魔女の托卵

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絶望に伸ばされた手

ふたりは笑い合う

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 みし、めきめきべきっ。
 異様な音とともに、シェンダリオンの身体がみるみる筋肉で膨れ上がる。腕や脚はライゼの胴ほども太くなり、胸は二倍、三倍、さらには五倍ほどにも厚く膨れていく。

「はっ、ははははは! 力が! さらなる力が私に! この身に……ぃぃいいい!?」

 大笑いをして自身の体を見つめていたシェンダリオンの声が、不意に裏返る。

「なに、あれ……」

 膨れ上がるシェンダリオンの体をなすすべもなく見つめていたリッテルは思わずつぶやいた。
 崩れていた。力を得たと笑っていたシェンダリオンの膨れ上がった腕が、脚が、体が、いたるところが裂けて血を流し、けれど崩壊は止まることなく、裂けた皮膚や肉がぼとり、ぼとりと落ち始める。

「あ、あああぁ! そんな、力が! 私の力が、こぼれてぇ……ぇぇぁあああああ!!!」

 ぼとり、ぼとり。留まることなく落ち続けていく自身の身体をかき集めながらシェンダリオンが絶叫した。

「いたい、いたいぃぃぃぃぃぃ!!」

 目を剥いて叫んだかと思うと、シェンダリオンは崩れゆく体を抱きしめて床のうえを転がり始めた。転がるたびにひぃひいと悲鳴をあげてはまたのたうち、のたうっては悲鳴をあげる。

「ああ……力といっしょに、痛みも強くなったのか……」

 呆然とライゼがつぶやいたとき。
 床に倒れてもがいていたシェンダリオンの脚が燭台にあたって、ろうそくの火がぐらりと傾ぐ。

「あ」

 つぶやいたのはリッテルだったのか、ライゼだったのか。

 そんなことを考える間も無く、倒れた燭台からこぼれた火が床に敷かれた絨毯に広がる。そこからは一瞬だった。
 絨毯を蛇のように這った炎は見る間に勢いを増して、触れたものすべてに燃え広がる。

 絨毯、部屋の中央に置かれた寝台、そのそばで叫びながらのたうつシェンダリオン。

「ああっ」

 リッテルが声をあげたときには、炎はすでに部屋全体を赤く照らしだしていた。

「逃げるよ。ライゼにつかまって」

 言うが早いか、リッテルの背中と尻の下あたりにライゼの腕が回る。あわててライゼの首にしがみついたときには、強く地を蹴る衝撃に襲われ、耳元で風がごうっと鳴いていた。

「ああっ、あぎぃぃぉぉお!!」

 とん、と砕けた塔の壁のうえに立ったライゼの腕のなかで、リッテルはシェンダリオンの絶叫を聞いて思わずその姿を探した。

「あっ」

 炎に包まれていく部屋のなかに、やせ細った男と異相の獣がぐったりと倒れていた。けれど、瞬きの間に彼らの姿は炎と煙に飲まれて、見えなくなった。

 黒煙が巻き上がる。

「いくよ」

 短く言ったライゼが、リッテルを抱えて塔の壁を蹴って飛んだ。
 ひゅう、と風が耳元で鳴いた次の瞬間、迫る地面に目をつむったリッテルは、がくんと強い衝撃を感じて、ごろごろと転がった。

「ん、う……」

 ようやく止まったところで頭をおさえながら体を起こしたリッテルは、痛む体を起こしてあたりを見回した。

 ーーーライゼ、どこ?

 離れた暗がりでうずくまるライゼを見つけて、はっとして飛び起き、駆け寄った。

「ライゼっ!」

 地面に倒れたライゼは、足を庇うように体を丸めていた。ただでさえぼろぼろの身体だったのに、無理をしてリッテルを抱えて飛び上がり、飛び降りたせいだろう。

 燃える塔の暗い光のなかでも、ライゼの身体のあちこちから血がこぼれているのが見て取れた。

「ライゼ、ライゼ!!」

「こっちに誰かいるぞ!」

 リッテルの叫び声に、暗闇の遠くで声がした。

 顔をあげると、黒い衣服を身につけた信徒たちと、思い思いの衣服に身を包んだ町のひととが手に手にろうそくの火を掲げて、駆けてくるのが見えた。

 ーーー逃げるべき?

