パープルインザダーク

ささの うゃ

文字の大きさ
上 下
11 / 23
第2章 知るには代償を

第9話 秘密の朝

しおりを挟む
玲奈さんがやってきた翌日、目が覚めたのは5時だった。俺は背中にじっとりと汗をかいていた。息を整えながらあたりを見回す。比嘉も玲奈さんもまだ眠っている。比嘉を起こさないよう静かにベッドから抜け出し、台所でコップに水を汲む。一気に飲み干し、俺は流しに項垂れた。女性と接点があった日は、嫌な夢を見て体調が悪い。今までも、女性に迫られる夢を数え切れないくらい見てきた。しかし今日の夢は少し違った。最後になぜか比嘉が出てきて助けてくれた。迫る女性を追い払い、もう怖くないよと背中をさすってくれる比嘉。ベタな展開で気恥ずかしい。しかし、彼が心の支えになっているんだなと実感した。
「掃除でもするか」
俺は中学の頃から、やや強迫的に毎日掃除をしている。ストレスの多い日々で、部屋をきれいに保つことは人の形でいるための唯一の方法だった。毎朝、隅々まで掃除をし、ゴミをまとめ、水回りを磨く。しかしそれもやりすぎることは良いとは言えない。わかっている。俺は神経質だ。
「毎日の掃除やりすぎじゃない?手カサカサになるよ」と比嘉に言われたが掃除はやめられず、ハンドクリームを買った。やめないならしょうがないと、比嘉に選んでもらったものだ。
ひと通り掃除を終え、ハンドクリームを手に塗りたくっていると、もぞもぞと布の擦れる音がした。
「んぅ……一?おふぁよ、早くない?」
比嘉が目を覚まして、布団から這い出てきた。
「ん、おはよう。ちょっと早く目が覚めたから」
比嘉は眠そうに目を細める。手を取って、余ったハンドクリームを優しく揉み込んだ。
「ん……ぉ、ねむぅ。姉ちゃんはまだ寝てるか」
「二人ともよく寝てた」
そのまま手を握ったりさすったりと遊んでいると、比嘉は俺の左手を顔に近づけて、深呼吸をして香りを嗅いだ。
「……ふふ、これいい香りだねえ」
蕩けた笑顔で俺の手に頬擦りをする。早朝の薄寒い台所で、お互いの体温を感じ合う。俺は右手で、比嘉の濃いピンクに染まった癖っ毛を撫で、横の髪を左耳にかけた。上を向いてとんがった軟骨ピアスが二つ、耳たぶのピアスは一つ、小窓からの太陽光を反射して光っている。俺を見上げる大きな瞳、なあに?と笑う口には八重歯が覗く。愛おしい。たまらなくなって優しく比嘉を抱きしめると、比嘉もそれに応える。小さな手で背中を優しくさすられた。
しばらく抱き合っていると、玲奈さんが向こうで小さくうめくいた。比嘉の体がゆっくりと離れる。
「姉ちゃん起きそうだね、朝飯作りはじめるわ」
「うん、頼んだ。俺はゴミ捨ててくる」
「いってら~」


「あ、おはよう。一くん」
ゴミを捨てて少しランニングをしてから帰ってくると、玲奈さんが起きていた。ローテーブルに肘をついて、スマホをいじりながらも、玲奈さんは俺と目を合わせて挨拶をする。
「おはようございます、よく眠れましたか」
俺は目を逸らして、自分でもわかるほどぎこちない話し方で問いかけた。
「うん、おかげさまで!」
玲奈さんはくしゃっと笑って、スマホに視線を戻す。俺は玲奈さんと正面に向かわない位置に座り、息を整えた。何かしら比嘉について話を振りたいところだが、やはり女性の前では軽くパニックになってしまう。手が震えてきたが、悟られないように平静を装う。玲奈さんは絶対に危害を加えてこない、大丈夫。そう言い聞かせるたびに怖くなってくるのはいつものことなのに、同じことをしてしまう。
「零、料理上手くなったね」
玲奈さんから話を振ってくれた。強張っていた肩の力を意識して抜く。
「……比嘉は、付き合い始めたときもすでに上手でした」
玲奈さんと目を合わせず、比嘉の後ろ姿を眺めながら俺は精一杯言葉を絞る。
「あれれ?そうかな。でも、手際が前と全然違う」
「味じゃなくて手際……。確かに、家に来た当初はもう少しもたもたしてたか」
俺が少し早口でそう言い切ると、玲奈さんは一瞬驚いた顔をして、すぐに目を細めた。
「ふふ、ちゃんと見てるんだね~。零のこと」
俺と比嘉を交互に眺めて、にやにやしながら頬杖をつく。
「それは……好きなんで」
「ひゅ~、なんだか根掘り葉掘り聞きたくなっちゃうなぁ!」
「姉ちゃん!一のこと困らせないでよ」
比嘉が台所から叫んだ。
「比嘉、手伝うよ」
台所は味噌汁の香りが充満している。
「ありがと、これ運んで」
比嘉が手渡した大皿には、3人分のおかずが盛り付けられている。大皿に全員分のおかずを乗せるのは比嘉家のやり方らしくて、2人分だとそこまでだが、それ以上の量だと視覚で食欲を刺激される気がした。みずみずしいサラダの横につやつやのウインナー、その上にくたっと目玉焼きが覆い被さって、半熟の黄身がきらきらと光る。
「わー美味しそう!」
玲奈さんは既に、箸を握って食べる気満々だ。比嘉はやれやれと息をついた。
「先食べといて!ちょっと洗い物しちゃうから」
「わかった」
俺と玲奈さんは席に直る。
「いただきます!」
「いただきます」
台所から、めしあがれ~、と比嘉の声。俺は冷めないうちにと、味噌汁をすすった。
「ねえ、一くん。聞きたいんだけどさ」
玲奈さんが小さな声で尋ねてきた。
「零のこと、苗字で呼ぶのはなんで?」
……いきなり痛いところを突かれた。これには深い理由があるが、本人にだって教えたくないことだ。
「俺の嫌いな人が、名前で呼んでたんで」
嘘はついていない。
「ふぅん。それって誰?」
視界の端から見える玲奈さんは、どことなく真剣な目をしている。
「……」
これ以上は言えないと思い、口をつぐんでいると、玲奈さんの真剣な目線は離れた。
「ま、言えないこともあるよねえ」
玲奈さんはウインナーを口に放り込む。パリパリと皮が破ける音。比嘉が洗い物をする水音。俺は小さく、味噌汁をすする。
「零は、自分の名前好きみたいだからさ」
玲奈さんは、口を覆って、こもった声を出した。
「いつか呼べると思ったら呼んであげてね」
「……わかりました」
確約できないと思いつつも、そう答えるしかなかった。


女性の勘というのは、女性そのものよりも怖いものかもしれない。俺が他にも隠し事をしていること、玲奈さんは感じ取っている。俺は確信していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

病んでる愛はゲームの世界で充分です!

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
ヤンデレゲームが好きな平凡男子高校生、田山直也。 幼馴染の一条翔に呆れられながらも、今日もゲームに勤しんでいた。 席替えで隣になった大人しい目隠れ生徒との交流を始め、周りの生徒たちから重い愛を現実でも向けられるようになってしまう。 田山の明日はどっちだ!! ヤンデレ大好き普通の男子高校生、田山直也がなんやかんやあってヤンデレ男子たちに執着される話です。 BL大賞参加作品です。よろしくお願いします。 11/21 本編一旦完結になります。小話ができ次第追加していきます。

処理中です...