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青春の五ページ目:壁にぶつかる
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蔑む目。からかいを引きつれた笑い声。笑いのなかに含まれた見下す色。暗がりのなか、史郎を取り囲む悪意に満ちた視線。
立ち尽くす史郎にどこからか声がする。
『お前、まだ絵なんて描いてんの?』
「そうだよ。描きたいなら描き続けて良いって、言ってくれるひとに会えたんだ」
震えながらも史郎は悪意に立ち向かう。
『そんな下手な絵描いて、恥ずかしくないの?』
「たしかにまだまだ勉強しなきゃいけないことだらけだけど、それでも好きだって言ってくれるひとたちがいるんだ」
何度も繰り返しぶつけられる悪意から逃げずに返せることばを史郎は持っていた。
『絵なんか描き続けてどうなるっていうのさ。いい年して夢見るのはやめなよ』
「やめない。やめたくない。俺ががんばるのを応援するって、ずっと見ててくれるんだって言ってくれたから!」
叫ぶ史郎の声をかき消そうとするように、悪意は声を大きくする。以前の史郎ならうずくまり、頭を抱えて耐えただろう。
けれど、史郎は震えながら暗闇をにらみつける。
(向き合うって決めたんだ! 俺は、絵師になりたい!)
想いを力に、悪意にまみれた視線を塗り替える。蔑む瞳を慈しむものへ。からかう笑いをやさしい微笑みに。見下す色を恥じらいの色へと塗り替えていく。
ずっと、ずっと苦しめられてきたものたちを描き替えることが今の史郎にはできた。たくさんの支えが史郎を強くした。
気づけばあたりを満たしていた闇は薄く和らぎ、明るい光が満ちてくる。暗がりで蠢いていた悪意は好意へと姿を変え、ひとの形を成していく。輝く光のなかにゆらりと揺れるアホ毛が見えたとき。
ぱちり、と史郎のまぶたが開いた。彼を取り囲むのは闇でも優しい笑顔でもなく、窓から差し込む夏の日差し。
「ゆめ……」
枕元でスマホがやかましく鳴っている。もぞもぞと起き上がった史郎は、ぴりりと痛んだまぶたに手をあてて座ったままぼうっとする。
まぶたが痛むのは、一晩中泣きながら絵を描いていたせいだ。猿渡からの差し入れを糧に泣きながら震える手で描き続け、編集者に提出する用のラフを描き終えたのは夜も更けたころ。納得がいくまで描き直すころには震えも怖さも気にならなくなっていた。
(きのう、なんとか描き上げたラフを送って……)
そこから先の記憶がない。
史郎が慌てて電源を入れたスマホは月曜日の朝七時を示す。そして、画面に表示されたのは時刻だけではなく、いくつものメールと何喧嘩の着信だ。
『お兄ちゃん、あの件どうなった?』からはじまるヒヨからのいくつものメールと着信。まかには両親からのものもいくつかある。
(ああ、昨日の定時連絡忘れてたからか。それと、返事がないせいで心配かけて……)
申し訳なさを覚えながらも、史郎はすべてを後回しにしてSNSのDMの確認を優先した。編集からの新着メッセージがあるのを見て取り、震える手で触れて表示された文章にのどを鳴らした。
そこへピリリリリリ! とけたたましい音を立ててスマホが震える。
「っヒヨか」
肩を大きく震わせながらも電話に出た史郎が名を呼べば、スマホの向こうで妹が安堵の声をあげた。
『あー! ようやく出た! おとーさーん、おかーさーん! お兄ちゃん電話出たー!』
大声で叫ぶヒヨの向こうで聞きなれた声が驚きと安堵の声をこぼすのが聞こえて、史郎は申し訳なさを募らせる。
『んもー、お兄ちゃん、また絵に夢中になって返事忘れてたでしょ! これで電話で無かったら、お父さんが仕事休んでお兄ちゃんとこ行くなんて言ってたんだよ! 昨日の最終電車に飛び乗ろうとしたのだって、あたしがぜったい絵に夢中なだけだって止めたんだから!』
文句を言いながらも史郎の無事を喜ぶヒヨに、史郎は心底感謝した。もしも昨日の最終便で両親に駆け付けられていたら、きっとあのラフを仕上げる熱意は保てなかっただろうから。
「ありがとう、ヒヨ。今度帰ったら、好きな服でもなんでも買うから」
『んひひ。期待してるよ神絵師さん! それで、絵師さんの収入源のほうは……』
うれしげなヒヨとのやり取りは心地良いけれど、今の史郎はそんな余裕が無かった。
「ごめん! 寝過ごして時間内から、もう行く! 絵の依頼のことはまた夜に連絡するから、父さんと母さんによろしく!」
言うだけ言って通話を切ると、全速力で支度を済ませる。制服に着替え鞄を手にした史郎は部屋を飛び出てきしむ階段を二段飛ばしに駆け降り、その勢いのまま地を蹴った。
立ち尽くす史郎にどこからか声がする。
『お前、まだ絵なんて描いてんの?』
「そうだよ。描きたいなら描き続けて良いって、言ってくれるひとに会えたんだ」
震えながらも史郎は悪意に立ち向かう。
『そんな下手な絵描いて、恥ずかしくないの?』
「たしかにまだまだ勉強しなきゃいけないことだらけだけど、それでも好きだって言ってくれるひとたちがいるんだ」
何度も繰り返しぶつけられる悪意から逃げずに返せることばを史郎は持っていた。
『絵なんか描き続けてどうなるっていうのさ。いい年して夢見るのはやめなよ』
「やめない。やめたくない。俺ががんばるのを応援するって、ずっと見ててくれるんだって言ってくれたから!」
叫ぶ史郎の声をかき消そうとするように、悪意は声を大きくする。以前の史郎ならうずくまり、頭を抱えて耐えただろう。
けれど、史郎は震えながら暗闇をにらみつける。
(向き合うって決めたんだ! 俺は、絵師になりたい!)
