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第四章 運命に抗う者達
96.「彼」の決断
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フォートレスシティ。
赤い空と黒い雪を確認した都市は、要塞都市の名に相応しい分厚い防護障壁を展開し、戦時中さながらの体制で外の様子を見ていた。住民は不安と恐怖を抱えながらも生活を続けていた。こんなときでも元気有り余る子ども達は、外へ出て雪遊びをしていた。その様子を見て怒る人、優しく見守る人と反応は様々だ。
A地区、ラインの家。セレスは棚の上に飾ってある家族写真を胸に抱いて祈る。
「ライン、ナイル。二人とも無事でいて」
子を想う母の願いは届くのか。ふと、母娘の猫が前足を窓枠にかけて外を眺めていた。尻尾がゆらゆら揺れている。
「何か見えるの?」
母猫リリーがセレスをちらりと見て、また窓の外を見つめる。彼女らの視線の先を見て、セレスは目を見張った。
「ナイル!」
家族写真を棚に置いて、急いで外へ飛び出す。階段を下りて、佇む金髪の男に駆け寄る。
「ナイル! あぁ、ナイル!」
母が嬉しさの余り彼を抱き締めようとした瞬間、彼がこちらを向いた。
「……殺す」
ナイルは殺意のこもった眼差しで母を見下ろす。左手に剣を呼び出し、振りかざした。
「ナイル……?」
振り下ろされる剣を見ていた。スローモーションのようにみえた。刹那、二人の間に割って入る悪魔の翼が生えた剣。ナイルの剣を弾き、寸でのところでセレスを守った。ナイルが大きく飛び退いた。
「セレスさん、下がって!」
上空から降ってきたのは黒き彼女だ。闇の剣を呼び戻して、対となる天使の翼の生えた光の剣と一緒に浮遊させる。
「クロエちゃん、ナイルが、わたしを」
「そりゃそうだよ。今のナイルは、私の変えた事象を再現しようとしてるんだから」
彼女の言っている意味がすぐには理解できなかった。ゆっくり思い出していけば、ラインがいつか話してくれたことがよぎる。
事象変換によって辿る人生を違えた、と。
現在を生きるラインの人生は二周目で、『破壊を司る者』によって、人生一周目のとある場所までリセットされたのだ、と。
本来辿るべきだった道筋は。母を殺し、過去を断ち切り、リリスと共にオールバッドエンドを引き起こして世界に幕を下ろす。全ての生命を破滅に導き、リリスと永遠の契りを交わすだけの存在だった、と。
セレスがナイルを見つめる。ナイルがセレスを見つめる。
「ナイルは、わたしを殺そうとしているのね。ラインが教えてくれたわ。ラインは、別な時間の世界で、わたしを殺したって。リリスに言われてそうしたって」
「理解が早くて助かるよ。その通り、ナイルは人生一周目のラインさんの歴史を再現しようとしてるのさ」
黒いのがナイルを睨む。光と闇の一対の剣がくるりと縦に回転して、剣先をナイルに向けた。
「本人ではなくとも、ナイルは確かに模造品なんだ。だから、同じことをすれば充分に効果はある。私が変える前の事象に、時間軸を戻そうとしてるんだ」
「元に戻ったら、どうなるの?」
「……セレスさんが死んで、ナイルが引き金となってオールバッドエンドが発動する。圧倒的にリリスの勝ちだね」
ぎり、と歯を強く噛んだ。ナイルは一歩、一歩とゆっくり近づいてくる。弾き飛ばされた漆黒の剣を呼び戻して握り、地面に擦り付けて金属音を出しながら。
「セレスさん、そこを動かないでくれよ!」
黒いのが大きく手を動かした。闇の剣が射出される。ナイルの頭めがけて狙い過たず剣が切り裂く、はずだった。
ナイルがラインの瞬速と同じことをした。闇の剣が弾かれて近くの家の壁に刺さる。ナイルが瞬速で黒いのに肉薄した。オリジナルであるラインの使う瞬速を、黒いのは見破ることができない。彼の模造品であるナイルの速度も、また見切ることができず、しかし光の剣で寸でのところで防いだ。
(一撃目はいなした。ニ撃目以降が肝心!)
