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2. ヤクザさんでも、常連様
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「しばらく、様子を見よう。手荒いことをするような人には見えないよ。とっても落ち着いているし」
「うん、そうだな。先入観、良くないよな。それに接客なら姉ちゃんのほうが経験もスキルもある。姉ちゃんがそういうなら様子を見る」
美鈴は元々、大手コンタクトセンターで『SV』をしていた。コールセンターのオペレーターから、そのオペレーターを管理する『スーパーバイザー』、つまりリーダーのようなポジションまで手に入れていた。なのに辞めた。
テクニカルサポート、クレーム対応、さらに生産性を向上させるなどの細かい管理仕事は嫌いではなく、やり甲斐もあった。お客様と話すのも大好きだった。長く勤めてSVを任されたのに……。
その接客スキルを『うちの店で活かしてくれ』と弟に頼まれた。
弟が持っている携帯電話が鳴る。着信表示は『莉子りこ』とある。弟の妻。美鈴にとっては義理の妹になる。
「うん、俺。ああ、いま大丈夫。客いないから。身体、大丈夫か。気にするなよ。こっちに降りてくるなよ」
いま客足がなくなる時間帯とわかって、彼女が電話をしてきたのがわかる。義妹から美鈴とも話したいと言ったようで、弟が電話を差し出してくる。
『あ、すずちゃん。いまから買い物に行くんだけれど、なにか買っておきたいものある?』
「今日はないかな。買い物行くの? 私が行ってもいいんだよ」
『大丈夫。だって動かないと赤ちゃんのためにもよくないって、先生が言っていたから。それに私だけお店のお手伝いできなくなって、部屋にこもりっきりで、気が滅入っちゃう』
「そっか。そうだね、外の空気も大事だよね。気をつけてね」
わかったと元気な声で義妹が電話を切った。弟に電話を返し、二人は一緒に店の天井を見上げる。
二階にその義妹がいるから。義妹は妊娠中、安定期に入ったとはいえ、大きなお腹なので二階の自宅で安静にしてもらっている。もとは彼女もこのお店の接客を手伝っていたので、退屈そうだった。
この店は弟の自宅も兼ねて建てられた。いま美鈴もお世話になって、一緒に暮らしている。
「店を造る時に二階に自宅をと安易に考えたけれど、嫁が妊娠してお腹が大きくなって一人で階段を降りる姿を見ちゃうと、平屋にしておけば良かったかな……なんて」
弟が溜め息をつく。
「心配なら様子を見ておいでよ。お客様がいらしたら、すぐに呼ぶから。莉子ちゃんも旦那が様子を見に来てくれただけで、ほっとすると思うんだよね。すぐに出掛けられそうだったら、一緒に階段を下りて車に乗るまでついていってあげなよ」
「うん、行ってくる」
コック帽を脱いだ宗佑がすっとんでいく。
東京で出会ったふたり。夫の田舎にまでついてきてくれた東京育ちのお嬢さんだった義妹。
弟夫妻と小姑ではあるが、仲良く暮らしていた。美鈴と宗佑の姉弟に両親はもういない。
この店は、三年前に他界した母からの遺産を相続して建てたものだった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
最近は車を運転する主婦も多いため、立地がどうであろうが新しいカフェということでランチの予約もよく入る。
お子様連れでも困らないような席を考慮するようになってきた。
弟ももうすぐ『パパ』、父親に。小さなお子様を連れているお客様の動向も気になるよう。
そこで美鈴はアンケート用紙をつくった。答えてくれたお子様連れの女性客には、お子様が喜びそうな小さなプレゼントを用意することに。
スイーツを作った後に余ったチョコレートでコーティングしたフレークを、弟が簡単なお礼スイーツとして作ってくれた。これを小さな蓋つきカップ容器に入れ、義妹の莉子がかわいらしく見えるようお洒落なシールを貼ってラッピング。
