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学びと実践

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 アベの屋敷が本当の学び舎。
 その意味はニビとカスミも交えた楽しい食事が終わってから、ようやくナマリたちに告げられるとのことで。
 ひとまず楽しい食事が始まった。

 アベの屋敷は本当に不可思議で、ナマリはいまだ煮炊きをする部屋を見つけられていない。
 だというのにシキがどこからかせっせと運んでくるお膳は、ほかほかと湯気をたてておりどれもこれも大層うまい。

 この家に来てからの食事はどれも目新しくて量もたっぷりあってうまいけど、今日は特にうまい気がする――どうしてだろう、とナマリは思ったけれど。
 あたりを見回せば、考えるまでもなかった。
 
「ねーえ、カイトくんはぁ、やっぱり女の子はお料理得意じゃなきゃいや?」
「うん? いいや、そんなことはないよ。女の子だろうと男だろうと得意なことは得意な人に任せて、自分にできることを精いっぱいすればいいと思う。あ、ニビくん。ほっぺたにご飯粒がついているよ」
「どれ、うちが取ってやろ。あああ、なんとやわらかい頬か!」
「ひゃあ! むにむにしないでよぉ」
「むにむに! カスミも、カスミも~」
「おやおや、ムギさん。そんなにほっぺたばかりなでていたら、すり減ってしまいますよ」

 わいわいがやがやとにぎやかな食卓。
 家族で暮らしていたころは当たり前だった光景。
 あのころの食事は今、目の前に並んでいるものよりうんと質素で量も少なく、いつだって腹は空いていた。

 けれど、満たされていた。
 すくない食事を分け合い、笑い合って過ごす暮らしに心が満たされていたのだと、改めて気づかされる。

 幸せだったんだなあ――振り返ることしかできない日々をひどく遠く感じていると。

「ナマリさん、食べてるっすか?」

 シキが問いかけながら顔をのぞきこんできた。
 驚きつつも「ああ」と答えると、彼女は満足げにうなずいてナマリの横にちょっこり座る。
 ずっと動き通しで疲れただろうと飲み物を手渡せば、返ってきたのは感謝の言葉と軽やかな笑い。

「ありがとっす。ふふっ」
「なんだ? 何か面白かったか」

 受け取りながら笑うシキを不思議に思い訊ねれば、彼女は騒がしい食卓を眺めて目を細める。

「いーえ、なんだか幸せだなあと」

 その言葉がナマリの胸にじわりと染みた。

 幸せなのか――かつて幸せだっただけでなく。
 言われてみれば、今この時もナマリは幸せだった。
 弟妹がいて、ともに笑い合い食事を楽しむ人たちがいる。
 
 これを幸せと言わずしてなんというのか。
 
「ああ、そうだな」 

 認めてしまえばナマリの心は満たされていた。
 失った悲しみは確かにいまだ抱えたままだけれど、それでも。
 今が幸せかどうかなど、考えるまでもなかった。

「幸せだなあ」

 ***

 昼下がりからはじめた食事の席が終わりを迎えたのは、夕暮れを迎えるころ。
 はしゃぎ疲れたのだろう、ニビとカスミが目をこすりこすり舟をこぎ始めたのを合図にお開きとなった。

「ああ、ああ。眠ってしまう前に歯みがきしますえ」
「あ~、寝ないでください。ムギさま、急ぎましょうっす!」

 ムギとシキが幼児たちを抱えて部屋を出ていくのを見送って、ナマリとカイトそしてルネはすっかり片付いた部屋の中に並んで座った。
 空になった器は気付けば片付けられていて、いつの間に片付くのか結局ナマリにはわからないまま。
 不思議に思いながら見回すナマリの頭に、ふよんと乗ったのは空飛ぶクラゲだ。

「きらら」
「ヤタ」
「リュウちゃん」

 カイトとルネも自身の天妖を呼んで、肩にとまらせた。 
 それを待ってから、アベは三人と向かい合う形で腰を下ろす。
 
「えーとですね~、楽しい会が終わってかいさーん! と行きたいところなのですが。ひとつ君たちに知っておいてもらわなくてはいけないことがあるんです」
「アベ先生が今までで一番先生らしいことを言いだした」
「ほんとだね」
「ええ~、おしまいになってからようやく先生なの?」