闇の剣をセレスの周囲を守るように回転させて、光の剣ひとつで応戦する。
(殺気、周囲に無数が飛び回る。襲うは一撃)
黒いのは創星歴から戦ってきた勘と動きで、見破れぬ瞬速に対応する。ナイルの接近を察知して、コンマ数秒の隙間を光の剣で埋めていく。黒いのにとってスローモーションに見える世界は、セレスには速すぎて何がおこなわれているのか全く分からなかった。街中に剣戟が響く。それだけは理解できた。近所の住民も心配そうに窓から眺めている。
(まだ見える。この程度なら破壊の力を行使せずともまだ、大丈夫)
ラインの瞬速、ナイルの瞬速、どちらも遜色ないほど速く、一撃も強力だ。
だが、彼女はそれ以上の速さを知っている。
彼らの大元となった、熾天使レイグの神速を――。
「だてに四千年以上も生きてねぇんだよ!」
黒いのが光と闇の一対の剣を閃かせる。背中に魔力ブースト機構を準備した。
「ナイル、そんなにセレスお母さんを殺したいか!」
ナイルの接近を感知してセレスを守る。闇の剣が漆黒の剣とぶつかり合って、ナイルがまた消える。
「あんたさんの運命はそれでいいのかい! ラインさんとルフィア達と、セレスお母さんと一緒に、人間として生きていきたかったんじゃないのか!」
光の剣が一閃する。手応えがあった。空から血が落ちてきた。
「今のあんたさんは、事象を引き戻すためのリリスの道具にされてんだぞ!」
ナイルの行動パターンが読めてきた。セレスの周囲に光と闇の剣を回転させる。胸に両手を当てて、虚無の剣を取り出した。淡い緑と灰色の剣は、くるりと黒いのの周りを回転する。ブースト機構に魔力を流して、地を蹴り一気に空を駆ける。ナイルの気配も追ってきた。
「ッ!」
黒いのが宙返りすると、虚無の剣が虚空を斬り裂く。大きく手応えがあった。瞬速の解けたナイルの姿が出現する。よどんだ暗い青の瞳を大きく見開いて、肩から下腹部にかけて大きな傷口を開いていた。落下していくナイル。黒いのは彼の手を掴んで、ブースト機構で落下速度を緩めた。
「ナイル!」
着地点でセレスが待っていた。仰向けに横たわるナイル。セレスは膝をついてナイルに触れた。
虚無の剣に斬られた傷口は、無へと変換を始めていた。ナイルが無に還ろうとしている。星の輪廻を許さぬ、存在そのものを消し去る剣の威力は凄まじい。
「セレスお母さん、これもラインさんの辿った歴史だよ」
「その時も、クロエちゃんが、ラインを殺したのね……」
「ごめんなさい」
「……いいえ、あなたは助けてくれたんでしょう? オールバッドエンドとか分からないけど、最悪な状況から助けてくれた。だから、いいの。ありがとう」
セレスは涙を浮かべてナイルの手を握る。穢れが膨大すぎて、触れた瞬間にセレスにも穢れが少しずつ移動してきた。それでもセレスは両手でナイルの手を優しく撫でて、包み込むように握る。
「ナイル、ナイル」
「か、あ、さん」
ナイルが優しげな瞳をしていた。どうやら意識は「ナイル」に戻っているようだ。口から血を吐いて咳き込む。
「……ごめん、なさ、い」
「いいのよ。あなたはわたしの大切な息子よ。おうちに帰りましょう?」
「かえ、り、た、い」
ナイルを虚無に還す時間は止まらない。傷口からじわじわと存在を失っていく。
彼の行き着く先。結果は分かっている。辛気臭い顔をして二人を見ていた黒いの。背を向けようと足を動かした瞬間、因縁の相手の気配を感じて、振り向きざまに虚無の剣を放った。
「わたしの可愛いナイルを、勝手に殺さないでくれる?」
空から転移したのはリリス・ダーカー。苛立ちを浮かべた表情で、虚無の剣を指で弾いた。
「ナイル、いつまで寝てるの? お母さんとの挨拶は済ませたかしら?」
