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第88話:参考記録だけど
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「ナイスバッティング、晴斗」
ベンチに戻ってきた俺は病院に向かうタクシーの到着を待っている悠岐とハイタッチを交わした。これで親友の無念は果たせた。
常華明城のマウンドには内野の守備陣が集合し、ベンチから送られたきた伝令の選手を囲んで円陣を組んでいた。投手交代の可能性も考えられたが、どうやらそれはなさそうだ。解散してもグラウンドの頂には国吉さんが立っていた。
「6失点したとはいえまだ試合は序盤。逆転を信じてエースに託したのか、それともエースに替わるピッチャーがいないのか。晴斗はどっちだと思う?」
「その両方だろう。どのチームも二番手投手は切実な問題だからな。球数もそんなにいっていないうちはこのまま続投だろう」
高校野球において全国制覇をするためには突出したエースの存在は欠かせない。だがその後に続くピッチャーがいるかいないかで勝率は大きく変わってくる。いかにエースを休ませて万全な状態で強豪校に臨めるかが優勝するために必要となってくる。
「常華明城には国吉さんに代わりに投げるピッチャーがいないってことはないと思うけど試合に出せるレベルじゃないんだろう。頼れる先輩が二人もいる明秀とは違うってことだよ」
言いながら、俺はベンチから声援を飛ばしている先輩二人に目を向ける。先発すれば試合を作り、リリーフで投げればピンチの芽を摘むり、試合を立て直す。他のチームならそれこそエースナンバーを与えられてもおかしくない能力を持っている先輩達が控えているから、俺は心置きなく全力投球ができる。
「これで0 対 6。練習試合だからコールドはないからあと何点取れるかな。あぁ……途中交代になったのが本当に悔しいよ。もっと打ちたかったなぁ」
「そんなこと言っても仕方ないだろう。ほら、タクシー来たみたいぞ。さっさと病院行って診てもらって来い。急げば試合終了には間に合うんじゃないのか?」
「うぅ……試合終わってからでもいいと思うのに……まぁしょうがないか」
悠岐はがっくりと諦めるようにとうなだれて、とぼとぼとした足取りでタクシーの前で手を振って呼んでいるコーチのもとに向かう。
「最後に一つだけ。晴斗、絶対に負けるなよ!」
悠岐が言っているのは試合のことではない。俺が抱えている内なる敵、心に深く刺さって残っている棘。過去の関係と因縁に決着をつけて本当の意味で前へ進むための戦いに負けるなと、悠岐は言っている。
「大丈夫。俺は負けない。ありがとう、悠岐」
ニカっと笑い、悠岐はタクシーに乗り込んだ。彼の怪我が軽傷であることを祈りつつ、再びグラウンドに目を戻す。
「―――シャァッ!」
6番、7番の慎之介を連続で打ち取った国吉さんが大きくガッツポーズをしていた。満塁ホームランで心をへし折ったかと思ったが、まだ彼の闘志は消えていないようだ。
「さすがはエースか……」
点差が開いたとは言え、俺のやることは変わらない。一切手を抜かず、油断もせず、アウトの山を築き上げる。ただそれだけだ。
*****
坂本君が死球を受けて途中交代したがその後は荒れることはなく試合は回を重ねていって今は6回表、常華明城高校の攻撃。打順は7番からの下位打線。スコアボードは0対6まま。常華明城側は綺麗に0が並んでいる。
晴斗の満塁ホームラン以降、明秀高校はヒットや四球でランナーこそ出るものあと一本が出ずに追加点を奪えずにいた。しかし―――
「ここまでランナーを一人も出さない完全投球。これで調整試合というなら本番はどうなるんでしょうか……」
哀ちゃんは晴斗の投球内容に震えていた。私は一度あの炎天下の中で鬼神の如き晴斗の投球を目の当たりにしている。それでも今日の晴斗のピッチング内容は完璧と言えるのではないか。
「毎回の奪三振でその数は…………十個かな? それ以外は全部内野ゴロ。坂本君に代わったサードの子も頑張っているし、このままいけば非公式だけど完全試合も見えてくるかな?」
晴斗が狙って三振を取りに行くのは4番の国吉君の時だけ。それ以外の時は高低を上手く投げ分けて結果的に三振、となっているように思えた。それくらい今日の晴斗は国吉君とその向こうにいるあの子を意識している。
