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本編のおはなし
<第五万。‐正解の神様‐> ②
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「――お願いです。ボクともう一度、ともだちになってください」
だけど、これだってボクの本心からの願いでもあるんだ。
ボクの中に残り続けていた後悔。
幼き日に、かつてともだちだった『さよちゃん』と交わした、守れなかった約束。
「もう、一度?」
お願いをするボクの瞳を、俯いていた顔を上げて驚きで目を丸くした弁財さんが見つめてくる。
やっぱり、弁財さんは忘れてしまっているのだろう。
かつてのキミと一日だけ遊んだことのある、約束も守れないともだちのことを。
『らいねんも、またいっしょにあそぼうね』
そんな、ボクが破ってしまったほんの小さな可愛らしい、あの口約束を。
「弁財さんは覚えてないと思うけど、ボクたちは幼い頃に一度だけ遊んだことがあるんだ。ボクが過去に一度だけ参席したことのある七福の宴会で」
覚えていないと言うならそれでもいい。むしろ、裏切られた記憶など忘れてくれていた方がボクの気も楽になる。
そもそも弁財さんにとっては、記憶に残るほどでも無いくらいの取るに足らない思い出だったのかもしれない。
それはそれで悲しいけど。
だけど、ボクにとっては忘れられない思い出なんだ。
ボクは今日までに何度もあの日のことを思い出して申し訳なさを感じて、学園で会ったキミに謝ろうとして勇気を出せず、幾度となく自分のいくじのなさを恨んだんだから。
一度約束を破ってしまったボクが、キミとともだちになりたいだなんて口が裂けても言えなかった。
だから、ボクはキミが自分から『ともだちになりましょう』と言ってくれるように、ボクなりのやり方で、キミと関わりを作っていこうとしていたんだ。
でも、今は変わってくれた。今では変わってくれた。
もしもキミがボクに対して割り切れないほどの申し訳なさを抱いてくれていると言うのなら、ボクたちはようやく対等になれた気がする。
後悔を抜きにして、新しい関係を作り直せる気がするんだ。
だからボクはお願いをする。
弱みに付け込むだとか卑怯だとかはもうどうでもいい。この日、この時を何よりも待ち望んでいたんだから。
「……やっぱりあなたが、吉祥君が、はーちゃんだったのですね」
でも、ボクの予想は裏切られた。どうやら弁財さんは覚えていてくれたようだった。
『はーちゃん』だったボクを覚えていてくれたのは、正直言ってすごく嬉しい。
だけどその嬉しさと同じくらい、不安が胸を満たしている。
一緒に笑いあったかつてのともだちを、今でも強く恨んでいるかもしれない。嫌いになっているかもしれない。
それはすごく悲しいし、怖い。
「やっぱりってことは、気付いてたんだね?」
「はい。階段で落ちていく私のことをさよちゃんと呼んでくれたことで、たぶんそうなんだろうなって。今までに私のことをそんなあだ名で呼んでくれた子は1人しかいませんでしたし……」
ボクの目に映る弁財さんの表情に、ボクの勘違いでなければ、怒りや悲しみなどは表れていなかった。
「そっか。覚えていてくれたんだ」
「忘れられません。忘れるわけがありませんよ。きっと何があっても一生覚えています。そう断言できるくらいには、私の中でとても大切な思い出なんですから」
ずっと2人で遊んでいたあの日のことを思い出しているのか、弁財さんは微笑んでくれていた。
その笑顔に、ボクは救われた気持ちになる。
嫌な思い出になっていないんだってわかったから。懐かしむように笑ってくれたから。
「でも、なるほど……わかってしまいました。私が今まで深く人と関わろうとしなかった理由」
だけど弁財さんは浮かべていた笑みのかたちを変えてしまった。
過去を懐かしむものから、まるで自嘲するようなものへと。
「きっとまたともだちを作っても裏切られるかもしれないと恐れていたんですね。そしてその度に、お母様に叱られたあの宴会の日のことを、はーちゃんが来なかったあの辛く悲しかった日のことを思い出してしまうのを避けていたんだ」
「……っ!」
ボクは何を浮かれていたんだろうか。
忘れてくれているかもだとか覚えてくれていて嬉しいだとか、ようやく対等になれただとか。勘違いも自惚れも甚だしい。
弁財さんの悲し気なその表情で自分の愚かしさにようやく気付いた。
ボクはどうしようもなく弁財さんを傷付けてしまっていた。弁財さんが築けたかもしれないたくさんの人との関係を邪魔してしまうほどに。
「ごめん!ボクなんかがともだちになりたいなんて!虫がいいにも程があるよね!ホントにごめん!」
「違いますっ!わたしっ私だってっ!」
だけど弁財さんはボクの独り善がりな思い上がりを否定してくれる。
「お母様が何故あのようなことを言ったのかはわかりませんが!私だって吉祥君と仲良くなりたい!これからも一緒にいたい!あなたが許してくれるなら友達になりたいです!」
ボクの自分勝手なお願いをそれも自分の願いであると、叶えてくれようとしている。
ボクは、この優しさに甘えてもいいんだろうか。そんなこと、はたして許されるの……ん?