リリスが下りてきた。セレスが立ち上がって、彼女のオーラを感じて一歩後ずさる。
「あなたが、リリスさんね!」
「あはっ! そうよ、初めましてかしら? ラインを造り、ナイルを造った張本人よ。あなたみたいな無力で価値の無い人間でも、ライン坊やのような最高の素体を生み出してくれて感謝してるわ。でもね」
ナイルの目の前に手をかざすと、己のどす黒い闇と穢れを注いでいく。
「リリス、てめぇ!!」
黒いのが光と闇の剣で阻もうとする。しかし、彼女が詠唱無しで発動した術式によって防がれた。
「ナイルはあなたに渡さない。ナイルは完璧なわたしの性奴隷なの。眷属なの。オールバッドエンドの後、わたしと契りを交わす永遠の愛する人。もちろん、ライン坊やも同じよ。わたしのモノよ」
ナイルの傷口が歪んだ闇と穢れによって塞がっていく。意識が戻った「ナイル」が再びよどんだ闇の底に閉ざされた。
「わたしの息子達を、あなたには渡さないわ! 夫のグレイも、娘のセーラも、全部あなたがやったことなのは知っているのよ!」
「だから?」
歪んだ闇と穢れを注ぎ終わったリリスが睨む。セレスは恐ろしい相手に震えながらもきりと睨み返した。
「何? ライン坊やを闇に堕とすためにしたことを、今さら怒ってるの? あっはは、やだぁー! 確かにわたしの命令だけど、やったのはダーカー達よ。履き違えないでくれる。それとも、あなたがわたしを殺すのかしら?」
きゃはははは。リリスがあまりにも面白くて体を反らして嗤う。
無力な人間に何ができる。恐怖に震えているだけの人間に、何が!
「馬鹿。ほんっと、馬鹿。人間ってどうして、こうも思い上がったことをするのかしら。あぁー、おかしい! きゃはは!」
ナイルが立ち上がった。傷口は完全に塞がった。俯いた顔は金髪に隠れて見えない。左手に漆黒の剣を呼んだ。腕はだらんと下がっている。
「さぁ、ナイル。あなたのことを息子だなんて、頭のおかしなことを言っている女を殺してあげて。わたしのために。ね、できるでしょ、ナイル?」
「ナイル、だめよ。優しいあなたに戻って!」
「……ナイル」
黒いのは固唾を飲んで見守る。手出しできない状況に歯がゆさを感じながらも、ナイルが戻ることを願っていた。
「ナイル、あなたの創造主はわたし。あなたはわたしに従うだけの存在。闇と穢れに満たされたあなたは、光にはなれないのよ。始めから分かってることでしょ?」
リリスがねっとりとまとわりつくように語りかける。
「……」
ゆっくりとナイルが動きだした。緩慢な動きで上半身がすっと伸びる。金髪に隠れて顔は見えない。
ーー…………ーー
目の前には母の姿。
否、本当の母ではない。
自分を大切な息子と呼んでくれた。
培養槽で生まれ育った者がヒトであるわけがない。
リリスに従い、全ての生命に滅びをもたらすもの。
それが、模造品No.081の役割。
造られた意味。存在する価値。
……違う。
ーー…………ーー
俺は、模造品No.081じゃない。
俺は、ナイルだ。
みんながくれた「心」が俺にはある。
オリジナルになれなくていい。
生きる意味なんかなくたっていい。
探して、探して、いつか見つけだせばいい。
そして、俺は見つけた。
「…………ーーッ!!」
突如、前触れもなくリリスのへそから上が縦に真っ二つとなった。
黒いのにも速すぎて見えなかった。ほんの一瞬、まばたきした瞬間だった。驚愕から意識を戻してナイルを確認する。左手に握った剣は血で濡れていた。
穢れた血はどす黒く、黒インクのように溢れて、リリスがふらりふらりと左右に動いて、背中から崩れ落ちた。
「……かあさん」
ナイルが前髪をかき上げて左右によける。暗い青い目には光が戻っていた。
