吉祥やおよろず

あおうま

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本編のおはなし

<第二万。‐誤解の神様‐> ①

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【弁才天】
 音楽や財福、水に纏わる女神で、琵琶を持った姿で描かれることが多い。
 『吉祥天』を含まない場合には七福神の紅一点であり、『宗像三女神』という美しい女神の一柱としても信仰を集めている。

◆◆◆

 『あの時』に何を考えていたのか。『その時』どんなことを思っていたのか。
 そんなものは水に散らした水彩絵の具のように淡いもので、その瞬間に仄かに色づいた感傷でしかないのだろう。
 その思いは緩やかに薄く広がり、そして、やがて静かに消えていってしまう。
 
 きっと未来の私は今の私が何を考えて、何を思い、何に悩んでいたかなど、ふと思い出すこともなく生きていくのだろう。
 今の私が抱えている悩みや迷いなんて、いつの日かきっと忘れて思い出すこともないその程度のもの。
 だからこそ、もっと気楽に生きようなんてそんな風に楽観的でいられたら、どれほど楽になれるのだろう。

 だけど私にはそれができない。
 だって考えることを止めてしまったら。悩むことを捨ててしまったら。
 私は、私でなくなってしまう。
 
 今まで強がって生きてきた。弱い自分が嫌で抗ってきた。独りきりで歯を食いしばって生きてきた。
 そんな孤独で可哀そうな、今までの弁財狭依べんざいさよりが報われないのだから。 

 それでも、その時々の想いは水に溶ける水彩絵の具の様に儚いものだなんて、先の私は思ったけれど。
 強く思い出せる絵の具の色だってある。溶かした水の色を染めてしまうような。強くて、濃くて、深い、確かなおもい。そんな想いや悩み、疑問や不安。
 
 幼き日の記憶に残る、あまりにも華やかな七福の宴会の席。

 その日、その時、その場所で感じた感情は今もなお強く、色濃く、思い出すことができた。
 そして今もなお、現在の私を蝕み続けていた。

◇◇◇

 『人々は何故、群れて生きていきたいのだろう?』

 通学路を歩く周りの学園生達は友達と一緒に楽しく話しながら、八百万学園に向かって歩いている。
 そんな人の群れに囲まれて、私は毎日一人きりで前を向く。

 (どうして、そんなに締まりのない顔でいられるのでしょうね?)
 
 学園とは学びを修めに行く場である。
 レジャー施設やテーマパークに向かうわけではないのに、周りの学園生達はみな一様に浮つき、学園で起こる楽しい何かを求めに向かっている様にさえ見えてしまう。

 そしてその免罪符のように、『青春』だとか『充実』などと薄っぺらい言葉を用いて、自分たちの怠惰から目を逸らし、さらには他人への迷惑までもが許されたのだと、自らに都合の良いように勘違いしているのだ。
 装い、取り繕い、群れて多数派に属しているのだからと、自分を正当化するのに躍起になっている弱い人たち。
 
 だけど私は、『弁財狭依』は理解している。
 学園に通う目的や、私たち学生が本当に頑張らなければいけないこと。本来躍起になるべき自分の、自分の人生の為の大切なことを。
 
『ともだち』などという上辺だけの関係でしかないような人と浪費する、無駄で空虚な時間に浸ってしまえば、きっと私はダメになるだろう。
 期待して―――裏切られる。そんな人生などまっぴら御免だ。
 『ともだち』なんて、『青春』なんて。そんな空想は、もう私はいらない。
 
 そもそも、友人がいないことが罪や悪であるように見做される、そんな風潮自体がおかしいことなのだ。
 誰かと寄り添わないと不安に押しつぶされる、そんな弱い人たちの自己保身が、世間一般でのマジョリティーになっている。

 学園という社会の縮図とも言える箱庭においてもそれは例外ではない。
 一人で過ごす人間は一方的に『ぼっち』だとか、『友達がいない寂しい奴』などというそしりを受け、そうでない人間から憐れまれるのだ。

 それも致し方ないことなのだろう。
 所詮凡庸な人間なんて、他人と自分を勝手に比較して何某かの優位性を得ようとして、それでようやく得られる精神の安定と優越感に縋るために必死なのだから。

