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リュリュナとユンガロスが距離を縮めているそのころ。
ゼトとヤイズミは街道沿いに植えられた桜のしたをゆっくりと歩いていた。
あたたかな陽射しのなか、ときおり吹く風はひんやりとしていたけれど、前後に並んで歩くふたりのほほの火照りはまだ消えない。触れあっているゼトの右手とヤイズミの左手から生まれる熱が体中を温めているようだった。
「……あの、あまり遠くへ行ってはリュリュナさんたちが」
赤いほほを隠すようにうつむき気味に歩いていたヤイズミが、意を決して顔をあげる。
けれど、思い切ってくちに出したことばは、つないだ手をぎゅうと握られて呆気なく消えてしまった。
「あっちはあっちで花見を楽しむだろ。それよりも姫さん、話があるんだ」
背中を向けたまま言ったゼトは、しっかり握ったヤイズミの手を引いて彼女を桜のしたに連れていく。長くそこに立っているのだろう桜の木は、どっしりと太い幹をしていた。ゼトとヤイズミのふたりが並んで立っても、街道を通るひとの視線から隠してくれるほど立派な桜だった。
桜の木に背中を預けて立てば、満開の桜と春先のやわらかな緑をした草木で視界が満たされる。
―――まるで、ふたりきりで過ごすために用意された特別な場所のよう。
「なんか、こうしてるとおれたちの特等席みたいだな」
桜を見上げたヤイズミがぼんやりと思っていたことを、となりに座ったゼトがくちにする。
驚いて目を向けたヤイズミと視線が合うとゼトがやわらかく笑うものだから、ヤイズミもつられて目元を緩めた。
たまにしか拝めないヤイズミの笑顔を目にして一瞬、呼吸を忘れたゼトだったが、深く息を吐き彼女に向き合う。
「こないだおれ、言ったよな。姫さんのこと好きだって。覚えててくれれば、それでうれしい、って」
「え、は、はい」
「やっぱ、だめだ」
ぼっと顔を熱くしたヤイズミだったが、続いたゼトのことばで一気に熱を失くした。それどころか、制御を忘れたヤイズミの力がこぼれてあたりに冷気が広がり、大気の凍る音がぱきぱきと聞こえだす。
「おわ! ど、どうした姫さん! 羽根が凍ってる! 姫さんが凍っちまう!」
急な事態に慌てたゼトが凍りついていくヤイズミの羽根をさする。広がっていく冷気を払おうと奮闘するゼトをよそに、呆然と立ったヤイズミがぽつりとくちを開く。
「だめ、とはどういうことでしょう」
ことばと共に白い冷気を吐いたヤイズミに、ゼトがはっとして彼女の手を握りこむ。凍りそうなほど冷え切った色をしたヤイズミの青い瞳をしっかり覗き込んで、ゼトは告げる。
「好きだって言うだけじゃだめだ、って思ったんだ! 姫さんのこと好きだ。だからおれ、白羽根のご当主に会おうと思う。会って、姫さんのこと好きなんだって、言おうと思ってんだ」
ぱきんっ。
ゼトのことばを受けて、ヤイズミの身体に広がりかけていた氷が音をたてて割れた。ぱりん、ぱきんと割れては、きらめくかけらとなって落ちていく。
「……お、お父さまに……?」
「ああ。由緒ある大店の姫さんとちっちぇ菓子屋がどうやったらずっといっしょにいられるか、おれにはわからねえ。だから、大店の旦那に認めてもらうにはどうしたらいいか、聞きにいく」
思わぬことを言われてうろたえるヤイズミの手を取ったゼトは、きっぱりとした口調とは裏腹に、ひどくやさしい手つきでヤイズミに残る氷のつぶを払った。ほろほろとこぼれる氷が無くなると、彼女の冷え切った手を取りそっと包み込む。
「その前に、姫さんに聞いとかねえといけねえと思ってさ。姫さんは白羽根の大事なひとり娘だ。もっとちゃんとした、身分もある学もある男を婿にもらうんだったら、そう言ってくれ。おれは、ちゃんとわきまえる」
「そん、な……」
淡々と、けれどはっきりとした口調でゼト言うゼトに、ヤイズミは声をつまらせる。包み込まれた手のぬくもりをどこか遠くに感じていた。
呆然とつぶやくヤイズミに、何を思ったのだろうか。ゼトはヤイズミの手をそっと放して笑いかける。