「元のナイル、なの?」
「うん。ごめん、酷いことをして。そこの『破壊を司る者』のおかげだ」
微笑むナイルに呼ばれた黒いのは疑問に思っていた。考える。まさか、彼を斬ったときに何か起きたのだろうか。
「俺の、リリスに付けられた性奴隷の刻印を斬ったな。お前の三本目の剣で。それが、リリスとの繋がりを断ち切った」
「虚無の剣が斬ったときに、リリスの契約を虚無に還したってことかい! ははっ、そりゃあいい!」
だけど、と黒いのは油断せずにリリスを睨む。
「こいつはまだ生きてる。私の破壊の力で今なら消せる。ナイル、離れてな」
「もう遅い。リリスは起きる。だから」
ナイルは黒いのを真剣な眼差しで見つめる。悲しさと決意を湛えて。
「かあさんを、頼む」
彼の覚悟を決めた瞳を見つめて、黒いの――『破壊を司る者』はナイルに起きることを理解して頷いた。
「……分かった。それがあんたさんの抗った末の運命だと言うのなら、私は見送るよ」
「ナイル?」
セレスはどういう意味か分からず彼に問う。ナイルは母を心配させまいと笑顔を見せた。
「かあさん、最後に、ハグをして」
「あなた、もしかして」
理解してしまった。セレスは何を言うべきか悩んだ。いいや、言葉よりもまっすぐに伝えるには。セレスはナイルをそっと抱き締めた。
「いってらっしゃい、ナイル。わたしの自慢の息子」
「うん。ありがとう。……いってきます!」
ぽんぽんと背中を叩いて、セレスは息子を送り出す。ナイルが離れる。彼は黒いのを見た。
「かあさんと世界を頼む。にいさんが来たら、俺を目標に転移させてくれ。リリスは俺では浄化できない。にいさん達がやらなきゃいけないんだ」
「あぁ、分かってるよ。……彩星エルデラートと創造源神の加護あらんことを」
「ありがとう」
リリスの体が、流れ出た黒い血を全て吸い上げて、ガクガクと痙攣のように動き出した。体を再生しているらしい。
ナイルは意を決して、振り返らずに、リリスと共に転移した。
――街は静まり返った。
「……ナイル、あんたさんはもう、立派なラインさんになったよ」
黒いのが、小さく呟いた。
赤い空と黒い雪を確認した都市は、要塞都市の名に相応しい分厚い防護障壁を展開し、戦時中さながらの体制で外の様子を見ていた。住民は不安と恐怖を抱えながらも生活を続けていた。こんなときでも元気有り余る子ども達は、外へ出て雪遊びをしていた。その様子を見て怒る人、優しく見守る人と反応は様々だ。
A地区、ラインの家。セレスは棚の上に飾ってある家族写真を胸に抱いて祈る。
「ライン、ナイル。二人とも無事でいて」
子を想う母の願いは届くのか。ふと、母娘の猫が前足を窓枠にかけて外を眺めていた。尻尾がゆらゆら揺れている。
「何か見えるの?」
母猫リリーがセレスをちらりと見て、また窓の外を見つめる。彼女らの視線の先を見て、セレスは目を見張った。
「ナイル!」
家族写真を棚に置いて、急いで外へ飛び出す。階段を下りて、佇む金髪の男に駆け寄る。
「ナイル! あぁ、ナイル!」
母が嬉しさの余り彼を抱き締めようとした瞬間、彼がこちらを向いた。
「……殺す」
ナイルは殺意のこもった眼差しで母を見下ろす。左手に剣を呼び出し、振りかざした。
「ナイル……?」
振り下ろされる剣を見ていた。スローモーションのようにみえた。刹那、二人の間に割って入る悪魔の翼が生えた剣。ナイルの剣を弾き、寸でのところでセレスを守った。ナイルが大きく飛び退いた。
「セレスさん、下がって!」
上空から降ってきたのは黒き彼女だ。闇の剣を呼び戻して、対となる天使の翼の生えた光の剣と一緒に浮遊させる。
「クロエちゃん、ナイルが、わたしを」