お母様が何故あのようなことを言ったのかはわかりませんが、ってなんだ?
弁財家の母親が何かを言ったから、弁財さんはボクと仲良くなるのを躊躇している?
いやでもだって、弁財家の母親っていったらあの人しかいないんだけど?
「お母様?あのようなこと?……待って待って。ちなみになんて言われたの?」
過去の辛い記憶を思い出しているのか、弁財さんは悲し気な表情を浮かべていた。
ボクに伝えるのを戸惑っているのか、口を開いて何かを言おうとしてはいるものの、なかなか言葉を発してはくれなかった。
それでも覚悟を決めたようにその重い口を開いてくれた。
「『吉祥家の人間とは関わる必要がない』って、私が幼かった頃にそう忠告されて」
「えぇ?それ本当?」
「はい、本当です。ホントのホントでマジのマジです……」
「あの市杵ちゃんがほんっとーにそんなこと言ってたの?」
市杵ちゃんの娘さんから聞かされたその言葉を素直に信じることができなかった。
だってあの市杵ちゃんがねぇ。
「はぃ、その市杵ちゃんがほんっとーに……え?」
「ぅ~ん?市杵ちゃんがそんなこと言ってたとかにわかには信じ難いんだけどなぁ」
(たしかに日頃の市杵ちゃんを見ていたら、んなことを言ってただなんて想像できませんね)
さっきまでの悲壮な表情が嘘のように弁財さんは唖然とした顔をして、口をパクパクと金魚みたいにアホ動作している。
たとえ美少女でも、そんな間抜けな顔をしてると顔面偏差値ダダ下がりしちゃうんだなぁ。
ボクも人前で間抜けな面を晒さないよう気をつけようっと。
(真面目な顔より間抜け顔を晒してる時間の方が長い伊呂波ちゃんにはきっと無理ですよ)
うるさいよっ!隙あらば馬鹿にしてくるのやめろっ!
「……いやあの?さっきから名前が出ている市杵ちゃんってのはまさかとは思いますけど、弁財市杵のことではないですよね?違う人のことですよね?」
ボクが脳内で失礼な神様と言い合っている間に弁財さんの意識はボクの言葉を受け入れ始めたのか、未だに口をアワアワしながらもたどたどしく言葉を発してくれた。
「その弁財市杵さんのことで合ってるけど?弁財さんの母親の弁財市杵さん。当たり前でしょ?」
そんな変わった名前の人なんて、世の中にそうザラにはいないでしょうが。
自分の母親の名前だよ?