 自信の持てる何かを築き上げてこなかった弱い人間の自己保身に付き合い、敗北感など感じる必要なんて、一々構ってあげる必要なんて。
 そんな必要、私にはないのだ。

(私はそこまで優しくもお人好しでも、軟弱で軽薄でもないんですから)

 だから私は一人でも大丈夫なのだ。独りきりでも前を向いて、堂々と歩いて行ける。
 格式ある八百万学園の数多ある学び舎の中で、学生たちが一日の始めに足を踏み入れる教室棟の賑やかな声の溢れる入り口をくぐり、私が所属するクラスの下駄箱へと向かう。
 八百万学園に入学してから既に二週間という月日が経とうとしているだけあり、目的地を意識せずとも、私の両足は無意識に身体を自らの下駄箱まで運んでくれる。

(またですか……はぁ)

 私の下駄箱の小さなドアを開けると、そこには『クソ女!消えろ!』と書かれた紙が貼ってあった。
 三日前から始まった、小さな嫌がらせ。
 昨日までにも『ブス』だとか『死ね!チクリ魔!』などと書かれた紙が貼ってあった。

 この張り紙をしている人はきっと私をイジメているつもりなんだろうけど、私は全く気にしてはいない。
 こんな幼稚な悪意の向け方をされても、むしろ滑稽なだけである。

(この程度のことで私が落ち込んだりすると、本気で思ってしているなら)

 あなたは、もしくはあなたたちは加害者ですらない。
 きっと素行不良を私に咎められた誰かが腹いせのためにしているのだろう。
 私は間違ったことなどしていない自信がある。自分の行った行動に誇りを持っている。

 過去にも幾度となく、注意されてただむかついたからと、自らの非を認めず逆ギレした女子たちに悪意を向けられたこともあった。
 そのたびに「なんて恥知らずな人たちなんだろう」と呆れてしまったものだ。

 だから今回の件だって全く気にしてはいない。わざわざむきになって犯人捜しをしようとも思わない。
 間違った行いをした者が、正しい行いをした私に下らないちょっかいをかけていることに、僅かに理不尽と憤りは感じるものの、抱く感情なんて精々その程度だ。

 貼ってあったゴミを剥がして下駄箱から上履きを取り出している間に、このゴミに何て書いてあったかも意識の外に消えてしまった。
 手に握ったゴミを歩む先に設置されていたゴミ箱に放り捨て、私は何事もなかったように教室へ向かった。
 まるで、何事もなかったように。

 今日も何でもない、何事でもない、いつも通りの私の学園での一日が始まった。

◇◇◇

 入口から教室の中を覗くと、まだ朝も早い時間であるせいか数少ないクラスメイトたちがいくつかの集いとして、小さく群がって話していた。

(私に注意されたことのある人でそれも最近、その中で特に不満を抱えてそうな人といったら)

 ここ数日の記憶を思い返し該当しそうな人物を探すが、教室で談笑する人たちの中に当てはまる人物は見付けられなかった。
 一番怪しい容疑者の目星はついているが、『彼』はいつも始業ギリギリか遅刻してくるのが常であるのだ。
 当然のように、今朝も教室にその姿は見られなかった。

「ん?委員長なにしてんだ?そんな入り口で」

「ひゃうんっ!ななな何も別にしていませんけど!?特に!?別に!?何も!?」

「……後ろから声掛けたのは悪かったが、そんな驚かんでもいいだろ。おはよう委員長」

「お!おはようございます毘沙門君っ!ホントに違うんですからねっ!?別に誰かを探していたわけでもないですしっ!誰かを疑っていたわけでもないですしっ!?」

「いや、俺もただ何してたかを聞いただけなんだけど」

「うっ、そうですね。ちょっとテンパり過ぎました。気にしないでください。ふぅ」

 突然声をかけられたせいで醜態を晒してしまった。恥ずかしい……。
 そもそも冷静に振り返ると、私は何をしていたんだろう。
 別にあんな『クソ女消えろ』と書かれた張り紙のことなんて気にしてはいないし、犯人が誰であるのかもどうでも良いのだ。それなのに、持ち前の悪行を許せない正義感が故に、つい暇つぶしのつもりで犯人の特定をしようとしてしまっていた。
 あくまで『暇つぶし』のつもりでだけど。

(いけないいけないっ!これじゃまるであの程度の悪戯が心底気に食わなくて、とてつもなく怒っているみたいじゃないっ!私は気にしてないっ!ちっとも気にしていないっ!)

