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史郎が落ち着く場所は自分の部屋か家族といるとき。落ち着く行動は膝を抱えて座ること。絵を描くのも雑念が消えて良いのだけれど、いまだけは絵を描いているとあれこれ思い出してしまうので手は動かさない。
そんなわけで、家電量販店から逃げかえった史郎は、夕暮れのボロアパートの自室で座椅子に膝を抱えて座り、座卓に立てたスマホを見つめていた。画面には、イラスト作成ソフトの代わりにビデオ通話が開かれて、妹のヒヨの顔が映っている。
『いーじゃん、別に絵を描くのを見られたくらい。描いた絵はいつもネットでみんなに見られてるんだから』
「それとこれとは別なんだよ……」
どう慰めてもどんよりとしたままの兄に呆れたヒヨは、いよいよ呆れを隠すのもやめて抱えたクッションにほほを押し付ける。
『今さらなに言ったってお兄ちゃんが絵を描いてるとかを見られちゃったのは変わんないでしょー。それよりさ、液タブ使ってみてどうだった? 欲しくなっちゃったりした?』
「……すごく、良かった。けど値段もすごかった……」
あからさまな話題転換ではあったけれど、史郎の心をくすぐる話題であったのですぐに食いついた。ヒヨも伊達に史郎の妹をしているわけではない。
『依頼で貯めたお金は?』
「さすがにまだ三十万までは行ってない。それに、まずは父さんと母さんに一泊旅行くらいプレゼントしたいから……」
『そゆとこお兄ちゃん、真面目だよね~』
茶化す妹に史郎は「だってわがまま言ってひとり暮らしさせてもらってるんだし、絵の依頼でもらったお金は俺の小遣いにしろって受け取ってくれないんだし、せめてそれくらいしたいから」とぼそぼそつぶやく。
『ま、そういう真面目なとこ嫌いじゃないけどね』
肩をすくめたヒヨは『っていうかさ』と目を輝かせた。
『お兄ちゃん、液タブ買わなくてもいいんじゃん。あれ、応募したやつ、そろそろ連絡来るころじゃない?』
あれ、と言われて心当たりのある史郎は「んんっ」と居心地悪げに膝を抱え直す。
「あれって、あれだろ……創作応援キャンペーンのイラストコンテスト」
『そうそう! 大賞に選ばれると、なんと液タブとお絵かきソフトのセットがもらえちゃうやつ!』
「無理無理無理無理。大賞とかぜったい無理だから! ヒヨも去年の受賞作見ただろ。俺レベルの絵描き世界中にごろごろしてるし描き始めたのが締め切り間近だったせいで描きこみも甘いし俺の絵暗いし……」
こんなときばかり饒舌になる兄に慣れているヒヨは、史郎のことばを半分聞き流しつつ『去年のは確かにきれーだったけど、お兄ちゃんの絵もあたし好きだよ。それに、フォロワー十四万越えの絵師は言うほどゴロゴロしてないし。選ぶのはお兄ちゃんじゃないんだから結果はわかんないでしょー』とむくれて見せる。
史郎が絵師として有償依頼を受け付けはじめたとき、値段設定をしたのはヒヨなのだ。仲の良い兄妹としてだけでなく、史郎の絵を好きな者としてたとえ史郎自身であっても彼の絵をけなすような発言にはむっとしてしまう。
とはいえ、史郎の絵に対する自信のなさが周囲の無理解からくる年季の入ったものだということもわかっているので、面と向かって非難する気もない。一呼吸の間に表情を切り替えたヒヨがクッションを抱え直す。
『それよりもさ! 今日はクラスのひとと出かけたんでしょ? そっちの学校で友だちできたんなら、家出た甲斐があったね』
ことさら明るい妹の声で、史郎は膝に押し付けていた顔をゆるゆるとあげた。
「友だち……うん」
小さな声だけれど確かにうなずく。否定したら王子がすねてしまうと、史郎にもわかっていた。
そんな兄を珍しいと思いながら、にじむ照れを嗅ぎ取ったヒヨが『にひひ』と笑う。
『お父さんとお母さんに話したらきっとお祝いしなきゃって騒ぐよ~。あたしケンタッキー食べたいなあ』
何なら赤飯を炊いてしまうかもしれない両親の喜びようを思い描きながら言う妹に、史郎は真面目な顔でうなずいた。
「じゃあ、今度帰ったときに俺が買う」
『なんでお祝いされるひとが買ってくるの。それよりもさ。クラスのひとって男? それとも女?』
「んんっ」
