29 / 102
5
しおりを挟む
折悪く、きなこをまぶしたドーナツをくちに運びかけていたゼトが、驚いてげほおっ、とむせた。きなこが肺に入ったらしい。
それを聞きつけて、来訪者が店のなかに入ってきたようだ。
近づいてくる足音に、リュリュナとナツメグは顔を見合わせて、台所から板間にあがった。
「あ、いたいたー。ユンガロスさまの隠し子、発見っすよー!」
会うなり、ひとを指さして笑うのは守護隊の一員、ノルだ。本日も書生風の服装に眼鏡をかけて、軽薄な笑顔を浮かべている。
「ひと、指ささない。ノル、ぶっぶー」
リュリュナを指さすノルの指をわしづかんでぐきりと曲げているのは、同じく守護隊のソルだ。「ぎゃああ、いてえっす!」と叫ぶ相棒の指を離したソルは、春の陽気に満ちた昼日中だというのに、今日も着流しに羽織を着こんで寒そうにしている。指を離すなり、ソルはノルの背に隠れた。そこが定位置のようだ。
「え、ええと? あたしが、ユンガロスさまの隠し、子? ですか?」
突然あらわれて告げられたことばがよくわからずに、リュリュナは首をかしげた。それを見て、曲がってはいけない方向に曲げられた指をさすっていたノルは、おおきくうなずく。
「そうっす! 街でうわさになってるっすよ。ユンガロスさまが幼児を連れて街歩きしてて、しかもその幼児を大事そうに抱えて守りしてた、って」
うわさになっていると言われてほほを染めかけたリュリュナだったが、続いた幼児、と単語と抱えてた、ということばにしょんぼりと肩を落とした。
リュリュナとしては、デートをしたつもりだった。ユンガロスに誘われて、手をつないでお出かけしたのだ。リュリュナの金銭的余裕がなかったせいで多少、色気のない行き先にはなったかもしれないが、リュリュナのなかではデートだったものが、世間からは幼児のお守りと認識されていたのだ。
ユンガロスは立派なおとなだ。リュリュナのような子どもじみた者が本気でお付き合いできるなんて思ってはいなかったが、一時でも構ってもらえるのがうれしかった。まるで素敵なレディを相手にするようなユンガロスの対応に、どきどきして幸せな気持ちになれたリュリュナだったのに。
楽しかった思い出が、急激にしぼんでいくような気持ちになって、リュリュナはしゅんとうつむいた。
その頭を、ぽん、と叩く手があった。
ゼトだ。肺に入ったきなこにげほげほと苦しんでいたゼトが、ようやく呼吸を落ち着けたらしい。涙目のまま板間にあがってきて、リュリュナをかばうように前に出る。
「それを本人に聞かせて、どうしようってんだ。守護隊とはいえ、むやみにひとの気持ちを甚振ろうってんなら、こっちも黙ってねえぞ」
ゼトは言って、眉を寄せてすごんで見せる。それを見たノルは肩をすくめた。
「おお、こわ。別に、ちびっこをいじめようってんじゃないっすよ」
「これは、お知らせ」
茶化すようなノルのことばに、ソルが淡々と付け加えた。それを受けて、ノルがうんうんとうなづいて見せる。
「そうっす。おいらたちはただ、お知らせに来ただけっすよ。ちびっこがユンガロスさまの隠し子だって思われてるから、気をつけなよ、ってね」
「有名人の子、利用価値ある。悪いやつら、要注意」
ソルの端的なことばに、ナツメグが「ああ」とため息のように声をこぼした。
「そうね。そうよねえ。隠し子でなくても、ユンガロスさまと親しいとわかったら、悪いことを考えるひともいるかもしれないのね。お知らせしてくださって、ありがとうございます。リュリュナちゃんがお出かけするときは、必ずわたしか義弟のどちらかが付きそうことにします」
ノル、ソルに向かって頭を下げるナツメグを見て、リュリュナは衝撃を受けた。
前世で暮らした日本でも、今世を過ごした故郷の村でも、ひとり歩きができないような危険な状況を経験したことがなかったからだ。
想像もしていなかった危険が身に迫っていたと気が付いて、恐ろしくなった。
「そうっすね、注意しといてくださいっす。脅すわけじゃないけど、どうも年々、街の治安が悪くなってるみたいっすからねえ。良からぬ考えを持つ輩も出かねないっすから」
「備えあれば、憂いなし」
真面目な顔で言ったノルに、ソルがぼそりとつぶやく。
リュリュナをかばうように立っていたゼトはそれを受けて、そっと横にずれて「……わかった。忠告感謝します」とうなずいた。
それを聞いた途端、ノルが真面目な顔を消し去ってにぱあっと笑う。
