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第五章 勇敢なる者

113.アポリオンの大屋敷

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 赤い空広がる魔劫界ディスアペイア、アポリオンの大屋敷。

 アルカは元自室のベッドで、魔力で作られた鎖に繋がれていた。部屋の扉ぎりぎり届かない長さに設定されていて、逃げることは叶わない。滅ぼす力を使えば鎖を断ち切れる。しかし、滅ぼす力の家系はそれを分かっている。鎖に障壁をかけて二重に縛っていた。

「お兄ちゃん……」

 ベッドに乗り、膝を抱えて座っていた。今すぐ逃げたい。逃げられない。大好きな兄は無事だろうか。また肉の化け物になっていないだろうか。不安は募るばかり。

 不意に扉が開いた。入ってきたのは大人びた少年が三人。アポリオンの貴族の出で立ちの彼らは、アルカと同じ年に生まれた異母兄姉だ。

「やぁ、泣き虫アルカ」
「スカーお兄ちゃん」

 一番背の高い、青い髪の少年はスカー。生まれつき片目に裂いたような傷がある。

「翼なしの分際で、初代様の力をもらったって? ハッ、どうせ使いこなせないくせにさ」
「リュゼお兄ちゃん」

 つり目のきつい顔をした、黒い髪の少年はリュゼ。狡猾でいつも相手を陥れることを考えている。

「アルカ、その力をワタシにもよこしなさいよ!」
「アバリシアお姉ちゃん」

 わがままな金髪の女の子はアバリシア。自分の欲しいものが手に入らないと気が済まない性分。

 三兄姉に詰め寄られ、ベッドの反対側まで後ずさる。鎖ががちゃりと鳴った。そうだ、逃げられないのだ。アルカは三人が移動したのを見計らい、ベッドから下りて部屋の隅にあるテーブルの下に逃げ込んだ。

「来ないでぇ!!」
「そんなところに逃げても無駄だろ、アルカ。全く馬鹿だなぁ」
「おい、とっとと出てこいよ。たくさんいたぶってやるからよ!」
「ワタシ達の言うことが聞けないなんて、なんて出来の悪い弟かしら!」

 スカーが鎖を握り、リュゼとアバリシアがテーブルを動かす。アルカは目に涙を溜めて、怯えた眼差しで三人を見つめた。

「あ、あ……」

 鎖が握られて動くことはできない。隠れる場所もなくなった。恐怖の末、アルカは暴力の記憶をよみがえらせてしまい、甲高い声でヒステリックを引き起こした。

「やだぁぁぁ! やぁぁぁぁぁッ!!」

 大粒の涙を流し、体を強張らせて暴力が来ることを警戒する。

「うるさいなぁ。少し静かに、しろ!」
「黙れゴミクズ!」

 スカーが右手を振り上げる。リュゼが蹴りを振るおうとする。振り下ろされる瞬間、アルカと彼らの間に三角、丸パネルが現れた。拳と蹴りを受け止める瞬間、桃色の面は硬化して鋼のように固く変化した。

「いっつ……!」
「いってぇ!」
「なんですの、この奇妙な桃色の魔物は!」

 三角パネルと丸パネルが、アルカを守るように立ちはだかる。三角パネルは口から長い舌を生やし、丸パネルは紫の瞳を浮き上がらせた。

「ンベロン」
「ヒヒヒ」

 主の危機を感じた二つのパネルは、目の前の三人を睨みつける。

「アルカのやつ、こんな力どこで身に付けたんだ。今まで反撃してこなかったのに」
「スカー、これがもしかしたら初代様の力だ!」
「ワタシもそう思いますわ! だって、泣き虫アルカがこんなことできるはずがないですもの!」

