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「さあ、なにを冷やせばよろしいの?」

 台所に案内するなり、ヤイズミは白い指で握りこぶしをつくる。
 涼しげな美貌ながらもやる気に満ちあふれたその姿をほほえましく思いながら、リュリュナはうなずいて答えた。

「まずは、髪の毛を結んでもらいます」
「髪の毛?」

 きょとり、と首をかしげたヤイズミの肩を白くつやめいた髪の毛がさらりと流れた。それに目をやって、ヤイズミは納得したようだった。

「そうね、邪魔になりますもの」

 すなおに髪をひとつにまとめたヤイズミは、改めてひとみを輝かせた。不満などかけらも見当たらないその姿に、リュリュナはこっそり息を吐いた。もしも難色を示すようなら、どうしようかと気をもんでいたのだ。
 リュリュナの心配をよそに、ヤイズミはくちびるをほんのりとほころばせて髪をまとめ終える。そのくちが今度こそはじめましょう、と言いだすより早く、リュリュナは次の指示をだす。

「それから、この割烹着をどうぞ。ナツメグさんのだから、おおきさは合うはずです」
「え、ええ」

 まっしろな割烹着を身に着ければ、ヤイズミの豪奢な振袖が作業の邪魔をすることもなく、汚れることもない。

「それから……」
「まだあるのね」

 さらに続けて言おうとしたリュリュナに、ヤイズミが驚きと呆れの入り混じった声を向ける。まるで、前世ではじめてお菓子作りをしたときの自分のようだと、リュリュナはなつかしさを抱いた。

「あとは手をきれいに洗って、そうしたらいよいよ材料に触れますよ」

 リュリュナが言えば、ヤイズミの長い耳がぴくりと動く。いそいそと水瓶に向かうヤイズミの手に柄杓で水をかけて布巾を手渡したリュリュナは、お菓子作りをいまかいまかと待っているのがヤイズミだけではなかったことに気が付いた。

「牛の乳を入れる鍋は、これくらいのおおきさでいいか?」
「卵はいくつ使うのかしら。お砂糖はどれくらいはかっておけばいいかしら」

 ゼトとナツメグがわくわくした顔で道具を並べている。「木べらもいるか」「菜箸はつかうかしら」などとにぎやかに台所をうろつく姉義弟(きょうだい)に、リュリュナは思わずくすりと笑ってしまう。

「ゼトさん、そこまで大きな鍋でなくていいですよ。きょうは試作だから、ここにいるみんなの分くらいできれば、いいんでしょ?」
「おう、そうか!」

 リュリュナに言われて、ゼトは抱えていた寸胴のような鍋を台所のすみに仕舞いに行った。リュリュナがしゃがんですっぽり入れそうな大鍋は、いったいいつ使うのだろう。そんな鍋いっぱいにアイスクリンを作ったなら、間違いなく食べきれなくなってしまう。

「ナツメグさん。ありったけの卵を使って作ったら、あたしたちみんなアイスの食べすぎでおなか壊しちゃいます。みっつくらいでいいんじゃないかな?」
「ええ! あいすくりんって、そんな危険な食べ物なのね……」
「危険というか、冷たいお菓子なのでお腹が冷えちゃうんです」

 そうなのね、といささか残念そうな顔をしたナツメグは並べていた卵をかごにしまっていく。
 クッキーを試作したときにも、ナツメグはいろいろと述べながら結構な量のクッキーを食べていた。それだけお菓子が好きなのだなあ、とにこにこ笑っていたリュリュナは、横からの強い視線に気が付いた。

 ヤイズミの青く澄んだひとみがリュリュナを見つめている。その顔はつんとすましたお人形のように整っているが、期待にきらりと輝くひとみがヤイズミを活き活きと魅力的にさせている。

