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別れを告げて

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 一行が旅立ちに備えたのは、明けて翌日。
 シキが用意した簡単な朝食をとってすぐ、ナマリは身支度を整えた。
 
 腹いっぱいにご飯を食べてご機嫌なニビとカスミにも、乾いた着物を着せつけていく。

「にーちゃ、ここどこ?」
「どこ、どこ?」
「ここは……村の川下だ。今からな、旅をするんだ。帝都に行くぞ。きっと見たこともない物がたくさんある」
「えっ、おでかけか! おみみのねーちゃもいむしょか?」
「おでかけ、いっしょいっしょ!」
「もちろんっす。お三方のことはこのシキが、責任持って帝都までお連れするっすよ!」

 何も覚えていないのか、はしゃぐ幼児たちにシキは胸を叩いた。
 無邪気な弟妹の頭をなでたナマリに、シキがこそりと声をかける。
 
「でもほんとに、良いんすか。村を見て行かなくて」

 双子が起きる前、シキは「村へ行きましょう」と言っていた。
 ナマリもそうしようと思っていたのだが。

「いい。村の確認はあんたの仲間がやってくれてるんだろう」
「それはもちろんっすが」

 昨夜、シキが呼び寄せた後発隊が村へたどり着き、土砂をかきわけ捜索を行ったという。
 夜通し泥をかきわけ壊れた家屋のがれきをめくってわかったことは、生存者はいなかったということ。

 どうか間違っていてくれと願い何度もシキに確認をした。
 
 だというのに、発見された遺体の数はナマリが知っている村人の数と一致してしまった。
 もしかしたらナマリの記憶違いで、村人はもっとたくさんいたかもしれないと何度も何度も何度も、何度も記憶をさらったけれど。

 生存者はおらず、見つかった遺体の数以上の村人を思い出すこともできなかった。
 村に戻ったところでもう、誰も居ないのだ。

 もちろん、最期にひとめ会いたい気持ちはある。
 けれどそれ以上に強い感情がナマリのなかに渦を巻いているのだ。

「……決心がにぶりそうなんだ。いま、顔を見てしまったら離れられなくなると思う」

 誰の、とは言わなかった。
 言えなかった。
 両親が死んだことを知らない幼い弟妹の前で、無邪気に帝都を楽しみにするふたりに伝える覚悟が決まらない。

 だから見ないまま、知らせないまま旅立つのが一番良いのだと、ナマリは思っていたのだけれど。

「でも、でも……このお別れに、二度目は無いんすよ」
 
 シキのささやくような声に胸がきしんだ。

「村を、建て直せるだけの力とか資材を手に入れてから、それから、人も集めて」
「そんなの、どれだけかかるかわかんないっす。今行かないと、みんな土の下っすよ。その時に後悔したってもう、死に顔も見られないんすよ」

 ぎゅうと胸が締め付けられた気がした。
 いいや、強く握りしめるそれは確かな暖かさを持ってナマリの手をつかんでいる。

「だれか、しんじゃったの?」
「だあれ?」
 
 左右の手にそれぞれしがみつくニビとカスミ。
 その顔にちらつく不安に気がついた瞬間、ナマリはふたりを抱きしめてしゃがみこんでいた。

「にーちゃ?」
「いたいいたいの?」

 ちいさな手がナマリの頭をせっせとなでる。
 その暖かさと必死さがナマリの気持ちを掻き乱した。

「……ニビ、カスミ。父さんと母さんに、会いたいか?」
「あいたい!」
「あう、あう!」

 かすれた問いかけへの答えは間髪入れず。
 弾んだ幼い声にナマリは「そうか」とうなずいた。

「そうか、そうだよな……会いに、行こうか」

 気づけばナマリはそう言っていた。心の中は乱れたまま。

 ※※※

 ススキの広がる丘を登っていった先に見えてくる村は、ひどいあり様になっている、はずだった。
 覚悟をして村へと戻ったナマリだったのだが。

「土砂が無い……」

 村も川もすべてを埋め尽くしていると思われた土砂が、ほとんど見当たらなかった。
 もちろん、村が押し流されたことが夢だったわけではない。

 家々が建っていた斜面には真新しい土がむき出しになり、建っていたはずの家は一軒もない。
 村人たちが笑顔で出迎えてくれることも、ほがらかな声がナマリたちの名を呼ぶこともない。
 ただ、村が消えてしまった痕跡だけがそこに広がっている。

