上 下
1 / 71
プロローグ

1 プロローグ

しおりを挟む
「なっ……なんだよこれーっ!」

 穏やかな午後。
 響き渡る声に、キッチンでコーヒーを淹れていたBL漫画家の西園寺櫻子サイオンジ サクラコ(本名、日野さくら)31歳は、声の方に視線を向けた。

「何騒いでんのよ……ああ、それ?」

 声の主は、同居中の弟の アキラ、24歳。
 大学を卒業し社会人となったが、その会社があまりにもブラックすぎて、半年で身心共に壊して退職。結構年齢が離れているのであまり喧嘩もせず可愛がってきた弟を不憫に思い、櫻子が引き取って一緒に暮らし、アシスタントとして雇っている。
 その弟が騒いでいるのは、彼女が明け方までかかって仕上げたカラーイラストを見ての事らしい。

「いいでしょう、それ。ん、コーヒー」

 近づいてコーヒーを差し出したのだが、彰はそれを無視し、イラストボードを持ってプルプルしている。

「飲まないの? せっかく淹れてあげたのに」
「飲むよ、飲むけどその前に! これっ、どういう事だよ!」
「どういう事って……」

 イラストボードには、銀色の長髪に紫の瞳の『美麗』という表現がしっくりくるローブ姿で右目には眼帯の男性と、彼に肩を抱かれて及び腰になっている、茶色の短髪と瞳の、まあまあ可愛いが、普通な感じの騎士服姿の男性(こっちの方が背が低い)が描かれている。

「これ、いつもより可愛い感じだけど、ノアだよな? どうしてノアがこいつに肩抱かれてるんだよ!」
「どうしてって……それは、ねぇ……」

 意味深な笑みを浮かべる櫻子に、彰は『ア―――』と絶望の声を上げる。

「こいつ、ユージーンが好きなのは、レイモンドだろう?」
「だってレイはジョシュとくっついたから」
「だからってノアとくっつけるつもりなのか? ノアの恋愛対象は女の子だろ!」
「人は変わるのよ~」

 歌うようにそう言う姉を睨みながら、彰はイラストボードを机の上にそっと戻した。
 いくら憤慨していようと、姉が睡眠時間を削り、手と目を酷使し、必死に原稿を描いているのを知っているので丁寧に扱う。
 大きな机の上には原稿用紙やペンやインク等、画材が所せましと乗っているので、適当に置いて何かあっては大変だ。特に、カラーイラストだし。コーヒーでも零したらもう……ぞっとする。
 本人は慣れたもので、そんな机の上にコーヒーたぷたぷのマグカップを平気で置いたりするが。
 
「……本気か? 姉ちゃん」

 コーヒーを飲んで心を落ち着けてから、再度尋ねる。

「この二人、くっつけるつもりか?」
「え? 駄目? いいと思わない?」
「思わねぇよ、よくねぇよ~」

 あっけらかんと言う姉に、彰は大きく息を吐いた。
 イラストに描かれているのは、西園寺櫻子が現在連載中の人気漫画『金の毛並みの子犬は 青狼セイロウ騎士様のお気に入り』の登場人物のユージーンとノアだ。
 この話は、主人公の新人騎士のジョシュアと青狼騎士と呼ばれるレイモンドが、なんやかんやあって、イチャイチャラブラブする話である。
 そしてイラストの美形、ユージーンは、魔術師でレイモンドの事を愛しているが、失恋し、魔獣討伐の際の怪我で隻眼となってしまった可哀想な人である。この漫画一番の美貌で、多くの読者が彼の不幸に心を痛め『レイは、ジョシュよりもジーン様とくっついて欲しかった!』というご意見も多い。

「レイとジョシュがイチャコラするところを描きたくて始めた話だもん、迷いは無いわ。でもね、ジーンの事も幸せにしてあげたいなーって思って。本編はとりあえず一段落したから、スピンオフ的な感じでジーンとノアの話を描こうかと思っているの」
「いやいやいや、ノアは俺の心のオアシスなんだよ。都合がいいからって、適当にくっつけるなよ。数合わせりゃいいってもんじゃないだろう? スピンオフなんて要らないだろう!?」

 ノアは主人公ジョシュアの同期の友人で、あまり出番のない、いわゆる『モブ』だ。茶色の髪と目で、トーン処理も適当だ。
 元はアナログで原稿を仕上げていた櫻子だったが、彰が手伝うようになったのをきっかけに、デジタル併用となった。線画は手描きで、その後の仕上げをデジタルで行っている。彰はデジタル処理の手伝いだ。
 それでまあ、最初のうちは何も考えず黙々作業をしていたが、今ではストーリーも把握している。そんな彰のお気に入りが『彼女が欲しい』が口癖の、主人公の友人のノアだ。メインキャラ達は髪にも艶出ししたり色々気をつかうが、ノアはトーン処理も適当でいい。姉の直しも出ない。心の癒しだ。そのノアが! 

「あんなに女の子が好きで、でも一度も付き合った事が無くて、いつかは可愛い彼女が欲しいと言っていたノアが、闇落ち魔術師のユージーンに……」

 彼女ができない彼の姿に、いつしか自分を重ね合わせていた、あのノアが。

「ノアには彼女を作ってやってくれよ。なんでユージーンなんだよ」
「えー、いいじゃない。ジーンは読者投票で、美形キャラと恋人にしたいキャラ、ナンバーワンよ」
「それ、読者目線だろうが。ノアの意思はどうなる!」
「ノアだって悪い気はしないでしょう。それにノアなら、失恋して怪我して引きこもっちゃってるジーンを引き上げてくれると思うのよね。あの子、元気でまっすぐだから」
「えぇぇ……」
「とにかく、週末のコミックス5巻発売イベントのサイン会、ユージーンについてなにか言っとかないと。5巻にほとんど出してないから、読者の皆様もヤキモキしているだろうし……」

 どうやら、この決定は覆らないらしい。

「……ノア……なんの力もない単なるアシスタントの俺を許してくれ……」
「フッ……だ~いじょうぶよ、ノアもちゃーんと幸せになれるから」

 自信満々の姉の言葉を聞きながら、彰はがっくりと肩を落とした。
 


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

悪役令息に転生したけど…俺…嫌われすぎ?

「ARIA」
BL
階段から落ちた衝撃であっけなく死んでしまった主人公はとある乙女ゲームの悪役令息に転生したが...主人公は乙女ゲームの家族から甘やかされて育ったというのを無視して存在を抹消されていた。 王道じゃないですけど王道です(何言ってんだ?)どちらかと言うとファンタジー寄り 更新頻度=適当

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

シナリオ回避失敗して投獄された悪役令息は隊長様に抱かれました

無味無臭(不定期更新)
BL
悪役令嬢の道連れで従兄弟だった僕まで投獄されることになった。 前世持ちだが結局役に立たなかった。 そもそもシナリオに抗うなど無理なことだったのだ。 そんなことを思いながら収監された牢屋で眠りについた。 目を覚ますと僕は見知らぬ人に抱かれていた。 …あれ? 僕に風俗墜ちシナリオありましたっけ?

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

処理中です...