 アルカはまだヒステリックを起こしてパニックになっている。大声で叫びながら頭を伏せていた。

「やだぁぁぁぁぁぁ!!」
「ンベロン、ロン」
「ヒヒヒ、ヒ」

 三角パネルと丸パネルは浮遊してじりじりと三兄姉に迫る。彼らは後退した。

「リュゼ、アバリシア。初代様の力はいずれ僕達が授かる。父上がアルカから剥ぎ取るまでは、下手な真似をしない方がいい」
「えー、せっかく絞めがいのあるやつが帰ってきたのに、お預けかよぉ」
「スカー兄様の言う通りですわ。アルカを攻撃できないのはとても残念ですけれど。フフフ、ワタシも初代様の力をもらえるのかしら」
「もらえるさ。父上と約束してるんだから」
「チッ。アルカ、良かったなぁ。今日のいたぶる時間は中止だ。優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんに感謝しろよ?」

 悪態をつきながら、三人は部屋を出ていった。静まり返った部屋にアルカの泣き声がこだまする。

「ンベロン、ベロロン」

 三角パネルがアルカの頬伝う涙を舐める。びくりと体が跳ねた。ふるふると震えながら顔を上げる。丸パネルのひとつ目と目が合った。

「ヒヒ?」
 大丈夫か、と問いかけている。アルカは辺りを見回す。誰もいない。静かだ。

「あ、あぁ、パネルしゃ……」
「ヒヒヒヒ」
「ンベロンベロン」
「うぅ、ううぅ……びぇえええええええん!」

 今度は安堵の涙が流れる。目の前の丸パネルを抱き締める。三角パネルも掴まえて胸にかき抱く。

「パネルしゃ、ひっぐ、あり、がと、お」
「ヒヒヒィ」
「ン、ロン」
「ありがと、あり、がとおぉ……」

 追放される前。今のように攻撃されても、誰にも守られることなく、恐怖の時間を耐えることしかできなかった。それを初めて中断させることに成功した。自分を守ってくれたパネルにたくさん感謝の言葉を投げかけた。

「ありがとぉ、ありが、と」
「ヒヒ」

 そろそろ泣き止め。と丸パネルが言う。三角パネルが涙で濡れた顔を舐める。アルカは袖で涙を拭く。部屋の隅からしばらく動けなかった。

「……ラインお兄ちゃん」

 助けてくれるよね。小さく呟いて、二つのパネルに守られながら時を過ごした。

*******

 四角パネルの上に立つリベリオ・アポリオンは、四人を一瞥して微笑む。

「俺に聞きたいことがあるんだろう?」
「聞きたいことというか、頼みがある」
「頼みか。おまえの語り、なかなか良かったぞ。それに免じて聞いてやろう。その前に、何故アポリオンの末裔の、あの少年を救おうとする。弱い者は淘汰されるのが自然のことわりだ」

 リベリオは首をかしげる。忌むべき存在の悪魔を、助けたいと願う彼らが不思議に思えた。

「関わっちまったからだ。オレ達はアルカを知った。どんな酷い目に遭ったか聞いた。だから守ってやりてぇと思う。それだけだ」
「奇怪な。俺には全く理解できん。あれは弱い。か細い。俺が力の継承をしなければ、いずれ死する存在だった」
「じゃあ聞くけどよ、お前さん、どうしてアルカに力を継承したんだ?」

 死する存在に力を継承し、生かすことを何故選んだか。フェイラストの疑問だった。

「ほんとは初代様もアルカくんが心配だったりして」

 聖南が何の気なしに呟く。リベリオがにこりと笑う。

「ははは、まぁなに、アルカに継承したのはその通りだよ。おまえ達の考えが理解できないと言ったが、実はそうだ。それと、……少年が俺に一番近いと感じたからだ」
「一番近い?」