「でも、晴斗はきっとこの回で交代かね。点差もあるし、秋季大会前の調整試合で最後まで投げさせる理由はない。私達を含めた観客も十分楽しめたしね」
この感覚を忘れないようにするのが大会に挑むに当たって大切なのだが。そうは言っても晴斗のことだからそんなことは気にせず、目の前の試合を勝つための最善の準備を行うはず。だから今日のことは今日のこととして完結させてしまうだろう。
むしろ。晴斗の本当の戦いはこの後なのだが。その戦いの相手と言えば、マウンドで奮闘する彼氏に向けて必死のエールを送り続けている。その声はここまで届くほどだ。
「まったく……どうしてそれを晴斗にしてあげなかったのよ……本当に、馬鹿な子」
「……早紀さん?」
唇を噛み締める私を怪訝そうな目で見つめる哀ちゃん。なんでもないよ、と答えてから視線を晴斗に戻した。
7番バッターは詰まった当たりでショートゴロ。これで1アウト。
「春の甲子園……行けるといいですね」
哀ちゃんがポツリと呟く。
「そうね。夏は無念だっただろうし、先輩から1番、託されたからね。その思いに応えないと、って思っているはずだよ」
8番バッターは初球のカーブをひっかけてセカンドゴロ。これで2アウト。
「春の甲子園に行くのはあくまで通過点。晴斗が…………晴斗達が目指しているのはその頂き。春を獲ってからが本当の戦いになる」
夏の借りは夏でしか返せない。春を制して春夏連覇をかけて、かつての相棒がいる連覇を目指す夏の王者に挑む。それが実現すれば、来年の夏もきっと熱い戦いになる。その時私は隣人に住んでいる女性ではなく、晴斗の彼女としてスタンドから応援しよう。
「私は春こそは、と思っていましたが……やめておきます。大人しくテレビの前で応援することにします。私の分は早紀さん、あなたに託しますよ」
哀ちゃんは少し寂しそうに言いながらも、その表情はどこか晴れやかだった。
「私が言うのもおこがましいかもしれませんが。どうか晴斗のことを……優しくてそのくせ繊細な彼を支えてあげて下さい」
「うん。わかってる。私にできる限り精一杯、晴斗のことを支えていくよ」
「フフ。もし手を抜くようなことがあればその時は容赦なく私が攫いますからそのつもりで」
哀ちゃんは不敵に笑った。私もそれに釣られて笑う。
9番バッターは空振り三振。この回も晴斗はランナーを一人も出すことなく、マウンドを降りた。
ベンチに戻ってきた俺は病院に向かうタクシーの到着を待っている悠岐とハイタッチを交わした。これで親友の無念は果たせた。
常華明城のマウンドには内野の守備陣が集合し、ベンチから送られたきた伝令の選手を囲んで円陣を組んでいた。投手交代の可能性も考えられたが、どうやらそれはなさそうだ。解散してもグラウンドの頂には国吉さんが立っていた。
「6失点したとはいえまだ試合は序盤。逆転を信じてエースに託したのか、それともエースに替わるピッチャーがいないのか。晴斗はどっちだと思う?」
「その両方だろう。どのチームも二番手投手は切実な問題だからな。球数もそんなにいっていないうちはこのまま続投だろう」
高校野球において全国制覇をするためには突出したエースの存在は欠かせない。だがその後に続くピッチャーがいるかいないかで勝率は大きく変わってくる。いかにエースを休ませて万全な状態で強豪校に臨めるかが優勝するために必要となってくる。
「常華明城には国吉さんに代わりに投げるピッチャーがいないってことはないと思うけど試合に出せるレベルじゃないんだろう。頼れる先輩が二人もいる明秀とは違うってことだよ」
言いながら、俺はベンチから声援を飛ばしている先輩二人に目を向ける。先発すれば試合を作り、リリーフで投げればピンチの芽を摘むり、試合を立て直す。他のチームならそれこそエースナンバーを与えられてもおかしくない能力を持っている先輩達が控えているから、俺は心置きなく全力投球ができる。
「これで0 対 6。練習試合だからコールドはないからあと何点取れるかな。あぁ……途中交代になったのが本当に悔しいよ。もっと打ちたかったなぁ」
「そんなこと言っても仕方ないだろう。ほら、タクシー来たみたいぞ。さっさと病院行って診てもらって来い。急げば試合終了には間に合うんじゃないのか?」
「うぅ……試合終わってからでもいいと思うのに……まぁしょうがないか」
悠岐はがっくりと諦めるようにとうなだれて、とぼとぼとした足取りでタクシーの前で手を振って呼んでいるコーチのもとに向かう。
「最後に一つだけ。晴斗、絶対に負けるなよ!」
