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甘酸っぱいその名は

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 あたたかな春の日差しに照らされた山道を一台の荷馬車がゆっくりと走っていた。
 ひとの足で踏み固められただけのでこぼこ道を進むたび、馬につながれた荷台がごとごとと音を立てる。
 荷台からこぼれそうなほどに積まれた荷物に寄り掛かるように座る老人は、荷台がおおきく揺れるたび顔をしかめた。

「ちっと揺れがきついぞ! もうちょっとゆっくり走らんか!」

 老人が御者に向かって怒鳴る。しかし、御者の少年はそんな怒鳴り声など慣れたもの、という様子で軽く肩をすくめる。

「じいさんの身体にガタがきてるせいじゃないか? おれはいつもどおり走らせてるぜ」
「だったら、相変わらず手綱さばきが下手くそってこったな。まったく、覚えの悪い小僧なんぞ雇うんじゃなかった」
「じいさん、見る目ねえからなあ。そのうえくちも悪いときた。そろそろ引退してゆっくり過ごしたらどうだ? 仕事はおれが引き受けるからさあ」
「おむつが取れて間もねえ小僧に任せてたら、いつ呼び出されるかわからんからおちおち休んでもいられんわ! ごたごた言うひまがあったら、さっさと馬の扱いを覚えんか!」

 老人がわあわあと声を張り上げるのに、少年は軽くちで返す。
 いつもであれば少年もけんか腰になるというのに、きょうは何を言われても笑っている余裕があるようだ。

「まったく、嬢ちゃんに会えるからって浮かれてからに……」
 
 老人のぼやく声は、荷車のたてる音にかき消されて誰にも届かない。
 御者台に座った少年は機嫌よさげに頭のうえの猫耳をふるわせて、手綱を操るのだった。




 張り紙を手に店の表に立ったリュリュナは、戸口にぺたりと張り付けた紙の文字をじっと見る。
 リュリュナが書いた『完売しました』という文字は、ナツほど達筆ではないしゼトほど勢いもない。けれどもそこそこきれいに書けている、とリュリュナは満足気にうなずいた。

「おーい、表の戸を閉めたら昼飯にするから。早く入ってこい」

 暖簾をしまうため店に入ったゼトが、開いたままの木戸の向こうからリュリュナを呼ぶ。
 それに続けてナツメグが「きょうのお昼は菜の花のお浸しよ~」と言っているのが聞こえた。返事をしたリュリュナが店に入ろうとした、そのとき。

「リュリュっ!」

 誰かに名を呼ばれて、リュリュナは立ち止まった。
 振り返れば、ひざに手をついて息をととのえている少年がいる。
 ぜいぜいと荒い息をするたび、彼の頭のうえに生えた猫耳がぴるぴると動くのは、無意識なのだろう。成長途中のまだ薄い肩が上下するたび、そこにかかった緑の三つ編みがさらりさらりと揺れる。
 その耳に、髪に、リュリュナは見覚えがあった。
 
「……チギ?」

 見覚えはあるけれど、ここにいると思っていなかった少年の名をリュリュナはそうっと呼ぶ。
 ちいさなその声を受けて、猫耳がぴんっと立ち上がる。そして、少年が顔をあげた。
 すこし吊り気味の瞳がリュリュナを映すと、少年のほほはふわりと色づく。

「ああ、元気にしてたか?」

 たずねる少年は、リュリュナの記憶にあるよりもどことなくおとなびて見える。けれど、その気遣いも笑顔も記憶のままで、リュリュナはうれしくなった。

「元気だよ。チギこそ、身体はつらくない? 移動しながらお店屋さんするんでしょう。このひと月くらい、ずっと旅してたの? ゆっくり休まなくて大丈夫?」
「ああ。どこで寝ても村よりよっぽど立派な寝床ばっかりで、むしろ体調がいいくらいだぜ。見たことない食い物とかきれいな布とかいっぱいあってな……」

 会えた喜びを隠さず語りかけてくるリュリュナに、チギはいつもしかめている眉をゆるめて笑う。「わあ! あたしもいろんなおいしいもの食べたんだよ!」と話し出すリュリュナといっしょになってほほを緩ませていたチギは、はたと我に返った。

「そうじゃなくて!」
「え?」

 急に眉間にしわを寄せたチギに、リュリュナは首をかしげる。
 
「リュリュこそこのひと月、どうしてたんだよ! 雑貨屋でそっちで働いてると思って行ってみたら、店は閉店したっていうし。リュリュが保護されてやしないかと思って巡邏の詰め所に行ってみれば、別の店で働いてるっていうし」

 苛立ちよりも心配の色濃くまくしたてるチギに見つめられて、リュリュナはぱんと両手を合わせた。

「そうだ! チギとルオンさんにお知らせの手紙出すの、忘れてた!」
「はああああ!?」

 リュリュナは、ルオンに紹介されていた雑貨屋が閉店しており、成り行きでナツ菓子舗に住み込みで働くことになったのだった、と久々に思い出した。そして、その旨をチギたちに知らせるための行動をなにひとつしていなかったことを今この瞬間に気が付いた。
 うっかりしてた! と驚いたような顔をしてみせるリュリュナに、チギは思わず声を大きくする。

「おまっ、忘れてた!? ひと月の間、おれのこと忘れてたってのか? ひとがどれだけ心配したと……!」

 あまりのことに、チギは感情が追い付かずことばに詰まる。眉を吊り上げ、猫耳の先をぴりぴりと震わせるチギが怒りを爆発させようとした、そこへ。

「リュリュナ、飯が冷めるぞ。何してんだ……って、そいつ誰だ?」

 開きっぱなしになっていた木戸から顔を出したのはゼトだ。
 リュリュナを見下ろしたゼトは、その前で眉間にしわを寄せている少年を見つけて目を細める。
 さぐるような視線が「また厄介ごとか?」と訴えかけてくるのに、リュリュナは慌てた。リュリュナが厄介ごとに巻き込まれたのは、つい先日のことだ。ようやくゼトとナツメグの過保護が緩んできて、店の表までひとりで出ることを許されたというのに、また警戒の度合いをあげられてはたまらない。 

「この子はあたしの幼馴染ですっ。村からいっしょに出てきて、出稼ぎしてるんです!」

 叫ぶように言って、リュリュナはチギをかばうように彼とゼトの間に立った。当然ながらリュリュナの背丈ではチギを隠すことはできず、ゼトは緑髪の猫耳少年をしっかりと視界にとらえた。
 その姿を見て、リュリュナの叫びを聞いたゼトの目がきらりと光る。

「リュリュナの幼馴染……? 同じ村の出身ってことは……」

 低くつぶやいたゼトは立ちふさがるリュリュナの横をすり抜けると、素早くチギの手を取りくるりと店に足を向けた。あわてたリュリュナが後に続いて店に入ったところで、ゼトは奥の台所に向けて言った。

「ナツ姉! リュリュナの仲間が来た。昼のおかず、増やせるだけ増やしてくれ!」
「えっ、なんだかわからないけど……わかったわあ!」

 きりりとした顔で言い放ったゼトに、ナツメグが応じる。きょうもナツ菓子舗の義姉弟(きょうだい)は息がぴったりだ。
 なにごとか、と目を白黒させるチギの横で、リュリュナは叫んだ。

「待ってください、ふつうで! ふつうで十分ですからああ!」
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