クラスメイトと遊びに行った、と話したときからいつ聞かれるかとは思っていた史郎だがここまで触れられなかったからと油断していた。けれど動揺してしまった時点でバレてしまう。
『あ、その反応は女のひとだ!』
「王子もいっしょだから! ふたりきりじゃない!」
そこはしっかり伝えておかなければ、と史郎は必死だ。次に帰省したときには「史郎に彼女ができた」と期待に目を輝かせる両親に囲まれる未来が見えるだけに、つい声が大きくなる。
一方でヒヨが食いついたのは別の箇所だった。
『なになに、王子ってなに!』
「名字が大きい司って書いて『おおじ』って読むから、あだ名が王子で。でもあだ名がすごくしっくりくるイケメンで、そのうえすごく気遣いできる良い奴で」
王子の良さを伝えようと必死にことばを重ねる史郎に、ヒヨも興味深々だ。
『ふんふん。じゃあ今度、写真撮って送ってね。あとさ、女子が男子といっしょに出かけるって時点で脈はアリだからね。ファイトだよ!』
イケメンに食いつきつつも猿渡の存在をスルーしない妹に、史郎は決まり悪げにぼやく。
「そういうの、いいから……」
照れ混じりにすねる史郎の顔に、通話をはじめたときほどの暗さが無いのを見てとってヒヨはこっそり笑った。恋愛感情があるのか無いのか兄越しの情報ではまったくわからないけれど、ようやく得られた友人たちが兄に良い関係をもたらしてくれることを祈りながらスマホに手を伸ばす。
『あ、ご飯の時間だから切るね。んじゃね。次はお兄ちゃんの恋愛相談、期待してるから~』
「ん。また」
ぷつん、と画面が暗くなると、途端に史郎の部屋は静まり返る。
夏が近づいて陽が長くなったとはいえ、さすがに暗くなってきた部屋に明かりをつけて史郎は立ち上がった。妹と話したことで過ぎたことを気にしても仕方ない、とすこし落ち着きを取り戻して夕食の支度にとりかかる。
(食事と風呂が済んだら絵を描こう。でもあんまり遅くまでしないように気を付けないと)
「明日も学校だからな」
くちにしてから、にじんだうれしさに史郎の顔がやんわりとゆるむ。
明日、学校に行ったら王子にあいさつをして、逃げ帰ったことを謝ろうと胸に刻む。猿渡に謝るのはギャル委員長がいないときがいいだろうか、それとも朝、登校したら彼女から寄ってきてくれるだろうか、と史郎は未来を思い描く。
(学校に行くのが楽しみなんて、はじめてかもしれない)
そんなわけで、家電量販店から逃げかえった史郎は、夕暮れのボロアパートの自室で座椅子に膝を抱えて座り、座卓に立てたスマホを見つめていた。画面には、イラスト作成ソフトの代わりにビデオ通話が開かれて、妹のヒヨの顔が映っている。
『いーじゃん、別に絵を描くのを見られたくらい。描いた絵はいつもネットでみんなに見られてるんだから』
「それとこれとは別なんだよ……」
どう慰めてもどんよりとしたままの兄に呆れたヒヨは、いよいよ呆れを隠すのもやめて抱えたクッションにほほを押し付ける。
『今さらなに言ったってお兄ちゃんが絵を描いてるとかを見られちゃったのは変わんないでしょー。それよりさ、液タブ使ってみてどうだった? 欲しくなっちゃったりした?』
「……すごく、良かった。けど値段もすごかった……」
あからさまな話題転換ではあったけれど、史郎の心をくすぐる話題であったのですぐに食いついた。ヒヨも伊達に史郎の妹をしているわけではない。
『依頼で貯めたお金は?』
「さすがにまだ三十万までは行ってない。それに、まずは父さんと母さんに一泊旅行くらいプレゼントしたいから……」
『そゆとこお兄ちゃん、真面目だよね~』
茶化す妹に史郎は「だってわがまま言ってひとり暮らしさせてもらってるんだし、絵の依頼でもらったお金は俺の小遣いにしろって受け取ってくれないんだし、せめてそれくらいしたいから」とぼそぼそつぶやく。
『ま、そういう真面目なとこ嫌いじゃないけどね』
肩をすくめたヒヨは『っていうかさ』と目を輝かせた。
『お兄ちゃん、液タブ買わなくてもいいんじゃん。あれ、応募したやつ、そろそろ連絡来るころじゃない?』
あれ、と言われて心当たりのある史郎は「んんっ」と居心地悪げに膝を抱え直す。
「あれって、あれだろ……創作応援キャンペーンのイラストコンテスト」
『そうそう! 大賞に選ばれると、なんと液タブとお絵かきソフトのセットがもらえちゃうやつ!』
「無理無理無理無理。大賞とかぜったい無理だから! ヒヨも去年の受賞作見ただろ。俺レベルの絵描き世界中にごろごろしてるし描き始めたのが締め切り間近だったせいで描きこみも甘いし俺の絵暗いし……」
こんなときばかり饒舌になる兄に慣れているヒヨは、史郎のことばを半分聞き流しつつ『去年のは確かにきれーだったけど、お兄ちゃんの絵もあたし好きだよ。それに、フォロワー十四万越えの絵師は言うほどゴロゴロしてないし。選ぶのはお兄ちゃんじゃないんだから結果はわかんないでしょー』とむくれて見せる。
史郎が絵師として有償依頼を受け付けはじめたとき、値段設定をしたのはヒヨなのだ。仲の良い兄妹としてだけでなく、史郎の絵を好きな者としてたとえ史郎自身であっても彼の絵をけなすような発言にはむっとしてしまう。
とはいえ、史郎の絵に対する自信のなさが周囲の無理解からくる年季の入ったものだということもわかっているので、面と向かって非難する気もない。一呼吸の間に表情を切り替えたヒヨがクッションを抱え直す。
『それよりもさ! 今日はクラスのひとと出かけたんでしょ? そっちの学校で友だちできたんなら、家出た甲斐があったね』
ことさら明るい妹の声で、史郎は膝に押し付けていた顔をゆるゆるとあげた。
「友だち……うん」
小さな声だけれど確かにうなずく。否定したら王子がすねてしまうと、史郎にもわかっていた。
そんな兄を珍しいと思いながら、にじむ照れを嗅ぎ取ったヒヨが『にひひ』と笑う。
『お父さんとお母さんに話したらきっとお祝いしなきゃって騒ぐよ~。あたしケンタッキー食べたいなあ』
何なら赤飯を炊いてしまうかもしれない両親の喜びようを思い描きながら言う妹に、史郎は真面目な顔でうなずいた。
「じゃあ、今度帰ったときに俺が買う」
『なんでお祝いされるひとが買ってくるの。それよりもさ。クラスのひとって男? それとも女?』
「んんっ」
クラスメイトと遊びに行った、と話したときからいつ聞かれるかとは思っていた史郎だがここまで触れられなかったからと油断していた。けれど動揺してしまった時点でバレてしまう。
『あ、その反応は女のひとだ!』
「王子もいっしょだから! ふたりきりじゃない!」
そこはしっかり伝えておかなければ、と史郎は必死だ。次に帰省したときには「史郎に彼女ができた」と期待に目を輝かせる両親に囲まれる未来が見えるだけに、つい声が大きくなる。
一方でヒヨが食いついたのは別の箇所だった。
『なになに、王子ってなに!』
「名字が大きい司って書いて『おおじ』って読むから、あだ名が王子で。でもあだ名がすごくしっくりくるイケメンで、そのうえすごく気遣いできる良い奴で」
王子の良さを伝えようと必死にことばを重ねる史郎に、ヒヨも興味深々だ。
『ふんふん。じゃあ今度、写真撮って送ってね。あとさ、女子が男子といっしょに出かけるって時点で脈はアリだからね。ファイトだよ!』
イケメンに食いつきつつも猿渡の存在をスルーしない妹に、史郎は決まり悪げにぼやく。
「そういうの、いいから……」
照れ混じりにすねる史郎の顔に、通話をはじめたときほどの暗さが無いのを見てとってヒヨはこっそり笑った。恋愛感情があるのか無いのか兄越しの情報ではまったくわからないけれど、ようやく得られた友人たちが兄に良い関係をもたらしてくれることを祈りながらスマホに手を伸ばす。
『あ、ご飯の時間だから切るね。んじゃね。次はお兄ちゃんの恋愛相談、期待してるから~』
「ん。また」
ぷつん、と画面が暗くなると、途端に史郎の部屋は静まり返る。
夏が近づいて陽が長くなったとはいえ、さすがに暗くなってきた部屋に明かりをつけて史郎は立ち上がった。妹と話したことで過ぎたことを気にしても仕方ない、とすこし落ち着きを取り戻して夕食の支度にとりかかる。
(食事と風呂が済んだら絵を描こう。でもあんまり遅くまでしないように気を付けないと)
「明日も学校だからな」
くちにしてから、にじんだうれしさに史郎の顔がやんわりとゆるむ。
明日、学校に行ったら王子にあいさつをして、逃げ帰ったことを謝ろうと胸に刻む。猿渡に謝るのはギャル委員長がいないときがいいだろうか、それとも朝、登校したら彼女から寄ってきてくれるだろうか、と史郎は未来を思い描く。
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