その成果があったのか、忌憚のないコメントをちらほら取得できるようになってきた。
弟も完璧ではないとはわかっていても、自分の店なので厳しい声をもらうと激しいボディブローを喰らったかのように、閉店後に落ち込んでいることがある。
ここで厳しいことが記されていても腹を立てたりがっかりしてはいけない。これこそ店の改善策、よりよく成長していくためのものだと宗佑にも諭しておく。
「宗佑、ここでめげたらダメだよ。テーブルのレイアウトを変えてみよう」
小さなワンフロアの店となると、子連れとそうではないお客様との過ごし方が違うため、その配慮が必要になる。
テーブルをひとつどけて、小さいながらもキッズスペースを作ることにしてみた。
「ドレッシングは美味しいけれど、子供には酸味が強すぎる――。なるほどね」
「大人受けはいいと思うんだけれどな。俺、店を始めて知ったけれど、奥様達のランチ会てけっこう多いし、有り難い。やっぱ無視できないよな」
「こられたお客様のお話を聞いていると、幼稚園のママさんが多いみたい。行事の手伝いとかで園に集まったりするでしょう。茶話会とかいうのがあるみたい。口コミで次から次へとお客様を連れてきてくれるけれど、一度、評判を落とすと客足遠のいて取り戻すのは厳しいと思う」
だから無視しないで、真剣に検討しよう。宗佑を宥めると、彼も本気になってくれる。
「もっと口当たりのいいドレッシング、考えてみる」
「そうだね。常連様も飽きが来なくていいと思うよ」
そうして弟が夏向けも考慮して新作のドレッシングを考案。
この『Dining cafe Marina』(ダイニングカフェ マリーナ)の売りは、魚介系ランチと小さなサラダバー。それをセットにしている。ディナーは洋食系が多く、セットも同様に。
そのサラダバーに置いているドレッシングは、今のところワインビネガーとオイルのもの。ワインレッドのビネガーとオイルの二層に別れているドレッシングボトルを各テーブルに、味付けは胡椒と瀬戸内の塩をお好みで。
シンプルなドレッシングは奥様達に好評だった。だがこれ、確かに酸味が強い、大人の味と言えたかもしれない。
数日後、新しいドレッシングをビネガードレッシングと一緒に並べて置くことにした。
その日、また彼がやってきた。今日も蒸し暑いというのに、相変わらずのノーネクタイの白ワイシャツに黒スーツ姿で、相変わらずの厳つい目つきに不精ヒゲ。
いつも通りのオーダー、今日のランチは『カツオの手こね寿司』。サラダバーのセット。食後はアイスコーヒー。
「これ。新しいドレッシングですか」
宗佑の新作ドレッシングに気がついてくれた。
「はい。夏向けに。それからお子様が食べやすいように、酸味をまろやかにしています」
「試してみます」
真剣な顔で彼が言う。笑みもないけれど、眼差しはいつも真摯に思えた。
新しいドレッシングは『ソイミルクオレンジ』。豆乳とオレンジの果汁でマヨネーズ風にしてあるものだった。ランチタイムで接客も忙しい中、黒い彼がサラダバーで好きな野菜を木のボウルに入れて選び、戻ったテーブルでソイミルクドレッシングで味わっているのを美鈴は確認する。
他のお客様が食べ終わったお皿をキッチンに下げると、弟もフロアにいる彼を気にしていた。
「どうかな。あの人、気に入ってくれたかな」
「試していたみたいだよ。でも感想はどうだろうね。そんなこと今までだって、ひと言も口にしたことないもの」
「ないけどよ。ないけど、なんとなく、なあ」
うん、わかる。言葉なくてもなんとなく……。美鈴も感じている。彼がここの食事を丁寧に味わってくれていること。美鈴よりも料理人の宗佑にはぴんと来るものがあるのだろう。あの客は味わってくれている。真っ当な評価をしてくれる人だからと。
