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第三章 魔王の息子

47.平穏な日々

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 ラインは生家を出てフォートレスシティの街を歩いていた。昨夜降った雪が少し積もっていた。変わらない景色、顔馴染みのおばさんに声をかけられたり、依頼屋クライアごっこをして遊んでいた子ども達に指を差されたり。最近は依頼屋クライアとしての活動はしていないが、そのうちまた再開するつもりだ。

 ルフィア達の泊まる宿に着いた。受け付けに話をすると、彼女達は出ていっているそうだ。

(どこに行ったんだ?)
 急用でもないため、ラインはそれ以上聞かずに宿を出た。大通りを歩く。平穏な日常が流れている。

「おらぁ! 離しやがれ!」

 突如荒々しい声が聞こえた。ラインの道行く先で、男が女性からバッグを引ったくろうとしていた。周りの人が男を止めようとしたが、暴行を受けて倒れてしまう。勢いよくバッグを奪ってこちらへ走ってきた。ラインは足を出す。男が引っ掛かって転んだ。

「くそ、くそっ!」

 倒れた男は駆けつけた憲兵に捕らえられる。ラインはバッグを拾い、女性に返した。深く頭を下げて感謝された。名前を聞かれたが答えずに立ち去った。

 騒動の場から離れる。ラインは子どもの頃から好きな場所にやって来た。フォートレスシティA地区の中で住宅街から離れにある噴水公園だ。人は滅多におらず、静かで居心地のいい場所だ。手入れはされているらしく、背の低い木々は整えられていた。ベンチは雪で覆われている。

「久々に来たな……」

 噴水は小さく水を出していた。魔力で紋を作りそこに座る。ふぅ、と疲れを吐き出すようにひとつ息を吐いた。

「……色々あったな」

 精霊の契約、自分が言い出した奴隷解放、ケルイズ国に捕まったこと。かの国の研究で何が行われているか。そして、リリス。

(堕淫魔リリス)

 ケルイズ国に文明を与えて発展させ、ラインの父と妹を冒涜した張本人。家族の仇でもある。ラインは手のひらに視線を落とした。

(今の俺に勝てる力は持ち合わせているのか)

 サラマンダーと契約してからは火の術式の力は確かに高まった。瞬速の剣技を用いた戦いは未だ破られない。

(それでも、まだ足りないのか)

 ぎゅっと拳を握る。自分の力はまだ未熟だ。成長しなければ。

「つっ、く……!」

 急激に頭が痛みを訴えた。頭を手で押さえる。深く息を吸って吐いた。まぶたの裏に浮かび上がった景色は。

(この、映像は……)

 ラインが一番忌避する内容だった。過去、妹を殺されたのちにゲヘナに誘拐され、数々の実験をその身に受けた光景だ。

(やめろ、それは、思い出したくない)

 大きな花の咲いた植物が、触手を生やして自分を包んでいく。自分の声がした。嫌だ。やめろ。助けて。助けて。助けて!

(……もう、いい)

 身体中にねっとりとした粘液を塗られていく。全身を愛撫するような動きで触手が動き出す。ゆっくりと、しかし素早く的確に性感帯を狙ってくる。
 映像はそこで途切れた。嫌な汗が吹き出した。目を開けて深く息を吐く。

(自分の過去も出てくるのか……)

 収まらない頭痛と過去視。突然やって来る症状に困惑した。もし戦いの最中に起きれば大きな隙を見せることになる。突発的とはいえ、やめてほしいと思った。

「……っ」

 過去。実の妹セーラを目の前で惨殺され、よみがえらせるためにゲヘナへ下った。それからの生活は地獄でしかなかった。度重なる実験。自分を側室にしようとした触手の魔神。狂った黒い手の男。