「それはそれとして! 聞いたっすよ、ちびっこ! あの白羽根のヤイズミお嬢にがつんと言ったらしいじゃないっすか」
「うっ!」
にまにまと嬉しそうに言われて、リュリュナは午前中にやらかした己の所業を思い出して、胸を押さえた。
ナツメグとゼトはああ言ってくれたが、やはり相談をすべきだったとリュリュナのなかには後悔が残っていた。時間とともに落ち着いて向き合えそうだと思っていた矢先に、ノルにいじられて、リュリュナのなかの後悔がふくれあがる。
「ただのちびっこじゃなかったんすねえ。なんでも、がなり立てる侍女相手に一歩も引かないで、白羽根のお嬢を行列に並ばせたんっすよね? 客はみんな平等だ! って。さすがは、ユンガロスさまが目をつけただけはあるっすよ!」
「ひゅうひゅう、かっこいい」
「あう!」
せっかく忘れかけていたのに、ノルの陽気な声とソルの平坦な野次が、リュリュナの記憶を容赦なく引きずり起こす。
「いや、むしろヤイズミのお嬢だからっすかね? あのお嬢がユンガロスさまの婚約者候補として最有力だからこそ、けんか売った、みたいな?」
「三角関係、どきどき」
「ひえっ!?」
ノルからもたらされた情報に、リュリュナは飛び上がって驚く。そして、着地と同時に落ち込んだ。
―――あんな素敵なおとなのひとなんだもん。婚約者くらい、いるよね……。
それに思い至らず、調子に乗ってユンガロスの誘いに喜んで飛びついた自分に呆れて、リュリュナはますます落ち込んだ。
まるで、胸の真ん中に穴が開いたような気持ちだった。
「まあ、ちびっこにそんな考えなかっただろーけど。くれぐれも、無茶だけはしないでくれっすよ」
「ぼくも命、惜しい」
「そうですねえ、リュリュナちゃんはひとりで頑張ってしまうから、気を付けておかなくちゃ」
「ほんのすぐそばだからって、ひとりで出かけるなよ。離れにも、鍵かけて寝ろよ」
全員がくちぐちに言うのに、すかすかする胸に気を取られていたリュリュナは、うわの空で「はい」と返事をするのだった。
それを聞きつけて、来訪者が店のなかに入ってきたようだ。
近づいてくる足音に、リュリュナとナツメグは顔を見合わせて、台所から板間にあがった。
「あ、いたいたー。ユンガロスさまの隠し子、発見っすよー!」
会うなり、ひとを指さして笑うのは守護隊の一員、ノルだ。本日も書生風の服装に眼鏡をかけて、軽薄な笑顔を浮かべている。
「ひと、指ささない。ノル、ぶっぶー」
リュリュナを指さすノルの指をわしづかんでぐきりと曲げているのは、同じく守護隊のソルだ。「ぎゃああ、いてえっす!」と叫ぶ相棒の指を離したソルは、春の陽気に満ちた昼日中だというのに、今日も着流しに羽織を着こんで寒そうにしている。指を離すなり、ソルはノルの背に隠れた。そこが定位置のようだ。
「え、ええと? あたしが、ユンガロスさまの隠し、子? ですか?」
突然あらわれて告げられたことばがよくわからずに、リュリュナは首をかしげた。それを見て、曲がってはいけない方向に曲げられた指をさすっていたノルは、おおきくうなずく。
「そうっす! 街でうわさになってるっすよ。ユンガロスさまが幼児を連れて街歩きしてて、しかもその幼児を大事そうに抱えて守りしてた、って」
うわさになっていると言われてほほを染めかけたリュリュナだったが、続いた幼児、と単語と抱えてた、ということばにしょんぼりと肩を落とした。
リュリュナとしては、デートをしたつもりだった。ユンガロスに誘われて、手をつないでお出かけしたのだ。リュリュナの金銭的余裕がなかったせいで多少、色気のない行き先にはなったかもしれないが、リュリュナのなかではデートだったものが、世間からは幼児のお守りと認識されていたのだ。
ユンガロスは立派なおとなだ。リュリュナのような子どもじみた者が本気でお付き合いできるなんて思ってはいなかったが、一時でも構ってもらえるのがうれしかった。まるで素敵なレディを相手にするようなユンガロスの対応に、どきどきして幸せな気持ちになれたリュリュナだったのに。
楽しかった思い出が、急激にしぼんでいくような気持ちになって、リュリュナはしゅんとうつむいた。
その頭を、ぽん、と叩く手があった。
ゼトだ。肺に入ったきなこにげほげほと苦しんでいたゼトが、ようやく呼吸を落ち着けたらしい。涙目のまま板間にあがってきて、リュリュナをかばうように前に出る。
