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空飛ぶクラゲ

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 晴れと雨。
 ふたつの天気が入り乱れ、みるみるうちに空には荒天が広がっていく。
 天鬼たちも振り回されて落ち着かないのか、だんだんとその形相が険しくなり、天候が悪くなっていくのがナマリには見て撮れた。

 青龍と八咫烏を何とかしなければ。
 そのためにナマリは天妖たちの契約主に声をかけた。

「青龍はきれいなうえに雨まで降らせることができるなんて、本当にすごい天妖だ。なあカイト!」
 
 ナマリのわざとらしいまでの褒めように、カイトが不思議そうな顔をしたのは一瞬。
 素直な彼はすぐに満面の笑みで頷いた。

「そうだね! ルネちゃんによく似合うし、雨も操れるなんて青龍はすごいね!」
「えへ、えへへへへ! カイトくんに褒められちゃった。青龍、大好きー!」

 喜び、飛び上がったルネの言葉に、青龍もまた歓喜の舞を舞う。

「ギュ、ギュワア!」

 くるる、くるると円を描き、青龍が雨の雫を撒き散らす。
 いっそう強く、激しく地を穿つのはルネが雨を喜んでいるせいだ。
 これでは逆効果だと気づいた鉛は、ルネの背後に寄って声をかけた。

「フリシキさん」

 けれどナマリの声は打ち付ける雨の轟音にかき消され、届かない。

「んふっ、濡れて張り付くシャツの下の胸筋……んふふ、水も滴るあたしの王子さまぁ」

 ナマリの声は届かないのに、なぜ彼女の胸の内がダダ漏れなつぶやきは聞こえてしまうのか。
 そして背後に立つナマリには聞こえてしまうのに、彼女の隣に密着して(というか、密着されて)立つカイトに聞こえていない様子なのはなぜなのか。

 非常に気になるところではあったが、今はのんびり考えている暇はない。

「フリシキさん!」

 張り上げた声は、今度こそルネに届いたらしい。
 振り向いた彼女がぱちりと瞬くのさえ待たずにナマリは告げる。

「雨をどうにかできないだろうか! このままじゃあ、カイトがずぶ濡れで風邪をひいてしまう!」
「えっ」

 驚きの声を上げたルネの脳内を情報が超高速で駆け巡る。
 ナマリは、ルネの表情から彼女の思考が見えるような気がした。

 雨のおかげでカイトくんと密着していられるのに。でも確かに足元が冷たい。もしあたしの王子さまに風邪が引いちゃったらどうしよう。そんなの付きっ切りで看病するにきまってる。それで「やさしいんだね、好きになっちゃいそう」とか言われたりなんかしてお付き合いがはじまって二人はやがて結婚なんて――!

「リュウちゃん、もういいよ! 雨を止めて!」

 超速で妄想を滾らせながらも、ルネが選んだのは『今この瞬間の王子さまの笑顔』だった。
 風邪をひいて苦しむ姿は、想像の中であっても絶えられなかったのだ。

 ルネが青龍に呼びかけたのを聞きながら、ナマリはカイトに声をかける。

「カイトも、八咫烏を呼び戻してくれないか。このままでは帝都じゅうの天候がめちゃくちゃになってしまう」
「それはいけないね。ヤタ、戻っておいで!」

 ふたりがすんなりと聞き入れてくれたことにほっとした時には、雨と風とは弱まっていた。

 本当は『周囲への迷惑を考えろ』と言いたかった。
 けれどそれでふたりの天妖の機嫌を損ねて、ますます荒れて手をつけられなくなったとしたら。

 それを考えると、日和ったことしか言えなかった自分が情けない。
 ナマリがひそやかに落ち込んでいると。

「ギュ、ギュウゥ……」

 言われるがまま雨を止めた青龍が、恐る恐る空から降りてくる。
 かっとなって雨を降らせたものの、今になって主人やその仲間らしき人びとがびしょぬれになっていることに気が付いたのだろう。

 いたずらをした子どもが親元に戻るときのように、うなだれてのろのろと降りてくる青龍をルネはぎゅうと抱きしめた。

「たくさんがんばってくれてありがとう。リュウちゃん、とってもすごいんだね!」
「ギュ、ギュワッ!」

 褒められ、青龍が歓喜の声をあげる。

「おかえり、ヤタ」
「グーワァ」

 八咫烏もまた、カイトの腕へと降りてきた。
 二匹の天妖が地に戻るのと時を同じくして、天鬼たちも落ち着きを取り戻しはじめている。
 
 青龍が長い尾を降ると、濡れていたルネたちの服はさっぱり乾き、地面にできた水たまりも空へと帰って行く。
 あたりをただよっていた天鬼たちはゆるりと散って、姿を消した。