 散々な言われようだが、アベは気にした様子もなく指を一本ぴしりと立てた。

「今日はひとつだけ。ひとつだけ覚えて帰ってくださいな。天鬼に影響を与えられるというのは、かなりすごいことなのですよ」

 それはそうだろう、とナマリは頷く。
 けれど他のふたりはぴんと来なかったようだ。そろって瞬き、首をかしげている。

「そうなんですか? でも僕は生まれたときから行く先々が晴れて、外出に便利だなあくらいにしか思ってないんですけど」
「あたしなんて出かければいつも雨で、嫌になっちゃうわ。ありがたくもなんともないんだけど」

 カイトは不思議そうに。ルネは迷惑そうに言うけれど、ナマリは「いいや、それは違う」と声を上げた。

「例えば、長雨に苦しんでいる土地にカイトが行って晴れをもたらしたなら、その土地の者はひれ伏してカイトを崇めるだろう。反対に日照りが続く土地にルネさんが行って雨を呼んだなら、そこに暮らす者は泣いてルネに感謝するだろう」
「そうかなあ」
「うーん、そこまで?」

 それでもふたりには伝わらないようだ。
 帝都で生まれ育ったのだろう彼らには、天候による暮らしへの影響が想像しづらいのだろう。

「俺の暮していた村では、日照りのせいで野菜の苗がすっかり枯れてしまって、食べる物だけでなく飲み水にも困る年があった。ひどい雨で畑がだめになって、病気になる者が出た年もあった」

 村を押し流したのも雨の力だ。
 けれどそれを今言えば、必要以上にルネたちを怯えさせてしまうかもしれないと、ナマリは口にしなかった。
 そっと黙ったナマリの頭をアベがわしゃわしゃと撫でる。
 
「そうですよ~。帝都に暮らしているといまひとつ有難みがわからないかもしれませんけどね~。あなたがたの力は稀有なものなんです。もちろん、ナマリくんも含めてね!」

 手を止め、にこっと笑ったアベの言葉を気遣いだととって、ナマリは曖昧に微笑み返す。

「あ~、その顔はわかってないですね~」

 むにりむにりとアベがナマリの頬をこねた。
 唇を突き出すしぐさはまるですねた幼児のようで、アベの年齢をわからなくさせている。

「ああいう自然物に近い妖怪は、基本的に人が干渉できないものなのです。僕くらい優秀でも、干渉には膨大な下準備と生贄だとかが必要になってしまう。ところが! 神器に選ばれ天妖と契約できる君たちは、あの天鬼に干渉できる稀有な人間なんですね!」

 ほらほら、もっと誇って。
 そう言われても実感が湧かない三人の頭上で、クラゲと八咫烏と青龍、それぞれの天妖もふわふわうろうろ。

 そんな様子を眺めて、アベはやれやれと肩をすくめた。

「学び舎を我が家にしたのも、君たちが稀有だからです。ここには特殊な結界が幾重にも張ってあるんですから~」
「結界?」

 聞き返しながらナマリは思い出す。
 アベの屋敷に入る時も出る時も、門を経由したことがない。
 今も、学び舎の鳥居をくぐって来たくらいだ。
 なぜ結界が必要なのだろう――考えるナマリにアベはにっこり。

「君たちを守るためです」
「守る?」
「何から守るんですか」
「守ってもらうなら、カイトくんに守ってほしいな……なんて。きゃあ!」

 二人が首をかしげ、ルネが頬に手を添える。
 そんななか、アベが一枚の紙切れをナマリに差し出した。

「?」
「たとえば、ほら」
「っう!?」

 何だろう、と思いつつも受け取ろうと伸ばした指先に紙が触れた途端。
 パチンッとちいさくはじけるような音と同時、ナマリは体の自由を失って倒れ込んだ。
 アベがすくい上げなければ、そのまま床にぶつかっていただろう。
 訳が分からず瞬くナマリの身体をアベがひょいと肩に担ぐ。まるで重さを感じさせない動きで、アベはそのまますたすたと歩き出した。
 体が動かせないナマリはだらんと手足を垂らし、瞬きさえもできずにされるがまま運ばれていく。