「そんときは、おれと姫さんはただの友だちになるだけだ。リュリュナと遊んで、ときどき菓子を作りに来てくれる。それでいいんだ」
にっと歯を見せていつも通り笑ってみせるゼトの笑顔に、ヤイズミはいよいよことばを失くした。
答えられなかった。離れていく手を追いかけられなかった。
誠実であろうとしてくれる彼に、ヤイズミは答えられない。結婚など自身が介入することではないと、父親が持ってくるであろう縁談を受けておくのが当然だと思って、考えたことがなかったのだ。
ゼトの思いに応えたい。ぜひに、と彼の手を取ってつなぎ留めたい。けれど、それが許されることなのか否か、ヤイズミにはわからなかった。
自身の思いを軽率にくちにできないことに気が付いて、はじめてヤイズミは自分のことを自分で考えていなかった自身の愚かさに打ちのめされた。
―――フチのことで、悔いたはずだったのに……。
ヤイズミは唇を噛みしめる。
さあっと吹いた風に散らされた花びらが、間近にいるはずの互いの姿を隠してしまう。それは一瞬のこと。
けれど、その一瞬でヤイズミの胸には、ゼトを見失う恐怖が刻まれた。
「……せっかくの花見なのに、こんなこと言いだして悪い」
服に張り付く花びらを払いながら、ゼトが言う。申し訳なさをにじませる彼から視線を逸らして、ヤイズミはぎゅっと手を握りしめた。
「いいえ」
うつむいていた顔をあげて、苦笑するゼトをまっすぐに見返してヤイズミは背筋を伸ばす。
「いいえ。すぐにはお返事できませんが、必ずゼトさんの思いにこたえを用意いたします。必ず、必ずこたえますから、どうかお待ちくださいませ」
「わかった。待つ」
きりりと表情を引き締めたヤイズミの願いに、ゼトはしっかりとうなずいて返した。
ふたりが真剣な顔をして見つめ合ったのは、数秒。
「……そろそろ、戻るか」
「はい」
短く交わして、ゼトとヤイズミはリュリュナたちの元へと連れ立って歩き出す。
並んで歩くふたりの間には、ひと一人分のすき間が開いていた。手を伸ばせば届く距離だけれど、どちらも手を伸ばさない。
つなげないままの手に、春の風がひどく冷たく吹き付けた。
ゼトとヤイズミは街道沿いに植えられた桜のしたをゆっくりと歩いていた。
あたたかな陽射しのなか、ときおり吹く風はひんやりとしていたけれど、前後に並んで歩くふたりのほほの火照りはまだ消えない。触れあっているゼトの右手とヤイズミの左手から生まれる熱が体中を温めているようだった。
「……あの、あまり遠くへ行ってはリュリュナさんたちが」
赤いほほを隠すようにうつむき気味に歩いていたヤイズミが、意を決して顔をあげる。
けれど、思い切ってくちに出したことばは、つないだ手をぎゅうと握られて呆気なく消えてしまった。
「あっちはあっちで花見を楽しむだろ。それよりも姫さん、話があるんだ」
背中を向けたまま言ったゼトは、しっかり握ったヤイズミの手を引いて彼女を桜のしたに連れていく。長くそこに立っているのだろう桜の木は、どっしりと太い幹をしていた。ゼトとヤイズミのふたりが並んで立っても、街道を通るひとの視線から隠してくれるほど立派な桜だった。
桜の木に背中を預けて立てば、満開の桜と春先のやわらかな緑をした草木で視界が満たされる。
―――まるで、ふたりきりで過ごすために用意された特別な場所のよう。
「なんか、こうしてるとおれたちの特等席みたいだな」
桜を見上げたヤイズミがぼんやりと思っていたことを、となりに座ったゼトがくちにする。
驚いて目を向けたヤイズミと視線が合うとゼトがやわらかく笑うものだから、ヤイズミもつられて目元を緩めた。
たまにしか拝めないヤイズミの笑顔を目にして一瞬、呼吸を忘れたゼトだったが、深く息を吐き彼女に向き合う。
「こないだおれ、言ったよな。姫さんのこと好きだって。覚えててくれれば、それでうれしい、って」
「え、は、はい」
「やっぱ、だめだ」
ぼっと顔を熱くしたヤイズミだったが、続いたゼトのことばで一気に熱を失くした。それどころか、制御を忘れたヤイズミの力がこぼれてあたりに冷気が広がり、大気の凍る音がぱきぱきと聞こえだす。
「おわ! ど、どうした姫さん! 羽根が凍ってる! 姫さんが凍っちまう!」
