触れられない、指先

未知之みちる

文字の大きさ
上 下
7 / 21
前篇

其の六

しおりを挟む
 小ぶりのテーブルの上にある冷えていた筈のコーラの入った二つのカップ。暑いくらいに調節されている部屋の中で、冷蔵庫から出されるまでしっかりと冷やされていたコーラはもはや常温となっていた。温くなったコーラはコーラと言うべき飲み物かわからない。
 あっという間に気の抜けて無駄に甘さだけが残るそれを彼は美味しそうに飲み干した。
「美味しいの?」
「美味しいよ」
 彼の返答にくすりと彼女は笑うと自分もコーラを少し飲んだ。
 と、彼が顔を顰めた。
「親友がさ、冷たくない炭酸は炭酸じゃない! ていつも力説するんだよ。うるさいくらい!」
 そうじゃないんだと彼は力説した。
 彼女には彼の言いたいことがわかってしまった。
「冷たいコーラと気の抜けたコーラは別物なのよ!」
「そうなんだよ!」
 自分と同じ感覚を持つ相手が嬉しくてふたりは顔を見合わせた。そうして一緒に可笑しく笑うことだろう。
 彼女は笑った。
 彼は笑わなかった。
 目を輝かせて嬉しそうに笑う彼女のその様が彼の目には静かな微笑みのように映り込み、笑えなかった。
 出会った瞬間から、もれなく彼の美しいと思うものへと分類されていた彼女の言動はやはり美しい。再確認した美しさによって、彼の内側で何かがむくむくと這い上がろうとしていた。
 見られないようにしたつもりの羞恥はきっと見つめられてしまっている。
 だから彼は自分がどんな表情を浮かべているかも気に留めずに彼女を見つめた。
 表情を崩さないまま見つめ返してくる彼女の左手を無意識に捉えると、彼は自分の方へ引き寄せ、きつく抱きしめた。
 コーラをテーブルへ運ぶ前に彼女が肩に掛けてくれたバスタオルがさらりと落ちた。線の細い彼の背中に彼女がゆっくりと手を回す。そうして彼の首元に顔を埋めてくる。
 多少の時間が経っているのに、ベッドから逃げ出した彼の体も彼女の体も熱いままだった。
 見つめ合ったままベッドの上に向き合って座り直し、また抱きしめ合う。その間、彼女の瞳はとろんとしていて、体とは裏腹に彼の心は昂りではなく穏やかさを覚えた。
 そのまま自然と口付けへ発展し、熱い濃厚なものが始まった。
 体が熱ければ口内も、絡まる舌も熱い。
 既に始まっていた何かは滞ることなく続いていた。
 縺れるようにベッドへ雪崩れ、絡み合うような抱擁を解くことなく口付けを交わす。
 時々自分の頰へ触れる彼の手は何かを確認しているようだと彼女は思った。
 昂まっているのに、互いに鼓動は決して早くなかった。それは彼に安堵を与えた。
 理性と欲が拮抗した結果、先程の彼は欲に負けた。触れることを恐れる我儘さは一つの欲であり、それは彼の本能的なもののひとつでもある。
 彼が解き放ちたかったのは理性であった。解き放つ前に自分の嫌う本能が顔を出し怖くなった。
 本来なら本能と理性は対になるものであるが、彼の中でその二つは多少の重なりを持っていた。浮つかない彼の情欲の線上にてのみ。
 臆病なまるで我儘な欲、それは彼の放ちたい情欲とは違う。
 彼女から漏れる可憐な吐息が理性を煽り、漸く彼の理性は欲を負かした。彼女を開きたいと思っている、恐れるほどに。
 自分に覚える落胆を彼女が受け入れたなら、もっと開きたいという欲望はすぐに理性までも捨てさせ、本能だけが残った。方法を求めずにただただ知りたいと願う本能、丸出しの情欲。
 それでも彼は脆いものを扱うように、そっと彼女の体に手を這わし、仰反る首筋や鎖骨へ舌を這わせる。
しおりを挟む

処理中です...