「えっ、先生?」
「どこ行くの、どこ行っちゃうの?」

 カイトとルネが慌てて声をあげたとき、そのまま部屋から出ていくかと思われたアベがようやく足を止めた。

「とまあ、こんなふうに」

 くるりと振り返ったアベはナマリを肩から下ろすと、そっと床に座らせる。

「それなりの術師なら一瞬で君たちを無力化してさらうことができちゃうんですね~。術を使えなくとも、素直な君たちだったらあっさりさらわれてしまいかねません」

 言いながら、アベがナマリの指先から紙切れをひょいとつまみ取った。
 するとナマリのまぶたがぱちり。思い通りに動く。
 動くが、ナマリは座ったまま首を持ち上げアベを見上げた。

「さらわれたら、先生でも見つけられない?」
「そうですね~。見つけることは可能でしょうけど、見つけ出すまでに何をされるかわかりません」
「何ってなになになに! やだ~、怖いんだけどお!」

 ルネが怯えて声をあげるのに、アベは「脅すつもりはないんですけど~」と前置きしてから答える。

「能力の使用を強要されるくらいならかわいいものですね。最悪なのが、あなたがたの血に能力が受け継がれると思われてた場合です」
「それって……」

 ちらり、眉を寄せたカイトがルネに視線をやるのを見て、アベがひらひらと手を振った。

「あ~、女の子だけが危ないとかじゃありませんからね~。地方にも能力があると思われる方の話はいくつかあったんですけどねえ、どなたも帝都からのお誘いはお断りされてしまいまして。君たちもじゅうぶん気をつけてもらわないと、搾り取られちゃうかもですから~」

 ぞっとしたのは、ナマリだけではないはずだ。
 カイトとルネが青ざめているのを横目で見てると、アベがにこっと笑う。

「そんなわけなので、君たちの学び舎は我が家なのです。ナマリくんは我が家で暮らすから良いとして、カイトくんとルネさんは、これまで通りお出かけの時には誰かお家の人といっしょにいるように気をつけてくださいね」
「はい」
「はぁい」
「はい。良いお返事です。それじゃ、お二人にこれを」

 ぴらり、アベが取り出したのは二枚の紙切れ。
 差し出されたそれをカイトとルネはじっと見つめる。警戒した様子なのは、さきほどナマリが紙切れに触れて体の自由を奪われたのを目の当たりにしているからだろう。

「あはは、そう警戒しなくとも大丈夫ですよ~。これは簡易の鳥居です」

 腰が引けたふたりの前に、アベが紙切れをよく見えるように持ち上げてみせた。
 そこに描かれていたのは横棒二本と縦棒二本。ずいぶんと簡素だが、言われてみれば鳥居に見えなくも無い。

 おそるおそるカイトが手を伸ばし、つまみあげた。

「あ、なんともない」

 ほっとしたように言うのを聞いて、ルネも恐々紙を受け取る。

「はい。お二人にはそれを差し上げます。それぞれご自分の家につながってるので、無事に帰宅してまた明日、我が家に登校してきてください! アベ先生からの最初の宿題です」
「はい。それじゃあ先生、失礼します。ナマリくん、ルネさんまた明日」
「カイトくん、ルネのこと忘れないでねっ。ナマリくんもまたね!」
「ああ、気を付けて」

 軽く手を振ったときには、カイトとルネはそれぞれの鳥居の絵に吸い込まれるようにして消えていた。
 姿を消した二人のあとを追うように鳥居の描かれた紙切れもしゅるりと宙に消えてしまう。

 途端にしんと静けさが耳を打つ。
 
「あの、アベ先生。俺にも何か宿題、ありますか?」

 耐えられないほどの静寂ではなかったけれど、なんとなく耐えたくなかったナマリは隣に立つアベに声をかけてみた。
 するとアベは「信じられない」とばかりに目を見開く。

「ナマリくん……君は真面目すぎる! 君への宿題は、ちょっぴり夜更かしして不真面目に過ごすことだ!」
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