「そりゃそうだよ。今のナイルは、私の変えた事象を再現しようとしてるんだから」
彼女の言っている意味がすぐには理解できなかった。ゆっくり思い出していけば、ラインがいつか話してくれたことがよぎる。
事象変換によって辿る人生を違えた、と。
現在を生きるラインの人生は二周目で、『破壊を司る者』によって、人生一周目のとある場所までリセットされたのだ、と。
本来辿るべきだった道筋は。母を殺し、過去を断ち切り、リリスと共にオールバッドエンドを引き起こして世界に幕を下ろす。全ての生命を破滅に導き、リリスと永遠の契りを交わすだけの存在だった、と。
セレスがナイルを見つめる。ナイルがセレスを見つめる。
「ナイルは、わたしを殺そうとしているのね。ラインが教えてくれたわ。ラインは、別な時間の世界で、わたしを殺したって。リリスに言われてそうしたって」
「理解が早くて助かるよ。その通り、ナイルは人生一周目のラインさんの歴史を再現しようとしてるのさ」
黒いのがナイルを睨む。光と闇の一対の剣がくるりと縦に回転して、剣先をナイルに向けた。
「本人ではなくとも、ナイルは確かに模造品なんだ。だから、同じことをすれば充分に効果はある。私が変える前の事象に、時間軸を戻そうとしてるんだ」
「元に戻ったら、どうなるの?」
「……セレスさんが死んで、ナイルが引き金となってオールバッドエンドが発動する。圧倒的にリリスの勝ちだね」
ぎり、と歯を強く噛んだ。ナイルは一歩、一歩とゆっくり近づいてくる。弾き飛ばされた漆黒の剣を呼び戻して握り、地面に擦り付けて金属音を出しながら。
「セレスさん、そこを動かないでくれよ!」
黒いのが大きく手を動かした。闇の剣が射出される。ナイルの頭めがけて狙い過たず剣が切り裂く、はずだった。
ナイルがラインの瞬速と同じことをした。闇の剣が弾かれて近くの家の壁に刺さる。ナイルが瞬速で黒いのに肉薄した。オリジナルであるラインの使う瞬速を、黒いのは見破ることができない。彼の模造品であるナイルの速度も、また見切ることができず、しかし光の剣で寸でのところで防いだ。
(一撃目はいなした。ニ撃目以降が肝心!)
闇の剣をセレスの周囲を守るように回転させて、光の剣ひとつで応戦する。
(殺気、周囲に無数が飛び回る。襲うは一撃)
黒いのは創星歴から戦ってきた勘と動きで、見破れぬ瞬速に対応する。ナイルの接近を察知して、コンマ数秒の隙間を光の剣で埋めていく。黒いのにとってスローモーションに見える世界は、セレスには速すぎて何がおこなわれているのか全く分からなかった。街中に剣戟が響く。それだけは理解できた。近所の住民も心配そうに窓から眺めている。
(まだ見える。この程度なら破壊の力を行使せずともまだ、大丈夫)
ラインの瞬速、ナイルの瞬速、どちらも遜色ないほど速く、一撃も強力だ。
だが、彼女はそれ以上の速さを知っている。
彼らの大元となった、熾天使レイグの神速を――。
「だてに四千年以上も生きてねぇんだよ!」
黒いのが光と闇の一対の剣を閃かせる。背中に魔力ブースト機構を準備した。
「ナイル、そんなにセレスお母さんを殺したいか!」
ナイルの接近を感知してセレスを守る。闇の剣が漆黒の剣とぶつかり合って、ナイルがまた消える。
「あんたさんの運命はそれでいいのかい! ラインさんとルフィア達と、セレスお母さんと一緒に、人間として生きていきたかったんじゃないのか!」
光の剣が一閃する。手応えがあった。空から血が落ちてきた。
「今のあんたさんは、事象を引き戻すためのリリスの道具にされてんだぞ!」
ナイルの行動パターンが読めてきた。セレスの周囲に光と闇の剣を回転させる。胸に両手を当てて、虚無の剣を取り出した。淡い緑と灰色の剣は、くるりと黒いのの周りを回転する。ブースト機構に魔力を流して、地を蹴り一気に空を駆ける。ナイルの気配も追ってきた。