「むら、なあい……」
「ないない、なんでぇ?」
「っニビ、カスミ。行くぞ!」

 たまらなくなって、ナマリは弟妹を抱えて駆け出した。
 まだ乾いていない黒い土を踏みしめ、川に沿って駆けて行く。

 昨日の雨がまだ残っているのか、いつもよりすこし流れの激しい川。いつもなら村の誰かが洗い物をしている姿が見られるそこを駆け抜けて。
 家があったあたりまで走って、ナマリは立ち止まった。

 胸がぎしぎしと痛む。
 ぜいぜいと鳴る自分の胸の音がひどくうるさくて、頭のなかで心臓が暴れまわっているかのよう。
 立ち尽くしたまま乱れた呼吸を繰り返すばかりのナマリの腕のなかで、ニビがきょろりとあたりを見渡した。

「いえ、どこ……?」
「かーさ、とーさ?」

 ずるり、腕から這い下りたカスミが不安げに母と父を呼ぶ。
 「ここよ」と返るはずの声が聞こえることはなくて。
 「どうした?」と抱き上げる腕はいつまで待っても伸ばされない。
 
 あるはずの家はなく、いるはずの人たちがいない。
 そのことが悲しくて悲しくて、ナマリはのどがぐうっと狭まるのを感じた。

「にーちゃ」
「なにも、できなかったっ」
「にー……」
「父さんがっ土砂に呑まれるのを俺は、見て! 見ていた、のにっ。なにも、なにもできなくて」

 声がみっともなく裏返る。
 すする傍から鼻が垂れてくる。
 涙はとめどなくこぼれ落ちて、腕のなかの弟を濡らしているのに止められない。

「天鬼が見える、くせにっ。見えてるだけで、結局なにひとつ……守れなかった!」

 叫んで、ナマリはずるずるとしゃがみこんだ。
 膝が泥にまみれるけれど気にならない。
 ニビが腕から降りていくのがわかったけれど、引き留める余裕もなかった。
 ぐちゃぐちゃになった心は後悔ばかりを湧き上がらせて、ナマリはひとり慟哭する。

 雨など降っていなかった。
 暗い灰色の雲が厚く太陽を覆い隠してはいたけれど、ナマリの心に寄り添うような冷たい雨は降ってくれなかった。

「ナマリさん。ご遺体に、会いますか」

 どれほど泣いていただろう。
 静かなシキの声が、悲しみに染まったナマリの耳にそっと降って来た。

 まだ涙は止まらないまま声のほうへ顔を向ければ、弟妹たちと手を繋いだシキが立っている。
 ぼうっと彼女を見つめるナマリに、声が届かなかったと思ったのか。シキはもう一度ささやくように言った。
 
「おつらいなら無理にとは、言わないっすが」
「会うよ」

 答えて立ち上がる。そんな簡単な動作がどうしてかひどく億劫で、体が重い。
 けれどナマリはよろけそうになる足を踏ん張って頷いた。

「会う」
「……じゃあ、こっちっす」

 静かにうなずいたシキが、ふたごの手を引いて歩き出す。
 ナマリもつられるようにふらりと歩き出し、山の斜面を登っていく。

 本来であれば橋がかかっていただろうあたりまで歩いたところで、ナマリは不思議な影がうろついているのに気がついた。

 形は人の影のようで、けれどひらりと薄っぺらい。
 紙で作られているらしいその人形は、風に飛ばされるでもなくふわふわひらひらと地表をすべるように動いている。

「ねーちゃ、へんなのがいる」
「ぺらぺら~」

 いくつも、と言うべきか。あちらこちらをうろつくその紙をよくよく見てみれば、ぺらりとした手が土色に汚れていた。
 
「彼らは自分のご主人が送ってきた使役札っす。込められた力が切れるまで動く、人形みたいなものっすね」

 なるほど、これらが夜通し土砂を運んだのだ。

「って、そんなことはどうでも良くて」

 紙の人形たちがものも言わずに動き回る横を通り抜け、斜面を登り終えたところでシキが立ち止まる。
 その場にしゃがんだシキは、ニビとカスミの手を離してふたりの背中をそっと押す。