「わたくしは何をすればよろしいの」

 水滴のひとつも残さず拭きあげた手を見せて問うヤイズミに、リュリュナはにっこりうなずいた。

「それじゃあ、ゼトさんが出してくれた銅鍋に材料を入れていきましょう。計量はナツメグさんが済ませてくれていますから、全部どさどさと」
「え、順番とかは?」

 リュリュナの指示にゼトが目を丸くする。菓子を作り慣れた彼からすれば、リュリュナの指示はおおざっぱ過ぎた。
 けれどもリュリュナは自信ありげに笑うばかり。

「あいすくりんに関しては、材料を全部いれて混ぜちゃえばだいじょうぶです。大事なのは、冷やすことと混ぜること、このふたつです」

 リュリュナが言えば、ヤイズミがきらりと目を輝かせた。

「でしたら、わたくし得意でしてよ。さあ、なにを冷やしますの」

 言って、うえに向けて開いたヤイズミの手のひらのうえで氷の粒がきらきらと舞う。
 
「わあ! すごい!」
「まああ、きれいねえ」

 まるで魔法のようだ、とリュリュナは驚いたが、ヤイズミの能力はこの世界において一般的なものではないようでナツメグもまた目をまるくして歓声をあげていた。

「はああ、ふしぎなもんだなあ。姫さんの手のうえだけ、空気が冷てえぞ」

 ゼトもまた、ヤイズミの手のひらのうえに指をかざしてみたり引っ込めてみたりしながら、ふしぎそうにしている。
 ヤイズミは澄ました顔ながらもどこか得意げな表情だ。

「冷やす前にまずは、混ぜます。ええと、ヤイズミさまは卵を割ったこと、ありますか?」
「ありません」

 いちおう確認を、とリュリュナが聞いてみると、ヤイズミが即座に答える。照れもためらいもみせず潔く告げられて、リュリュナは彼女がお嬢さまなのだと実感した。
 想定はしていたので、驚くこともなくリュリュナは卵をふたつ、ヤイズミに手渡した。

「でしたら、割ってみましょう。右手と左手それぞれに卵をひとつずつ持ってもらって……こつん、です」

 言いながら手振りを交えて伝えるリュリュナを真剣なひとみで見ていたヤイズミは、こくりとうなずく。「こつん、ですね」とちいさな声で言いながらおそるおそる両手を近づけて、卵と卵をこつりとぶつけた。

「……割れません」

 卵のぶつけた箇所をじっと見て、つぶやくヤイズミの声はどこか悲しげだ。

「殻はそこそこ固いから、もうちょっとがつんといってもだいじょうぶだ」

 ひょいと手を出して、台のうえに残っていたひとつの卵を取ったゼトが台にこつこつとぶつけて、ひびを入れてみせる。
 
「これくらい、かしら」

 こつ、こつん、と確かめるように卵同士をぶつけて、何度目か。ぶつけた箇所を確認したヤイズミが、ぱあっとひとみを輝かせた。

「ひびが入りました!」

 ぶつけあったふたつの卵のうち、ひびがはいったひとつをヤイズミは掲げるように持った。
 卵を見てほほを赤くするヤイズミに、ゼトが「それじゃあ、つぎはこうだ」と言ってひびが入ったところからたまごを左右にぱかりと割った。
 とろり、とこぼれ落ちた白身と黄身が鍋のなかに収まるのを見届けたヤイズミに、ゼトが場所をゆずる。
 
 鍋に向き合ったヤイズミはひびが入った卵に手をかけて、気合じゅうぶん「えい」と指に力を込めた。

「あ」

 くしゃり。
 ちいさな声をあげたヤイズミの指のあいだをどろり、どろりと流れ落ちていくのは、割れた黄身と白身の入り混じった卵液。ちらほらと白い殻の破片も混ざっている。

「あああ」

 悲し気な声をもらすヤイズミに、リュリュナはあわててこえをかけた。

「だいじょうぶです! 殻は取り除けますし、どうせ混ぜるのだから黄身が割れていても問題ないです!」
「……本当に?」

 ぷっくりと黄身の盛り上がったゼトの割った卵と、その横で破れ広がる自分の割った卵を見つめて悲しい顔をしていたヤイズミに、ゼトがもうひとつの卵を手渡した。

「いまのはちょいと指に力が入りすぎてた。次はもうすこしやさしくやってみればいい。うまくいかなくても問題ない。取返しのつくことだからな」
「はい」

 今度こそ、と肩にはいる力を抜いて、ヤイズミは卵を受け取った。
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