外に出るようになって、生き生きと先生にお昼ごはんを作って『雇ってくれたの』と嬉しそうに話してくれて。私もほっとしているんです。感謝しているのです」
「……それは、晴紀君にも言ったけれど。私にとっても助かることだったからです」
「清子さんから聞きました。晴紀に真っ正面からぶつかってくれるそうですね」
「……それは、私が、大人げないだけで……」
「いいえ。人に後ろ指さされて島に帰ってきた晴紀には、島の外からやってきた人間に真っ正面から相手にしてもらえたことで、彼も自信を取り戻しているんだと思います」
美湖はそう聞いて、うなだれる。
「後ろ指……って……、私は信じない。ハル君はハル君のままでしかないから」
そう言いきった美湖を、驚きの眼で早苗が見つめている。
そして、彼女が優しく微笑んだ。
「吾妻とおなじですね。美湖先生」
その顔はもう、凛としたシビアなナースの彼女ではなかった。きっとこれが吾妻が愛している早苗という女性の顔。
「なにも事情を知らなくても、どんなことがあったか知ってしまっても。島に来てから知った晴紀という子の自然な姿をそのまま信じると言ってくださるの……。吾妻も言っていました。『相良もきっと信じると言い切るだろう』と。だから、今日……彼はここに来ません。あなたを信じているから」
「でも。私はなにも、まだなにも知らない。そして、あなたから聞きたくない」
それにも早苗は優しく頷いてくれる。
「わかりました。私が……出しゃばってしまいましたね」
島のお姉さんとして、案じただけ。良くわかっているから、美湖も『出しゃばっていないですよ』と首を振る。
「彼が話してくれるまで、彼と話せるようになるまで。私は待っていようと思います。私は島に来た時から今日までも、明日からも同じ。彼と清子さんとの毎日は変えません」
「安心しました。先生、よろしくお願いいたします」
本当の姉のように頭を下げられてしまったから、美湖も恐縮し一緒に頭を下げる。
その早苗がこれで安心して帰るのかと思ったら、ほっとひと息つくと、またちょっと困った顔で美湖に話しかける。
「相良先生。今度は私のお話を聞いて頂けますか」
「え、若輩の私でよろしければ……」
相手は大人の女性、百戦錬磨のキャリアがあるナース。吾妻のパートナー。美湖のほうがドクターといえども、自分で役に立つことなどあるのかと首を傾げる。
だが彼女が驚くことを美湖に告げる。
「吾妻先生にプロポーズされて困っているんです」
え! プロポーズ!! あの先生、恋人に飽きたらず今度は結婚に手を出している! 美湖も仰天した。
「あの、あの……そんな私なんか相談できるようなことでは」
「いいえ! 美湖先生は吾妻のことよくご存じなんですよね! 前の奥様のことも!」
それまで大人の女性で落ち着いていたのに、そこで彼女が顔を覆って急に泣き顔になった。
「私、そういうこと聞けなくて! やっぱりいままでの彼のこと知りたい!」
彼女がわっと泣き出したので、美湖は困惑……。そんなに悩んでいたの、溜め込んでいたの? そういいたくなる姿だった。
「ああ、ええっと。早苗さん。えっと、泣かないで……」
なんだかわかる気がした。都会から来たエース級の男前な外科医に見初められたのも、彼と対等に仕事ができるナースだから。そうして彼女は吾妻と対等でありたいと気が強いふりをしていたのかもしれない。そういうのは美湖も女として身に覚えがある。
お話聞きますよ――と、今度は美湖が弱々しくなった早苗を労りながら、ダイニングに連れて行くことにした。
吾妻も知っている。そう聞いただけで、美湖は観念をした。
「吾妻先生も知っているんですか……、ハル君のこと……」
早苗も『はい。島に来てしばらくしてから』と小さく答えてくれる。
「吾妻先生が心配していたからだけではありません。相良先生とハルが一緒にいるのはやはり目立つのでしょう。一緒にいるところを見てしまえば、そこらかしこで『言いたくなること』あるでしょう」
彼女から切り出してきた。そして美湖も理解した。
「つまり……、私と晴紀君が一緒にいるせいで言われたことを、聞いたってことですか? いまそう噂されているんですね」
自分と晴紀が毎日一緒にいる、距離が近い生活をしていることで、新たな『噂』になっているのだと察した。
だから彼女が来てくれた? 吾妻がよこしてくれた? 彼女が今日ここに来たのはそういうことだというのも理解した。
彼女が哀しそうな目の色に変わった。大人の情が深い柔らかな目。吸い込まれそうだった。これは吾妻が好きになるはずだと思うほどに。