食後のアイスコーヒーを持っていったが、この日はデザートの注文はなかった。すぐに席を立ち、レジに向かってくる。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございます……」
先日はここで彼がジャケットを落とし、逞しい腕に入れ墨らしき模様と傷跡を見つけてしまった。
あの時は怖かったけれど。不思議。今日は気にならない。いつも通りに迎え入れられていた。
お札を預かり小銭の準備をしていると、彼がレジ横にある小さなスイーツをじっと見つめている。
「あの、チョコフレーク。お好きなのですか」
こちらから声をかけると、彼がちょっと困った顔をした。
「いえ、その」
戸惑い口ごもるその怖い顔が『好きだ』と言っている、美鈴はそう受け止めた。レジにあるアンケート用紙を差し出す。
「こちらのアンケートに答えてくださる女性の方、特にお子様連れの方にお礼に渡しております。お客様も是非」
「自分は男です。遠慮いたします」
朴訥な言い方。でも丁寧な語り口、ヤクザさんてもっと怖い喋り方をすると思っていたから意外で、やっぱりあの入れ墨は若気の至りとかで思わず入れてしまったものだと思いたくなる。
「お子様連れのママさんの意見が欲しくて実施していただけです。お客様、いつも来てくださっているので是非。点数にマルをつけてくださるだけでもかまいませんから、こちらからもお願いします」
開店して一年、気を緩めないためにも率直な意見を聞きたいと付け加えると、彼がそのアンケート用紙を手に取ってくれる。
レジのカウンターで、美鈴に丸見えの状態でもさらさらっと各項目の五段階評価に○をつけてくれる。そして最後のコメント欄にも。
とても綺麗な字を書く人。知性も窺えた。
「マスターに美味かったとお伝えください」
その言葉はもちろん、コメントを既に見てしまった美鈴まで嬉しくなってしまっていた。早く、宗佑にこれ見せてあげたい!
「ありがとうございます。弟も、」
うっかり『弟』と言ってしまう。
「いえ、店長も喜びます」
「弟……さんでしたか。ご姉弟でされていらっしゃるのですね」
「はい、うっかり……。お客様に関係のないことを、申し訳ありません」
「いいえ。ご姉弟で頑張ってください。お二人のお仕事の味でていますから」
表情はないのに。優しい言葉と大人の声。なんだか美鈴は泣きそうになってしまった。そういう懐の広い、温かい、大人が労ってくれる声が久しぶりのような気がして……。彼がヤクザなんて、もう、忘れてしまいたい。
「こちら、お礼のチョコレートフレークです。店長の手作りです」
小さな透明カップ、義妹がお洒落なシールを貼ってくれたものを手渡した。
「いただきます。酒の肴にします」
え、その甘いのを?? 驚いている美鈴にかまわず、黒い彼が店を出て行った。
彼を見送って、美鈴はすぐにキッチンで調理をしている弟へ、黒い彼が書いてくれたアンケート用紙を持っていく。
「宗佑、あの人が書いてくれたよ!」
「マジで!」
アンケート用紙を姉の手からひったくり、弟がマジマジとコメント欄を眺める。
いつも丁寧なうまいメシありがとうございます。オレンジの香りがする優しいドレッシングでした。オヤジの自分でも、このドレッシングは気に入りました。この季節は食欲がなくなるのですが、本日は美味しくいただきました。今後もなにが食べられるのか楽しみにしております。
「めっちゃ綺麗な字じゃん、うおー、やったーー!」
「良かったねー、宗佑!」
いちばん気にしていたこと、そして気にしていた人からのコメントに宗佑は大感激したようで、ご機嫌で調理の続きを始めた。
美鈴もお客様に呼ばれ、気持ちを落ち着けてフロアに戻る。
その夜、義妹にもそのコメントを見せると一緒に喜んでくれた。
三人で乾杯!
もうヤクザでもいいよね! 気にしない! そうしようね!