 そのさまを見て、ナマリは感心するやらほっとするやら。

「うん、すごいよ。本当にすごい。リュウちゃん、うちのヤタとも仲良くしてあげてね」

 楽しげに白いカラスを撫でるカイトに声をかけられて、ルネは表情をとろけさせた。

「ヤタちゃん、仲良くしましょうね。リュウちゃんも、クラゲちゃんもね。うふふ、みんなでいっしょの学舎生活、楽しみだね! 仲良くなりたいなぁ……!」

 明るく答えたルネが思い詰めたようにつぶやいた言葉は、明らかにたった一人に向けたもの。
 しかし、当のターゲットであるカイトには聞こえなかったらしい。
 それが幸いなのか、不幸にもと言うべきなのか。判断がつかなかったナマリは、蚊帳の外。

 もちろん割って入るつもりなどない。雨もやんだしもういいだろうと、クラゲを連れて学友たちのそばを離れた。

 鳥居の内側、学び舎へ向かったことで自然と近づいたシキに目をやって、ナマリは首をかしげる。

「……シキ、大丈夫か。なんだかだいぶ姿が人外めいてるが」

 シキの頭には、獣の耳がぺたんと伏せられている。
 それだけならそろそろ見慣れてきたが、今のシキは顔の部品までも狐めいていた。
 よく見れば、震える手脚も人のものではなく、ふかふかの毛皮に覆われた獣のそれになっている。
 ルネがタクトを手にして以降ひどく静かだったシキは、想像を超えて強力な天妖の登場に驚いていたらしい。

 ぽかんとした表情のまま「あううう」と情けない声をあげる。

「無理っす。腰が抜けたっす。ヒトガタ保てないっす。だって八咫烏に続いて龍っすよ? 龍とかむしろそれが神みたいなとこあるあれっすよ! 無理無理、形代から魂飛び出なかっただけ僥倖っす。自分えらかったっす」

 ぶつぶつぼそぼそ。
 混乱する脳内を口から垂れ流していたシキは、ふとナマリを見上げて瞬いた。

「……ナマリさん、申し訳ないっすけど肩貸してください。むしろ気絶させてください、許容量完全に超えたっす」 

 早口に告げた彼女は言葉通り、耳を伏せたままの頭をぷるぷる振るのが精一杯なのだろう。
 寄りかかってくる、というより倒れこんでくる彼女の体を支えつつ、ナマリはシキ鼓舞する。

「よせ、耐えろ。ここでひっくり返ったら泥まみれだぞ。泥汚れは落ちにくいうえに、着物の洗濯は手間がかかる。せめて玄関まで耐えてくれ」
「発言が妙に所帯じみてるっす」

 意識を現実から逸らすためだろう、ふざけたようなシキの発言に、ナマリはあえて乗っかることにした。

「知っているか。幼児はなぜか雨の日に跳ねるんだよ。それも、飛び込せもしない水たまりに向けてだ。そして濡れて風邪をひき、抱っこしてもらいたくて最高に機嫌が悪くなる、までが一連の流れだ」
「そういやナマリさんのとこは双子っすもんね」
「それは語弊があるぞ。双子は弟妹。俺は兄だ」

 軽口のように言葉をかわして、ようやくシキの調子が戻ってきたころ。
  
「ではその勢いで学友をまとめるのもお願いしますよ、お兄ちゃん」

 どこで静観していたのか、アベがひょいと現れた。
 ナマリの了承など求めていないのだろう。顔をあげた彼は太陽の下、楽し気に笑い合うカイトとルネを眺め、目を細める。

「クラゲに加えて八咫烏に青龍ねえ……ずいぶんと賑やかな子たちが集まったものです。本人たちも含めて、ね」
「すべてのものには波があるのだから、力ある者がひと時に集うことは往々にしてあることですわ」

 ぽふん、と白い煙とともに現れたムギが、アベの背中にのしかかる。
 つんとそっぽを向いて、艶やかな唇をへの字にした。

「だからってあなたがそちらにかかり切りになってしまっては、うちは拗ねてしまいますからね!」
「ははは。ムギさんに拗ねられてしまっては、帝国はおしまいだ。というわけで、ナマリくんには二人の手綱を握ってもらいたいのです」
「手綱……」