「いやいやいやっ!当たり前でしょとか言われても全然当たり前じゃないんですけど!?なんで人のお母様のことをそんな慣れ親しんだように!ていうか馴れ馴れしく呼んでるんですか!?そんなまるで親しいともだちみたいに!」
「えっ!ダメだった!?市杵ちゃんからはそう呼ぶように言われてるし他の呼び方するとすぐ拗ねるから正直面倒くさいんだけど」
「そんっ!?うっ!?えっ!?やっ!?えぇ!?いやいやっ!いやいやいやっ!」
ボクの言葉を受けて、何故だか弁財さんは壊れたCDコンポのような声を出しながら固まってしまった。
「嘘です!いつかの宴会で吉祥君たちが来た時にあんなに険しい顔をしていたのですから!そんな仲の良い友人同士みたいなエピソードは嘘です!ありえませんっ!」
「いや、毎回メッチャ笑顔で出迎えてくれるらしいけど。んで毎回参加できないって知るとメチャクチャ落ち込んで泣きながら引き留めてくるらしいけど」
そんな様子を毎年のように笑って聞かせてくれる宝ちゃんも、市杵らしくて可愛いけどもっと恥じらいとか持って欲しいと、最後には若干呆れたように話していたし。
情けなく宝ちゃんに泣き縋る市杵ちゃんの姿なんてたとえ見ていなくても容易に想像できてしまう。
「そんな!?そもそも吉祥君とお母様なんて会って話したことさえないでしょっ!?」
「いやあの人、毎月ウチに来るけど」
稀にしかない宝ちゃんの休みの日にはいつもウチに来るからね、あの人。
「ないないないない!ありえません!そん!そんなわけ!絶対!だって!そんなっ!?」
何故かありえないくらい必死に否定してくる弁財さんに面食らってしまう。何がそんなに信じがたいのだろうか。
その理由をずばり尋ねてみようと口を開きかけたけど。
「……一応、病院なんだから静かにしろよお前ら」
弁財さんのシャウトのせいでドアの音が聞こえなかったけど、鞍馬がいつのまにか入室いていたらしい。
お前らって、主に騒いでいたのは弁財さんだけなのに、ボクも一緒くたに注意されてしまった。
「まあ仲直りできたようだし何よりだよ。ほれ伊呂波、着替えとか持って来たぞ」
鞍馬が持って来てくれた紙袋を受け取ると、言葉の通り着替えやら下着やらが入っていた。
どうやらボクの家までわざわざ取りに行ってくれていたらしい。
「あぁ、だから起きた時に鞍馬いなかったんだ。あんがとあんがと」
「はいはい。んでお前んち行ったときに宝さんに連絡しといたんだけど、明日は都合付きそうだから見舞いに来るってさ。明日退院なのに見舞いってのも可笑しいんだが」
いつも撮影やらなんやらで自宅に帰ってくることすら珍しいのに、なんだかんだで母親として心配してくれたのだろうか。
宝ちゃんにはあとでお礼のメールでも送っておくことにしよう。
それにしても、最後の市杵ちゃん悶着のおかげでいつの間にか涙が引っ込んでて良かったね弁財さん。泣いている所なんてあんま多くの人に見られたくないだろうし。
「毘沙門君いつのまに!?でもちょうど良かったです!聞いてくださいよっ!吉祥君が荒唐無稽でちゃんちゃらおかしいことを!」
ボクの言った事が信じられないからといって鞍馬にアシストを期待しても無駄な気がするけど。
「あぁそれとな委員長。市杵さんも明日一緒に来るってさ。伊呂波のことメタクソ心配してたから、帰ったら大丈夫だったって伝えてあげてな?」
毎度吉祥家にメシを作りに来る鞍馬も、市杵ちゃんとはちょくちょく顔を合わせてるし。
なんなら市杵ちゃんや宝ちゃんが家にいる時にボクらのご飯の準備をしてくれているの鞍馬だし。
「ジーザス……」
鞍馬の発した言葉にもダメージを受けたように顔を抑えて天井を仰いだ弁財さん。てかなんで英語で言った?
「せっかくだし明日は母娘一緒に来たらどうだ?無事誤解も解けたようだし親子揃って顔合わせる機会も今までなかっただろ?」
「……嘘です。こんなの、絶対!ウソですぅ!!」
弁財さんの今日一番のシャウトは、きっとこの病室だけに留まらず病院中に響き渡ったことだろう。耳キーンってなったわ。
そのあと、弁財さんの叫びを聞いてやってきた看護師さんに静かにしろってメチャクチャ怒られたのだった。ボクのせいじゃないのに一緒くたになって怒られてしまったんだけど。
頑張ってきた幕閉めがこれって!理不尽過ぎだよっ!なんてボクの悲痛なシャウトに関しては、流石に心のうちに留めておいた。
また怒られたくなかったし。
(伊呂波ちゃんがいると、いつでもどこでも騒がしくなってしまいますから。でもとりあえずは一件落着、ですね。フフッ)
そんな安心したような神様の優しい声が、ボクの耳にだけは届いたのだった。
◇
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