姉弟、義妹で気持ちの良い夜を過ごせた。
「うん、そうだな。先入観、良くないよな。それに接客なら姉ちゃんのほうが経験もスキルもある。姉ちゃんがそういうなら様子を見る」
美鈴は元々、大手コンタクトセンターで『SV』をしていた。コールセンターのオペレーターから、そのオペレーターを管理する『スーパーバイザー』、つまりリーダーのようなポジションまで手に入れていた。なのに辞めた。
テクニカルサポート、クレーム対応、さらに生産性を向上させるなどの細かい管理仕事は嫌いではなく、やり甲斐もあった。お客様と話すのも大好きだった。長く勤めてSVを任されたのに……。
その接客スキルを『うちの店で活かしてくれ』と弟に頼まれた。
弟が持っている携帯電話が鳴る。着信表示は『莉子りこ』とある。弟の妻。美鈴にとっては義理の妹になる。
「うん、俺。ああ、いま大丈夫。客いないから。身体、大丈夫か。気にするなよ。こっちに降りてくるなよ」
いま客足がなくなる時間帯とわかって、彼女が電話をしてきたのがわかる。義妹から美鈴とも話したいと言ったようで、弟が電話を差し出してくる。
『あ、すずちゃん。いまから買い物に行くんだけれど、なにか買っておきたいものある?』
「今日はないかな。買い物行くの? 私が行ってもいいんだよ」
『大丈夫。だって動かないと赤ちゃんのためにもよくないって、先生が言っていたから。それに私だけお店のお手伝いできなくなって、部屋にこもりっきりで、気が滅入っちゃう』
「そっか。そうだね、外の空気も大事だよね。気をつけてね」
わかったと元気な声で義妹が電話を切った。弟に電話を返し、二人は一緒に店の天井を見上げる。
二階にその義妹がいるから。義妹は妊娠中、安定期に入ったとはいえ、大きなお腹なので二階の自宅で安静にしてもらっている。もとは彼女もこのお店の接客を手伝っていたので、退屈そうだった。
この店は弟の自宅も兼ねて建てられた。いま美鈴もお世話になって、一緒に暮らしている。
「店を造る時に二階に自宅をと安易に考えたけれど、嫁が妊娠してお腹が大きくなって一人で階段を降りる姿を見ちゃうと、平屋にしておけば良かったかな……なんて」
弟が溜め息をつく。
「心配なら様子を見ておいでよ。お客様がいらしたら、すぐに呼ぶから。莉子ちゃんも旦那が様子を見に来てくれただけで、ほっとすると思うんだよね。すぐに出掛けられそうだったら、一緒に階段を下りて車に乗るまでついていってあげなよ」
「うん、行ってくる」
コック帽を脱いだ宗佑がすっとんでいく。
東京で出会ったふたり。夫の田舎にまでついてきてくれた東京育ちのお嬢さんだった義妹。
弟夫妻と小姑ではあるが、仲良く暮らしていた。美鈴と宗佑の姉弟に両親はもういない。
この店は、三年前に他界した母からの遺産を相続して建てたものだった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
最近は車を運転する主婦も多いため、立地がどうであろうが新しいカフェということでランチの予約もよく入る。
お子様連れでも困らないような席を考慮するようになってきた。
弟ももうすぐ『パパ』、父親に。小さなお子様を連れているお客様の動向も気になるよう。
そこで美鈴はアンケート用紙をつくった。答えてくれたお子様連れの女性客には、お子様が喜びそうな小さなプレゼントを用意することに。
スイーツを作った後に余ったチョコレートでコーティングしたフレークを、弟が簡単なお礼スイーツとして作ってくれた。これを小さな蓋つきカップ容器に入れ、義妹の莉子がかわいらしく見えるようお洒落なシールを貼ってラッピング。
その成果があったのか、忌憚のないコメントをちらほら取得できるようになってきた。
