吉祥やおよろず

あおうま

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本編のおはなし

<第五万。‐正解の神様‐> ④

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                  ◇

「それでは行ってきますね」

 お母様が上機嫌で玄関を飛び出していった。あんなに嬉しそうに綻んだ笑顔の母親の表情、滅多に見たこともなかったのに。
 玄関で一緒に見送ったお父様の表情はなんとも表現しずらい複雑なものだった。

「お父様?お母様はいつもどちらにお出かけになられているのですか?」

 私もお母様と一緒にお出かけしたかった。
 あんなに上機嫌なお母様の姿を見せられたら、行く先にはどんなに楽しいことが待っているのかと心が踊らされた。

 でもお母様はダメだと、良い子にお留守番していなさいと言って同行を許可してはくれなかった。

「ママはね、大切な人に会いに行っているんだ」

「大切な人……?」

 大切な家族であるはずの私やお父様以外に、お母様には大切な人がいるの?
 その人と、私は会ってはいけないの?
 なんでお父様はこんなに悲しそうな顔をしているの?

「だからね狭依、もうママがどこに行っているのかなんて気にしてはいけないよ?きっと、いつかママの方から教えてくれるはずだから」

 もう詮索するなというその言葉と共に、お父様は気遣うように私の頭を撫でてくれた。
 お母様のことは気がかりだったけれど、これ以上私が興味を示したらきっとお父様は気にしてしまうだろうと思い、もう興味を失ったような態度を示せるように努めた。

 お父様もそんな私の気持ちを察してくれたのか、おやつは狭依の好きなものを作ろうと、私の機嫌を取り戻すために提案してくれた。
 だけど、キッチンに移動する途中で呟いたお父様の言葉。

「世の中にはね……知らない方が幸せなことだってあるんだ」

 それは果たして、私に向けた言葉だったのだろうか。

 お父様が最後に零したその言葉と悲し気な表情は様々な疑惑となり、いつまでも私の記憶に残り続けた。

                  ◇

「――なんてことがありましたが」

 そんな幼き過去の日にあった切ない回想をボクらに披露してくれた弁財さんは、顔を俯かせてフルフルと震えている。
 まぁ確かに今の回想だけ聞くと、まるで市杵ちゃんが他所の男とよろしくやってるようにも思えちゃうよね。

「あの時のお父親の複雑そうな表情!あれは苦笑いだったというんですか!?」

 想像していたような悲しい現実を否定できた安堵もあったのだろう。
 顔を上げた弁財さんは、どこか憑き物が落ちたような気の抜けた表情をしながら、それでもなお怒っているような、なんとも器用な表情だった。

「あ~よく旦那さんから、妻がいつも押し掛けてすいません、って電話かかってくるわ」

「時々菓子折り持ってきてくれるよね?妻がお世話になってますって」

 人の好さそうな弁財パパが何度となく申し訳なさそうに菓子折りを持ってくる様を見ていると、なんでこの人は市杵ちゃんを見限らないんだろうか、とも思ったりしたけれど。
 それも惚れた弱みというものなんだろうか。気の毒に。

 まあそういう訳で、吉祥家も認めるほどに弁財夫婦の仲は円満であるし、市杵ちゃんが不貞を働いているなんて事実もないのだと弁財さんに教えてあげると、弁財さんは今度こそ安堵だけが浮かんだ笑顔を見せてくれた。

「お母様だけでなくお父様まで吉祥家の人と交流を持っていたなんて、私だけ除け者だったわけですね……」

 安堵しつつも寂しげな表情を浮かべる弁財さんの姿が気の毒だったのか、宝ちゃんは弁財さんの頭をヨシヨシと撫でて慰めてあげていた。

「可哀想に。市杵あんたね、こんなに落ち込んじゃって可哀想だと思わないの?別に一緒に連れてきても良かったし、さっき話してた宴会の席でだって挨拶ぐらいさせて上げればよかったじゃない」

 親友よりも親友の娘を味方すると決めたのか、宝ちゃんは市杵ちゃんを責め始めた。

「うぅ、だって。狭依が伊呂波ちゃんと遊ぶの楽しみにしていたしぃ、前日までにまた会えるわよとか、お母さんにまかせなさいなんて大見栄きって期待させまくっちゃってたから申し訳なくて……」