悠岐が言っているのは試合のことではない。俺が抱えている内なる敵、心に深く刺さって残っている棘。過去の関係と因縁に決着をつけて本当の意味で前へ進むための戦いに負けるなと、悠岐は言っている。
「大丈夫。俺は負けない。ありがとう、悠岐」
ニカっと笑い、悠岐はタクシーに乗り込んだ。彼の怪我が軽傷であることを祈りつつ、再びグラウンドに目を戻す。
「―――シャァッ!」
6番、7番の慎之介を連続で打ち取った国吉さんが大きくガッツポーズをしていた。満塁ホームランで心をへし折ったかと思ったが、まだ彼の闘志は消えていないようだ。
「さすがはエースか……」
点差が開いたとは言え、俺のやることは変わらない。一切手を抜かず、油断もせず、アウトの山を築き上げる。ただそれだけだ。
*****
坂本君が死球を受けて途中交代したがその後は荒れることはなく試合は回を重ねていって今は6回表、常華明城高校の攻撃。打順は7番からの下位打線。スコアボードは0対6まま。常華明城側は綺麗に0が並んでいる。
晴斗の満塁ホームラン以降、明秀高校はヒットや四球でランナーこそ出るものあと一本が出ずに追加点を奪えずにいた。しかし―――
「ここまでランナーを一人も出さない完全投球。これで調整試合というなら本番はどうなるんでしょうか……」
哀ちゃんは晴斗の投球内容に震えていた。私は一度あの炎天下の中で鬼神の如き晴斗の投球を目の当たりにしている。それでも今日の晴斗のピッチング内容は完璧と言えるのではないか。
「毎回の奪三振でその数は…………十個かな? それ以外は全部内野ゴロ。坂本君に代わったサードの子も頑張っているし、このままいけば非公式だけど完全試合も見えてくるかな?」
晴斗が狙って三振を取りに行くのは4番の国吉君の時だけ。それ以外の時は高低を上手く投げ分けて結果的に三振、となっているように思えた。それくらい今日の晴斗は国吉君とその向こうにいるあの子を意識している。
「でも、晴斗はきっとこの回で交代かね。点差もあるし、秋季大会前の調整試合で最後まで投げさせる理由はない。私達を含めた観客も十分楽しめたしね」
この感覚を忘れないようにするのが大会に挑むに当たって大切なのだが。そうは言っても晴斗のことだからそんなことは気にせず、目の前の試合を勝つための最善の準備を行うはず。だから今日のことは今日のこととして完結させてしまうだろう。
むしろ。晴斗の本当の戦いはこの後なのだが。その戦いの相手と言えば、マウンドで奮闘する彼氏に向けて必死のエールを送り続けている。その声はここまで届くほどだ。
「まったく……どうしてそれを晴斗にしてあげなかったのよ……本当に、馬鹿な子」
「……早紀さん?」
唇を噛み締める私を怪訝そうな目で見つめる哀ちゃん。なんでもないよ、と答えてから視線を晴斗に戻した。
7番バッターは詰まった当たりでショートゴロ。これで1アウト。
「春の甲子園……行けるといいですね」
哀ちゃんがポツリと呟く。
「そうね。夏は無念だっただろうし、先輩から1番、託されたからね。その思いに応えないと、って思っているはずだよ」
8番バッターは初球のカーブをひっかけてセカンドゴロ。これで2アウト。
「春の甲子園に行くのはあくまで通過点。晴斗が…………晴斗達が目指しているのはその頂き。春を獲ってからが本当の戦いになる」
夏の借りは夏でしか返せない。春を制して春夏連覇をかけて、かつての相棒がいる連覇を目指す夏の王者に挑む。それが実現すれば、来年の夏もきっと熱い戦いになる。その時私は隣人に住んでいる女性ではなく、晴斗の彼女としてスタンドから応援しよう。
「私は春こそは、と思っていましたが……やめておきます。大人しくテレビの前で応援することにします。私の分は早紀さん、あなたに託しますよ」
哀ちゃんは少し寂しそうに言いながらも、その表情はどこか晴れやかだった。
「私が言うのもおこがましいかもしれませんが。どうか晴斗のことを……優しくてそのくせ繊細な彼を支えてあげて下さい」
「うん。わかってる。私にできる限り精一杯、晴斗のことを支えていくよ」
「フフ。もし手を抜くようなことがあればその時は容赦なく私が攫いますからそのつもりで」
哀ちゃんは不敵に笑った。私もそれに釣られて笑う。
9番バッターは空振り三振。この回も晴斗はランナーを一人も出すことなく、マウンドを降りた。
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