弟も完璧ではないとはわかっていても、自分の店なので厳しい声をもらうと激しいボディブローを喰らったかのように、閉店後に落ち込んでいることがある。
ここで厳しいことが記されていても腹を立てたりがっかりしてはいけない。これこそ店の改善策、よりよく成長していくためのものだと宗佑にも諭しておく。
「宗佑、ここでめげたらダメだよ。テーブルのレイアウトを変えてみよう」
小さなワンフロアの店となると、子連れとそうではないお客様との過ごし方が違うため、その配慮が必要になる。
テーブルをひとつどけて、小さいながらもキッズスペースを作ることにしてみた。
「ドレッシングは美味しいけれど、子供には酸味が強すぎる――。なるほどね」
「大人受けはいいと思うんだけれどな。俺、店を始めて知ったけれど、奥様達のランチ会てけっこう多いし、有り難い。やっぱ無視できないよな」
「こられたお客様のお話を聞いていると、幼稚園のママさんが多いみたい。行事の手伝いとかで園に集まったりするでしょう。茶話会とかいうのがあるみたい。口コミで次から次へとお客様を連れてきてくれるけれど、一度、評判を落とすと客足遠のいて取り戻すのは厳しいと思う」
だから無視しないで、真剣に検討しよう。宗佑を宥めると、彼も本気になってくれる。
「もっと口当たりのいいドレッシング、考えてみる」
「そうだね。常連様も飽きが来なくていいと思うよ」
そうして弟が夏向けも考慮して新作のドレッシングを考案。
この『Dining cafe Marina』(ダイニングカフェ マリーナ)の売りは、魚介系ランチと小さなサラダバー。それをセットにしている。ディナーは洋食系が多く、セットも同様に。
そのサラダバーに置いているドレッシングは、今のところワインビネガーとオイルのもの。ワインレッドのビネガーとオイルの二層に別れているドレッシングボトルを各テーブルに、味付けは胡椒と瀬戸内の塩をお好みで。
シンプルなドレッシングは奥様達に好評だった。だがこれ、確かに酸味が強い、大人の味と言えたかもしれない。
数日後、新しいドレッシングをビネガードレッシングと一緒に並べて置くことにした。
その日、また彼がやってきた。今日も蒸し暑いというのに、相変わらずのノーネクタイの白ワイシャツに黒スーツ姿で、相変わらずの厳つい目つきに不精ヒゲ。
いつも通りのオーダー、今日のランチは『カツオの手こね寿司』。サラダバーのセット。食後はアイスコーヒー。
「これ。新しいドレッシングですか」
宗佑の新作ドレッシングに気がついてくれた。
「はい。夏向けに。それからお子様が食べやすいように、酸味をまろやかにしています」
「試してみます」
真剣な顔で彼が言う。笑みもないけれど、眼差しはいつも真摯に思えた。
新しいドレッシングは『ソイミルクオレンジ』。豆乳とオレンジの果汁でマヨネーズ風にしてあるものだった。ランチタイムで接客も忙しい中、黒い彼がサラダバーで好きな野菜を木のボウルに入れて選び、戻ったテーブルでソイミルクドレッシングで味わっているのを美鈴は確認する。
他のお客様が食べ終わったお皿をキッチンに下げると、弟もフロアにいる彼を気にしていた。
「どうかな。あの人、気に入ってくれたかな」
「試していたみたいだよ。でも感想はどうだろうね。そんなこと今までだって、ひと言も口にしたことないもの」
「ないけどよ。ないけど、なんとなく、なあ」
うん、わかる。言葉なくてもなんとなく……。美鈴も感じている。彼がここの食事を丁寧に味わってくれていること。美鈴よりも料理人の宗佑にはぴんと来るものがあるのだろう。あの客は味わってくれている。真っ当な評価をしてくれる人だからと。
食後のアイスコーヒーを持っていったが、この日はデザートの注文はなかった。すぐに席を立ち、レジに向かってくる。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございます……」