 リベリオは長い白髪を指ですきながら柔らかく微笑む。

「俺の固有魔力に近かった。故に、アルカは俺の力を一番扱えると踏んだ。だから継承した。それと、ひとつ訂正することがある」
「訂正ってのは?」
「あの書物に記述されていた文言、俺の記したものとは全く違うぞ。確かに俺はアンディブ戦争の際に、ダインスレイブの次に強き悪魔として格を持った。世を犯す存在として確立していた。だが、俺は寝返ったのだぞ」
「寝返った!?」
「えぇー!」
「そ、そんなことしてたんですか!」
「あなたは、当時天使の味方をしたのですか?」
「その通り。反逆の悪魔だと呼ばれたのが、現代に至るまで尾ひれをつけて一人歩きしたようだな。表舞台から姿を消していた俺は、戦争終結後、創造源神に自分から封印されることを望んだ。封印される前、俺は自ら書物を執筆した。だが、俺ではない誰かが存在を偽り、好き勝手書き記した書物が残されたのだろう」
「ってのは、誰になるんだ?」
「恐らく、魔劫界ディスアペイアに遺した俺の血族。俺の血を残すために、近親相姦を繰り返している彼らだ」

 リベリオの言葉にフェイラストが顔をしかめる。オアーゼの書物に記された通りのことをおこなっているのか。聖南とキャスライが驚いた顔をして、フェイラストとルフィアは考える。

「閑話休題。ここからがお前達の聞きたい話だ。……アポリオンの家は、当主の男を女が囲っている。魔力を最も有する強き男を当主にする。現代だとカイム・アポリオンが当主だ。アルカと同じ年に生まれた子が三人。皆が異母兄姉で生まれている。次期当主の子もいるようだ」

 リベリオの姿が一瞬歪んだ。四角パネルの口がもごもご動き出していた。

「おっと、そろそろ出ていることが難しくなってきたみたいだ。俺は引っ込むとする。パネルで案内してやるから、助けるのはおまえ達がやってくれ。アルカのことに意識を向けなければいけないからな」
「お願いです、アルカくんをどうか守ってください」
「創造源神のご息女、その願いは厳しい。アルカが真に俺の力を使えるようになれば協力できるのだが。今はまだ稚拙すぎる」

 ノイズがかかったようにリベリオの姿が歪む。限界のようだ。

「では、一旦消えよう。アルカを助け出す覚悟を見せてくれ」

 リベリオの姿がついに薄れて、ゆっくりと消えていった。四角パネルが三日月の口を閉じる。ふわふわと宙に浮いた。

「ケタケタ」

 いつものケタケタ笑いをして、四角パネルはくるくる回る。

「フェイラスト、僕達も行こうよ」
「ラインがいねぇけど、オレ達で行くしかねぇよな」
「ラインさん大丈夫かな……」
「もし起きてきたら飲めるように、テーブルにルルド水を置いておくね」

 ルフィアが亜空間からルルド水の入った小瓶を置く。ラインが目覚めたら飲んでくれるはずだ。

魔劫界ディスアペイアに行こうぜ。アルカ少年を助けるぞ」

 フェイラストの言葉に三人はうなずく。屋敷の中に設置した固定転移紋へ乗った。静かにかの地をイメージする。光は彼らを包んで送り届けた。遅れて四角パネルも光に飛び込んだ。

*******

 空の色は変わらず赤いまま。魔劫界ディスアペイアに来たことを強く意識する色だ。

 四人は固定転移紋に現れた。穢れた大地を進む。初めて来たときと違うのは、ルフィアの浄化の力で足跡が残らないことだ。

「ルフィアの足跡つかないね」
「リリスとの戦いのあと、彩星が全ての世界に魔力を巡らせたから。その影響で大地が息を吹き返したのかもしれないね」
「彩星エルデラートもよくやってくれたぜ。終幕を下ろされたら彩星も死んでた訳だろ?」
「うん。だから私達に託したんだよ」
「僕達のしたことは、誰にも知られなかった。けど、確かに世界を救ったんだ」
「世界を救っただなんて、あたし未だに信じられない」
「結果的にそうなっただけだぜ。おっさんには荷が重いわ」
「ケタケタ」