「入り口を塞いでしまっていたようですね、ごめんなさい。毘沙門君は今日も早い時間から登校なされているのですね。どこかの『誰かさん』とは違って」

「俺は部活の朝練に参加してるからな。だけど伊呂波だって別にいつも遅刻してるわけではないだろ?だからあんま目くじら立てずに接してやってもいいんじゃないか?伊呂波なりにいろいろと……」

「入学して以来毎日、遅刻か始業時間ギリギリの登校じゃないですか!あと目くじらって何ですかっ!それじゃあまるで私が悪いみたいじゃないですかっ!私が何か間違ったことをしてるみたいじゃないですかっ!」

「いやっ!すまん!今のは俺の言葉が悪かったっ!伊呂波の素行に問題があるのは確かだし委員長の注意も発言も全部正しいよな。気を悪くさせてすまないっ!」

 頭を下げる毘沙門君を見て、私もハッと冷静になった。
 問題があるのはいつも騒ぎの中心である『彼』であって、目の前で真摯に謝る毘沙門君に非があるわけではないのだ。
 むしろ毘沙門君はいつも『彼』のせいで騒ぎに巻き込まれており、被害者の苦労人ですらある。
 いつも『彼』に困らせられているという点では親近感さえ抱くほどだ。
 
 なにより毘沙門君自体は、真面目で誠実で常に自己研鑽を怠らない好青年なのだし、私が同年代で認めている数少ない学園生の一人でもある。
 そんな親近感や尊敬の念を抱いている、苦労人な毘沙門君に謝罪させてしまったことに罪悪感が芽生えつつ、さらには冷静さを欠いてしまっていたことによる後悔と恥ずかしさにも包まれ、思わず私も毘沙門と同じように頭を下げた。

「いえ、私も少し虫の居所が悪かったのもあり、感情の沸点が下がっていたみたいです。まるで毘沙門君に八つ当たりのように声を荒げてしまいました。申し訳ございません」

 毘沙門君が頭を上げる気配を待ってから私も下げていた頭を上げて、20㎝は高い位置にある彼の顔と改めて向きあった。

「そうか?んじゃ喧嘩両成敗ってわけではないが、お互い気にしないってことで手打ちにしておくか」

 そう言って、比較的整った顔に浮かべた優しげな気持ち良い笑顔を見て、改めて毘沙門君が女子からの人気が高い理由を理解した。
 私の八つ当たりを不愉快に思う様子も怒っている様子も微塵もなく、何事も受け入れてしまう優しさは毘沙門君の長所で、彼がモテる要因の一つでもあるのだろう。

 だけどその反面で、私は毘沙門君が抱える唯一の欠点であるとも思ってしまうのだ。
 なぜなら。

「それとな委員長、伊呂波も見えないところで結構頑張ったりしてるんだぞ?だからほんの少しでもいいから、あいつのことを認めてやってあげて欲しいんだが」

 毘沙門君は、私を悩ませる目下最大の問題児である『彼』こと―――クラスメイトの『吉祥伊呂波』に優し過ぎ、むしろ甘やかし過ぎているのだから

「っですから!再三お伝えしていますけど毘沙門君は吉祥君に甘すぎますっ!この間だって吉祥君のせいで遅刻したって不満を零していたじゃないですかっ!」

「そうかぁ?そんなことないと思うけどな。むしろ俺は誰よりも伊呂波に厳しいくらいだろ?」

 そしてそのことを本人が全く一切自覚出来ていないところも、彼の大きな欠点の一つであるかもしれないと。
 両腕を組んで頭を捻っている毘沙門君の姿を見て、改めてそう強く感じたのだった。
 
 完璧な毘沙門君の唯一の欠点『吉祥伊呂波』―――なんて罪作りな人なのだろうか。

◇◇◇
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