先日はここで彼がジャケットを落とし、逞しい腕に入れ墨らしき模様と傷跡を見つけてしまった。
あの時は怖かったけれど。不思議。今日は気にならない。いつも通りに迎え入れられていた。
お札を預かり小銭の準備をしていると、彼がレジ横にある小さなスイーツをじっと見つめている。
「あの、チョコフレーク。お好きなのですか」
こちらから声をかけると、彼がちょっと困った顔をした。
「いえ、その」
戸惑い口ごもるその怖い顔が『好きだ』と言っている、美鈴はそう受け止めた。レジにあるアンケート用紙を差し出す。
「こちらのアンケートに答えてくださる女性の方、特にお子様連れの方にお礼に渡しております。お客様も是非」
「自分は男です。遠慮いたします」
朴訥な言い方。でも丁寧な語り口、ヤクザさんてもっと怖い喋り方をすると思っていたから意外で、やっぱりあの入れ墨は若気の至りとかで思わず入れてしまったものだと思いたくなる。
「お子様連れのママさんの意見が欲しくて実施していただけです。お客様、いつも来てくださっているので是非。点数にマルをつけてくださるだけでもかまいませんから、こちらからもお願いします」
開店して一年、気を緩めないためにも率直な意見を聞きたいと付け加えると、彼がそのアンケート用紙を手に取ってくれる。
レジのカウンターで、美鈴に丸見えの状態でもさらさらっと各項目の五段階評価に○をつけてくれる。そして最後のコメント欄にも。
とても綺麗な字を書く人。知性も窺えた。
「マスターに美味かったとお伝えください」
その言葉はもちろん、コメントを既に見てしまった美鈴まで嬉しくなってしまっていた。早く、宗佑にこれ見せてあげたい!
「ありがとうございます。弟も、」
うっかり『弟』と言ってしまう。
「いえ、店長も喜びます」
「弟……さんでしたか。ご姉弟でされていらっしゃるのですね」
「はい、うっかり……。お客様に関係のないことを、申し訳ありません」
「いいえ。ご姉弟で頑張ってください。お二人のお仕事の味でていますから」
表情はないのに。優しい言葉と大人の声。なんだか美鈴は泣きそうになってしまった。そういう懐の広い、温かい、大人が労ってくれる声が久しぶりのような気がして……。彼がヤクザなんて、もう、忘れてしまいたい。
「こちら、お礼のチョコレートフレークです。店長の手作りです」
小さな透明カップ、義妹がお洒落なシールを貼ってくれたものを手渡した。
「いただきます。酒の肴にします」
え、その甘いのを?? 驚いている美鈴にかまわず、黒い彼が店を出て行った。
彼を見送って、美鈴はすぐにキッチンで調理をしている弟へ、黒い彼が書いてくれたアンケート用紙を持っていく。
「宗佑、あの人が書いてくれたよ!」
「マジで!」
アンケート用紙を姉の手からひったくり、弟がマジマジとコメント欄を眺める。
いつも丁寧なうまいメシありがとうございます。オレンジの香りがする優しいドレッシングでした。オヤジの自分でも、このドレッシングは気に入りました。この季節は食欲がなくなるのですが、本日は美味しくいただきました。今後もなにが食べられるのか楽しみにしております。
「めっちゃ綺麗な字じゃん、うおー、やったーー!」
「良かったねー、宗佑!」
いちばん気にしていたこと、そして気にしていた人からのコメントに宗佑は大感激したようで、ご機嫌で調理の続きを始めた。
美鈴もお客様に呼ばれ、気持ちを落ち着けてフロアに戻る。
その夜、義妹にもそのコメントを見せると一緒に喜んでくれた。
三人で乾杯!
もうヤクザでもいいよね! 気にしない! そうしようね!
姉弟、義妹で気持ちの良い夜を過ごせた。
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