 四角パネルの笑い声にフェイラストが驚く。

「びびらせんなよ。てか、ちゃんと来てたんだな」
「ケタケタ、ケタ」
「なんて言ってるんだろう。僕は動物の言葉しか分からないなぁ」
「私にも分からない。この子の言葉は術者のアルカくんにしか理解できないんだよ、きっと」
「笑ってるだけに聞こえるけど、ほんとはなんか大事なことを言ってたりして」
「聖南姫、そう言うとなおさら気になるじゃねぇか」

 浮遊して先を進む四角パネル。ついてこい、と言っているのだろうか。進んでは止まる行動を繰り返している。

「連れてってくれるのか、パネルくん」
「ケタケタ、ケタ、タケ」
「うーん、あたしはなんにも分かんないや」
「僕も全然分からないよ」
「まぁとにかく、ついていってみようぜ」

 四人はパネルの導きのままに歩を進める。アポリオンの屋敷へと向かった。


 四角パネルに案内され着いた場所は、とても広い庭のある大屋敷。穢れているのか草は紫色や緋色をしている。木々の幹は細いが、葉は異様に生い茂っていた。

「ケタ!」

 四角パネルが振り返って三日月の口をカチカチ鳴らす。

「ここがアポリオンの屋敷か」

 大きな屋敷にフェイラストの口が開く。広い庭の向こうに屋敷が見える。いったい何坪あるのだろうか、とても広かった。

「正面突破する?」
「ばっか、聖南姫はどうしてそう思い切りがいいんだよ」

 聖南の光る眼差しを見てフェイラストは苦笑いする。キャスライがあれ、と呟く。

「音がするよ。屋敷の中から歩いてくる音が聞こえる」
「誰か来るってか」
「フェイラスト、どうする? 隠れられるところは庭木ぐらいしかないみたいだけど。って、あ、まずいよ! 扉が開く!」
「どのみち隠れても無駄だ。堂々としてようぜ」

 門の前で待機する四人は、玄関の扉が開くのを見た。メイドの格好をした女性が庭を抜けてこちらにやって来た。スカートのすそを摘まんでお辞儀した。

「お客様ですね。どうぞお入りください」

 礼儀正しいメイドの様子に、一同調子を狂わされる。戦闘になると思っていたが、どうやら客人としてもてなすようだ。フェイラストは仲間を見て、彼らも戸惑っているのを確認した。

「当主のカイム・アポリオンに用がある。面会を望むんだけど、大丈夫か?」
「カイム様は現在、面会謝絶となっております。その他の用事でしたら申し入れられますが、いかが致しますか?」

 面会謝絶とは、いったい何を考えているのだろうか。アルカに何かおこなう準備をするのか。フェイラストは眉をひそめる。まずはアルカに会うことが第一の目標だ。

「となると、アルカ・アポリオンくんに会いてぇな。できるか?」
「アルカ様はご帰宅後、体調が優れないとのこと。申し訳ありませんが、会うのはしばらく待っていただく必要があります」
「おう、じゃあ待つとするぜ。案内よろしくな」
「かしこまりました」

 動揺する三人も、動き出したフェイラストについていく。屋敷に入ることができたものの、問題はここからどう動くかだ。

(下手をすれば、捕らえられて牢屋行きかもしれねぇ。ラインがいない今、オレ達でどうにかするしかねぇ)

 考えを巡らせながら歩く。隣に浮遊する四角パネルは黙ったままだ。ケタケタ笑いもせず静かだった。キャスライがフェイラストの隣にやって来て小声で話す。

「フェイ、罠だったらどうしよう」
「そんときゃそんとき考える。キャスライ、音は何か聞こえるか?」
「色々な音が聞こえるよ。アルカくんの声が聞こえないか探ってるけど、全然聞こえない。何かされてなきゃいいけど……」

