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第三章 春
Order24. 胸騒ぎの日曜日
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その茶色い封筒を見つけたのは、日曜日の朝店を訪れた少女だった。
朝からバイトに入った日の習慣で、少女は店のポストを覗いた。お客用のスポーツ新聞と、近所の美容院と英会話教室のカラフルな広告。それからもうひとつ、分厚い封筒がポストの奥の方に沈んでいる。まるで、ひっそりと身を潜める逃亡者のように。少女はその分厚い封筒を怪訝な顔をして取り出すと、しっかりと糊で封がしてあるのを確認しながら店内に入った。
「これ、何かしら。宛名も差出人もないんだけど」
開店前の静かな店内。青年はいつもの茶色いエプロンのヒモを背中で結びながら少女に近づき、封筒を受け取った。厚さ1cmはあるだろうか。ずっしりと重みもある。
「切手も宛名も何もないの。昨夜から今朝にかけて直接投函されたみたい」
言いながら、なんだか嫌な予感が少女の背中を走った。
青年は、片方の口の端を持ち上げ、不思議そうにそのどこにでも売っている長形四号サイズの封筒を裏返したりしていたが、やはり何も書かれていないので、そっと封を剥がしてみた。
「気をつけて。爆発物でも入ってたら……」
少女はふとそんな事を思いつき、恐くなった。
「…………!」
しかし、中身を見た途端、絶句してしまった。封筒から出てきたものは、無造作に押し込められた一万円札。恐らく枚数にして、何十枚……いや、百枚位はあるかもしれない。青年は、カウンターの上にその札束を全部引っ張り出した。
「何、これ……」
少女は唖然とした。さすがに青年もポカンとしている。
まさに無造作に現れた一万円札の束。帯封で巻かれる事もなく、もちろん新札でも表裏上下が揃っている訳でもない。だけど形は丁寧に揃えた形跡がある。つまりこれは銀行でおろして来たそのままではなく、手元にあるお金を集めて詰め込んだものなのではないだろうか。
「親切な人がいるもんだなぁ」
青年の冗談はわかりにくい。あまりにも場違いな事を言うので、少女は肩の力が抜けた。
「何言ってるのよ。どうするの、これ。心当たりないんでしょう?」
「ないね、全く」
そう言って青年は、お札を封筒に戻した。
「もしかして、犯罪がらみじゃないの? 強奪して来たものとか、あるいは偽札とか……」
どうしても良い方向には考えられない。まさか店への寄付などではないだろう。
「手紙が入ってる」
「え?」
そう言う青年の右手には、いつの間にか白い一枚の紙が広げられていた。A4サイズのコピー用紙のようだ。何が書かれているんだろう。少女は、青年の手元を横から覘いてみた。
「必ず引き取りに来ます。それまでどうか、お預かり下さい」
たった一行。はっきり言って上手とは言えないボールペン字で書かれていた。子供の字か? それとも、筆跡を隠そうとして無理に利き腕を替えて書いたのかもしれない。だとすれば、益々怪しい。当然名前もなく、これじゃ男性か女性かもわからない。
「何、これ……」
少女は、もう一度同じせりふを呟いた。それ以外に口から出る言葉はありそうにない。青年は何も言わずに手紙を元の四つ折りに戻すと、同じように封筒の中にしまった。
「どうするつもり?」
「どうって。引き取りに来るって書いてあるし。それでいいんじゃない」
相変わらずのんきな人ね、という目で少女は青年を上目遣いに見た。
「だめよ。警察に知らせなきゃ。おかしな犯罪に巻き込まれちゃったらどうするの?」
「手放したりしたら、余計おかしな事になるかもしれない。それに、本当に預けただけなのかもしれないよ」
「ここは銀行じゃないわ。何故ここなの? 名乗りもしないで。変じゃない」
少女は、なんとか青年を説得しようとしたが、いい言葉が浮かばない。彼は言葉は柔らかくても、一度決めたらかなり頑固な男である事は知っている。
「きっと、何かよっぽどの事情があるんだよ。ここに置いて行ったのも、たまたまじゃないと思う」
青年は、気にする事はないよ、という風に微笑む。
「何? よっぽどの事って。何かあったら、お客さんにも迷惑が掛かるかもしれないのよ?」
「大丈夫。俺がいるから」
「!…………」
そう言われると、返す言葉もない。
どこにそんな自信があるのか。きっぱりと言い切った彼のせりふに、何故かどきっとした。
少女はパッと青年の傍から離れると、「わかったわ」と言った。
「あなたに任せる。でも、気をつけてね……」
最後の言葉に、少女は精一杯の気持ちを込めたつもりだった。伝わればいい。きっと彼なら、酌んでくれるだろう。きっと……。
青年はにこっと笑うと、「よし。じゃ、開店の準備しよっか」と言って背中を向けた。こんな風に話を終わらされると、もう何も訊く事はできない。いつもの事だ。
仕方なく少女も朝の掃除をするために休憩室からモップを取り出したが、心は上の空だ。
プラタナスの街路樹が立ち並ぶ、裏通りを映す大きなガラス窓。朝の光を浴びて、きらきらと光っている。いつもと変わらない朝。いつもと同じ一日が始まったばかり。
だけど……。
〝大丈夫〟
自信たっぷりの青年の言葉。彼がそう言う以上、大丈夫なのだろう。そう安心した反面、犯罪がらみとかそういうのとはまた違う胸騒ぎが少女を襲っていた。
〈何だろう。この胸騒ぎは……〉
梅雨も明けた七月半ば。青年がいなくなる夏季休業まで、後ほんの少し……。