 シェンダリオンやジュンナを思わせる黒い衣服に、リッテルの心が警戒する。
 けれど、目の前で倒れてうめいているライゼに目をやって、踏みとどまった。

「なんだ、お前たちは。塔の崩壊や火災と関係があるのか!?」

 駆けてきた信徒のひとりが怒鳴る。彼のほほは黒い煤で汚れていた。

「ひどいけが!なにがあったの?!」

 続いてやってきた町のひとだろう中年の女が声をあげた。彼女の衣服はところどころ水に濡れて、色が変わっている。
 彼らが駆けてきた方向から聞こえる「桶を!」「水を運べ!」という声から察するに、住民と信徒が一体となって、塔の炎を消そうとしているのだろう。

 ばらばらと駆け寄ってきたひとびとがリッテルとライゼを取り囲み、ろうそくの灯りでふたりを照らし出す。

「塔の火災に関係があるかもしれない」

「しかしこんな子どもが……?」

「だが、関係ないならなぜこんなところにいるのか」

 リッテルが助けを求める隙もなく、人々が口ぐちに騒ぐ。誰かが「ひとまず捕えておくべきでは」と言い出し、リッテルがライゼの手当てだけでも、と叫ぼうとしたとき。

「あっ、この娘は、ジュンナさまが大切な客人だとおっしゃっていた……」

 人垣の隙間から顔を出して声を上げたのは、リッテルが教会に来てはじめに出会った、感じの悪い信徒の男だった。
 リッテルをつまみ出そうとしていた男は、人垣から出てきてリッテルのそばに膝をつくと、ろうそくの火に照らされたリッテルの顔をのぞきこんだ。

「間違いありません。教会にとっても大切な客人であるからと、叱咤されましたから」

 信徒の男が大きな声であたりに知らせると、ひとびとの間に漂っていた緊張感がふっとほぐれた。

「ならば、丁重にもてなさなければ。しかし、こちらの男は……?」

 リッテルをにらみつけていた別の信徒が、視線をライゼに移した。

 手当てをしよう、と町のひとに手を引かれかけていたリッテルは、慌ててその手をふりほどき、ライゼの体に覆いかぶさった。

「彼は、火事になって危ないところを助けてくれたんです! この傷は、あたしをかばってできた傷で。手当てをするなら、彼を先に!」

「しかしお嬢ちゃん、そいつは付け火の犯人かもしれないからねえ」

 しぶる町の男に、まわりのおとなたちもリッテルとライゼを引き離そうとしてくる。

「さあ、お願いですから安全なところへ来てください」

「その男も、調べが終わって危険がないとわかれば治療をしますから。いまはどうか」

 なだめるように言った信徒たちが、リッテルの両脇を抱えて持ち上げる。大の男ふたりの腕で抱えられては、リッテルの抵抗などむなしいばかり。

 それでもあきらめられなかった。
 疑われているのに反論せず、捕えられようとしているのに抵抗しないライゼを、リッテルはあきらめられなかった。

 ―――彼をひとりにしたくない。……あたしはもう、ひとりになりたくない!