 メイドについていくと、屋敷の応接室に案内された。椅子にかけて待つように言うと、メイドは一礼して出ていった。一同の緊張が緩む。

「あたし、罠にはめられるんだと思ってた。普通に案内されてなんだか肩の力抜けちゃった」
「メイドさんからは敵意を感じなかった。たぶん本当に客人として迎えてくれたんだと思うの。当主のカイムさんが面会謝絶なのは、きっとアルカくんに継承されたリベリオさんの力を奪うために画策しているから。私はそう考えたけど、どうかな?」

 ルフィアの考えに可能性を強く感じる。フェイラストが四角パネルを見るが、浮遊して部屋の中を観察しているだけで特に何も示さない。

「ここから出て、アルカくんを探そうよ。僕達で助けないと!」
「あたしも賛成! 早くしないと、アルカくんが危ないもん!」

 キャスライが扉に手をかける。すると突然電流が流れて体が痺れた。フェイラストがキャスライの腕を勢いよく離して助けた。

「あ、ありがとフェイ。痺れて、びりびりするぅ……」
「やっぱり罠だったー!」
「扉に雷の術式がかけられてる。とても強い組成式だよ」

 ルフィアが術式を見抜く。組成式を呼び出して確認する。アポリオンの紋章がロックをかけていて、手出しできないよう細工されていた。

「アポリオンの家の人でないと解除できないみたい。文字通り、閉じ込められたね、私達」
「くそ、他に出口はねぇのかよ」

 辺りを見回すも、電流放つ扉以外に出口はない。窓もないため破って出ることはできない。扉に視線を戻して考える。フェイラストが閃いた。

「雷の対の属性で扉を壊せねぇか?」
「それなら私の出番だね。やってみる」

 ルフィアが水の術式を唱えようとしたとき、突然ドアノブが動いた。扉が開くと別なメイドが現れた。短い黒髪に白いツノが生えた女性だ。

「どうぞこちらに。急いで」
「急げって、どういうことだよ」
「事情を説明している時間はありません。お願いです」

 四人は顔を見合わせる。

「ケタケタ!」

 静かだった四角パネルが笑った。すぐに部屋から出ていってしまうのを見て、フェイラスト達は考える暇なく出ていくべきと決断した。

「どこに連れてってくれるか知らねぇけど、好きに連れてけよ」
「ありがとう。こちらです」

 メイドは速足で屋敷を案内する。行く先に四角パネルが待っていた。階段を上る。四角パネルの行き先と、メイドの行く方向は合致していた。四角パネルはメイドの少し先を浮遊して、ある部屋の前に到着した。

「ケタケタ、ケタケタ」

 四角パネルが扉を開けるように催促する。メイドが鍵を開けて扉を開ける。中へ入ると、部屋の隅で膝を抱えたアルカがいた。三角パネルと丸パネルに守られながら。

「アルカくん!」
「アルカ少年!」

 聖南とフェイラストが駆け寄る。アルカが顔を上げると、皆が助けに来たと分かって涙を浮かべた。

「聖姉ちゃん、フェイ先生!」
「遅くなってごめーん!」
「おう、ちゃんと来たぜ。今助ける!」

 二人がアルカを撫でて安心させている間、キャスライとルフィアは、アルカに繋がれた鎖を見て外そうと試みた。

「これ、術式を解除してただの鎖に戻せば、僕でも簡単に断ち切れるよ!」
「キャスライ、今解除するね」

 彼らの様子を見て、黒髪のメイドが胸を撫で下ろす。安堵のため息を吐いた。

「よかった、まだ大丈夫」

 彼女は、アルカ追放の際に最後までそばにいたメイドだった。あの頃から罪悪感を引きずり、ずっとアルカを心配していた一人だ。

「急いでください。ここにいることがカイム様に知られてしまったら、あなた達もただでは済まないでしょう」

 メイドの背後からぬるりと手が伸びる。彼女の口を押さえた。

「誰に知られると、ただでは済まないと?」

 メイドが戦慄する。振り返って見てしまう。カイムが恐ろしい形相で見下ろしていた。
 フェイラストがアルカを抱き上げ、キャスライとルフィアが鎖を断ち切る。聖南が先導してメイドのところに戻ろうとして、カイムに気づいて悲鳴を上げた。