「ッ!」
黒いのが宙返りすると、虚無の剣が虚空を斬り裂く。大きく手応えがあった。瞬速の解けたナイルの姿が出現する。よどんだ暗い青の瞳を大きく見開いて、肩から下腹部にかけて大きな傷口を開いていた。落下していくナイル。黒いのは彼の手を掴んで、ブースト機構で落下速度を緩めた。
「ナイル!」
着地点でセレスが待っていた。仰向けに横たわるナイル。セレスは膝をついてナイルに触れた。
虚無の剣に斬られた傷口は、無へと変換を始めていた。ナイルが無に還ろうとしている。星の輪廻を許さぬ、存在そのものを消し去る剣の威力は凄まじい。
「セレスお母さん、これもラインさんの辿った歴史だよ」
「その時も、クロエちゃんが、ラインを殺したのね……」
「ごめんなさい」
「……いいえ、あなたは助けてくれたんでしょう? オールバッドエンドとか分からないけど、最悪な状況から助けてくれた。だから、いいの。ありがとう」
セレスは涙を浮かべてナイルの手を握る。穢れが膨大すぎて、触れた瞬間にセレスにも穢れが少しずつ移動してきた。それでもセレスは両手でナイルの手を優しく撫でて、包み込むように握る。
「ナイル、ナイル」
「か、あ、さん」
ナイルが優しげな瞳をしていた。どうやら意識は「ナイル」に戻っているようだ。口から血を吐いて咳き込む。
「……ごめん、なさ、い」
「いいのよ。あなたはわたしの大切な息子よ。おうちに帰りましょう?」
「かえ、り、た、い」
ナイルを虚無に還す時間は止まらない。傷口からじわじわと存在を失っていく。
彼の行き着く先。結果は分かっている。辛気臭い顔をして二人を見ていた黒いの。背を向けようと足を動かした瞬間、因縁の相手の気配を感じて、振り向きざまに虚無の剣を放った。
「わたしの可愛いナイルを、勝手に殺さないでくれる?」
空から転移したのはリリス・ダーカー。苛立ちを浮かべた表情で、虚無の剣を指で弾いた。
「ナイル、いつまで寝てるの? お母さんとの挨拶は済ませたかしら?」
リリスが下りてきた。セレスが立ち上がって、彼女のオーラを感じて一歩後ずさる。
「あなたが、リリスさんね!」
「あはっ! そうよ、初めましてかしら? ラインを造り、ナイルを造った張本人よ。あなたみたいな無力で価値の無い人間でも、ライン坊やのような最高の素体を生み出してくれて感謝してるわ。でもね」
ナイルの目の前に手をかざすと、己のどす黒い闇と穢れを注いでいく。
「リリス、てめぇ!!」
黒いのが光と闇の剣で阻もうとする。しかし、彼女が詠唱無しで発動した術式によって防がれた。
「ナイルはあなたに渡さない。ナイルは完璧なわたしの性奴隷なの。眷属なの。オールバッドエンドの後、わたしと契りを交わす永遠の愛する人。もちろん、ライン坊やも同じよ。わたしのモノよ」
ナイルの傷口が歪んだ闇と穢れによって塞がっていく。意識が戻った「ナイル」が再びよどんだ闇の底に閉ざされた。
「わたしの息子達を、あなたには渡さないわ! 夫のグレイも、娘のセーラも、全部あなたがやったことなのは知っているのよ!」
「だから?」
歪んだ闇と穢れを注ぎ終わったリリスが睨む。セレスは恐ろしい相手に震えながらもきりと睨み返した。
「何? ライン坊やを闇に堕とすためにしたことを、今さら怒ってるの? あっはは、やだぁー! 確かにわたしの命令だけど、やったのはダーカー達よ。履き違えないでくれる。それとも、あなたがわたしを殺すのかしら?」
きゃはははは。リリスがあまりにも面白くて体を反らして嗤う。
無力な人間に何ができる。恐怖に震えているだけの人間に、何が!
