上 下
49 / 102

しおりを挟む
「あ、あああ、待ってくれ! まさか。まさか、我らの財産を没収するなどと言わぬよな?」
「なぜ没収されないと思うのです」

 腰を抜かしたまま、はいずってすがりつく赤ら顔の男に、ユンガロスはさも不思議そうに首をかしげた。

「わっ、我らの高貴な身を、血筋を途絶えさせるなどあってはならないことであろ⁉︎ 力ある黒羽根の若君なら、自明の理じゃろ!」

 狐顔の男が甲高い声で言えば、首をかしげたままユンガロスは背中の羽を広げた。ユンガロスの屋号そのものの黒い羽がばさりと音をたて、かがり火をゆらりと揺らす。
 橙色の炎に照らし出された青白い狐顔が色良い答えを期待して見つめるなか、ユンガロスは興味なさげに羽を閉じた。

「あなたがたがおっしゃるところの高貴な血筋を、途絶えさせること。それこそが貴族制度の廃止の理由だと、理解することさえできませんか」

 ふう、とユンガロスが息をつくと同時に、背中でたたまれていた羽が霧散した。かがり火の明かりのなか、黒い羽を形作っていた力のかけらが幻のように宙を舞って消えていく。
 思わず目で追うリュリュナの姿にほほを緩めたユンガロスは、男たちがまだわかっていなさそうな顔で見あげてくる視線を感じて、深く深くため息をついた。

「たしかに、力はないよりあった方が良い。けれど、過ぎた力は必要ありません。大切なひとを守れるだけの力があれば、じゅうぶんです」

 言って、ユンガロスは隣に立っていたリュリュナをぎゅうと抱きしめる。

「わわっ!」

 身長差のせいで頭を抱え込まれたリュリュナは、前が見えなくて慌てて声をあげた。驚きながらも腕の中から逃げ出そうとはしないリュリュナに、ユンガロスが嬉しそうに目を細める。

「そんなっ! そなたにはもっと相応しい、白羽根の姫がおるだろう!」
「美しく、力あるあの姫こそ、そなたに似合う。そうであろ!」

 男たちがわめくのを聞いて、リュリュナは想像した。黒髪で長身美男子のユンガロスと、艶のある白髪を持つすらりとした美女のユンガロスが並ぶ姿。
 対になるに相応しい色合いとほどよい身長差を持つふたりが笑いあうのは、さぞ美しい光景だろう。
 そう思って、リュリュナの胸がつきりと痛む。

 ーーー顔が隠れていてよかった。

 しょんぼりしてしまう顔を見られたくなくてリュリュナは、顔にかかるユンガロスの着物の袖を抱きしめた。

「頼まれもしないのに未婚の男女を添わせようとするのは、老人の悪癖ですよ。俺が好きなのは……」
「わたくしが好いているのは……」
「「リュリュナさんです」」
 
 ユンガロスのことばにかぶせて、誰かの声がする。
 聞き覚えのある声だ、と袖のしたから顔を出したリュリュナは、目の前に舞い降りた白髪の美少女に目を丸くした。

「リュリュナさん、お怪我は⁉︎」

 声と同時に降ってきたのは、白い羽をはためかせたヤイズミだった。
 いつもきりりと引き締まった顔をしているヤイズミが、白髪を乱し泣きそうな顔でリュリュナを引き寄せる。

「お嬢さまっ!」

 ヤイズミの胸に抱きしめられて目を白黒させているリュリュナの背中に、すがるような声がぶつかった。声を向けられたヤイズミは、ひとしきりリュリュナに怪我がないか触ってたしたしかめてから、声のほうに顔を向けた。

「ヤイズミ、お嬢さま……」

 地面に両ひざをついて正座したフチは、ヤイズミのひとみに射抜かれてびくりと顔をうつむかせた。
 暗い地面をじっと見つめくちびるを噛み締めたフチは、こらえきれずに声をあげた。