想いを力に、悪意にまみれた視線を塗り替える。蔑む瞳を慈しむものへ。からかう笑いをやさしい微笑みに。見下す色を恥じらいの色へと塗り替えていく。
ずっと、ずっと苦しめられてきたものたちを描き替えることが今の史郎にはできた。たくさんの支えが史郎を強くした。
気づけばあたりを満たしていた闇は薄く和らぎ、明るい光が満ちてくる。暗がりで蠢いていた悪意は好意へと姿を変え、ひとの形を成していく。輝く光のなかにゆらりと揺れるアホ毛が見えたとき。
ぱちり、と史郎のまぶたが開いた。彼を取り囲むのは闇でも優しい笑顔でもなく、窓から差し込む夏の日差し。
「ゆめ……」
枕元でスマホがやかましく鳴っている。もぞもぞと起き上がった史郎は、ぴりりと痛んだまぶたに手をあてて座ったままぼうっとする。
まぶたが痛むのは、一晩中泣きながら絵を描いていたせいだ。猿渡からの差し入れを糧に泣きながら震える手で描き続け、編集者に提出する用のラフを描き終えたのは夜も更けたころ。納得がいくまで描き直すころには震えも怖さも気にならなくなっていた。
(きのう、なんとか描き上げたラフを送って……)
そこから先の記憶がない。
史郎が慌てて電源を入れたスマホは月曜日の朝七時を示す。そして、画面に表示されたのは時刻だけではなく、いくつものメールと何喧嘩の着信だ。
『お兄ちゃん、あの件どうなった?』からはじまるヒヨからのいくつものメールと着信。まかには両親からのものもいくつかある。
(ああ、昨日の定時連絡忘れてたからか。それと、返事がないせいで心配かけて……)
申し訳なさを覚えながらも、史郎はすべてを後回しにしてSNSのDMの確認を優先した。編集からの新着メッセージがあるのを見て取り、震える手で触れて表示された文章にのどを鳴らした。
そこへピリリリリリ! とけたたましい音を立ててスマホが震える。
「っヒヨか」
肩を大きく震わせながらも電話に出た史郎が名を呼べば、スマホの向こうで妹が安堵の声をあげた。
『あー! ようやく出た! おとーさーん、おかーさーん! お兄ちゃん電話出たー!』
大声で叫ぶヒヨの向こうで聞きなれた声が驚きと安堵の声をこぼすのが聞こえて、史郎は申し訳なさを募らせる。
『んもー、お兄ちゃん、また絵に夢中になって返事忘れてたでしょ! これで電話で無かったら、お父さんが仕事休んでお兄ちゃんとこ行くなんて言ってたんだよ! 昨日の最終電車に飛び乗ろうとしたのだって、あたしがぜったい絵に夢中なだけだって止めたんだから!』
文句を言いながらも史郎の無事を喜ぶヒヨに、史郎は心底感謝した。もしも昨日の最終便で両親に駆け付けられていたら、きっとあのラフを仕上げる熱意は保てなかっただろうから。
「ありがとう、ヒヨ。今度帰ったら、好きな服でもなんでも買うから」
『んひひ。期待してるよ神絵師さん! それで、絵師さんの収入源のほうは……』
うれしげなヒヨとのやり取りは心地良いけれど、今の史郎はそんな余裕が無かった。
「ごめん! 寝過ごして時間内から、もう行く! 絵の依頼のことはまた夜に連絡するから、父さんと母さんによろしく!」
言うだけ言って通話を切ると、全速力で支度を済ませる。制服に着替え鞄を手にした史郎は部屋を飛び出てきしむ階段を二段飛ばしに駆け降り、その勢いのまま地を蹴った。
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