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本編のおはなし
<第八万。‐不穏の神様‐> ⑥
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夕日が差し込む廊下に音を響かせながらひたすらに歩みを進め続ける。
何度も通ったはずなのにそこまでの道程は今までで一番長く感じたし、その分鬱陶しさや苛立ちが募っていく。
(いろはちゃん……これから、どうするんですか?)
「なにをどうするって!?」
ボクの心情を理解した上でそんな問いを向ける吉祥ちゃんにすら、八つ当たりでしかない荒い態度を向けてしまう。
それほどまでに今のボクはおかんむりだった。
(それは……生徒会のお手伝いとか、鹿屋野さんのことですとか……)
「今ボクがやるべきことなんて一つしかないでしょ!!」
吉祥ちゃんへは雑な答えを返し、ようやくたどり着いたドアをノックもせずに思い切り開け放った。
開かれたドアの先、生徒会室の中では目下最大に用事のある、もとい文句を言いたい相手である恵比寿先輩が一人で呑気に窓の外を眺めていらっしゃいやがった。
ボクの突然の入室に驚いた様子もなくいつも通りの人当たりの良さそうな薄ら笑いを浮かべた恵比寿先輩は、ボクへとゆっくり視線を向けてくる。
さっきまでなら特段気にすることもなかったその笑顔も、今のボクには気味が悪い表情にしか感じられない。
「やぁ伊呂波ちゃんおつかれさま。活動調査の手伝いは上手にできたかな?」
むしろいつも通りの穏やかな口調もその笑い顔さえもまるで煽られているかのように見えて、ボクの苛立ちを助長させるものでしかなかった。
「上手にできた?じゃないですよ!アンタのせいで上手になんか終わらなかった!ただのミスなのかわざとなのか知りませんけどアンタが大国先輩に伝えた話のせいでね!」
園芸クラブの部室で起こった一連の揉め事なんて恵比寿先輩は知らん事なのだし、こんなことを急に言われても混乱するかも知れなかったけれど、それでも文句を言わなきゃボクの気が済まなかった。
だけど恨みつらみを吐き出さんとするボクの言葉に被せるように、恵比寿先輩はほくそ笑んで口を開いた。
「もちろん、わざとだよ」
大国先輩にわざと誤った情報を伝えたと、悪びれもせずそう事も無げに口にしたのだった。
「なんでそんなこと!そんな嫌がらせなんかしてなんの意味があんですか!?」
ただのミスであったならまだ良かったのかもしれない。だってボクには謝ってもらい、大国先輩には弁解してもらえればそれで済むのだから。
けれど意図的にボクらの間に亀裂が生じるような、あえてそんなことをしたのであれば、その真意を確かめなければボクの苛立ちだって収まらないし、もちろん納得だってできそうにない。
「嫌がらせのつもりなんかもちろん無いし、ちゃんと意味も意図だって含めた上のことだよ」
その意味だか意図だかについてちゃんと説明しろと、暗にそう訴えたつもりだったのだけど。
当の恵比寿先輩はそんなボクの気持ちも知ってか知らずか、飄々とした態度で煙に巻こうとさえしているようだった。
「そんなことより園芸クラブと鹿屋野さんはどうだった?」
大国先輩を怒せるような誤報告をした真意には触れようともせず、ボクらの諍いに巻き込んでしまった鹿屋野先輩を突然話題として持ち出してきた。
「そんなことなんかじゃない!!!話をはぐらかそうとすんな!なんでアンタがそんなことをしたのかってのを先に説明しろって言ってんだ!」
恵比寿先輩と話す前から既に相当に苛立っていた自覚はあった。
けれどそんな苛立ちも収まることはなく、むしろこの人と話せば話すほどに苛立ちや怒りの感情が積もっていく。
だけど、ボクの糾弾する言葉を聞くや否や、恵比寿先輩はそれまで浮かべていたうすら寒い笑顔をすんっと引っ込めた。
そして取って代わるようにどこか厳しさすら感じるさせるような、ボクを責めているかのような、初めてみる神妙な表情を浮かべた。
「ふぅん……キミにとっては切迫している園芸クラブの存続より自分の疑問を解消することの方が大事なのかい?」
今まで知らなかった恵比寿先輩の本性を現したような急変した表情、そしてそのあまりに卑怯な物言いにボクは思わず口を噤ませられた。
「それともまだ知らないだけなのかな?園芸クラブが置かれている現状、円から説明されたもんだと思っていたけど」
「……園芸クラブが部室を失って廃部になるかもしれないとは聞きましたけど」
ボクを責めるような恵比寿先輩の言葉、そして結んで思い出された鹿屋野先輩と園芸クラブのおかげというべきか、頭に水をかけられたように怒りの熱は冷めていった。
そして半ば無理矢理気味にではあったけれど、多少の冷静さを取り戻させられた。
「あぁそれそれ。でも、かもしれないってのは語弊があるね。今のまま誰も何もせずにただ時間だけが過ぎれば間違いなく、いま使用している部室は他の団体に明け渡すことになる」
改めて突き付けられた事実に、鹿屋野先輩が園芸クラブを大切そうに語っていた姿が思い出されて胸が痛んだ。
この世の中にはどうしようもないことなんてザラにある。
思い描いていた夢が叶わない。
返す当てもない借金のせいでまともに生活できない。
好きな人と結ばれない。