「お嬢さまは! お嬢さまは、それで良いのですか。お家に相応しい立派な殿方を、諦めてしまわれるのですか!」
「……なにか勘違いしているようだけれど」

 いちどリュリュナを解放したヤイズミは、リュリュナの肩にそっと手を乗せてくちを開く。冷ややかな声とはうらはらに、肩に添えられた手はひどく優しい。

「わたくしは、まわりに似合いだと言われてユンガロスさまとお会いしただけです。ただ、流されるだけのつまらない人間でした」
「そんな! そんなことはっ」
「いいえ。つまらない人間なのです。あなたが、フチがいつもわたくしを褒め称えてくれるから、あなたたちの上に立つのに相応しい振る舞いをしようと、努めていただけ」
「そんな……」

 呆然とつぶやいたフチのひざ先に、ぽつりと雫が落ちる。

「そんな……わたし、わたしの理想のお嬢さまは……」

 ぽつ、ぽつと落ちる粒は、ヤイズミの心を責めるように数を増やしていく。その重みに耐えかねてヤイズミがくちを開くより早く、動いたのは腕のなかのひとだった。

「あなたの理想って、どんなひと?」

 ちいさな緑の頭をこてりとかしげ、リュリュナが尋ねた。唐突で場の空気にそぐわない純粋な疑問をぶつけられ、おどろいたフチは思わず答えた。

「すてきなお姫さま……そう、美しくて、凛としてらして、お傍に仕えることが誇らしいような、そんなお姫さま」
「たしかに、ヤイズミさまは美人だもんね。背筋がぴしっとしてて、指先まですらっときれいで、役に立てたら幸せな気持ちになると思う」

 夢見るように言うフチのことばに、リュリュナはうんうん、とうなずいた。フチが挙げた点をひとつひとつヤイズミに当てはめて、肯定していく。

「そう、そうなのよ。お嬢さまはほんとうに素晴らしい姫さまで。お家は立派だし、人柄も素晴らしくて、下々にまでおやさし過ぎるところが気にかかるけれど、ほんとうに、理想のお姫さまよ」

 リュリュナの肯定を得て、フチの弁が勢いを増す。こぼれていた涙のあとも拭かないままに上げられた顔は、目元が腫れてはいたが明るかった。抑えきれないヤイズミへの思慕で、輝いていた。
 ちいさな、けれど頼もしいリュリュナの背中越しにフチの思いを垣間見たヤイズミは、その重さに胸がきしむ。重みに耐えかねたヤイズミが視線をそらしかけた、そのとき。

「ヤイズミさまは確かにすてきな方だけど、あなたの理想を叶えるために居るお姫さまじゃあ、ないと思うよ」

 そう言ったリュリュナの声は、いたって普通だった。
 責めるようでもなく、諭すようでもなく、ただ、何でもない事実を述べているだけ。
 けれどその事実は、フチの顔から光を消すのに十分だった。

「……どうして? だって、お嬢さまなのよ? 白羽根の姫君なのよ? 世が世なら、お生まれになるのがあと数十年早ければ、イサシロの城主の奥方にだってなれた方なのよ?」
「そうじゃ。白羽根にはそれだけの力がある! その力をみすみす薄れさせるのは、もったいない!」
「いまからでも遅うないはずじゃ。黒羽根の若君とふたり手を取れば、イサシロ城を再建して、この街の貴族に力を取り戻すこととて叶うじゃろ!」

 フチのつぶやきに、赤ら顔の男がおおきくうなずいた。二人の発言に力を得て、狐顔の男が甲高い声をあげる。

「まったく、まだ凝りませんか……」

 自体を静観していたユンガロスがため息をついたとき、じゃりんっ! 金属の鎖がひときわ大きな音を立てた。
 
「ぐぉるうぅっ‼」

 戒められた牙のすき間から怒気のこもったうなり声を吐き出して、異形が暴れる。
 鎖が肉に食い込むのも構わずがちゃん、がちゃんと異形は激しく暴れまわり、その拍子に鎖を縫い留めている杭がじわりと動いた。
 異形の獣が暴れるたび、杭はじわりじわりと地から引き抜かれていく。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...