急な事態に慌てたゼトが凍りついていくヤイズミの羽根をさする。広がっていく冷気を払おうと奮闘するゼトをよそに、呆然と立ったヤイズミがぽつりとくちを開く。
「だめ、とはどういうことでしょう」
ことばと共に白い冷気を吐いたヤイズミに、ゼトがはっとして彼女の手を握りこむ。凍りそうなほど冷え切った色をしたヤイズミの青い瞳をしっかり覗き込んで、ゼトは告げる。
「好きだって言うだけじゃだめだ、って思ったんだ! 姫さんのこと好きだ。だからおれ、白羽根のご当主に会おうと思う。会って、姫さんのこと好きなんだって、言おうと思ってんだ」
ぱきんっ。
ゼトのことばを受けて、ヤイズミの身体に広がりかけていた氷が音をたてて割れた。ぱりん、ぱきんと割れては、きらめくかけらとなって落ちていく。
「……お、お父さまに……?」
「ああ。由緒ある大店の姫さんとちっちぇ菓子屋がどうやったらずっといっしょにいられるか、おれにはわからねえ。だから、大店の旦那に認めてもらうにはどうしたらいいか、聞きにいく」
思わぬことを言われてうろたえるヤイズミの手を取ったゼトは、きっぱりとした口調とは裏腹に、ひどくやさしい手つきでヤイズミに残る氷のつぶを払った。ほろほろとこぼれる氷が無くなると、彼女の冷え切った手を取りそっと包み込む。
「その前に、姫さんに聞いとかねえといけねえと思ってさ。姫さんは白羽根の大事なひとり娘だ。もっとちゃんとした、身分もある学もある男を婿にもらうんだったら、そう言ってくれ。おれは、ちゃんとわきまえる」
「そん、な……」
淡々と、けれどはっきりとした口調でゼト言うゼトに、ヤイズミは声をつまらせる。包み込まれた手のぬくもりをどこか遠くに感じていた。
呆然とつぶやくヤイズミに、何を思ったのだろうか。ゼトはヤイズミの手をそっと放して笑いかける。
「そんときは、おれと姫さんはただの友だちになるだけだ。リュリュナと遊んで、ときどき菓子を作りに来てくれる。それでいいんだ」
にっと歯を見せていつも通り笑ってみせるゼトの笑顔に、ヤイズミはいよいよことばを失くした。
答えられなかった。離れていく手を追いかけられなかった。
誠実であろうとしてくれる彼に、ヤイズミは答えられない。結婚など自身が介入することではないと、父親が持ってくるであろう縁談を受けておくのが当然だと思って、考えたことがなかったのだ。
ゼトの思いに応えたい。ぜひに、と彼の手を取ってつなぎ留めたい。けれど、それが許されることなのか否か、ヤイズミにはわからなかった。
自身の思いを軽率にくちにできないことに気が付いて、はじめてヤイズミは自分のことを自分で考えていなかった自身の愚かさに打ちのめされた。
―――フチのことで、悔いたはずだったのに……。
ヤイズミは唇を噛みしめる。
さあっと吹いた風に散らされた花びらが、間近にいるはずの互いの姿を隠してしまう。それは一瞬のこと。
けれど、その一瞬でヤイズミの胸には、ゼトを見失う恐怖が刻まれた。
「……せっかくの花見なのに、こんなこと言いだして悪い」
服に張り付く花びらを払いながら、ゼトが言う。申し訳なさをにじませる彼から視線を逸らして、ヤイズミはぎゅっと手を握りしめた。
「いいえ」
うつむいていた顔をあげて、苦笑するゼトをまっすぐに見返してヤイズミは背筋を伸ばす。
「いいえ。すぐにはお返事できませんが、必ずゼトさんの思いにこたえを用意いたします。必ず、必ずこたえますから、どうかお待ちくださいませ」
「わかった。待つ」
きりりと表情を引き締めたヤイズミの願いに、ゼトはしっかりとうなずいて返した。
ふたりが真剣な顔をして見つめ合ったのは、数秒。
「……そろそろ、戻るか」
「はい」
短く交わして、ゼトとヤイズミはリュリュナたちの元へと連れ立って歩き出す。
並んで歩くふたりの間には、ひと一人分のすき間が開いていた。手を伸ばせば届く距離だけれど、どちらも手を伸ばさない。
つなげないままの手に、春の風がひどく冷たく吹き付けた。
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