そんな誰しもが想い願うような時間を、人生を誰でも送ることができるわけではない。
生きて成長していく内に誰しもが理解するこの世界の常識だし、もちろんボクだってそんなつまらないことは理解している。
だとしても、だからといって。
善人が報われないのを見ていて当たり前だとか、当然だとか、しょうがないやだなんて割り切れるはずない。
誰かのために苦労を厭わないようなそんな善い人たちには報われて欲しいと思う事だって、それこそ当たり前だと思う。
「なんとかならないんですか?」
(伊呂波ちゃん……)
園芸クラブが部室も失わずに存続して鹿屋野先輩がこの先も笑って活動し続けることができるような、大切に思っている場所をこの先も守り続けることができるような。
そんなボクの思い描く可能性を乞うような言葉は。
「今のままでは難しいね」
恵比寿先輩によってにべもなく切り捨てられた。
初めは苛立ちによって、つい先からは痛切によって身体に入っていた力がすうと抜けていくのを感じる。
やるせなさから俯いていたボクに向かって恵比寿先輩はさらに言葉を重ね続ける。
「それに園芸クラブが部室を失うことによって喜ぶ人たちだっている」
その言葉に思わず反応し向けた視線の先で恵比寿先輩は笑顔を浮かべていた。
放った言葉の内容をゲスだと罵りどういう意味で言ったのかを問い質そうと開きかけたボクの口を制するように、恵比寿先輩は言葉を吐き出し続ける。
「部室を望んでいる団体なんてごまんといる。小規模なサークルにとって部室は一つのステータスで財産だから」
恵比寿先輩はそこまで言い切り、嘆息をひとつ零してさらに聞きたくもない言葉は重なり積もっていく。
「学園内に自分たちだけの空間を持ちたいと望むサークルから、生徒会にそういう要望が数多く寄せられているんだ。そしてそれを解決するのも僕ら生徒会役員の業務の一つなんだよ」
「それは……自分たち生徒会としても喜ぶ人だって、そう言いたいんですか?」
わざわざ聞かずともそうとしか解釈できないような恵比寿先輩の言葉であったけれど、ボクはあえて確認するようにそう問い掛けた。
「生徒会で抱えている問題が一つ解消される。そういう意味では助かると言えるかもね」
「そうですか」
大国先輩は大変だなんだと言っていたけれど、結局この人たち生徒会の面々も誰かのためになんて殊勝な心意気なんて持っていないんだろう。
自分たちさえ良ければ、苦労が減ればそれで満足なんだ。
学園生のためになんて大言壮語を吐きつつも結局は自分たちのため。
ボク自身も含めて、ボクが今まで出会って来た普通の人たちと何ら変わらない、自己的で保身が何よりも大切な自分勝手な生き物なんだろう。
「悲しむ人がいる一方で喜ぶ人たちがいる。その双方がこの学園の生徒なんだよ?」
悔しさとかやるせなさとか失望といった感情渦巻く胸中に項垂れているボクに、恵比寿先輩は追い打ちとばかりに聞きたくもない言葉を次々とぶつけ続ける。
「生徒会としてはどの学園生にも平等に接してあげなければならない。可哀そうだからというだけで、誰かだけ依怙贔屓することが許されると思うかい?」
「……もういいです」
これ以上聞きたくない。
自分を守るための表面だけ取り繕った理論武装なんてこれ以上聞いても吐き気がするだけだ。
それでも恵比寿先輩は言葉を止めない。
「生徒会に属する人間は学園の様々な情報を得ることが出来る。それに大げさかもしれないけれど、一般の学園生よりも強い権力だって持つことができる。そんな人たちが自分たちの――」
「だからもういいですって!!!」
それ以上はもう聞いていられなかった。
吐き出した静止の言葉と共に恵比寿先輩を睨み付ける。
言っている言葉の内容だけ聞けば確かに恵比寿先輩の方が正しい事を言っているのだろう。
名も知れない部室を欲しがっている人たちよりも、知っている鹿屋野先輩を助けてあげたいなんて思っているボクの方が勝手でワガママで正しくはないのかもしれない。
そんなことは理解している上で、ワガママだって自覚を持った上で。
それでもなお、ボクは鹿屋野先輩に救われて欲しいと思っている。
大切なものを奪わないで上げて欲しいとそう願っている。
そしてその想いは、恵比寿先輩の話を聞いてより一層に強まった。
「アンタたちが助かるだとか困るだとかなんてどうでもいい!」
踵を返し、ソファに置いてあった自分の学生鞄を拾い上げる。
「たとえアンタらに何を言われても、誰かに何か責められてもボクは自分のしたいようにします」
そう言って最後に一度恵比寿先輩を睨み付け、退室するために視線と足先を生徒会室のドアへと向けた。
そんなボクの背中に投げ掛けられた言葉はボクを静止するものでも、責めるようなものでもなく。
「――そうかい。きっと伊呂波ちゃんならそう反発してくれると思っていたよ」
それでもボクの神経を逆撫でするようなどこか笑みを含んだような言葉だった。
いちいち反応する気もないボクがドアの取っ手に手を掛けたところで。
「あぁそれと明日からはもう今日みたいに活動調査の手伝いはしなくていいから。明日から君にしてもらうお手伝いはまた明日の昼休みにでも伝えに行くよ」
恵比寿先輩との会話を締めくくる、今日最後となる言葉がボクに通達されたのだった。
◆◆◆
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