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第二章 父の面影

32.冥府を往く

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 暗い世界の底。冥府、アビシア。
 そこかしこで凶悪な魂が檻に閉じ込められている。永劫の苦しみを与えられ、魂が死を迎えるまで苦痛は続く。

魔劫界ディスアペイアの転移の紋が起動したか」

 冥府の中枢で、髪の長い男が水晶を見ていた。映像にはライン達が転移の紋の上に立つ姿を映す。

「クロノワ、お前の認めた彼らを我が見てやろう」
 男はくつくつ笑いながら彼らが来るのを楽しみに待った。

*******

 転移の光に吐き出された。着いた所は、魔力で作られた透明な床の上。底を覗くと、鳥籠や様々な檻に入れられた青白い魂が見えた。ふよふよと動き回るが、檻に触れると激しく火花を散らして後退した。聖南とキャスライがびっくりして跳ねる。

「闇の力が濃いところだね」

 ルフィアの背筋がぞわぞわした。人間とのハーフとはいえ創造源神の娘である彼女にとって、闇の強い環境は苦しく感じた。ラインは穢れの沈着のせいか、それほど苦しくないようだ。しかし、やはり気味の悪い雰囲気は感じられた。

 転移の紋から出た一行は、透明な床の続く先に行こうと声をかける。調子の悪そうなルフィアに気をかけながら道を行く。

「さっきから、ごにょごにょ話し声が聞こえるね」

 聖南がきょろきょろする。耳のいいキャスライにも声は届いていた。彼はかさかさ音がするとも言う。

「人の声っぽいが、こりゃあなんだ?」
「魂の声」

 ルフィアの声に皆が振り向く。

「檻に囚われた魂の苦痛の声。ここにいる魂は、永劫の苦しみを与えられているから」
「苦しみから解放してほしい声か」
「うん、かなり怨念の強い魂が多いみたい」

 聖南は背筋がぞわっとした。死んだ人の魂の声が聞こえるなど怖くてたまらなかった。キャスライの腕にくっつきながら歩いていく。フェイラストがかっかと笑った。

「大丈夫だって。檻は頑丈なんだろ。出てこねぇよ」
「わ、分かってるもん!」
「そのわりにはキャスライにべったりだな」
「う、うぐぅ……!」

 前方で笑い合う三人を見て、後方でラインはルフィアを支えながら見守っていた。ルフィアがこの空間に慣れるまで時間がかかりそうだ。

 彼らは透明な魔力床の分かれ道にやって来た。右ではおどろおどろしい建造物が見える。左ではたくさんの青白い光が檻の中で暴れ回っていた。

「右が冥王のいる所だと思うよ」
「じゃあ、ルフィアの言う通り右に行こー!」

 軽い感じで聖南は腕を突き上げる。キャスライもつられて腕を上げた。フェイラストはいつでも銃を抜けるように手を腰に当てていた。

「ルフィア、少しは良くなったか」
「ラインのおかげでね。ありがと」

 胸を押さえなから歩くルフィアの後ろを行く。ラインも嫌な気配を感じ取っていた。ルフィアはもっと強く感じでいるのだろう。息が詰まりそうだ。

 建造物は船のような土台に積み重なるように建てられていた。人が住むためではなく、魂を捕らえるための施設のようだ。辿り着いた入り口の扉を開ける。中は薄暗く、魂の青白さが明かりの代わりとなって、壁掛け蝋燭の役割を担っていた。

「お邪魔しまーす!」

 聖南が挨拶するが、しんとして静まり返っている。不気味な魂の花道を慎重に進んだ。キャスライだけでなく他の者にも声は聞こえた。

「……しい、……くるしい」
「殺す、殺す。アイツを殺してやる!」
「ワタシを見つけて、……ダレカ」

 他にも支離滅裂な言葉や奇声などが聞こえる。まともに取り合っては身が持たないだろう。青白い魂はゆらめきながら、それぞれが思うことを訴えていた。

 通路の先は開けた場所だった。皆が広間の中央に集まる。フェイラストは自然と銃を抜いていた。

「嫌な気配がするな。なんていうか、大勢に見られているような感じだぜ」
「あたしも、なんだか気持ち悪いよ……」
「僕の耳にも色々聞こえるけど、どれも普通じゃない声だ。聞いていたくない言葉ばかり」

 三人が怖気をふるう。ラインとルフィアは虚空を睨んでいた。巨大な何かがいると気づいていたのだ。

「あなたは、誰?」
 ルフィアが問いかける。

 すると、広間は円形に形を変え、透明な魔力床のパーツを重ねていく。底が白く光りだした。渦巻くそこを見ていると吸い込まれそうだ。広間の変形が落ち着いてくる。目の前に玉座が現れる。玉座の奥から現れた黒い姿は、血色の悪い白い肌をした髪の長い男性だ。濃い紫の髪と、装飾されたゆったりとした暗い色のローブを床にひきずっている。彼は玉座に座ることなくこちらにやって来た。地に足を付けていない。浮遊しているようだ。

「お前さん、いったい誰だ」
 フェイラストが未知の存在に銃口を向ける。皆も身構えた。

「無礼な人間だ。我を知りもせぬのは致し方無いが、少しは慎め」

 呆れてため息を漏らす。フェイラストが警戒を解かないまま銃を収めた。まさか、と聖南が声を上げる。

「冥府の王様?」
「ほう、その理由は?」
「玉座があるし、奥から出てきたし、なんていうか、それっぽいから」
「幼稚な答えよな。我がかつてのインキュバスであれば、貴様らの生気を吸い付くしているところだ。……まぁよい」

 男はくつくつと笑みを浮かべた。紫で彩った長い爪で上品に口元を隠す。

「我は冥府アビシアの王、ディリュード・タナトス。冥王ディリュードと呼ばれている。此の冥府を管理する者だ」

「あなたが、お父さんに冥府の王を任命された人」
「貴様の父? ……ふむ、なるほどその力は創造の力だな。創造源神に娘がいるとは知っていたが、なるほど貴様がそれか」
「はい。そうです」

 ルフィアは闇の濃さに苦しみながらも、冥王ディリュードに凜とした声で答える。

「この世界にいる仮面の人が、今、三世界を脅かしています。どこにいるか場所を知りませんか?」

 ディリュードは爪を動かして考える仕草をする。ライン達を一瞥し、ルフィアに視線を戻した。

「黒服とひずみを従える仮面の男は、冥府に巣食っている膿のようなもの。いつの間にか我の世界に己の世界を作り出し、好き勝手にやっている。貴様らが退治してくれるのか?」

 ラインが一歩前に出た。

「俺達は奴に用があります。場所を教えてください」
「本来ならば、我が相手に何か与える時は対価を求めるのだぞ」
「対価とは?」
「ヒトの生気よ。味見したくてたまらん。心が踊る!」

 ディリュードはクククと喉を鳴らして笑う。彼は舌舐めずりをして値踏みするように彼らを見た。ディリュードの言う生気の吸収方法は、元インキュバスということを思い出せば分かるだろう。

 ――姦淫だ。

「我がインキュバスだと言うことは先程呟いた通り。かつては雄も雌も関係なくヒトを喰らった。クク、貴様らは美味そうだ」

 両手を広げて長い爪を動かす。ライン達は貞操の危機に警戒して一歩身を引いた。途端にディリュードの眼光が控えめになる。つまらなそうな顔をした。

「……とはいえ、貴様らのことはクロノワに喰うなと止められている。代わりに奴が対価を支払ってくれるだろう。それで我慢するか」
「……あいつか」

 黒き彼女が先手を打ってくれていたことに心から感謝した。こんなところまで来て性行為に勤しむ余裕など誰も持っていない。仮に生気を奪われたとして、仮面の男に辿り着く前に冥府の中で倒れるだろう。皆はぞっとして背筋に悪寒が走る。対照的にディリュードはにっこりと笑った。

「さて。仮面の男がいる場所を教えてほしいのだったな。此処へ来る前に分かれ道があっただろう。我の居城とは別の方向だ。魂の檻が連なる回廊を行け。貴様らに越えられるとは思ってないがな」
「何さそれー!」

 聖南が文句を言う。ディリュードは見下す視線を向けた。

「そこで倒れて我が世界の一部となるなら、貴様らはその程度の存在だったこと。元より此の世界は生者を受け付けぬ死の世界。今こうしていられるのも我の力が及んでいるからだ。創造源神の娘は苦しみと戦っているようだが、そのうち慣れるだろう」

 彼は退屈そうに自慢の爪を見ている。するすると衣装のすそを引きずり浮遊して移動する。玉座へ腰かけ足を組んだ。ライン達は緊張が解けたようにほっと胸を撫で下ろした。

(凄まじい威圧感だった……)

 貞操の危機も感じたときは戦いになるかと恐れていたが、無事に対話で済んでよかった。ラインは皆に先の分かれ道へ戻ろうと話す。異論はないようだ。ルフィアはディリュードに一礼してから皆のもとに戻った。


 冥王の居城から分かれ道まで戻る。魂の青白さが点滅している。気味の悪い声は変わらず聞こえてきた。

「みんな、私のそばから離れないでね。私を中心に浄化の力を発動してるから」
「離れたらどうなるんだ?」
「闇に囚われるかもしれないよ」

 微笑むルフィアを見て、フェイラストはなるべくルフィアに近づこうと決めた。

「ラインもあんまり離れないでね」 
「戦闘の時も気を使わないといけないな」
「ていうか、戦闘になるようなことあるかな」

 聖南が回廊の先を見ている。死の世界には何が潜んでいるのか不安だった。死を司る世界ならば、生をぶつければ対処できるのか?
 聖南は回廊に一歩踏み出す。怖くて足がすくみそうだ。奇怪な声も耳に入る。深呼吸して頬を叩いた。

「光の術式で倒せるなら、あたしも頑張るよ」
「頼りにしてるぜ、聖南」
「フェイラストも浄化の力がある弾丸で倒してね!」
「おうよ!」
「僕は耳がいいから周りの音を聞くよ。敵が来そうなら知らせるね」

 皆で役割を決めて、回廊への一歩を踏み出した。彼らの姿が小さくなるまで、黒いのは遠くから見守っていた。

「いってらっしゃい」

 小さく呟いて、黒き彼女はディリュードのもとへ向かった。

*******

 回廊の魔力床以外は、暗闇に浮かぶ檻と青白い魂しかなかった。空間に浮き沈みする檻は形様々だ。鳥籠型もあれば箱型の牢屋もある。どれも魂を閉じ込め、永劫の苦しみを与え続けるものだ。

「イヤダ、ココカラダシテ、ダシテ!」
「あぁ……あ、あぅ……」
「殺してぇえええええあァあああ!」

 悲痛な叫び声。
 息絶え絶えの声。
 生にしがみつく声。
 奇声。罵声。ぶつぶつ呟く声。

 耳を塞ぎたくなるような声を、キャスライは我慢して耳に入れた。怖がりな彼は今すぐ逃げ出したいくらいだった。みんながいなかったら今ここに自分はいないと思う。心強い仲間がいてくれたから、気を張ってでも前に進める。

(僕もみんなの役に立ちたい)

 死んだ師匠の代わりに世界を見て、墓前で報告しよう。こんなところまで来たんだから。

「キャスライ、何か聞こえた?」
「みんなと同じ音が聞こえてるよ。敵の気配はしないね」

 回廊は長い。まだ出口は見えなかった。透明な魔力床以外の道はないため、迷うことはなかった。最初は苦しんでいたルフィアも、時間が経つにつれて慣れてきたようだ。苦しみが少しずつなくなってきた。歩も軽い。

「回廊の先に、仮面の人の世界があるって言っていたけど……」
「まだ何も見えないな」
「ラインさんも何か感じたりしないの?」
「俺は沈着した穢れが悪さしているからな。ルフィアのフィールドのおかげで今は平気だ」

 彼女の浄化の力によってフィールドが清らかになっている。清浄さを保っていられるのもこの力のおかげだ。浄化の力は使い手の力量が問われる。ルフィアを前にして、ラインの浄化の力は彼女の半分といったところだ。彼は浄化の力よりも火の術式の力を伸ばしている。火の精霊サラマンダーが彼に加護をもたらしていた。

「魔眼で視てみたい興味もあるけど、いや、やっぱりいいわ」

 嫌な顔をしてフェイラストが眼鏡を直した。

「フェイラスト、見えてはいけないものが見えちゃう感じ?」
「オレの眼は元々そういうものを見通すためのものだしな。弱点を示す赤い印や他の印以外にも、良からぬものが見えちまう。……死の世界って呼ばれるここなら、魂の元の姿とか見えるんじゃねぇか。想像だけどよ」

 やるのは控えるぜ、と呟く。フェイラストは周囲の青白い魂を見て嫌悪を示した。いったい何をすれば死の世界に消滅するまで閉じ込められる業を背負ったのか。知らなくてもいいが、興味はそそられた。

「ルフィアはずっと浄化の力を使ってて大丈夫?」

 聖南が横を向いてルフィアを見ながら話す。

「大丈夫。やっと体が慣れたみたい。でもこの世界は光の力が弱いから、光の術式が弱体化するかもしれないね」
「あたしもそうなっちゃうかな?」
「たぶんね。戦いになったときに、地上の世界と同じ強さで術式が使えるといいな」

 ふと、ルフィアは前方に人が通れるほどの空間の歪みを見つけた。皆が気づいて立ち止まる。ラインが試しに手を触れようとすると、空間の中に手が潜っていった。驚いて引き抜く。手は無事のようだ。

「俺が先に行く」

 ラインが意を決して歪みの中へ入っていった。数秒経っても帰ってこない。皆が心配そうに見つめるが、空間は特に変化がなかった。

「オレも行くぜ」

 フェイラストが慎重に歪みを通過した。聖南とキャスライがあわあわしている。ふと、キャスライの耳に違和感があった。背後から。振り返ると、どこかに落ちたのか、檻から飛び出た青白い魂がこちらに向かってくるではないか。

「僕達も行こう!」

 キャスライがルフィアと聖南を先に行かせる。迫る魂を紙一重で回避し、歪みの中へ飛び込んだ。

*******

 冥府アビシアの中にできた膿。ディリュードはそう言っていた。仮面の男が作り出した小世界。冥府アビシアとはかけ離れた光景が広がっていた。植物の生い茂る森の中で、青空の下に漆黒の教会がそびえ立っていた。

 ライン達は空間に浮き沈みする丸い足場に現れた。ゆっくりと円盤は地上に降りた。踏み出した大地は確かに土の感触を示す。魔力で創られたにしては地上の世界に酷似していた。

「あのお城にいるの?」
「お城っていうかありゃあ教会だぜ」
「なんにせよ、行ってみるしかないな」

 ライン達は森の中へ歩き出す。謎の教会に、果たして仮面の男はいるのだろうか。

 魔物の群れを倒して、彼らは漆黒の教会へと。
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