「……行こう」

 ラインは魔力の紋から立ち上がる。紋を消して、家に向かった。


 家に戻ると、同級生のバッツとエルミリアに出会った。彼らはセレスに用があるとのこと。両手に紙袋を担いでいる。中には食材が入っていた。

「お前なぁ、帰ってくるなら一言なんか伝えろよー!」

 バッツが肘で小突く。ラインは苦笑した。

「そんなに食材を買い込んでどうしたんだ?」
「セレスおばさんに頼まれてたんだよ。俺達、お前がいなくなってからも交流しててさ。手伝えることがあったらなんでも言ってくれって伝えてあるんだ」
「そうそう。旅に出てるラインに代わって、お手伝いしてるのよ」
「それは、ありがたいな」

 二人はラインの家に入っていった。

「ルフィア達を探すか」

 昨日言っていたことを思い出す。魔力集中の方法を黒いのから習っているところだろう。となると、動きやすいのは街の外か。ラインは街の外へ向かう。

(背中のあいつは大人しくしている。ルフィアがそばにいなくても、表に出てくることが少なくなったな)

 背に刻まれた、刻印に封じられし魔王の息子。彼が表に出てきた瞬間に、自分の意識は乗っ取られて死ぬことだろう。危惧していることは未だ起きず、平穏を保っている。

「ラインおにいちゃんだ!」

 子どもの声に振り返る。ラインの膝ぐらいの背丈をした少年が指差していた。しゃがみこんで目線を合わせる。どうした、と聞くと彼は笑顔になった。

「あのね、大きくなったら、おにいちゃんみたいな依頼屋クライアさんになりたいの!」
「そうか。頑張れよ」

 頭を撫でる。少年は笑顔のままだ。まぶしいくらいの笑顔の花が咲く。ばいばい、と手を振って別れた。ラインは立ち上がるとふふ、と小さく笑う。

「俺みたいな依頼屋クライアか」

 元気を分けてもらった気がする。ラインは街の外へと歩き出した。


 街の外。ラインは強い魔力を感じてそこへ向かう。人影が見える。ルフィア達だ。

「んわー! もうちょっとなのにー!」

 聖南の苛立ち混じりの声がした。近づくとこちらに気づいたようで、大きく手を振っていた。

「ラインさん、おはよー!」
「お、ラインも来たのか」
「おはよ、兄さん」
「ラインが来たの? ふぇえ、一旦休憩しよ……」

 皆元気そうだ。ラインも挨拶を返す。黒いのがにゃはと笑う。

「今まさに魔力集中の授業をしていたところよ。あんたさんも見ていくかい?」
「よければ見せてもらってもいいか?」
「ふっふっふー、いいのよぉー」

 猫のような笑みを浮かべながら黒いのは答える。皆を見るとキャスライと聖南が一番疲れているようだ。

「フェイラストは何してるんだ?」
「オレは魔眼で観測しなきゃいけねぇ。そのために長時間の使用に慣れようとしていたところだ。長い時間使うと反動で頭痛がするからな」
「お前も大変だな」
「オレより聖南とキャスライを応援してくれよ。特にキャスライは術式をメインに使うタイプじゃねぇから、力の溜めかたから習ってるんだぜ」

 キャスライを見ると汗が出ていた。冬の季節で寒いはずだが、彼は体がぽかぽかして寒くないと言う。重度の寒がりだが術式に集中して我慢しているそうだ。

「シルフィードの力を上手く扱えるようになれば、僕の力もきっと強くなれると思うんだ。みんなを守りたいから、そのためにも頑張ってるんだ」

 えへへ、とキャスライは笑う。冥夜を握り直した。隣で聖南がノームの地の力を発現しようと鈴を構えていた。

「私の見る限り、聖南姫は安定してきてるんだ。ルフィア嬢はアンディーンと波長が合ってるからすぐに会得できたみたいよ。キャスライくんは及第点ってところだね」

 さて、と黒いのが話題を変える。

「ラインさん来たからちょっと試してみる?」
「リハーサルってところだな。いいぜ、やってやる」
「魔王の息子が出てきたらどうするんだ」
「大丈夫。最低限の魔力でやればなんともないからさ」