「なんで! 面会謝絶って言ってたじゃん!」

 聖南がフェイラストのところに戻る。アルカが怯えている。フェイラストにぎゅっと抱きついて震えていた。

「愚息を助けに来たか。小癪な連中だな。なぁ、貴様も、私に反逆するつもりか?」
「あ、あ、……は、っ!」

 メイドは怯えきっていた。声も出せずに小刻みに震えている。当主に逆らうことは死を意味する。それを分かっていても、仕えていたアルカを心から慕っていた。だから助けたかったのに。
 カイムの手がメイドの頭を鷲掴む。悲鳴を上げたメイドの、体の組成式が破壊されていく。

「やめろ!」

 フェイラストの静止の声も届かず、メイドは目の前で闇の魔力に分解されて蒸発した。魔力はカイムの体内に収まった。

「こんなガラクタでも、魔力は貴重でな。クク、……さて、貴様ら」

 カイムが部屋に入ってくる。じりじりと部屋の隅に追い込まれる。

「実験の時間だ。アルカを渡してもらおう」

 カイムが拘束の術式を発動する。なすすべなくフェイラスト達の動きが封じ込められた。

「ぐっ、くそ、またこれかよ!」
「フェイ先生! あ、あっ、体がっ……!」

 アルカの体が浮き上がる。屋敷で捕らわれたときと同じく、見えないロープで引っ張られるように浮遊し、カイムの手元に移動した。 

「アルカくんを渡したくないのにー!」
「術式が、外れない……!」
「僕達じゃ、どうにもならないの……っ!?」

 四人が悔しがる。カイムの嘲笑が部屋に響いた。アルカが嫌だと首を振る。

「ケタケタ!」
「ンベロン!」
「ヒヒヒッ!」

 四角、三角、丸パネルが動き出した。丸パネルの眼がカイムを捉える。三角パネルの舌が伸びてアルカに巻き付いた。

「貴様ら、滑稽な姿であっても初代の力だったな。ククク、頂こうか」

 カイムがパネルに拘束の術式を施す。三角、丸パネルの動きが止まった。四角パネルは、三日月の口を開けて術式を食べた。

「ケタケタァ!」

 四角パネルが回転しながらカイムに襲いかかる。しかし、術式で強化した片手で弾かれてしまった。四角パネルがバウンドして床に転がる。

「あ、パネル、しゃ……」
「ケタ……、ケタケタァ」

 ――必ず、助けるから。

 アルカに若い男の声が聞こえた。涙を溢してアルカはパネルを見つめる。
 四角パネルに拘束の術式がかかる。カイムはパネル達とアルカを連れて部屋から立ち去った。扉が閉まる。鍵をかける音と術式がかかる音がした。その直後、四人の拘束が解ける。

「クソッ、……クソッ!」

 フェイラストが壁に拳を叩きつけた。抵抗できないまま、二度もアルカを連れていかれた。悔しさと苛立ちが包む。

「フェイ、落ち着いて」
「落ち着きてぇのは山々だけど、無理だぜ、今は」

 壁に頭をつけて俯く。なんのために試練を越えて、世界を救ったのだ。少年一人も助けられない自分に苛立ちが収まらない。

 ルフィアが扉に施された術式の組成式を見ている。扉は壊して出られるとしても、問題は術式だ。先ほどと同じようにアポリオンの紋章で特別なロックが施されていた。

「解除しようとしても、鍵穴が変わって鍵を受け付けなくする仕掛けがついてるみたい。攻撃すると術式でカウンターが飛んでくる。これじゃあ、手が出ないね……」
「ルフィアでもだめなの?」
「うん。これは、鍵をかけた本人以外に開けられないタイプだよ」