 胸に湧き上がる思いのままに、リッテルのくちは叫んでいた。

「彼は、ライゼは危険なんかじゃない! ライゼとあたしは、家族になるって約束してるの!」

 一瞬、間が開いて、はじめに声を発したのは町に住む中年の女だった。

「……なんだい。つまり、恋人を助けに行っただけのお兄ちゃんじゃないか。そういうことは早く言いなさいな!」

 場違いに朗らかな声がそう言えば、ライゼを捕らえようと伸ばされていた男たちの腕が引っ込んだ。リッテルを抱える信徒たちも手を離す。

 地面に下ろされ自由になったリッテルは顔を上げ、ライゼを探した。

 ―――いた。

 土にまみれて、傷だらけで倒れたライゼ。捕らえられ、引き離される未来を受け入れようとしていたライゼが、リッテルを見つめていた。

 ふらり、その目に引き寄せられるようにリッテルが一歩を踏み出したとき。

 どおぉぉん!
 大きな音をたてて教会の塔がばらばらと崩れ落ち、巨大な火柱が夜空を焦がす。そこここで悲鳴があがり、リッテルたちのそばにいた信徒たちや町の住人たちは、慌ただしく動き出す。

「まずい、塔の周りに燃え広がっちまう!」

「消火にあたっている者を下げましょう! 隣接する建物を壊して、延焼を防ぎます」

「ここに居る者は、支持を伝えに走ってください。我々はあちらへ、あなたがたは向こうへ!

 信徒と町の男たちが声をかけあって火の元へと駆けていく。

「あんたたち、ここにいなよ。燃えるものもないから、ここなら危なくないはずさ。あとで手当てしに来るからね、おとなしく待ってるんだよ!」

 中年の女は矢継ぎ早にそう言うと、男たちの後を追って走って行った。

 残されたリッテルは、遠い喧騒を背中にライゼに歩み寄る。倒れたままリッテルを見つめるライゼのそばにひざをつき、血や土で汚れたほほをそっと指でぬぐった。

 ライゼはリッテルの指を素直に受け入れて、大きく見開いたままの瞳にリッテルを映す。

「……いいの?」

 ぽつりと、ライゼのくちからことばがこぼれた。
 何が、という明確な問ではない。けれど、リッテルはうなずいた。

「うん。……たぶん」

 頼りない返答に、ライゼの顔がくしゃりとゆがむ。 

「……ライゼといたら、不幸になるかもしれないよ」

「あたしは、もう、ひとりになりたくないの。ライゼは強いんでしょ? あたしを置いて、いなくなったりしないでしょう?」

 不安げなライゼの声を打ち砕くように、リッテルはあえて強い調子で言った。けれど、ライゼのくしゃくしゃになった髪をすく手は、ゆるゆるとやわらかい。
 リッテルの手を受け入れたライゼは、塔の炎を瞳のなかに揺らめかせながら、ゆっくりとうなずいた。

「……うん。ライゼは、強いよ。ライゼは」

「ライゼは、いい子だものね。ライゼはやさしいものね。これからは、あたしが言ってあげる。だから、あたしと家族になって」

 ライゼのいつものおかしな物言いをさえぎってリッテルが言えば、ライゼの瞳で揺れていた炎の色が雫になってぼろりと落ちる。

 その涙に惹かれるように、リッテルは体をかがめてライゼと額を合わせてささやいた。

「リッテルは、ライゼと家族になるの。ひとりだと苦しいことも、ふたりで乗り越えたいの」

 それがたとえ、傷のなめ合いだとしても。今は彼の手を取りたかった。

「ライゼは、きみと……リッテルと家族になりたい。ひとりはさみしいから、ずっと、いっしょにいたい……!」

 リッテルのささやきを聞いたライゼはが嗚咽まじりにことばを返す。
確かな約束などない、ただくちからこぼれた想いを重ねただけのことば。
そうわかっているのに、互いの名を呼び合い交わしたそれはまるで結婚式の誓いのことばのようで、リッテルの目からも熱いものがあふれ出る。

 ぼろりぼろりとこぼれた涙はライゼのほほでまざって、もうどちらのものかわからなかった。
 傷だらけで、何も持っていないふたりだったけれど、一度なくした家族をふたたび手に入れたふたりは、額を合わせたまま笑っていた。やがて夜が明け、火事もすっかり鎮まってしまうまで、くすくすと笑い合っていた。
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