触れられない、指先

未知之みちる

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前篇

其の九

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 彼女は不思議に首を傾げた。そうしてその次に彼が発した言葉とその後にスマートホンから部屋に響いた音に遠慮なく笑ってしまった。
 「親友がひどいんだよ!」と彼がひどく悔しそうな口調で彼女に訴えると電話の向こうから「お前の方がひどい!」という力説が彼女の居る位置まで聞こえてきたのだ。
 笑いを止めない彼女へ彼がまた拗ねたように訴える。
「笑い事じゃないんだよー。本当にひどいんだよ!」
 電話が繋がったままのスマートホンを片手に何かを言ってほしそうに彼がしているから、彼女は言った。
「化粧師さんは甘えん坊なのねー」
 まるで彼にではなく電話の向こうの彼の親友に投げかけるような言い方だった。電話の向こうから聞こえてきた「我儘なだけだ!」と言う嘆くような大きな声を聴いた瞬間、彼は反論もせずにぷつりと電話を切った。
 彼のとなりへ戻り相変わらず左側に座る彼女が可笑しそうに言った。
「甘えん坊さんは、もれなく我儘。我が儘・・・で素敵じゃない」
 そんな風に言われてみると彼は嬉しかった。繕わない自分を認められたようで安堵を覚えた。こんな自分を受け入れてくれるのは今まで親友だけだった。
 繕うことが嫌いなくせに、自身の臆病さを隠そうと必死だった彼は彼女の気遣いのうちに自然とそれを止めた。
 同時に再び彼は自身の我儘さに歯痒さを覚えた。そうしてうっかり彼女へ投げかけた。
「臆病なのも我儘?」
「違うと思う」
 優しさの滲む笑みを持って彼女がそう返した。そうして言葉を続けた。
我が儘・・・に在るだけだと思うわ。化粧師さんは聞いていた感じと違ったけれど、とても綺麗な人。知ってた? 化粧師さんて、女の子達の間でちょっと有名なの」
 思い当たる節はひとつ。大抵嘘を吐いて帰ってしまうことだろう。
「直ぐ帰るから?」
「違う」
「じゃあ、なんだろう? すぐ顔に出るから?」
「それも違うわ」
「わかんない」
 女に求めるものが何か自覚はしている。しかし彼はその為に自身が行なっている言動を認識していなかった。
「かっこよくて誰に対しても何をしてもとっても優しいって。みんなうっとり話すの。それでね、お別れする時にとても切なくなるんですって」
「なにそれ」
 まるで毒舌を吐いてしまう時の自分の儘で彼は返した。
「甘えたくなるんですってー。また来てくれないかしらって思っても絶対に来てくれないって知ってるから余計なんだってー」
「その甘えたくなるってなんなの? わけわかんない」
 最早歯に衣着せることをしない彼は鬱陶しそうに言った。
「あのさー、俺は俺の愉しみ方しているだけで愉しませるのはそっち側じゃん。変じゃない、それ? まるで俺が愉しませているみたい。俺、仕事しにここに来てるわけじゃないんだけど!」
 そうして話がだいぶん巻き戻った。
「愚痴、聴いてあげるんでしょー?」
「聴いてあげるんじゃなくて聴かされるのー」
 それから彼女が言った。
「わたしは愚痴言うよりも化粧師さんの『愚痴』の方が興味あるわー」
 彼は自身の普段の行いを思い返してから口を開いた。
「俺のは、最早『愚痴の闇』。わかってるんだよ、視野が狭いって、ちゃんと」
 彼は親友にも言ったことがない本音を彼女へ吐いた。淋しそうに。
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