 聖南ががっくりした。
 
 アルカを連れていかれ、パネルとなった初代アポリオンすら危うい立場にある。
 カイムのおこないを放っておくなどできない。

 フェイラストは考える。
 ルフィアは部屋から脱出する方法を探る。
 キャスライは聴覚で周囲を観察する。
 聖南は自分にできることを模索する。

「アルカ少年……」

 フェイラストが呟く。悔しがっている暇はない。壁から頭を離して、魔眼を起動した。扉に近づいて術式を見る。

「カイムの奴を放っておいて、アルカ少年がひでぇ目に遭ったら。ラインに顔向けできねぇ」

 ルフィアの言う通り、鍵が変わる仕掛けと反撃する仕掛けがある。魔眼で鍵穴を睨み、穴の形を無理やり変えて固定した。

「ルフィア、鍵穴を変えた。これで開けてくれ」
「えっ、フェイラスト、どうやって」
「説明してる暇はねぇ。頼む」
「分かった」

 ルフィアが組成式の鍵穴に見合う鍵を創る。鍵を解除した。扉に施された術式が解除されるが、アポリオンの紋章が邪魔をする。

「あとはこれだな。おっし、魔眼くん、頼むぜ」

 フェイラストが紋章を睨む。魔眼が発動してアポリオンの紋章を歪ませる。ぐにゃりと溶けるように紋章が滴る。扉のロックを完全に解除した。フェイラストがドアノブに手をかけて開けると、難なく扉は開いた。

「フェイラスト、すごい!」
「これでアルカくんを助けに行けるね。ありがとうフェイラスト」
「おっさんもやるときゃやるでしょ」

 少し照れくさそうにフェイラストが笑う。魔眼の使いすぎによる頭痛は不思議と起きない。すぐに真剣な表情に変わった。

「アルカ少年を助けに行くぜ」
「行くぞー!」
「絶対、アルカくんを助ける!」
「行こう、フェイ」
「おう!」

 四人はアルカの部屋をあとにする。
 ルフィアがカイムの魔力の残り香を辿り、屋敷を突き進んだ。

*******

 地上界、秘密の屋敷。
 部屋で眠るラインに動きがあった。

「……――っ」

 ゆっくりと目を開ける。深海色の瞳が見慣れた天井を映した。

「アル、カ。……っぐあ!」

 体を動かすと激痛が走った。それでも痛みに耐えて体を起こす。一糸まとわぬ姿で寝ていたらしい。肉の中で衣服が溶けたのだと理解した。

「はぁ、はぁ……」

 荒く呼吸しながら、サイドテーブルに掴まって立ち上がる。頭の中でイメージして術式で姿を変える。ラインの体に衣服がまとった。紅のロングコートが揺れる。

「……ッ」

 激痛に苛まれ、息も絶え絶えになりながら部屋を出る。手すり伝いにゆっくりと階段を下りて、テーブルにぽつんと置いてある小瓶を見つけた。中身が何か理解した。
 小瓶のふたを開けて、一気に喉へ通す。その動作すら激痛が走り、小瓶を落として膝をついた。

 小瓶の中身はルルド水。
 あらゆる傷と病を治す奇跡の水。

 ラインの魔力が、肉に汚染された体がみるみる活性化する。治癒能力が発達して激痛がやんだ。熾天の魔力が異物を排除し灼き尽くす。光を失った瞳と金髪に輝きが戻った。
 静かに立ち上がる。自分の手を開いて、閉じる。痛みは遠く果てに消えた。

 過去視を起動する。最新のアルカの情報を確認した。フェイラスト達からカイムに取り上げられる一部始終を見た。

「……待ってろ」

 紅のコートをひるがえし、ラインは固定転移紋に乗る。

 ラインはアポリオンの大屋敷へ向かった。
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