「馬鹿。ほんっと、馬鹿。人間ってどうして、こうも思い上がったことをするのかしら。あぁー、おかしい! きゃはは!」
ナイルが立ち上がった。傷口は完全に塞がった。俯いた顔は金髪に隠れて見えない。左手に漆黒の剣を呼んだ。腕はだらんと下がっている。
「さぁ、ナイル。あなたのことを息子だなんて、頭のおかしなことを言っている女を殺してあげて。わたしのために。ね、できるでしょ、ナイル?」
「ナイル、だめよ。優しいあなたに戻って!」
「……ナイル」
黒いのは固唾を飲んで見守る。手出しできない状況に歯がゆさを感じながらも、ナイルが戻ることを願っていた。
「ナイル、あなたの創造主はわたし。あなたはわたしに従うだけの存在。闇と穢れに満たされたあなたは、光にはなれないのよ。始めから分かってることでしょ?」
リリスがねっとりとまとわりつくように語りかける。
「……」
ゆっくりとナイルが動きだした。緩慢な動きで上半身がすっと伸びる。金髪に隠れて顔は見えない。
ーー…………ーー
目の前には母の姿。
否、本当の母ではない。
自分を大切な息子と呼んでくれた。
培養槽で生まれ育った者がヒトであるわけがない。
リリスに従い、全ての生命に滅びをもたらすもの。
それが、模造品No.081の役割。
造られた意味。存在する価値。
……違う。
ーー…………ーー
俺は、模造品No.081じゃない。
俺は、ナイルだ。
みんながくれた「心」が俺にはある。
オリジナルになれなくていい。
生きる意味なんかなくたっていい。
探して、探して、いつか見つけだせばいい。
そして、俺は見つけた。
「…………ーーッ!!」
突如、前触れもなくリリスのへそから上が縦に真っ二つとなった。
黒いのにも速すぎて見えなかった。ほんの一瞬、まばたきした瞬間だった。驚愕から意識を戻してナイルを確認する。左手に握った剣は血で濡れていた。
穢れた血はどす黒く、黒インクのように溢れて、リリスがふらりふらりと左右に動いて、背中から崩れ落ちた。
「……かあさん」
ナイルが前髪をかき上げて左右によける。暗い青い目には光が戻っていた。
「元のナイル、なの?」
「うん。ごめん、酷いことをして。そこの『破壊を司る者』のおかげだ」
微笑むナイルに呼ばれた黒いのは疑問に思っていた。考える。まさか、彼を斬ったときに何か起きたのだろうか。
「俺の、リリスに付けられた性奴隷の刻印を斬ったな。お前の三本目の剣で。それが、リリスとの繋がりを断ち切った」
「虚無の剣が斬ったときに、リリスの契約を虚無に還したってことかい! ははっ、そりゃあいい!」
だけど、と黒いのは油断せずにリリスを睨む。
「こいつはまだ生きてる。私の破壊の力で今なら消せる。ナイル、離れてな」
「もう遅い。リリスは起きる。だから」
ナイルは黒いのを真剣な眼差しで見つめる。悲しさと決意を湛えて。
「かあさんを、頼む」
彼の覚悟を決めた瞳を見つめて、黒いの――『破壊を司る者』はナイルに起きることを理解して頷いた。
「……分かった。それがあんたさんの抗った末の運命だと言うのなら、私は見送るよ」
「ナイル?」
セレスはどういう意味か分からず彼に問う。ナイルは母を心配させまいと笑顔を見せた。
「かあさん、最後に、ハグをして」
「あなた、もしかして」
理解してしまった。セレスは何を言うべきか悩んだ。いいや、言葉よりもまっすぐに伝えるには。セレスはナイルをそっと抱き締めた。
「いってらっしゃい、ナイル。わたしの自慢の息子」
「うん。ありがとう。……いってきます!」
ぽんぽんと背中を叩いて、セレスは息子を送り出す。ナイルが離れる。彼は黒いのを見た。
「かあさんと世界を頼む。にいさんが来たら、俺を目標に転移させてくれ。リリスは俺では浄化できない。にいさん達がやらなきゃいけないんだ」
「あぁ、分かってるよ。……彩星エルデラートと創造源神の加護あらんことを」
「ありがとう」
リリスの体が、流れ出た黒い血を全て吸い上げて、ガクガクと痙攣のように動き出した。体を再生しているらしい。
ナイルは意を決して、振り返らずに、リリスと共に転移した。
――街は静まり返った。
「……ナイル、あんたさんはもう、立派なラインさんになったよ」
黒いのが、小さく呟いた。
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