「この先に皆さん、寝てらっしゃるっす。ここから先は、お身内だけのほうがきっと良いと思いますから……」

 気遣わしげなシキの言葉に、ナマリは頷いて返すのが精一杯。

「行こうか、ニビ。カスミ」

 促す声は震えなかっただろうか。
 つないだ指先が冷えていることは、気づかれているだろうか。
 背中に向けられたシキの視線を気にする余裕もなく、山の尾根から歩いてすぐ。

「あ、はたけにねてるひとがいる!」
「だあれ、だあれ?」
「ニビ、カスミ待ってくれっ」

 農具が投げ出されたままの畑に人影を見つけて、弟妹たちが駆け出した。
 ナマリは低い位置で両手を引かれ、不意をつかれたこともあってふたりが駆けるままに足を進めてしまう。
 転びそうな足取りが止まったのは、すぐだった。

「とーちゃ……」
「かーさん……?」

 畑に寝かされている人の顔が見える近さ。
 その顔が見知った相手だとわかったのだろう。けれど何かがおかしいということも、わかったのだろう。
 足を止めたニビとカスミに挟まれて、ナマリはふたりの手をしっかりと握る。

 あったかい。
 ちいさな手から伝わる温もりにすがるようにして、ナマリは震える足で踏み出した。

「……きれいに、してもらったんだな」

 横たわる両親の顔は意外なほどにきれいで、まるで寝ているかのよう。
 村で動き回っていた使役札なる紙が、土砂をぬぐってくれたのだろう。
 体は泥だらけ。だけれど表情は、両親も他の村人たちもみんなおだやかなものだった。
 その顔を見ていると、不思議とナマリの心は凪いでくる。

「苦しくは、無かったのかな。痛みは、無かったかな」

 両親のそばにひざをついたナマリが遺体に向けて話しかけると、背中にかくれていた弟妹が恐る恐る顔を出した。
 ふたりの視線が自分に向けられていることを知りながら、ナマリはゆっくりと手を伸ばす。

 触れた父母の頬は冷えていた。
 やわらかさを無くした皮膚が、自分とは別のものになってしまったのだと伝えているようで、ひどく悲しい。
 けれど触れられたこと、その顔をもう一度見られたことへのかすかな喜びもあった。

 もう二度と会えない。
 土砂に呑まれれる父を目にしたとき、そう覚悟していたから。

「ほら、ニビとカスミもおいで」

 両親の手をゆるゆると撫でさすりながら呼べば、ちいさな二人がおずおずと近づいてくる。

「にーちゃ、とーちゃたちねんねしてるの……?」
「とーちゃ、かーちゃ……」

 ちらちらと両親の顔を見ながらも、ニビとカスミはナマリの横に並ぶだけ。
 ちいさな手で自身の着物の裾をぎゅうと握りしめているのは、いつもと違う何かを察しているのだろうか。

 幼いふたりに死はまだうまく理解できないかもしれない。
 それでも、大きくなるまで待つことはできないのだ。
 
 そう思いながら、ナマリはシキの言葉の意味が腑に落ちた。

「寝てるんじゃないんだ。みんな、死んでしまった。いま、最期のお別れをしに来たんだよ」
「さいごなの?」
「ああ。もう、顔を見られるのは今日でおしまい。だから、いっぱいありがとうを伝えようか」

 そう伝えながら、ナマリは微笑んでいた。
 涙をこぼしながら笑っていた。
 どうしてなのか。それは伝えたいありがとうの数だけ、たくさんの思い出が胸にあるのだと気づいたからだ。

「ありがと、する」

 カスミが母の頭のそばにちょこりと座る。

「おれも!」

 ニビが慌てたように父の頭の横に座る。
 弟妹の頭をそっと撫でて、ナマリは「ああ」と頷いた。

「ああ、ありがとうを伝えよう。伝え残しがないように、めいっぱいのありがとうを」
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