夏なんて、こなければいい。大嫌いな夏なんて……。
店内に貼られた海外写真がとてつもなく憎らしく見える。少女はモップを握った手に力を込め、心が大きなため息をつくのを聴いていた。
朝からバイトに入った日の習慣で、少女は店のポストを覗いた。お客用のスポーツ新聞と、近所の美容院と英会話教室のカラフルな広告。それからもうひとつ、分厚い封筒がポストの奥の方に沈んでいる。まるで、ひっそりと身を潜める逃亡者のように。少女はその分厚い封筒を怪訝な顔をして取り出すと、しっかりと糊で封がしてあるのを確認しながら店内に入った。
「これ、何かしら。宛名も差出人もないんだけど」
開店前の静かな店内。青年はいつもの茶色いエプロンのヒモを背中で結びながら少女に近づき、封筒を受け取った。厚さ1cmはあるだろうか。ずっしりと重みもある。
「切手も宛名も何もないの。昨夜から今朝にかけて直接投函されたみたい」
言いながら、なんだか嫌な予感が少女の背中を走った。
青年は、片方の口の端を持ち上げ、不思議そうにそのどこにでも売っている長形四号サイズの封筒を裏返したりしていたが、やはり何も書かれていないので、そっと封を剥がしてみた。
「気をつけて。爆発物でも入ってたら……」
少女はふとそんな事を思いつき、恐くなった。
「…………!」
しかし、中身を見た途端、絶句してしまった。封筒から出てきたものは、無造作に押し込められた一万円札。恐らく枚数にして、何十枚……いや、百枚位はあるかもしれない。青年は、カウンターの上にその札束を全部引っ張り出した。
「何、これ……」
少女は唖然とした。さすがに青年もポカンとしている。
まさに無造作に現れた一万円札の束。帯封で巻かれる事もなく、もちろん新札でも表裏上下が揃っている訳でもない。だけど形は丁寧に揃えた形跡がある。つまりこれは銀行でおろして来たそのままではなく、手元にあるお金を集めて詰め込んだものなのではないだろうか。
「親切な人がいるもんだなぁ」
青年の冗談はわかりにくい。あまりにも場違いな事を言うので、少女は肩の力が抜けた。
「何言ってるのよ。どうするの、これ。心当たりないんでしょう?」
「ないね、全く」
そう言って青年は、お札を封筒に戻した。
「もしかして、犯罪がらみじゃないの? 強奪して来たものとか、あるいは偽札とか……」
どうしても良い方向には考えられない。まさか店への寄付などではないだろう。
「手紙が入ってる」
「え?」
そう言う青年の右手には、いつの間にか白い一枚の紙が広げられていた。A4サイズのコピー用紙のようだ。何が書かれているんだろう。少女は、青年の手元を横から覘いてみた。
「必ず引き取りに来ます。それまでどうか、お預かり下さい」
たった一行。はっきり言って上手とは言えないボールペン字で書かれていた。子供の字か? それとも、筆跡を隠そうとして無理に利き腕を替えて書いたのかもしれない。だとすれば、益々怪しい。当然名前もなく、これじゃ男性か女性かもわからない。
「何、これ……」
少女は、もう一度同じせりふを呟いた。それ以外に口から出る言葉はありそうにない。青年は何も言わずに手紙を元の四つ折りに戻すと、同じように封筒の中にしまった。
「どうするつもり?」
「どうって。引き取りに来るって書いてあるし。それでいいんじゃない」
相変わらずのんきな人ね、という目で少女は青年を上目遣いに見た。
「だめよ。警察に知らせなきゃ。おかしな犯罪に巻き込まれちゃったらどうするの?」
「手放したりしたら、余計おかしな事になるかもしれない。それに、本当に預けただけなのかもしれないよ」
「ここは銀行じゃないわ。何故ここなの? 名乗りもしないで。変じゃない」
少女は、なんとか青年を説得しようとしたが、いい言葉が浮かばない。彼は言葉は柔らかくても、一度決めたらかなり頑固な男である事は知っている。
「きっと、何かよっぽどの事情があるんだよ。ここに置いて行ったのも、たまたまじゃないと思う」
青年は、気にする事はないよ、という風に微笑む。
「何? よっぽどの事って。何かあったら、お客さんにも迷惑が掛かるかもしれないのよ?」
「大丈夫。俺がいるから」
「!…………」
そう言われると、返す言葉もない。
どこにそんな自信があるのか。きっぱりと言い切った彼のせりふに、何故かどきっとした。
少女はパッと青年の傍から離れると、「わかったわ」と言った。
「あなたに任せる。でも、気をつけてね……」
最後の言葉に、少女は精一杯の気持ちを込めたつもりだった。伝わればいい。きっと彼なら、酌んでくれるだろう。きっと……。
青年はにこっと笑うと、「よし。じゃ、開店の準備しよっか」と言って背中を向けた。こんな風に話を終わらされると、もう何も訊く事はできない。いつもの事だ。
仕方なく少女も朝の掃除をするために休憩室からモップを取り出したが、心は上の空だ。
プラタナスの街路樹が立ち並ぶ、裏通りを映す大きなガラス窓。朝の光を浴びて、きらきらと光っている。いつもと変わらない朝。いつもと同じ一日が始まったばかり。
だけど……。
〝大丈夫〟
自信たっぷりの青年の言葉。彼がそう言う以上、大丈夫なのだろう。そう安心した反面、犯罪がらみとかそういうのとはまた違う胸騒ぎが少女を襲っていた。
〈何だろう。この胸騒ぎは……〉
梅雨も明けた七月半ば。青年がいなくなる夏季休業まで、後ほんの少し……。
夏なんて、こなければいい。大嫌いな夏なんて……。
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