スピンオフなんて必要ないですけど!?

カナリア55

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「なっ……なんだよこれーっ!」

 穏やかな午後。
 響き渡る声に、キッチンでコーヒーを淹れていたBL漫画家の西園寺櫻子サイオンジ サクラコ(本名、日野さくら)31歳は、声の方に視線を向けた。

「何騒いでんのよ……ああ、それ?」

 声の主は、同居中の弟の アキラ、24歳。
 大学を卒業し社会人となったが、その会社があまりにもブラックすぎて、半年で身心共に壊して退職。結構年齢が離れているのであまり喧嘩もせず可愛がってきた弟を不憫に思い、櫻子が引き取って一緒に暮らし、アシスタントとして雇っている。
 その弟が騒いでいるのは、彼女が明け方までかかって仕上げたカラーイラストを見ての事らしい。

「いいでしょう、それ。ん、コーヒー」

 近づいてコーヒーを差し出したのだが、彰はそれを無視し、イラストボードを持ってプルプルしている。

「飲まないの? せっかく淹れてあげたのに」
「飲むよ、飲むけどその前に! これっ、どういう事だよ!」
「どういう事って……」

 イラストボードには、銀色の長髪に紫の瞳の『美麗』という表現がしっくりくるローブ姿で右目には眼帯の男性と、彼に肩を抱かれて及び腰になっている、茶色の短髪と瞳の、まあまあ可愛いが、普通な感じの騎士服姿の男性(こっちの方が背が低い)が描かれている。

「これ、いつもより可愛い感じだけど、ノアだよな? どうしてノアがこいつに肩抱かれてるんだよ!」
「どうしてって……それは、ねぇ……」

 意味深な笑みを浮かべる櫻子に、彰は『ア―――』と絶望の声を上げる。

「こいつ、ユージーンが好きなのは、レイモンドだろう?」
「だってレイはジョシュとくっついたから」
「だからってノアとくっつけるつもりなのか? ノアの恋愛対象は女の子だろ!」
「人は変わるのよ~」

 歌うようにそう言う姉を睨みながら、彰はイラストボードを机の上にそっと戻した。
 いくら憤慨していようと、姉が睡眠時間を削り、手と目を酷使し、必死に原稿を描いているのを知っているので丁寧に扱う。
 大きな机の上には原稿用紙やペンやインク等、画材が所せましと乗っているので、適当に置いて何かあっては大変だ。特に、カラーイラストだし。コーヒーでも零したらもう……ぞっとする。
 本人は慣れたもので、そんな机の上にコーヒーたぷたぷのマグカップを平気で置いたりするが。
 
「……本気か? 姉ちゃん」

 コーヒーを飲んで心を落ち着けてから、再度尋ねる。

「この二人、くっつけるつもりか?」
「え? 駄目? いいと思わない?」
「思わねぇよ、よくねぇよ~」

 あっけらかんと言う姉に、彰は大きく息を吐いた。
 イラストに描かれているのは、西園寺櫻子が現在連載中の人気漫画『金の毛並みの子犬は 青狼セイロウ騎士様のお気に入り』の登場人物のユージーンとノアだ。
 この話は、主人公の新人騎士のジョシュアと青狼騎士と呼ばれるレイモンドが、なんやかんやあって、イチャイチャラブラブする話である。
 そしてイラストの美形、ユージーンは、魔術師でレイモンドの事を愛しているが、失恋し、魔獣討伐の際の怪我で隻眼となってしまった可哀想な人である。この漫画一番の美貌で、多くの読者が彼の不幸に心を痛め『レイは、ジョシュよりもジーン様とくっついて欲しかった!』というご意見も多い。

「レイとジョシュがイチャコラするところを描きたくて始めた話だもん、迷いは無いわ。でもね、ジーンの事も幸せにしてあげたいなーって思って。本編はとりあえず一段落したから、スピンオフ的な感じでジーンとノアの話を描こうかと思っているの」
「いやいやいや、ノアは俺の心のオアシスなんだよ。都合がいいからって、適当にくっつけるなよ。数合わせりゃいいってもんじゃないだろう? スピンオフなんて要らないだろう!?」

 ノアは主人公ジョシュアの同期の友人で、あまり出番のない、いわゆる『モブ』だ。茶色の髪と目で、トーン処理も適当だ。
 元はアナログで原稿を仕上げていた櫻子だったが、彰が手伝うようになったのをきっかけに、デジタル併用となった。線画は手描きで、その後の仕上げをデジタルで行っている。彰はデジタル処理の手伝いだ。
 それでまあ、最初のうちは何も考えず黙々作業をしていたが、今ではストーリーも把握している。そんな彰のお気に入りが『彼女が欲しい』が口癖の、主人公の友人のノアだ。メインキャラ達は髪にも艶出ししたり色々気をつかうが、ノアはトーン処理も適当でいい。姉の直しも出ない。心の癒しだ。そのノアが! 

「あんなに女の子が好きで、でも一度も付き合った事が無くて、いつかは可愛い彼女が欲しいと言っていたノアが、闇落ち魔術師のユージーンに……」

 彼女ができない彼の姿に、いつしか自分を重ね合わせていた、あのノアが。

「ノアには彼女を作ってやってくれよ。なんでユージーンなんだよ」
「えー、いいじゃない。ジーンは読者投票で、美形キャラと恋人にしたいキャラ、ナンバーワンよ」
「それ、読者目線だろうが。ノアの意思はどうなる!」
「ノアだって悪い気はしないでしょう。それにノアなら、失恋して怪我して引きこもっちゃってるジーンを引き上げてくれると思うのよね。あの子、元気でまっすぐだから」
「えぇぇ……」
「とにかく、週末のコミックス5巻発売イベントのサイン会、ユージーンについてなにか言っとかないと。5巻にほとんど出してないから、読者の皆様もヤキモキしているだろうし……」

 どうやら、この決定は覆らないらしい。

「……ノア……なんの力もない単なるアシスタントの俺を許してくれ……」
「フッ……だ~いじょうぶよ、ノアもちゃーんと幸せになれるから」

 自信満々の姉の言葉を聞きながら、彰はがっくりと肩を落とした。
 


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