「あ~それに関しては私にも責任があるかぁ。親子揃っての仕事入れちゃったから伊呂波だけ参席させることも出来なかったわけだし、伊呂波と遊べるのをそんなに楽しみにしてたなんて知らなかったのよ。ごめんね狭依ちゃん」

 そういえばそうだったっけな。
 弁財さんのことだけが心残りだったけれど、それとは逆に前の年に参席した宴会があまりにも面倒過ぎたから、喜び勇んで宝ちゃんとの仕事を選んだんだっけ。
 まあそういう意味でならボクにだって責任はある訳だ。

「いえいえっ!吉祥君のお母様が悪いわけではないですから!そんな謝らないで下さい!」

 大女優の謝罪なんて荷が重すぎたのだろう。
 謝られた弁財さんの方が恐縮してしまっているじゃないか。

「それに私だってはーちゃんが伊呂波君だと気付くことが出来ませんでしたし。あの時はたしか寿家の女中さんがご子息がいらっしゃったとも仰っていたので、後で思い返した時にはーちゃんは吉祥家の人ではないかも?って思いこんでしまったんですよね」

 まあ弁財さんの言うはーちゃんとご子息が同一人物だとは思わないだろう。

「それにはーちゃんは女の子だとばかり。唯一遊んだあの日も……」

「弁財さん、ボクがあの時あんな格好していたのはね」

「ゲッホッ!ゴホッ!あーなんだかまた気分が悪くなってきましたー。狭依?ママをトイレまで連れて行っむぐぅ」

「いちき~?往生際が悪すぎだってぇの」

 あの宴会の日にボクが女物の和装を着ていた理由を話そうとしたのを遮ぎりたいが為に、市杵ちゃんはわざとらし過ぎる演技でもって邪魔をしてしてきたが、すぐに宝ちゃんに口を塞がれ大人しくさせられていた。

 覚悟を決めなよ市杵ちゃん。それにもう弁財さんの中の尊敬できる母親像なんか粉々に砕け散ってるって。

「宝ちゃん不在の状況でボクの保護者役を市杵ちゃんが買って出てくれた時まではありがたかったんだけど、寿家の女中さんたちと一緒に嫌がるボクのことを着せ替え人形にして遊んでくれやがったんだよ」

「そんな理由が……」

 自分の母親が他所の家の子どもを着せ替え人形にして遊んでいたなんて、そんな大層な迷惑の掛け方をしていたことなど知りたくなかっただろう。
 弁財さんは今まで見た中でも一番と言っていい程の蔑むような視線を市杵ちゃんに向けていた。きっと弁財さんの中での母親への評価は地に落ちたことだろう。

「満足した後は大広間にボクを解き放って、オドオドするボクを見て悦に入ってたからね。人見知りだったボクにとっては、さよちゃんと出会うまではトラウマになるレベルでの地獄のような思い出でしかないよ」

 あの時、ボクの方こそさよちゃんこと弁財さんに救われたのだ。
 誰も知っている人がいない心細い状況でボクなんかと寄り添い、頼ってくれた彼女の存在にどれほど救われたか。

 改めてさよちゃんへの感謝とトラウマ級のあの日のことを思い出していると、弁財さんはボクの話を聞いてとうとう堪忍袋の緒が切れたのか。
 宝ちゃんに羽交い絞めにされてもがいている市杵ちゃんの目の前まで近寄り。

「弁財家の恥を他所様に晒して!もぅ!もうっ!!!お母様の――」

 まるで長年溜め込んできた鬱憤や不満や不安の全てが詰まっているような。

「~~~お母様の恥さらしぃぃっ!!!」

 ボクの大切なともだちのその全力の叫びは。
 ボクらがいる病室を抜けて、はるか遠くの空の向こう。
 四月の晴天に響き渡り、そして溶けて消えていったのだった。

                  ◇
 
 吉祥伊呂波君は、私の心の水面に数多に色づいた絵の具の雨を降り注いだ。

 飽きる暇など無いほどに幾重にも。
 色褪せる暇など無いほどに濃密な。

 きっとこれからも私の心に残り続ける、かけがえがなく色鮮やかで。
 あまりにも尊い、献身という優しさの絵の具を。

 世界を変えるほどに賑やかな色彩雨の中で見上げた先には。
 キラキラと輝かく虹色が、私の人生を眩く照らしているのだった。

                  ◆
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