春秋館 <一話完結型 連続小説>

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第四章 秋

Order29. 見えない影

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参考:「Order24.」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/209105547/463556247/episode/5927400
参考:「Order12.」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/209105547/463556247/episode/5762685
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「え、また?」
「うん、昨夜の内に入ってたみたい」
 そう言って青年は茶色い封筒を顔の辺りに上げて見せた。
「中身、確認したの?」
「うん。やっぱりお札が入ってた。この間のと合わせて百五十万、かな」
「ひ、百五十万!?」
 青年が夏の旅に出掛ける数週間前の事だ。初めてお店のポストにその封筒がひっそりと身を潜めていたのは。その時青年は、自分を信じて頼まれたのだから、しばらく預かると言い切った。少女は猛反対したけれど、一度決めた事を簡単に撤回する男ではない。
 あれから数ヶ月。青年が帰って来るのを見計らったかのように、二度目の封筒が届いた、という訳だ。今度は見つけたのは新聞を取り込んだ青年本人だった。少女も中身を確認したが、今度もまた使い古したような一万円札が束ねて押し込まれていた。相変わらず福沢諭吉はあっち向いたりこっち向いたりの不機嫌顔だ。中に入っている手紙は、やはりへたくそな字で書かれている。

「もう少しだけお預かり下さい。必ず引き取りに行きます」

〈なんなの、これ……〉
 再び少女の心はざわざわし始めた。
「ねぇ、どうするの? このまま持ち主が現れなかったら」
「さぁ、どうするかな……」
 青年にもどうしたらいいのかわからないのだろう。だけどさほど困っている様子でもない。
「昨日、帰りに覗いた時は確かに何もなかったわ。昨夜、誰かが来たの気づかなかった? 何か物音とか……」
 店の二階は青年の住居でもある。
「人が近づく気配とか……」
 青年は思わず笑った。
「無茶言わないでくれよ。一晩中耳澄ましてる訳じゃないんだから。いくら僕でも夜中は普通に夢みながら眠ってるからね」
「わかってるわよ、そんなの」
 一瞬少女は、青年はどんな夢を見るのだろうと、全く関係のない事を考えてしまった。
「防犯ビデオでも設置したらどうかしら。また来るかもしれないわよ」
「別にいいよ。そこまでしなくても」
 青年は首の辺りに手をやると、急に興味がなくなったようにカウンターの中へ戻り、開店の準備をし始めた。
「……心配してるんじゃない……」
 少女は、何故わからないんだ、というように憮然として呟いた。だけど、心の中にいるもうひとりの自分は、「違う」と呟いていた。
 わたしは嫉妬してる。封筒を持ち込んでいる見えない誰かに、嫉妬してるんだ。彼に完全に信用されている誰かを、うらやんでいるだけだ。そして、不安を感じている。いったい誰? 何故ここなの? どうして、ここじゃなきゃだめだったの?
「わかってるよ。ありがとう」
 青年は、そんな少女の心を読んだように少しだけ微笑んだ。
「! ……何をわかってるって言うの?!」
 少女は思わず大きな声を出すと、プイと顔を背け、準備中の店の表に出て行ってしまった。

 またやってしまった。
 苛立ちがピークになり、思わず不機嫌な顔をモロに見せてしまった。
「やだな、いつまでもこんな自分……」
 店の汚れた壁にもたれていると、少女は涙が出そうになった。
 いつもの事だが、青年は追い掛けても来ない。すぐに戻って来るだろうと余裕綽々しゃくしゃくなんだろうか。少女はその場に崩れるように座り込んだ。
 彼はいつも、どんな事でも自分ひとりで決めてしまう。何かあってもきっと相談などして貰えない。話してくれたとしても事後報告、あるいは状況報告位なものだ。
 二年も一緒にいるのに。一番近くにいるのは自分だって思っているのに。
「ねぇ、わたし、ここにいてもいいの……?」
 そんな事まで考えてしまい、後悔したけど遅かった。涙が溢れて止まらない。

 わたし、ここにいていいの?
 あなたに必要とされてるの?
 あなたにとってわたしは……。

「あの……」
 低い男の声に、少女は驚いて顔を上げた。そこには、すっかり顔なじみの銀縁フレームの眼鏡を掛けた少年が不思議な顔をして立っていた。元予備校生の少年で、週に一回はこの店に「モカブレンド」を飲みに通っている。
 まただ。また、変なところを見られてしまった。
 少女は立ち上がると、目にゴミが入ったような三文芝居をして涙をぬぐった。
「いらっしゃいませ。ごめんなさい、開店までまだ時間が……」
 俯き加減にそう言うと、少年はポケットから宝くじ位の大きさの紙を二枚少女に向かって渡した。
「これ」
「? なんですか?」
 少女は素直に受け取った。それはかなりハデな色を使ったチケットで、「DayDreamer」と大きな赤い文字で書かれている。
「学園祭がもうすぐあるんです。僕、サークル仲間とバンド組んで舞台で演奏もするんです。良かったら見に来ませんか?」
「え、そうなんですか?」
「はい。僕はベース担当で……」
 ほんの少しだけ、無表情で無愛想な少年の頬が緩んだように見えた。意外だった。大人しくてほとんど自己主張などしないように見えるこの少年が、バンドを組んでいるなんて。少女は目をパチパチさせた。いつの間にか涙は乾いている。
「あの、二枚ありますから、良かったら店長さんとでも……あ、お店の都合がつけば、ですけど」
「…………」
「じゃ、待ってますから」
 少年はそう言うと、少女の返事も待たずにさっと踵を返して立ち去った。
 コーヒーを飲みに来た訳でもないのね。わざわざこれだけのために……。
「客集めか……。学園祭……。そういえば、うちの大学ももうすぐだっけ」
 チケットを再度確認すると、都内の産業技術分野に特化した大学だった。学園祭の日付は、講義が午前中で終わる日だったので、バイトの予定を入れていた。

〝店長さんとでも……〟

 年に二回長期休暇を取るこの店は、それ以外特に定休日を設けていない。彼が学園祭の演奏会のために店を閉めたり、早々に切り上げたりするとは到底思えない。言うだけ無駄だろう。
 学園祭なんて、誰でも気軽に行けるはずの行事。そんなものすら一緒に行けない関係。少女は少しだけ今の状況に疲れを感じた。
 少女の大学の友人は、みんな彼氏と自由にデートしたり、着飾ってコンパに出掛けたり、サークル活動にと、大忙しだ。
 元々の性格もあるが、少女はそういった一切の行事を放り投げ、『春秋館』と大学の勉強だけに情熱を注いでいる。別に青年にそこまで頼まれている訳でもないし、もっと若者らしい生活をする事だって自由なはずなのに。
 自分は、あえてそんな生活を放棄してしまった。だけど……。
「……普通の女の子みたいな生活したいな……」
 ポツリと呟くと、二枚のチケットをポケットにしまった。

 鮮やかな青い色をした秋空に不規則な形で点在する雲が浮かび、ゆっくりと流れている。
 少女は、空に向かって無理に笑顔を作ろうとした。だが、笑顔を作れば作る程、何故か込み上げてくる悲しみを知るだけだった……。
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