 皆は真剣な表情になる。武器を構え、ラインに向かって魔力を集中した。フェイラストは魔眼を起動しラインの中に眠る魔王の息子を観測する。ラインもサラマンダーの力を体内で発現させる。体の奥で火の魔力がごうと燃えた。

「んんー……!」

 キャスライが唸っている。シルフィードとの波長がなかなか合わないようだ。共に苦労していた聖南は徐々に安定してきている。ルフィアは背にアンディーンを具現化させて水の力をラインに送った。彼女が一番成功しているようだ。

「はい、そこまで!」

 黒いのから指示が出る。皆は集中をやめた。ふぅ、と各々大きなため息を吐く。聖南が疲れて座り込んだ。フェイラストも魔眼の使用をやめた。

「やっぱりキャスライくんが問題だね。シルフィードと波長を合わせないと、いつまで経っても成功しないわよ」
「が、頑張るよ」
「ラインは、どんな感じなの?」

 ルフィアに聞かれてどう感じたか思い出す。

「サラマンダーの火の力に、様々な力が混ざり合う感覚だ。そこにフェイラストが魔眼で見ているわけだから、落ち着かない感じだな」
「魔力がない交ぜになるからねぇ。本番は明日やるよ。それまでキャスライくんは特に頑張ってね」
「キャスライ、あたしも手伝うよ!」
「ありがとう、聖南」

 黒いのがにっこり微笑む。

「精霊との波長を合わせることによって、一点に魔力集中ができるからね。相性もあるんだろうけどそれはそれ。これを応用すれば、戦いのときにも役に立つから。慣れておくれ」
「分かったよ」
「ほい、じゃあ解散!」

 黒いのはお腹すいたと呟いて街の方へ歩いていった。

「ライン、本番までに僕もなんとかするから、待っててね!」
「あぁ。頑張れよ」
「えへへ」

 キャスライは照れたように笑った。立ち上がった聖南が背中を叩いてきた。そんな二人の様子を見ていたルフィアが小さく笑う。

「お前は一番完成度が高かったな。水の力を強く感じた」
「私とアンディーンの波長は似ているみたいなの。だから合わせやすかった」
「なるほどな」
「これをみんなと同じように合わせないといけないの。一人だけ強くても弱くてもだめだから」

 ルフィアはキャスライに呼ばれて彼のもとに向かった。フェイラストが近づいてくる。

「よう。どうだ?」
「どうもこうもないさ」
「はは、そうかもな。……魔眼で観測するって、言葉で言うには簡単だけどよ。今やってみたら案外難しいんだ。お前の刻印の中に眠ってる奴がいるのは確かだ。影が見えたからな。でも、そいつを観測しながら引っ張り出すってのは、黒いあいつが協力してくれるとはいえ、難儀な話だぜ」

 フェイラストはへへ、と小さく笑う。

「……けれど、これでお前を蝕む悪いものを払えるとなれば、やってやる気はマシマシだぜ」
「そうか。頼むぞ、フェイラスト」
「おう」

 彼と拳を合わせた。聖南が呼ぶので彼はそちらに向かっていった。少し彼らの様子を眺めて、ラインは街に戻った。

*******

 正午を告げる鐘が鳴る。飲食店は大にぎわいだ。街の人や旅人、依頼屋クライアなどで店は埋め尽くされていた。ラインは自宅へ戻る。バッツとエルミリアがセレスの料理を味わっている最中だった。

「お、帰ってきたかライン」
「なんで俺の家で飯食ってるんだ」
「セレスおばさんのお言葉に甘えてな。へへっ」
「セレスおばさんの料理、美味しいんだもんねー」

 二人は笑う。ラインも困ったように笑った。セレスも家事をやめて席に着いた。

「ほら、ラインも席に着いて。グラタン冷めちゃうわ」

 セレスに促されて着席する。グラタンにフォークを刺す。焼き立てなのか湯気が立つ。少し息を吹いて冷ます。口に入れた。とろけたチーズがホワイトソースに絡まって美味しい。