 学生を動物扱いするのはどうなんだ、と思いながらもナマリは自分の手のひらを見下ろす。

 カイトは晴れ男、ルネは雨女。
 わかりやすく能力も高いふたりに比べて、ナマリは天鬼の表情が見分けられるだけ。

 タクトが反応をし学び舎へ入ることが許されたのは、もちろんうれしい。
 これでしばらくの間、帝都で双子と暮らすあてが出来たと安心する気持ちもある。

 けれど、はっきりとした能力を持つ集団のなかでひとりだけ技能不明で異質という状況は、すこし寂しいように思ってしまうのもまた、事実だ。

 そのうえ、学友は二人とも明らかに強力な天妖を持っている。
 比べたところでどうしようもないけれど、やはり「クラゲか……」と思ってしまう気持ちは捨てきれない。

 近い将来、きっと彼らは求められるままに能力を操り、輝かしい働きをするだろう。そのとき、自分は――。

 灰色の未来を思い描いて、ナマリは拳を握る。

「手綱は無理だろうけど、まあ、二人が大げんかをしたりこじれたりしないようには気をつけます。他に俺が役に立てることもなさそうだし」

 自嘲を含んだナマリの言葉にアベはにこりと笑った。

「まあ、今はそれでお願いします。というわけで、ご入学おめでとうございます!」
「今は……?」

 ナマリはアベの物言いに引っかかりを覚え、聞き返そうとしたのだが。

「天妖をお連れのみなさーん、そろそろ学び舎に入ってくださいっす! ご入学のお祝いに、ささやかながらお祝い膳を用意してるっすから!」

 それより先にシキが大きな声で呼びかけた。

 ナマリに寄りかかっていたことでだいぶ心が回復したのか、それとも開き直って吹っ切れたのか。
 獣めいていた彼女の外見は人のそれに戻っている。
 良かった、とナマリは支えていた腕をそっとはずした。

 ムギは「あの子たちが寂しがらんよう、先に戻ります」と姿を消す。
 
 シキの声にぱっと振り向いたカイトは、それを目にしたのかしていないのか。
 ルネを促しやってくる。

「わあ、お膳だって! みんなでご飯、うれしいなあ。行こうか、ヤタ」
「くぅあ!」
「うふ、ふふふふっ。お祝い、あたしと快人くんが出会った今日、この日をお祝いするのね……! リュウちゃん、今日は記念日ねっ」
「ギュアギュア!」
「はいはい、こっちですよ~」

 アベが先導し、ルネがカイトを引きずる形で学び舎へ入っていく。それぞれの天妖もいっしょだ。
 彼らに続いて歩きはじめたシキの足取りがしっかりとしたものであるのを見届けたナマリは、その背を追いかけようとして、ふと足を止めた。

 急に立ち止まったナマリを不思議に思ったのか、否か。
 頭に乗っかっていたクラゲが透き通った触手を頬に伸ばすのを手のひらで包んで、ナマリは話しかける。

「……お前も呼び名が欲しいか」

 返事はない。クラゲなのだから当然だ。ナマリも期待してはいなかった。

 けれどナマリのクラゲは鳴けない代わりに宙に浮かび、傘を上下に動かしている。
 懸命に意思表示をしようとするクラゲからは必死さが伝わってきて、ナマリはくすりと笑った。
 カイトとルネが天妖に呼び名を与えたのだ。自分もそうしたって、おかしくはないだろう。

「そうだな、雲色の傘をしているからな……」

 心なしかそわそわしているように、落ち着かなげに触手をうごめかすクラゲを見つめて考え、ナマリが口を開く。

「きらら、はどうだ。雲の母と書いて『うんも』と読む、鉱石の別名だ」

 くるん、とクラゲが回転した。
 雨粒をはじき、触手を揺らしてくるんくるんと回る姿はまるで、幼児が傘を回しているように楽し気だ。
 きっとご機嫌なのだろう、とその姿を眺めてナマリの気分もすこしだけ浮上した。

「よろしくな、きらら」

 返事はない。けれど、伸ばした触手でナマリの小指をぎゅうと握りしめる姿に嫌悪は見えない。
 ほんのすこし気持ちが楽になったナマリは、きららと連れ立ってのんびり学舎へ向かった。 
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