「晴紀と先生がそういう仲になるとしたら、ハルの東京での出来事は避けられない。相良先生が知らないままつきあうのはどうなのかと、心配になってしまうことが、噂話になるだけですよ」
やっぱり。美湖はひとりそっと目を閉じ残念に思う。あの時、一緒に買い物に行くべきではなかったのかもしれない。どうあっても若い男と女。大家と彼の土地に住まう診療所の医師だとしても、もっと気を配るべきだった。
「迂闊でした。晴紀君の立場を思いやって、馴れ馴れしくすべきではありませんでした」
「いえ、先生。私はそういうことが言いたいのではないのです」
彼女が慌てた。
「幼い頃からこの西の港地区で一緒に育って暮らしてきた子供同士です。むしろ、相良先生が来てくださったことで、晴紀にも清子さんにも変化がでていること、先生が自然に接してくださっていることとても良いことだったと思っています。子供の頃から優しくしてくれた清子さんが外に出るようになって、生き生きと先生にお昼ごはんを作って『雇ってくれたの』と嬉しそうに話してくれて。私もほっとしているんです。感謝しているのです」
「……それは、晴紀君にも言ったけれど。私にとっても助かることだったからです」
「清子さんから聞きました。晴紀に真っ正面からぶつかってくれるそうですね」
「……それは、私が、大人げないだけで……」
「いいえ。人に後ろ指さされて島に帰ってきた晴紀には、島の外からやってきた人間に真っ正面から相手にしてもらえたことで、彼も自信を取り戻しているんだと思います」
美湖はそう聞いて、うなだれる。
「後ろ指……って……、私は信じない。ハル君はハル君のままでしかないから」
そう言いきった美湖を、驚きの眼で早苗が見つめている。
そして、彼女が優しく微笑んだ。
「吾妻とおなじですね。美湖先生」
その顔はもう、凛としたシビアなナースの彼女ではなかった。きっとこれが吾妻が愛している早苗という女性の顔。
「なにも事情を知らなくても、どんなことがあったか知ってしまっても。島に来てから知った晴紀という子の自然な姿をそのまま信じると言ってくださるの……。吾妻も言っていました。『相良もきっと信じると言い切るだろう』と。だから、今日……彼はここに来ません。あなたを信じているから」
「でも。私はなにも、まだなにも知らない。そして、あなたから聞きたくない」
それにも早苗は優しく頷いてくれる。
「わかりました。私が……出しゃばってしまいましたね」
島のお姉さんとして、案じただけ。良くわかっているから、美湖も『出しゃばっていないですよ』と首を振る。
「彼が話してくれるまで、彼と話せるようになるまで。私は待っていようと思います。私は島に来た時から今日までも、明日からも同じ。彼と清子さんとの毎日は変えません」
「安心しました。先生、よろしくお願いいたします」
本当の姉のように頭を下げられてしまったから、美湖も恐縮し一緒に頭を下げる。
その早苗がこれで安心して帰るのかと思ったら、ほっとひと息つくと、またちょっと困った顔で美湖に話しかける。
「相良先生。今度は私のお話を聞いて頂けますか」
「え、若輩の私でよろしければ……」
相手は大人の女性、百戦錬磨のキャリアがあるナース。吾妻のパートナー。美湖のほうがドクターといえども、自分で役に立つことなどあるのかと首を傾げる。
だが彼女が驚くことを美湖に告げる。
「吾妻先生にプロポーズされて困っているんです」
え! プロポーズ!! あの先生、恋人に飽きたらず今度は結婚に手を出している! 美湖も仰天した。
「あの、あの……そんな私なんか相談できるようなことでは」
「いいえ! 美湖先生は吾妻のことよくご存じなんですよね! 前の奥様のことも!」
それまで大人の女性で落ち着いていたのに、そこで彼女が顔を覆って急に泣き顔になった。
「私、そういうこと聞けなくて! やっぱりいままでの彼のこと知りたい!」
彼女がわっと泣き出したので、美湖は困惑……。そんなに悩んでいたの、溜め込んでいたの? そういいたくなる姿だった。
「ああ、ええっと。早苗さん。えっと、泣かないで……」
なんだかわかる気がした。都会から来たエース級の男前な外科医に見初められたのも、彼と対等に仕事ができるナースだから。そうして彼女は吾妻と対等でありたいと気が強いふりをしていたのかもしれない。そういうのは美湖も女として身に覚えがある。
お話聞きますよ――と、今度は美湖が弱々しくなった早苗を労りながら、ダイニングに連れて行くことにした。
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