「それを本人に聞かせて、どうしようってんだ。守護隊とはいえ、むやみにひとの気持ちを甚振ろうってんなら、こっちも黙ってねえぞ」
ゼトは言って、眉を寄せてすごんで見せる。それを見たノルは肩をすくめた。
「おお、こわ。別に、ちびっこをいじめようってんじゃないっすよ」
「これは、お知らせ」
茶化すようなノルのことばに、ソルが淡々と付け加えた。それを受けて、ノルがうんうんとうなづいて見せる。
「そうっす。おいらたちはただ、お知らせに来ただけっすよ。ちびっこがユンガロスさまの隠し子だって思われてるから、気をつけなよ、ってね」
「有名人の子、利用価値ある。悪いやつら、要注意」
ソルの端的なことばに、ナツメグが「ああ」とため息のように声をこぼした。
「そうね。そうよねえ。隠し子でなくても、ユンガロスさまと親しいとわかったら、悪いことを考えるひともいるかもしれないのね。お知らせしてくださって、ありがとうございます。リュリュナちゃんがお出かけするときは、必ずわたしか義弟のどちらかが付きそうことにします」
ノル、ソルに向かって頭を下げるナツメグを見て、リュリュナは衝撃を受けた。
前世で暮らした日本でも、今世を過ごした故郷の村でも、ひとり歩きができないような危険な状況を経験したことがなかったからだ。
想像もしていなかった危険が身に迫っていたと気が付いて、恐ろしくなった。
「そうっすね、注意しといてくださいっす。脅すわけじゃないけど、どうも年々、街の治安が悪くなってるみたいっすからねえ。良からぬ考えを持つ輩も出かねないっすから」
「備えあれば、憂いなし」
真面目な顔で言ったノルに、ソルがぼそりとつぶやく。
リュリュナをかばうように立っていたゼトはそれを受けて、そっと横にずれて「……わかった。忠告感謝します」とうなずいた。
それを聞いた途端、ノルが真面目な顔を消し去ってにぱあっと笑う。
「それはそれとして! 聞いたっすよ、ちびっこ! あの白羽根のヤイズミお嬢にがつんと言ったらしいじゃないっすか」
「うっ!」
にまにまと嬉しそうに言われて、リュリュナは午前中にやらかした己の所業を思い出して、胸を押さえた。
ナツメグとゼトはああ言ってくれたが、やはり相談をすべきだったとリュリュナのなかには後悔が残っていた。時間とともに落ち着いて向き合えそうだと思っていた矢先に、ノルにいじられて、リュリュナのなかの後悔がふくれあがる。
「ただのちびっこじゃなかったんすねえ。なんでも、がなり立てる侍女相手に一歩も引かないで、白羽根のお嬢を行列に並ばせたんっすよね? 客はみんな平等だ! って。さすがは、ユンガロスさまが目をつけただけはあるっすよ!」
「ひゅうひゅう、かっこいい」
「あう!」
せっかく忘れかけていたのに、ノルの陽気な声とソルの平坦な野次が、リュリュナの記憶を容赦なく引きずり起こす。
「いや、むしろヤイズミのお嬢だからっすかね? あのお嬢がユンガロスさまの婚約者候補として最有力だからこそ、けんか売った、みたいな?」
「三角関係、どきどき」
「ひえっ!?」
ノルからもたらされた情報に、リュリュナは飛び上がって驚く。そして、着地と同時に落ち込んだ。
―――あんな素敵なおとなのひとなんだもん。婚約者くらい、いるよね……。
それに思い至らず、調子に乗ってユンガロスの誘いに喜んで飛びついた自分に呆れて、リュリュナはますます落ち込んだ。
まるで、胸の真ん中に穴が開いたような気持ちだった。
「まあ、ちびっこにそんな考えなかっただろーけど。くれぐれも、無茶だけはしないでくれっすよ」
「ぼくも命、惜しい」
「そうですねえ、リュリュナちゃんはひとりで頑張ってしまうから、気を付けておかなくちゃ」
「ほんのすぐそばだからって、ひとりで出かけるなよ。離れにも、鍵かけて寝ろよ」
全員がくちぐちに言うのに、すかすかする胸に気を取られていたリュリュナは、うわの空で「はい」と返事をするのだった。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました
まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました
第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます!
結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる