上 下
89 / 97

第88話:参考記録だけど

しおりを挟む
「ナイスバッティング、晴斗」

 ベンチに戻ってきた俺は病院に向かうタクシーの到着を待っている悠岐とハイタッチを交わした。これで親友の無念は果たせた。

 常華明城のマウンドには内野の守備陣が集合し、ベンチから送られたきた伝令の選手を囲んで円陣を組んでいた。投手交代の可能性も考えられたが、どうやらそれはなさそうだ。解散してもグラウンドの頂には国吉さんが立っていた。

「6失点したとはいえまだ試合は序盤。逆転を信じてエースに託したのか、それともエースに替わるピッチャーがいないのか。晴斗はどっちだと思う?」

「その両方だろう。どのチームも二番手投手は切実な問題だからな。球数もそんなにいっていないうちはこのまま続投だろう」

 高校野球において全国制覇をするためには突出したエースの存在は欠かせない。だがその後に続くピッチャーがいるかいないかで勝率は大きく変わってくる。いかにエースを休ませて万全な状態で強豪校に臨めるかが優勝するために必要となってくる。

「常華明城には国吉さんに代わりに投げるピッチャーがいないってことはないと思うけど試合に出せるレベルじゃないんだろう。頼れる先輩が二人もいる明秀うちとは違うってことだよ」

 言いながら、俺はベンチから声援を飛ばしている先輩二人に目を向ける。先発すれば試合を作り、リリーフで投げればピンチの芽を摘むり、試合を立て直す。他のチームならそれこそエースナンバーを与えられてもおかしくない能力を持っている先輩達が控えているから、俺は心置きなく全力投球ができる。

「これで0 対 6。練習試合だからコールドはないからあと何点取れるかな。あぁ……途中交代になったのが本当に悔しいよ。もっと打ちたかったなぁ」

「そんなこと言っても仕方ないだろう。ほら、タクシー来たみたいぞ。さっさと病院行って診てもらって来い。急げば試合終了には間に合うんじゃないのか?」

「うぅ……試合終わってからでもいいと思うのに……まぁしょうがないか」

 悠岐はがっくりと諦めるようにとうなだれて、とぼとぼとした足取りでタクシーの前で手を振って呼んでいるコーチのもとに向かう。

「最後に一つだけ。晴斗、絶対に負けるなよ!」

 悠岐が言っているのは試合のことではない。俺が抱えている内なる敵、心に深く刺さって残っている幼馴染。過去の関係と因縁に決着をつけて本当の意味で前へ進むための戦いに負けるなと、悠岐は言っている。

「大丈夫。俺は負けない。ありがとう、悠岐」

 ニカっと笑い、悠岐はタクシーに乗り込んだ。彼の怪我が軽傷であることを祈りつつ、再びグラウンドに目を戻す。

「―――シャァッ!」

 6番、7番の慎之介を連続で打ち取った国吉さんが大きくガッツポーズをしていた。満塁ホームランで心をへし折ったかと思ったが、まだ彼の闘志は消えていないようだ。

「さすがはエースか……」

 点差が開いたとは言え、俺のやることは変わらない。一切手を抜かず、油断もせず、アウトの山を築き上げる。ただそれだけだ。


 *****


 坂本君が死球を受けて途中交代したがその後は荒れることはなく試合は回を重ねていって今は6回表、常華明城高校の攻撃。打順は7番からの下位打線。スコアボードは0対6まま。常華明城側は綺麗に0が並んでいる。

 晴斗の満塁ホームラン以降、明秀高校はヒットや四球でランナーこそ出るものあと一本が出ずに追加点を奪えずにいた。しかし―――

「ここまでランナーを一人も出さない完全投球パーフェクトピッチング。これで調整試合というなら本番はどうなるんでしょうか……」

 哀ちゃんは晴斗の投球内容に震えていた。私は一度あの炎天下の中で鬼神の如き晴斗の投球を目の当たりにしている。それでも今日の晴斗のピッチング内容は完璧と言えるのではないか。

「毎回の奪三振でその数は…………十個かな? それ以外は全部内野ゴロ。坂本君に代わったサードの子も頑張っているし、このままいけば非公式だけど完全試合も見えてくるかな?」

 晴斗が狙って三振を取りに行くのは4番の国吉君の時だけ。それ以外の時は高低を上手く投げ分けて結果的に三振、となっているように思えた。それくらい今日の晴斗は国吉君とその向こうにいるあの子を意識している。

「でも、晴斗はきっとこの回で交代かね。点差もあるし、秋季大会前の調整試合で最後まで投げさせる理由はない。私達を含めた観客も十分楽しめたしね」

 この感覚を忘れないようにするのが大会に挑むに当たって大切なのだが。そうは言っても晴斗のことだからそんなことは気にせず、目の前の試合を勝つための最善の準備を行うはず。だから今日のことは今日のこととして完結させてしまうだろう。

 むしろ。晴斗の本当の戦いはこの後なのだが。その戦いの相手と言えば、マウンドで奮闘する彼氏に向けて必死のエールを送り続けている。その声はここまで届くほどだ。

「まったく……どうしてそれを晴斗にしてあげなかったのよ……本当に、馬鹿な子」

「……早紀さん?」

 唇を噛み締める私を怪訝そうな目で見つめる哀ちゃん。なんでもないよ、と答えてから視線を晴斗に戻した。

 7番バッターは詰まった当たりでショートゴロ。これで1アウト。

「春の甲子園……行けるといいですね」

 哀ちゃんがポツリと呟く。

「そうね。夏は無念だっただろうし、先輩から1番エースナンバー、託されたからね。その思いに応えないと、って思っているはずだよ」

 8番バッターは初球のカーブをひっかけてセカンドゴロ。これで2アウト。

「春の甲子園に行くのはあくまで通過点。晴斗が…………晴斗達が目指しているのはその頂き。春を獲ってからが本当の戦いになる」

 夏の借りは夏でしか返せない。春を制して春夏連覇をかけて、かつての相棒がいる連覇を目指す夏の王者に挑む。それが実現すれば、来年の夏もきっと熱い戦いになる。その時私は隣人に住んでいる女性ではなく、晴斗の彼女としてスタンドから応援しよう。

「私は春こそは、と思っていましたが……やめておきます。大人しくテレビの前で応援することにします。私の分は早紀さん、あなたに託しますよ」

 哀ちゃんは少し寂しそうに言いながらも、その表情はどこか晴れやかだった。

「私が言うのもおこがましいかもしれませんが。どうか晴斗のことを……優しくてそのくせ繊細な彼を支えてあげて下さい」

「うん。わかってる。私にできる限り精一杯、晴斗のことを支えていくよ」

「フフ。もし手を抜くようなことがあればその時は容赦なく私が攫いますからそのつもりで」

 哀ちゃんは不敵に笑った。私もそれに釣られて笑う。

 9番バッターは空振り三振。この回も晴斗はランナーを一人も出すことなく、マウンドを降りた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

【声劇台本】バレンタインデーの放課後

茶屋
ライト文芸
バレンタインデーに盛り上がってる男子二人と幼馴染のやり取り。 もっとも重要な所に気付かない鈍感男子ズ。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

男女比1:10000の貞操逆転世界に転生したんだが、俺だけ前の世界のインターネットにアクセスできるようなので美少女配信者グループを作る

電脳ピエロ
恋愛
男女比1:10000の世界で生きる主人公、新田 純。 女性に襲われる恐怖から引きこもっていた彼はあるとき思い出す。自分が転生者であり、ここが貞操の逆転した世界だということを。 「そうだ……俺は女神様からもらったチートで前にいた世界のネットにアクセスできるはず」 純は彼が元いた世界のインターネットにアクセスできる能力を授かったことを思い出す。そのとき純はあることを閃いた。 「もしも、この世界の美少女たちで配信者グループを作って、俺が元いた世界のネットで配信をしたら……」

処理中です...