「どう、ライン?」
「……美味しい」
「ふふ、よかった」

 反応を見てからセレスも食べ始めた。別皿のブロッコリーをソースに絡めて食べる。茹でてから冷やしたブロッコリーと温かいソースがマッチして美味しい。

「今夜はたくさん雪が降るってテレスフィアで言ってたぜ。だから明日は雪掻きの手伝いに来るんだ」
「ラインは明日、何か用事あるの?」
「俺は、仲間に呼ばれていてな。また出なくてはいけない」
「ちぇっ、もう旅に出るのかよ。ちょっとはゆっくりしてけばいいのに」
「大丈夫だ。雪掻きはしていくから安心しろ」
「おっし、じゃあ明日は頼むぜ!」

 他愛もない会話をして、笑って昼食を過ごした。片付けを手伝い、バッツとエルミリアに食後のコーヒーを淹れた。

「なぁ、旅はどんなだったんだ?」
「見てきたこと、少しは教えなさいよ」

 二人が迫る。ラインは仲間と精霊の契約に挑んだこと。ベルク大陸で起きたことを話し始めた。

 所変わってルフィア達は。

「はぁ、はぁ……」

 キャスライが疲れきった様子で立っていた。冥夜を握る力も弱ってきている。ルフィアと聖南、フェイラストが彼を応援していた。

「キャスライ、もうちょっとだよう!」
「頑張れ、キャスライ!」
「シルフィードを意識して。彼の魔力の波に自分を委ねるの。シンクロした瞬間を感じて」
「わ、分かった」

 キャスライは再び魔力集中をおこなう。冥夜に一点集中するように魔力を送る。意識をシルフィードに向けた。吹き荒ぶ風。穏やかな風。様々な風の力が渦巻いている。

(シルフィード、僕に力を貸して)

 深く息を吸って、吐き出す。呼吸を安定させると、足元に風紋が浮かび上がり風が吹き出した。彼の波長を探る。彼の姿を隠すように風が吹いていた。

(もう少し……)

 本を読む彼を想像する。出会ったときの姿だ。彼は本が好きで、いつも片手に本を持って読んでいる。風が少し晴れた。彼の姿が少しだけ見えた。暗闇の意識の中で自分は手を伸ばす。

(シルフィード)

 キャスライは風の守りに手を伸ばした。風刃によって傷ができる。現実のキャスライにも傷が現れた。

(答えて)

 意識の中のシルフィードはこちらに視線を向けた。すると風がやんだ。本を閉じて手を伸ばす。

「やれやれ、仕方ないな」

 手を握る。瞬間、キャスライとシルフィードの波長が噛み合った。シンクロ状態になる。現実のキャスライがはっとして目を開けた。足元で渦巻く風は穏やかで、冥夜に風の魔力がまとわりついていた。瞬間的ではなく持続的に。

「やった……!」

 キャスライの肩の上にシルフィードが出現した。閉じた本を片手に持っている。高圧的な態度は変わらず、キャスライを見下すような視線を向けている。

「ぼくと波長を合わせるなんて、よくもまぁやってくれたね。『破壊者』の言う通り確かに及第点だけど。でも、悪くはないね」

 薄くなって消えていく。キャスライはその場にへたりこんでしまった。冥夜には未だ風の力がまとわれている。

「やったじゃねぇか、キャスライ!」
「大成功だね!」
「よかったね、キャスライ!」

 皆に褒められて、キャスライは疲れも吹き飛ぶ笑顔を見せた。

「やれやれ、これで明日には間に合ったかな」

 遠巻きに黒いのが眺めていた。
 いよいよ明日、本番である。
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